2017年1月29日日曜日

臓器移植ネットワーク


日本臓器移植ネットワーク(以下、ネットワーク)がまた移植患者の選定ミス、というニュースが飛び込んできた。27日の記者会見で、直近での心臓移植提供で心臓移植レシピエントとして選定された1番と2番が共に大阪大学付属病院の患者さんであり、連絡を受けた阪大側が1番と2番の順番が逆ではないか、ということで事態が発覚したようだ。調べてみるとこれまでに二人の待機患者さんが本来受ける順番であったのに順位が下位になっていて、受ける機会がなく既に1000日以上の待機になっているという。
そもそも2014年に同様の選定ミスが連続し、厚労大臣から改善命令である指示書が出て、執行部の交代と選定ソフトの見直しが行われたばかりである。この患者選択(臓器配分、臓器斡旋)は脳死臓器移植での臓器配分を公平公正に行う根幹にかかわる所で、間違った選定の陰で本来受けるチャンスを失う、そしてそのために待機期間延長ではなく移植に至らず亡くなることもあり、あってはならないことである。ネットワークの実情から見れば同情したい所も沢山あるが、あえて論点整理を試みてみたい。
では、選定ソフトの新規導入から2年弱で何故こうなったのか。何故これまでミスが分からずに来たのか。その仕組みを理解しなければならないが、あるドナーからの脳死での臓器移植が可能となった時、まずレシピエント(移植を受ける方)を基準に則り順位の高い方から選び、3番くらいまでについて各移植施設へ連絡し、移植を受ける意思があるかを確認することから始まる。これはその病院で登録している患者さんだけについての連絡であり、他の病院で登録している患者さんの情報は計り知れないことである。少なくとも今回のように1番と2番の両方が同じ施設であると間違いが分かるが、その施設の患者さん一人が何番目かの候補と連絡があっても、その施設での順番が正しければ、他施設のそれ以外の順番のことは全く分からないし、知らせてもいけない。要は、何か不審な点があっても施設間で確認しあうことは出来ない。順位が2番目の方がおられても1番が他施設であればそれを信じるしかない仕組みである。
原因にはコンピューターのソフトの不具合と担当者の情報登録時の人為ミスの二通りがあるが、何れにせよコンピューターに登録後の確認を各登録施設とネットワークとの間での確認する仕組みがない、即ち二重チェック体制が取られていなかったのではないか。実はもうとっくに時効ではあるが、心臓移植再開のころにも同じようなことがあった。手計算をコンピューターに変えたから安心ということは決してないことを改めて知るべきである。ネット―ワークの皆様が日々頑張っておられ、ここまで成果を上げつつあるなかで、こういったことでネットワークやそれを支えるコーデイネーターの評価が下がるようなことに無いように願いたい。
前回のネットワーク問題の時にも書かせてもらったが、日本臓器移植ネットワークはもうそろそろ二つの役割を明確に切り分ける時期ではないか。一つは今回出た患者選定作業、法で決められた臓器斡旋(配分)事業であり、もう一つは啓発・教育・学術などの活動である。前者は国の予算も付くもので、徹底した質の管理と公平公正な臓器配分であり、脳死判定や個人や家族の意思表示の確認等の役割がある。現在もネットワークとしてはこの仕事が殆どであろうし、改めて斡旋業務の円滑かつミスのないシステムの構築を徹底して欲しい。一方、救急病院等の臓器提供の現場での移植コーデイネーターの充実とこの斡旋業務とは車の両輪であり、ネットワーク事業の根幹である。
しかし、もう一つの役割、啓発・学術活動、も大変大事なことは言うまでもない。今回も関連するソフトウエア―であるが、究極はデーターベースにも繋がる。膨大な登録患者と提供者、提供臓器、そして成績などはデーターベースの管理という点でも大事であるが、学術的にも大変重要であることが日本ではあまり認識されていない。米国ではUNOSという歴史ある国が支援している大きな臓器移植の元締め組織があるが、そのデーターを学術的に使用して移植医療の発展に大変貢献している。移植関係の学術誌にはUNOSのデーターを分析して、待機中の死亡の原因や待機リスト判定が適切であるか、時代に合っているか、等の重要な報告が出ている。最近も、臓器配分と患者選択指針(ポリシー)の見直しがあった。法改正ではなくポリシーの改変で新たな展開が始まる。一方日本では、ネットワークは概要(臓器提供数と移植数がメイン)を公表しているが学術的なことはどうか。外部からの研究用資料提供の申請があれば許可されるが、研究者側はデーターの取得ではかなり制限がある。臓器提供者と待機患者、移植患者の個人情報が絡むからである。
今の日本のネットワークは予算と人材から見て誠に貧弱である。斡旋業務に振り回されているのか、学術や啓発にはとても十分な力を出せていない。また、米国はUNOSが臓器提供や移植の現場でのネットワーク(OPTNOrgan Procurement and Transplant Network)と緊密に連携されていて, 上述したように臓器提供や移植の仕組みの改善や新たな展開を積極的に支えている。日本では、ネットワークの下部組織的な地域支部があるが、啓発活動が主のようである。そして移植や臓器提供、配分の種々の基準の見直し、予算配分などは厚労省管轄であり、その中の専門委員会で決められる。ネットワークはその実施機関に位置している。米国のOPTN/UNOS体制とはかなり異なっている。脳死臓器移植はこれまで長い議論があり、法律制定でも紆余曲折があったように、法で厳格に管轄されていることから、ネットワークには主体性もなく、予算も限られている。そういう意味では、日本の臓器移植の成熟はまだまだ道遠し、の感である。
我が国として求められる臓器提供数の確保と質の担保、社会からの信頼獲得、などのゴールを目指してネットワークや関係者は更なる努力が要るが、今回のことを踏み台にして更なる展開をして欲しい。選定ミスの後始末で終わらせてはいけない。
 

2017年1月24日火曜日

論点整理とは


 論点整理という言葉が新聞紙上やニュースで盛んに出てきています。天皇陛下の譲位に関する「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」が先日これまでの議論を纏めて公表していますが、その纏めが、論点整理、となっています。新聞の第一面にこの言葉が出て来ること自体非常に珍しいのですが、このブログも副題が「論点整理から課題解決」としていることから、この論点整理について少し書いてみようと思い立った次第です。

このブログで使っている意味は、種々の課題がある中でこれを解決しようとするときは、まず何が問題か、その背景はどうなっているのか、どういう解決策が考えられるか、等を分析しないと先に進めないからです。しかし、この論点整理が我々の周囲で充分出来ていないことが多いのです。この分析をしっかり行わないと、解決出来ず、間違った方向に行ってしまう危険がある訳です。この論点整理を習慣にすることが必要と思います。論点整理に少し拘っているのですが、論文を書く時もこれが当然必要で、医療の場でもこれを普段から使うことを習慣づけることが大事と思ってあえてこの副題としています。

さて、今度の天皇陛下の譲位では、論点整理が出て一応有識者会議の仕事は終わるようです。勿論、この後はお役人が進めるのではなく、国民の意見を聞いたり、国会で議論したりするので、正に論点整理、です。それ以上でもそれ以下でもないということです。一方、行政機関の各種委員会で新たな問題に対応するときに、議論がある程度出た段階で、それでは論点整理に移ります、ということになります。そして出て来たものは、確かに意見が併記され、種々の課題が羅列されているのですが、どうも何か方向性が見え隠れする訳です。後はどうなるのか、ということですが、お役所はその時点でもう後の筋書きを作っていることが多く、後はそれにそって粛々とことが進んで行きます。

 今回の論点整理は私ごときがコメントするのはおこがましい限りですが、有識者会議の委員長も自負しておられるように、実によくできた、素晴らしいものです。まさに論点整理で、考えられる論点が網羅され、抜けもなく余分もないものです。方向性も結論も書かれていません。官邸や政府の意向が出てくるようでは大変なことになるのですが、マスコミや野党はその思惑が背景にあるのでは、と追及しています。それにはそれなりの理由があるのではと思います。というのは、これまでの国の決め方では論点整理と言いながら結論ありきのことが多いからではないでしょうか。

私が加わった委員会でも論点整理を進める段階で、後ろにいるお役人の意向が何となく出てきていて、最後は何のための議論であったのかと思うほどお役人好みの結論が出て来る訳です。議長かどうかは別として、そこに所謂、御用学者と言われる方の存在があるように思ったりします。先にシナリオがあり、結論ありきのなかで、手順上いろいろな意見を聞いたことにしておいて、あらかじめ決めていた方へ向かう、ということがないとは言えないと思います。貴重な時間とお金が無駄に使われていないか、疑わしくなります。
 
医療現場ですが、論点整理だけではまだ道半ばです。課題解決へのステップなので、行政(お役所)と医療現場(患者さん相手)では論点整理の意味が違うということかもしれません。皆様の場合の論点整理はどちらでしょうか。課題解決に力を置くか(医療、科学)、考え方(プロセス)に重きを置くか(行政など)、の違いかもしれません。

こんな次元の低い話を天皇陛下の譲位の論点整理にぶつけること自体、不謹慎かもしれませんが、論点整理という言葉の使い方についての、論点整理(課題解決なし)になったのか疑わしいです。

2017年1月16日月曜日

成人先天性心疾患学会

 成人先天性心疾患(adult congenital heart disease, ACHD)については何度かこれまでにも紹介した。成人で先天性とは、と何かおかしな名前であるが、この領域は歴史的に見て小児の先天性心臓病(生まれつきの心臓の異常で、沢山の病気がある)の外科治療から始まっているので、小児心臓血管外科、小児循環器の専門医が集まって研究が始まった。そして今では手術を終えた多くの患者さんが成人期に達するようになり、その方々は種々の問題、遺残病変や合併症、中でも慢性心不全を呈するようになることから、その分野に特化した多職種の専門分野の連携の必要性が問われてきた。英国ではGUCH (grown-up congenital heart、成長した先天性心疾患)として診療体制や研究、統計疫学、が進んでいる。名前が有名なブランド品に似ているが、英国人らしいユーモアを感じる。米国でも専門医や専門看護師も出来てきている専門分野であって、我が国でもこの分野の学会が始まってもう20年近くなる。今回第19回の学会が三重県は津市で、三重大学産婦人科教室の池田智明教授が会長で行われた。何故産婦人科の教授が、ということは後で説明するとして、幾つかのトピックスを紹介したい。
この学会はいつもこの時期に行われるのが習わしであるが、今回は日本中が大寒波襲来で冷え切っていて津市内も雪が舞うなか、学会会場は駅前のホテルで、300人位(不確か?)の参加でホットな雰囲気で行われた。そもそも学会会員は800人程度で、医師(循環器、小児循環器、心臓外科、産科、放射線科、麻酔科など)に加えて、看護師、検査技師、心理士の方々も参加している。学会の前日には三重大学医学部のこの分野の関連の先生の講演があったが、川崎病の最近の動向、心臓外科の進歩、放射線科での診断法の進歩、などであった。川崎病は先天性心疾患ではないが、冠動脈に異状が生じる病気で、日本で流行的に発症し、その特な病態から新たな疾患として認められ、発見者の川崎博士の名前が付けられた。かってこの病気が世界で注目され、川崎病として広まったころに、神奈川県の川崎市のどういう方かは忘れたが、名前を変えくれというクレームがあったと聞いているが、今はそういう話は昔話になっている。とはいえ、この病気歯まだ発生数は減少しておらず、また原因はすぐにわかるような雰囲気であったが、今回専門の方に聞くと、まだ全くと言ってもいい程原因は分かっていないとのことで、病気の原因を突き解けることの難しさを改めて感じた。因みに、初期治療の方針が固まっていて、冠動脈バイパスや心筋梗塞になる頻度歯減っているということであった。
さて、肝心の成人先天性心疾患では、学会会長や英国の招請講演者も産科の先生で、手術後や心臓病を持ったままで妊娠出産となる患者さんが少なくなく、母子の安全や健康管理での英国での進んだシステムが紹介された。この分野もそうであるが、心不全管理や再手術、ひいては心臓移植などの全体像を見れる診療体制の必要性、基幹病院への集約が必要ということであった。我が国でも問われることである画、専門分野の他職種連携と集約が大事であるが、我が国ではこれがなかなか進まない課題でもある。招請講演者のPhilipp Steer教授は英国での傾向として若い人が簡単に妊娠する傾向があり、心臓病を持った若い女性への啓発活動や心臓病のスクリーニングが必要とのことであった。出産前に胎児の発育遅延が見つかり、その原因が先天性の心臓病が隠れていることもあるという話しであった。
もうお一人英国のこの分野の専門であるMichel Gatzoulis博士の講演では心不全の話があり、大変興味深かった。先天性心疾患術後はすでに慢性心不全の患者群に入り、特別な注意でもって対応が要ること、再手術やカテーテル治療、デバイス治療が紹介された。私は討論時に、心臓移植についての我が国へのアドバイスや、移植に至らないような治療体系もことを質問させてもらった。難しい話であるが、これも集約したセンターで対応すべきであり、また補助人工心臓の応用もこれからの課題で、期待されているとのことであった。
最後に我が国の演者のシンポジウムで、フォンターン手術の再手術の話があった。このテーマであるフォンターン手術は私のライフワークでもあり、興味があり、議論にも参加させてもらった。特に術後の肝障害についてはまだまだ問題解決には程遠く、肝硬変になるリスクの解析や心臓移植以外の対応など、今後の課題として残されていた。 私はもう手術にお参加はできないが、術後患者さんのフォローの中で、何か貢献できればという思いを深くした。

学会中から予想通り雪が降り出し、津市内も白くなってしまい帰りの交通が心配されたが、近鉄は特に遅れもなくなっていてトラブルなく帰ることが出来た。以上、津の学会の報告でした。

                   ホテルから津市内の写真。伊勢街道が見えています。






2017年1月3日火曜日

明けましておめでとうございます。

 新年、明けましておめでとうございます。皆様、良いお正月をお迎えのことと思います。この3が日、関西も大変穏やかな日和で、正にお正月、といった感じでした。とはいえ初詣に行くわけでもなく、年賀状と箱根駅伝を楽しむくらいでしたが、新年のスタートをのんびり過ごせたので後は少し気合を入れないといけないかなと思っています。明日から仕事初めですが、病院にいることが自分の生活の一部というか土台でもありましたので、状況は変わってもやはりそこでどう生き生きと過ごせるか継続した課題でしょう。というのは、大学時代は毎年の目標があるというか立てないと話にならなかった訳ですが、今の状況ではそういう環境ではなく、如何に世の中や周りの皆さんとうまくやっていけるか、あるいは取り残されないか、迷惑をかけないか、そんな気持ちでの仕事始めではないかと思います。
どうも年末以来、気合の入れ方が鈍っているようですが、それは受け入れないといけないし、その前提でこれからどう進むかを考えることが大事かなと思います。人間、何かはっきりとした具体的な目標が立てられる時は良いですが、何となく惰性になった時にどう乗り切るか、そこが大事なのかというのが、あえて言えば新年に当たっての気持ちかもしれません。
さて、この1カ月程は少し紹介したレビュー論文作成が日々の仕事でした。成人先天性心疾患という領域の話ですが、子供さんの時に生まれ付きの心臓病の大きな手術をして元気になった方やまだ不十分で何とか大人になった方などが、大人になって不整脈や心不全が起こってくる方が少なくなくありません。小児循環器医や大人の循環器医、そして心臓外科医、不整脈治療専門医などの連携で治療体系作りが進んでいます。私が子供さんの時に手術をさせてもらった方がもう大人になっている訳で、ほとんどの方は特に治療は必要としないで経過観察していますが、再手術の時期になったり、患者さんによっては心臓移植を考えないといけないような重篤な問題が生じている方もおられます。
このテーマでは以前にも書いていますが。米国や欧州では成人先天性心疾患の治療体系も進んでいて、さらに心臓移植の実績も増え、今はどういう状況で移植の判断をするのかが懸案事項になっています。ドナー不足とはいえ、米国と欧州の心臓移植の統計では毎年100例以上の成人の方が移植を受けています。残念ながら日本ではこれまで300例以上の心臓移植のなかでこのカテゴリーに入るのは1例のみです。待機中の方は数人おられると思いますが、心筋症の方と違った病態や症状であり、同じ土俵で待機することには問題がある、というか不公平感があることから、米国では心臓移植の優先順位の改定も検討されています。しかし我が国ではまだ全くと言ってもいい位検討も始まってもいません。日本で成人先天性心疾患の心臓移植は何も見えないと言っていいくらいの状況です。そういう選択肢があることが世に言えない状況でもあります。手術をした後のフォローがそれではいけないのです。
ということで、成人先天性心疾患における心臓移植の役割と現状、将来展望、という題で総説を書いています。英文なので四苦八苦していますが、関連する論部(海外だけです)70以上になり、これをどうまとめるか、日本の関係学会の雑誌に採用されるようどうすればいいか、など思案中です。とは言え、今日でドラフトはほぼ出来上がったので、あとは枝を削いで、読んできただける内容に纏めていくことになります。英文の校正もいりますが、今月中の投稿できればいいなと思っています。ということで、今年の出だしも何とか前向きになったかと思います。年末の気分とはずいぶん違っていて、やはり新年だ、という所でしょうか。
このブログ、今年も何とか続けたいと思っていますので、陰ながらのご支援をお願いします。頑張ります