2021年5月27日木曜日

コロナ禍が続いています

  ご無沙汰しています。コロナ禍が続いていて、このブログへの投稿意欲も薄れてきたのは歳のせいか、それともあきれ果てて物言う気にもならないのか、自問している毎日です。しばらく振りの投稿で、コロナボヤキの感じで書かせてもらう。

当方のワクチン接種はようやく2週間ほど前に二回目も済んで、コロナ病床を持つようになった施設での勤務も少し落ち着いて出来るようになったかと思う。とは言え、兵庫県から大阪市内までの通勤は車に切り替えている。運動不足を少しでも解消と、病院到着後30-40分の散歩も心がけている。

 未だに収束しない新型コロナ感染蔓延がわが国の医療体制にかってない窮地をもたらしている。病床逼迫というが、そのそも我が国は病院数が国際的にみて異常に多いことは周知の事実である。ただ、これは私立の病院がほとんどで、コロナ対応では前面には出て来ない。とは言え、医療崩壊という中で当方のようにコロナ病床を急遽作って対応している。問題は、基幹病院ともいわれる公的ないし半公的病院である。そこには多岐にわたる設立母体があってそれぞれ独立採算制で苦労している。管轄でいえば、全て独法化したとはいえ国立病院は厚労省、ほかは県立、市立、労災、年金(今はJCHO、尾見先生が理事長)、NTT,各種共済、などなどである。それぞれ精一杯対応はしているが、敢えて言わせもらえれば予測範囲である。

何度も言っているが、この国難において、旧国立病院(名前は医療センターとかになっているが)のいくつかをコロナ専門病院に切り替えるといった英断は何故できないのか、間接的ではあるとしても厚労省管轄であるのに。大阪市立十三市民病院の例はごく少数派である。こういうなかで、私立の病院が業を煮やしてコロナ専門病院として頑張っているところも身近にみられる。しかし、こういう話が必要なのは昨年の第2波のころであり、もう遅きに失していてやむなく民間中小病院が駆り出されている事態になっている。そのためにどれだけ税金を使っているか。前にも言った集約化が出来ていない付けがきているが、もっと大事なのは国難での緊急的税金の投入を機能的施設集約に充てる英断が欲しいということである。

さて、日本医師会の一員としての話であるが、日本医師会会長が盛んにTVで警鐘を鳴らしているが、話す相手が違うでしょうと言いたい。医師会員に向けた話を市民に聞いてもらうスタンスでないと、今巷間に流れているような不評を買うことは当然であろう。医師会長が、皆さんご注意を、そして危機感を煽って国の施策への注文、こういうことを市民向けに言うことの意味が分からない。かかりつけ医が頑張っていて、そこをどう活用するかの策を出すのが医師会の役割で、現場との乖離が激しい。ワクチン接種でやっと姿が見えてきたとはいえ、ごく一部であり、まさに病診連携の本質が問われているのでは。日本医師会での勤務医の発言力はほとんどない現実もある。

今回言いたいのは、大規模ワクチン接種での医師不足対応である。打ち手を医師以外の専門職に広げるのはいいとして、会場で必要な医師が不足している、と大阪市では公募をしたところ、短時間で埋まってしまったという。私の周りでも、もう現場に長らく関与していない方もボランテイアー精神で手を挙げているは歓迎する。問題は日当である。今日の毎日新聞でも書かれているが、医師は平日で10万円、という。その根拠は一般の臨時診療での相場らしい、こうでもしないと集まらないと思ったのかもしれない。しかしそれは違うでしょう、と思う。看護師は打ち手で苦労するのに時給で数千円と思う。これはおかしいと一般の方もそう思うでしょう。国難の時に、しかも診療ではなく問診でのスクリーニングに、平時の対価を求める(提供する)のですか。救急対応は別に専門医がいるのでしょうし。アルバイト気分で手を挙げたといわれたら怒られるでしょうし、自分が要求したのではないと。日当辞退せよという意味ではなく、こういう時こそ日本医師会が率先してガイドすべきでしょう。費用負担は医師会として何らかの対応をする(研修ポイント付与とか年会費免除とか)、とかです。因みに自衛隊の集団接種では、自衛官であるが、医師も看護師も同じ日当3000円である。そうです、ここで医師と看護師とか職種で差を付けない、この精神(ポリシー)が大事と思う。なぜ日本医師会はこういう市民が見ている所で英断が出来ないのか。 というボヤキで失礼します。