長かった梅雨もやっと明けたと思ったいきなり全国的に猛暑で、熱中症の死者も出て来ている。欧州では40度にもなる異常な暑さですが、一方では雹が降ったりして大変です。自転車ロードレースの世界最高峰のツール・ド・フランスも、アルプスの最終段階で、冬期オリンピックも行われたアルベールビル近くの最後の峠が突然雪と雹に覆われてレースが中断、その前の峠が切り上げゴールとなり大波乱の幕切れとなった。
最近読んだ本で興味があったのは、「社会は変えられる」(国書刊行会)と「医療現場の行動経済学(東洋経済新報社)」。前者は厚労省と経産省の両方に席を持つ異色の官僚、再生医療新法を作った立役者でもある江崎禎英氏の話題の本で、世界が憧れる日本へ、という副題付きのものである。超高齢社会における種々の課題を凄い発想の転換でもって分析し、一般に変えられないと思ってしまっている社会の問題は実は変えられるのだ、というメッセージで溢れている。先般の大阪での日本心臓リハビリテーション学会と名古屋での日本在宅薬学会で特別講演をされていて、早速学会場で購入したしたものである。後者は大阪大学大学院経済研究科の大竹文雄氏と平井啓氏の編集によるもので、すれ違う医者と患者、という副題である。行動経済学の専門家集団が、患者と医師の間を人間心理のクセが分かれば溝は埋められる、というユニークな考えのものである。FBで紹介されていたのでこれも早速注文した。
今回は後者の中から一つテーマを選んでみた。というのは、前回も書かせてもらった臓器移植における個人情報の扱いの話しである。まず今の我が国における臓器移植について、特に脳死での臓器提供が諸外国に比し極端に少ない現状を行動経済学的に分析している。それは、臓器提供の意思をどう示すか(第9章)に書かれている.背景にはオプトイン方式である我が国ではドイツと同様、意思表示をしているのは12%前後であるが、オプトアウトの国では90%以上となっていることから、表示方式のデフォルト(原文)の違いで大きく変わることを指摘している。オプトアウトにしたら問題は解決できるかというとそう簡単ではない。実際、我が国では法改正でオプトアウト方式と併用することでかなり提供は増えたが抜本的ではない。そういう中で、如何に社会が臓器提供の仕組みやその意義について理解を深めるかは広報(Web)の言葉一つで変わってくることが述べられている。具体的な話しとして、ドナー家族への調査(どういう考えを持って提供し、提供後はどうかなど)が十分なされているとは言えないと指摘している。臓器移植ネットワークが頑張って進めてはいるが、確かに社会にはあまり理解されていないことから、ドナーや遺族へのリスペクトする雰囲気も希薄である、と私も思っている。これについて以下の原文を紹介する。「臓器提供に関する様々な経験が、「個人情報の保護」という観点から一切表に出なくなっている現状は、むしろ意思表示のしにくい環境を作り出して、臓器移植医療が抱える様々な課題を一層解決困難なものにしてしまう。」 正に、私の訴えたいことが論理的に示されている。行動経済学的という馴染み薄い視点から見た話しであり、すこし取っ付き難い所もあるが、最近一部で進められているソーシアルマーケッティング手法とも相通じるものかと思う。
最後に書かれている文章は大変示唆に富むものであるので紹介する。デフォルトの変更や様々なナッジ(ちょっとした肘うち、私の追加)が、提供意思に関わる行動変容に一定の効果をもつことは、行動経済学の研究によって示されている重要な知見である。そうした知見を政策に応用するうえでは、提供数や移植ツーリズムといった目先の課題に目を向けるだけでなく、誰が、誰のために、いかなる意図でアーキテクチャーを設計するのかかが問われなければならない。 臓器移植医療に携わるものへの重要なメッセージある。
この行動経済学の本では、臓器提供以外にも癌や終末期の普段の診療における意思と患者の考え方の相違や意思疎通における問題も書かれている。終末期医療(人工呼吸管理はやめられないのか)は大変興味深く読ませてもらった。そして、医療現場では行動経済学でいうバイアスが存在し、この意思決定におけるバイアスを知っていたら患者による合理的な意思決定が出来るとしている。行動経済学的と医療、まだまだ未消化ではあるがこれから更に発展していくのではと思う。そして何事も課題解決には発想の転換、視点を変えること、が大事であることが、江崎氏の本もそうであるが、この二つ本の共通するメッセージある。