2019年11月16日土曜日

大阪の人工臓器学会での話題


 日本人工臓器学会と国際人工臓器連合学会が合同開催という形で先週大阪にて開催されました. 主催は大阪大学の心臓血管外科で、前者は戸田宏一准教授が、後者は澤教授が会長. これらの学会は教室の歴代教授が担当して来た歴史もあり、私が担当したのが2001年ということでもう20年ほどになります. 関連する人工臓器は人工心臓、人工肺、人工腎臓(血液透析)、人工膵頭(インシュリンコントロール)、人工血管といった臓器や器官の代替するものから、その基礎となる材料分野、生体反応まで多彩です. 主催者側が循環器系なのでどうしても人工心臓や補助循環の比率が多くなっていたのいたし方ないかと思いますが、透析やバイオマテリアル、再生医療といった基礎系もしっかりカバーしていました. 機械的補助循環ではいろいろと新しいデバイス(機種)が登場しているのですが、最近はチームで担当しかつ施設基準や認定制度もあり、看護師や臨床工学技士の参加も多く、大変盛り上がっていました. また、国際部門とジョイントでもあり、海外からの参加も多く、国際色豊かで、懐かしい方々との再会もあり、3日間十分楽しめました.
今回の私の関心事はやはり補助人工心臓と移植となってしまいました. 心臓移植や肺移植は今や人工的な代替装置でもって待機するという状況であり、必然的にこの学会でも臓器保存装置や移植への橋渡し(ブリッジ)などが結構ホットな話題であります. 米国での肺移植のリーダーとなっている教室出身の重村先生の肺移植における進歩の話もありました. 一方前者は、同時開催で日本臨床補助循環研究会もあり、永久使用(Destination Therapy)とともに急性心不全やショックへの短期使用の循環補助装置としてImpella®や国産の遠心ポンプの登場で盛り上がっていたと思います. そこで、懸案事項である植込み型補助人工心臓の適応拡大のことと、心停止ドナーからの心臓移植について紹介します.

植込み型補助人工心臓(VAD)は心臓移植へのブリッジとして保険償還されていますが、適応基準や申請タイミングが厳しく管理(日本循環器学会)され、植込み型VADの装着は学会のお墨付きがないと植込みが出来ず、手続等で時間がかかると最適な装着時期を逃してしまう問題(角を矯めて牛を殺す、という感じか)から、今は実施施設の仮判断で届け出をまずして承認が下りる前に見切り発車での植込みが可能となってきています. しかし、今回の議論で明らかになったのは(個人的にですが)、施設間でのこの早期実施の判断が異なり、施設でのポリシーも若干異なり、同じような心不全の進行状況でも、植込みまで3-4日でストレートに進む施設と、間にいろいろな苦労をして最後の最後にやっと許可(仮)がでることで10日も2週間もかかっている状況もあるということです. 単に日数で判断してはいけないでしょうが、そういう現実もあり、個人的にはかなり昔と変わりない苦労を強いられている状況で、患者さん主体に考えると気が重くなる場面でもありました.
将来的に心臓移植が必要であるが、心不全が進んでそれまで保存的治療では限界がある場合に補助人工心臓で移植まで持たすのがBTT(bridge to transplant)、いわゆるブリッジなのです. 一方、明らかに移植の適応があり本人も希望しているが、肝臓や腎臓の臓器機能の基準でクリアーできないところがあり、そのままでは適応外であるが、補助人工心臓で臓器機能が改善する見通しがある場合には補助人工心臓をまず付けてある期間様子を見て最終的適応の判断をするという、bridge to candidacyBTC, 移植候補への適応)というカテゴリーが米国ではあります. わが国でもDTへの保険が来年でもおりる時期になって、このBTCは現場では明確な基準もなく、保険適応もなく、悩ましい部分として取り残されています. このBTCについて、私はDT到来になっても置き去りにしないよう実施側への働きかけをしているのですが、今回も意見集約をすべく準備するという働きかけは不発に終わってしまいました.

このBTCへの保険適応問題は当然ながら簡単ではなく、適応拡大に繋がりVAD治療成績が悪くなりかつ医療費がかさむリスク、現状の早期植込みパスの延長(緩和)で十分ではないか、移植適応にならなかったらどうするのか、そもそも定義や基準が施設で異なって標準化は難しいので保険収載はできるのか、といった課題が出てきます. 米国ではBTCは施設が決めるものの保険会社によっては認めないところもあり、統計上も数は少なく、あまり重要な関心事ではないとのことも聞かせてもらいました. また、その先が移植できなったとしたらまさにそれはDTになるわけで、候補(candidate)の先は移植とDTの両方としたほうが現実的とも思われます.

BTCという言葉が独り歩きすると現場は混乱するし、一方ではなんと対応してあげたい患者さんも少なくないのが現実であり、それはどうしたらいいのか.  まずは実態調査(実態と数と予後など)が必要であること、そのうえで移植施設が集まって意見をまとめ、保険適応や適応拡大が必要と判断すれば関係する上部機関に提案する、というシナリオかと思われます. その上で、DTにおいてもBTCというカテゴリーをどうかも議論することが大事と思います. 要は、BTCというなんとはなしに現場で作られただけの話では進歩もなく、患者さんに被害が生じ、混乱と停滞につながる恐れがあります. これを関係者は真剣に考える時期と思って今回もしつこく発言をしてきました. 何らか進展につながればいいですが.

もう一つは心臓移植に直接関係することで、ドナー不足を少しでも改善する策としてのDCDドナーからの心臓移植です. DCDとはdonation after circulatory deathで、我が国いう心停止での臓器提供です. 脳死ではなく旧来の心臓死を経て臓器を摘出するという方法で、わが国では以前より腎移植で行われている献腎移植(生体ではなく)ですが、今話題のDCDは大きな違いがあります. わが国でのDCD移植は脳死などの不可逆性脳障害になった方で、家族の承諾を得た場合、積極的医療を控え自然に心臓が止まるまで待って、心停止後に摘出に入るというものです. これは心停止前に臓器還流カテーテルを入れるのは積極的に死を導くなど、もう30年位前に社会問題化した負の歴史があります. カニュレーション時期は別として、1990年前後には年間200件以上の心停止ドナーからの腎臓移植が行われていたのですが、脳死移植が導入される時期になってから激減し最近は年間30件ほどという寂しい状況です. また、臓器も酸素欠乏時間が長くなるので機能回復にお遅れが出ます. 腎臓では透析がありますが、心臓移植では患者の死亡になります. 一方今話題のDCDでは人工呼吸などの生命維持装置を中止して起こす心停止であります. 虚血時間は短縮されます. 脳死に準じるような重度の不可逆性脳障害になった場合で死後の臓器提供が家族から提示されて場合に、豪州、英国、最近ではベルギーで、心臓移植と肺移植が実際進められ、従来の移植と遜色のない結果が出ています.

今回の学会でも、豪州シドニーと英国マンチェスターからの報告がありました. その方法は、国で決めた終末期の生命維持のガイドラインに則って人工呼吸を中止し心停止をもたらし、その後5分から30分の観察(hand-off)後に死亡宣告し、その後に心臓など臓器の還流を死体内ないし外で行って、次に心機能の判定ができる臓器還流装置に収め、移植施設に搬送するという手順であります. 英国ではこの方法の導入で脳死を含めた臓器提供数が20%以上増加したということでした. 私は、このセッションの最後にコメントをさせてもてらいましたが、そもそも阪大ではもう30年前になりますが、心停止ドナーからの心臓や肺の移植実験を犬で行っていて、脳死ドナーが全く無理になら心停止ドナー、それも生命維持装置停止なし、からの心臓や肺の臨床応用ができるよう実験をしていました. 結果も良かったので人への応用も考えていた時期があったことを紹介しながら、わが国ではどうか、ということで発表しました.

わが国での腎移植を振り返っても潜在的DCDドナーはかなり存在することまず理解しなければなりません. その上での課題は生命維持装置停止を法的脳死判定以外で行えるかどうかで、脳死議論を再燃させ社会を混乱させては現在の脳死ドナーの提供数増加に水を差すリスクも抱えています. 一方では、日本集中治療医学会、日本救急医学会、日本循環器学会が救急・集中医療における終末期医療のガイドラインを発表しており、その中に生命維持装置の中断が書かれていることから、法律を新たに変えるとかではなく、学術団体のコンセンサスが得られ、厚労省の専門委員会で審議してもらうようになればと思っています. 何れにせよ、わが国このDCDドナーからの心臓移植はドナープールを拡大し待機中死亡を減らす重要な選択肢であり、わが国の関係者がONE TEAMとなって道を開いて欲しいとお願いしコメントとしました. シドニーの座長から、日本ではなぜドナーが極端に少ないのかという質問もあり、人の死のダブルスタンダードが大きな問題であるとも発表に加えていましたが、人口100万人当たりの死後の臓器提供数がいまだに1.0以下(0.8前後)と海外の20人から30人というレベルと大きく違っていることをわが国の社会は知ってほしいと思います.

因みに、この11月24日に兵庫県臓器移植推進協議会の市民公開講座が近づいてきていることを紹介して締めさせてもらいます.


2019年10月7日月曜日

心臓移植研究会で



長らく記事のアップが出来ていませんでした。何とはなしに89月が終わってしまいましたが、まあ、何とか生き延びてはいます。8月は猛暑、猛暑といいながら、学会活動もなく、だらだらと終わった感じでしたが、9月以降はかなり濃厚でした。ということで、まずは9月の活動報告から始めます。
9月の第2週の日曜はここ何年か毎年の行事になっています、自転車イベントの参加です。自転車、ロードバイクというやつですが、6月は富士山、秋は丹後半島とか淡路島、といったイベントに参加していますが、9月は城崎温泉をベースに神鍋高原から豊岡へと回る周遊120キロです。コウノトリチャレンジライド、です。心臓血管外科医仲間が関東からも集まり、温泉プラス自転車ライドを楽しんでいます。3回目の挑戦で1回目は大雨で途中リタイア(収容車で帰還)、昨年は何とか完走。今年もそれなりに準備していきましたが、やはり体力も落ち、さらにかんかん照りの猛暑、坂登りに入る前、熱中症になる前に早々にリタイアでした。これは正解で、今回はかなりの人がリタイアしたそうです。とはいえ、歳を考えもう無理は出来ないなということです。
その後は、タイはバンコクでの医療機器フェアに神戸市医療産業都市機構のお供で参加してきました(チラシ参照)
。関西の医療機器関係の企業17社が大阪グループとしで参加していました。かなりしっかりした国際展示で、何かビジネスチャンスはないかと、色んな国の方が集まっています。日本からの出展企業は関西以外に福島県、東京、も参加していましたので、自分なりに興味ある企業の方と医療現場でのニーズ絡みで面白い話も出来ました。心臓シミュレーション用に使えるシリコンモデあるもありましたし、補助心臓のドライブライン感染防止に使えそうな医療フィルムとか。全体では心臓外科といった個別の分野ではなく、介護支援とか滅菌消毒とか、医療器の素材など、多様で、中国は勿論のことアジアの国々の医療産業への熱気が感じられました。バンコクは学会で行ったのはもう20年以上前のことですが、街は綺麗になって電車も整備され、様変わりでした。観光無しの3日間でしたが、医療機器開発の今後の活動に刺激になったようです。




さて、10月には入って学会シーズン到来ですが、まずは日本心不全学会が広島で先週行われました。以前は堅い話ばかりでしたが、最近は心不全パンデミックと言われる慢性心不全への対策に熱気が感じられます。多職種連携が必須となり、参加者は医師以外に看護師、理学療法士など多彩で、多いに賑わっていました。兵庫医療大学のリハビリテーション学部の4期生が声をかけてくれて、発表も聞いてきました。心臓リハで頑張っていました。
同時に、日本心臓移植研究会も例年この学会のなかで行われる様になっていて、そこでいろいろ重要な事項もあって参加してきました。と言っても、今回は若手が何をしているのかな、といったものではなく、研究会の一般演題に応募して発表してきました。今さら年寄りが何を血迷ったか、認知症か、という周りの心配もあったかも知れません。その話しをしっかり書かせてもらいます。
またまた心臓移植の話しですが、いろいろ懸案事項のなかに当然ドナー不足はあるのですが、ここ数年の私の関心事は提供者(ドナー)の方の心臓という臓器をレシピエント(希望者、待機者)にどう配るか、という話しです。 20年前に決めたルールがあるのですが、全く触られていなくこれまで来ています。何故改定しないかは複雑な背景がありますが、心臓移植が年間100例に近づこうとしているなかで待機中に死亡する(移植に行かずに)方減るどころか増えつつあります。海外では、待機中の死亡リスクを調べ、待機中死亡を少しでも減らすようシステムを進化させていますが、我が国はガラパゴス島です。
この問題は移植関係の現役の人たちにはなかなか踏み込めないところがあるようなので、暇にしている年寄りの出番としました。日本臓器移植ネットワークというところがすべて所掌しているのですが、そこに依頼して心臓移植待機中死亡を分析してもらいました。これは私だからやってくれたのではなく、制度に則りデーター活用依頼をして、進めた話です。ただ、統計解析は私の環境を考えてもらってネットワークですべてやってもらいました。有り難いことです。その結果を、どう公表するかと考え、研究会に一般演題で応募したということです。学会の当番会長である九州大学心臓外科の塩瀨教授にもご理解頂きました。
内容は、専門的なこととして臓器配分システム(優先度)の見直しに繋げてもらえれば初期の目的は達するのですが、もう一つ重要なことがあります。それは一般社会の方々に、心臓移植は徐々に広まっているが、その陰で如何に多くの方が無念の死を遂げているかを知ってもらい、臓器提供への理解が深まれば、ということであります。そのキーとなるスライドをここで紹介させてもらいますので、多くの方に見て欲しいと思っていますい。5月頃から始めたこの自分なりのプロジェクトですが、実はこの夏は結構これにかかり切りで、今は論文に纏めながら、やっと一息ついている、という状況でもあります。若干の達成感ですが、自転車と共通するところはなさそうです。
ということで、9月と10月の流れを紹介しました。



      補足:このスライドは心臓移植の年間数とその年の待機中死亡を並列で示しています。毎年移植数(青)の半数以上に匹敵する数の移植に至らない死亡(赤)が続いているということです。

2019年7月31日水曜日

最近読んだ本から 「社会はかえられる」と「医療現場と行動経済学」



 長かった梅雨もやっと明けたと思ったいきなり全国的に猛暑で、熱中症の死者も出て来ている。欧州では40度にもなる異常な暑さですが、一方では雹が降ったりして大変です。自転車ロードレースの世界最高峰のツール・ド・フランスも、アルプスの最終段階で、冬期オリンピックも行われたアルベールビル近くの最後の峠が突然雪と雹に覆われてレースが中断、その前の峠が切り上げゴールとなり大波乱の幕切れとなった。

最近読んだ本で興味があったのは、「社会は変えられる」(国書刊行会)と「医療現場の行動経済学(東洋経済新報社)」。前者は厚労省と経産省の両方に席を持つ異色の官僚、再生医療新法を作った立役者でもある江崎禎英氏の話題の本で、世界が憧れる日本へ、という副題付きのものである。超高齢社会における種々の課題を凄い発想の転換でもって分析し、一般に変えられないと思ってしまっている社会の問題は実は変えられるのだ、というメッセージで溢れている。先般の大阪での日本心臓リハビリテーション学会と名古屋での日本在宅薬学会で特別講演をされていて、早速学会場で購入したしたものである。後者は大阪大学大学院経済研究科の大竹文雄氏と平井啓氏の編集によるもので、すれ違う医者と患者、という副題である。行動経済学の専門家集団が、患者と医師の間を人間心理のクセが分かれば溝は埋められる、というユニークな考えのものである。FBで紹介されていたのでこれも早速注文した。

今回は後者の中から一つテーマを選んでみた。というのは、前回も書かせてもらった臓器移植における個人情報の扱いの話しである。まず今の我が国における臓器移植について、特に脳死での臓器提供が諸外国に比し極端に少ない現状を行動経済学的に分析している。それは、臓器提供の意思をどう示すか(9)に書かれている.背景にはオプトイン方式である我が国ではドイツと同様、意思表示をしているのは12%前後であるが、オプトアウトの国では90%以上となっていることから、表示方式のデフォルト(原文)の違いで大きく変わることを指摘している。オプトアウトにしたら問題は解決できるかというとそう簡単ではない。実際、我が国では法改正でオプトアウト方式と併用することでかなり提供は増えたが抜本的ではない。そういう中で、如何に社会が臓器提供の仕組みやその意義について理解を深めるかは広報(Web)の言葉一つで変わってくることが述べられている。具体的な話しとして、ドナー家族への調査(どういう考えを持って提供し、提供後はどうかなど)が十分なされているとは言えないと指摘している。臓器移植ネットワークが頑張って進めてはいるが、確かに社会にはあまり理解されていないことから、ドナーや遺族へのリスペクトする雰囲気も希薄である、と私も思っている。これについて以下の原文を紹介する。「臓器提供に関する様々な経験が、「個人情報の保護」という観点から一切表に出なくなっている現状は、むしろ意思表示のしにくい環境を作り出して、臓器移植医療が抱える様々な課題を一層解決困難なものにしてしまう。」 正に、私の訴えたいことが論理的に示されている。行動経済学的という馴染み薄い視点から見た話しであり、すこし取っ付き難い所もあるが、最近一部で進められているソーシアルマーケッティング手法とも相通じるものかと思う。

最後に書かれている文章は大変示唆に富むものであるので紹介する。デフォルトの変更や様々なナッジ(ちょっとした肘うち、私の追加)が、提供意思に関わる行動変容に一定の効果をもつことは、行動経済学の研究によって示されている重要な知見である。そうした知見を政策に応用するうえでは、提供数や移植ツーリズムといった目先の課題に目を向けるだけでなく、誰が、誰のために、いかなる意図でアーキテクチャーを設計するのかかが問われなければならない。 臓器移植医療に携わるものへの重要なメッセージある。

この行動経済学の本では、臓器提供以外にも癌や終末期の普段の診療における意思と患者の考え方の相違や意思疎通における問題も書かれている。終末期医療(人工呼吸管理はやめられないのか)は大変興味深く読ませてもらった。そして、医療現場では行動経済学でいうバイアスが存在し、この意思決定におけるバイアスを知っていたら患者による合理的な意思決定が出来るとしている。行動経済学的と医療、まだまだ未消化ではあるがこれから更に発展していくのではと思う。そして何事も課題解決には発想の転換、視点を変えること、が大事であることが、江崎氏の本もそうであるが、この二つ本の共通するメッセージある。


2019年6月28日金曜日

ドナー遺族への配慮;移植報道の在り方が問われる



  本日の読売新聞朝刊で解説欄の脳死臓器移植についての記事が目に留まった。1歳の男のお子さんを脳死で臓器提供されたご遺族が、テレビ社、移植医などを相手に、遺族の意思への配慮が欠けたことで安らぎが失われた、として損害賠償という訴訟を起こされている。記事はこのことについての解説である。岡山大学での肺移植の移植手術の現場の映像を含めた報道で、手術日を特定してことでドナー遺族にご家族の肺が移植されていることが分かってしまったことと、移植される肺がそのままリアルに放映された、またそのほかご遺族の気持ちに配慮しない発言、そして前もって了解を得ていない、などがご遺族の気持ちを損ねてしまった事例である。小さなお子さんからの臓器提供というご遺族の大変な決断を、社会が大事にし、尊敬しなければならないことに逆行するものであり、臓器移植に長らくかかわってきたものとしても残念である。まして、訴訟にまで進んでしまっていることは臓器移植全体への影響も危惧される。

  記事は医療問題で活躍されている高梨ゆき子記者のもので、神戸市で生体肝移植の死亡例が続いた時に取材をされていた方である。 今回はこれまであまり社会の関心が向けられていなかったドナー遺族への配慮という点で、今一度考えないといけないことを報道の在り方として警鐘を鳴らしている。そもそもは解説されている通り、脳死移植法の運用指針ではドナーとレシピエントの情報が相互に伝わらないよう求めていることがスタートである。この問題についてはこれまでこのブログでも何度か書かせてもらったが、移植を受けた患者さんが元気な姿を社会に見せることで移植への理解が進むと思われる中で、このガイドライン的な指針でもってお互いが隠されてしまっていることが問題であるというのが私の意見である。ドナーの遺族によってはレシピエントの方と交流したいと思われる方もおられるので、もう20年もたった今、この指針を絶対とすることは時代に即していない気もする。勿論、そういうことには拒否反応を持たれる遺族も多くおられるであろうことは承知している。しかし、報道側や移植医側が一方的に情報を行きかわせることは決して行ってはいけないことは当然である。今回のことからは、報道側にも移植医療のデリケートな面を熟知し、ドナー遺族がおられるということをしっかり肝に銘じて欲しいと思う。

  この問題で抜けている重要な視点が一つあることを紹介する。それは日本臓器移植ネットワーク(以下ネットワーク)が脳死臓器提供事例に関してホームページで詳細に公表していることである。見られた分かる通り、何月何日、どこの病院で(あるいはどの地方の)、何歳代のかたから、どういう理由で脳死となり、どういう臓器提供があったかを公表している。一方、報道では関心が高い小児例では臓器別に移植施設も公表している。ネットワークがこの仕組みを作ったのは、脳死臓器移植が始まってまだ黎明期には脳死判定や臓器配分において、透明性、公平性が担保されているかが社会(メ―ディア)の関心事であったからである。そして、一例ごとに記者会見を行っている。今も続いているようである。
  ここで気が付かれる思うが、お互いの情報が相互に伝わらないとする指針からいうと、ネットワークの公表そのものがこの指針と矛盾するわけである。一方で指針を守れと言いながら、一法では重要なドナー情報を流しているのである。何故こんなことが続いているのか。一般的にわが国は、いったん決めて続けてきたことを時代が変わってたしても、おかしいと分かっていても、なかなか変えようとしない不思議な国である。このおかしなこと(と私は思うのですが)は、報道側がその都度記者会見を開くよう行政(ネットワーク)に求めているからであると想像する。ここまで進んできた脳死臓器移植については、そろそろ1例ごとの公表はやめて、月単位で何例の提供があった、とシンプルにすることと考えて欲しい。報道側は個人情報や移植での指針に則って、それぞれの努力で情報収集をされる時期ではないかと思う。このことで脳死移植医療が密室化する危険は全くないと信じている。

   今回のドナー遺族への配慮に問題があったことは事実で、関係者が真摯に反省し、対策と今後の在り方を決めていくべきであることに異論はない。そしてドナー遺族はどういう考えを持っておられるかを社会が認識するべきであり、その調査をネットワークなり研究者、報道関係者が進めるべきではないか。あるいはそれがあればもっと公表すべきであろう。要は、移植医療は社会の医療であり、隠れた医療でもなく、移植を受け側も臓器を提供したご遺族を社会が尊敬し,敬意を表すことが改めて求めれていると感じたので今回取り上げた次第です。今回の報道側の行ったことを擁護するのではありませんが、移植情報に関する上記の指針については、その意図することを理解して柔軟に対応すべき時期ではないか、ということを再度書いて終わります。

2019年6月10日月曜日

 最近気になること;悲惨な自動車事故が続いています



 もう梅雨入りです。過ごし易い季節がだんだん短くなっているのが年ごとに強く実感されます。昨日の自転車のイベントも雨の中での悪戦苦闘で、低体温症になりかけ、歳を考えろといわれるでしょう。これからは熱中症対策が必須ですね。さて、いろいろな社会の問題が続いていますが、幾つか視点を変えてみることも大事かと思い、交通事故のことを取り上げてみました。

交通事故関係では、小さな子どもさんが悲惨な被害にあう事故が続いていますが、論点的には、高齢運転者の事故と道路交通法遵守、の二つです。

高齢者の運転免許ですが、私も今年は2回目の高齢者講習(認知機能検査)を受けることになっています。この検査は認知症のスクリーニング的な意味があると思いますが、かなり問題があると思われる場合であれば医師の診断を受けるという手順です。しかし、これで高齢運転者の事故が減ることになるかは疑問で、要は自主返納を促すという効果を期待しているものと思われます。メディアでも指摘されていますが、高齢者の日常生活において自家用車運転を止めてしまうことは社会インフラの整備が追いつかない現状では悩ましい問題です。しかし私が思うには、今の何というか手ぬるい対応で、重大事故が減るかどうかは疑問です。そもそも重大人身事故において高齢運転者がリスク因子として高いかどうかの検証も要りますが、その傾向は高いでしょう。そうすると、何か抜本的に制度改革をしないとけないのでは、と思うわけです。
本当に高齢運転者の事故を減らそうとしたら、80歳を超えた人は全ていったん返納して、どうしても必要とする方のみ適性検査をして再交付(高齢者新規免許)とうことを考えてはどうかと思います。即ち、免許の有効期間を80歳になるまで、とすることです。大きな法改正しょうが、社会実験としてどこかで始めたら、と思いますが。アンケートで、80歳になったら新規と同じ免許試験を受けてでも継続するという人がどの位いるのか調べてほしいです。高齢者の運転免許更新制度については、以前から運転免許スクール(警察OBの方々?)の高齢者ビジネスと感じているので、このビジネスを縮小させる方向でないと社会的に受け入れらないでしょう。

もう一つは、大津での痛ましい保育園児の死亡事故です。運転者は共に高齢者ではないですが、信号のある交差点での右折車と直進車の衝突事故です。右折車が反対車線に入り込み、直進がよけきれず衝突。はずみで歩道に飛び来んできた直進車によって交差点で待機していた園児が死亡した事故です。新聞等の論点はもっぱら交差点の歩道側の安全対策が言われています。危険個所ではガードレールとか砂袋)?)といったものでの対応も行われています。しかし、ほとんどすべてのメデイアの論点で欠けているのは道路交通法を順守させる警察はどうしているかではないでしょうか。

道路交通法では、交差点での優先順位においては直進車および左折車にある、という大原則があります。普段からこれを指導し、違反者への取り締まりもしない、交差点での現場放置の結果が今の全国の状態です。都道府県で違うのも驚きですが、道路交通法の原点に返らないと、事故が起こってからの歩行者対応では遅く、本末転倒でしょう。そもそも青信号を矢印型(補足;左折・右折レーンがある場合)に変更していないからと思います。時差信号とかいうあいまいなやり方では事故は減らないでしょう。

米国の免許試験講習では、交差点で待つときはハンドルを切らないで直進方向に平行に止めることが基本と言われます。斜めだと、両側の車線に跨って狭くすることと、対向車との正面衝突の危険と、後ろからの追突でもはずみで対向車線に飛び出して正面衝突の大事故になるからです。モータリゼーションでは1世紀遅れの我が国が、先進国の学んできたことを、round-aboutもそうで、我が国は狭い国だし、そんなことは見習わなくていいということでしょう。ここでもガラパゴス化でしょうか。

詳しい道路行政や交差点事故対策研究も勉強しない素人の戯言でしょうが、交差点事故は警察の交差点現場での指導と取り締り強化、即ち道路交通法遵守対策(交差点での優先順位)で交差点事故を減らす方針の徹底、が原点ではないかと思います。その限界もあることは承知ですが、これを警察がやらないことで社会が慣れきっている現状が最大の問題でしょう。そして、やはり国としてやることは青信号の矢印方式の普及でしょう。

個人的には今回の更新は受けて、自己の適性度の自己判断をします。みなさん、交差点での右折は急がないで。

2019年4月25日木曜日

専門医制度が大変なことに


新しい専門医制度が昨年から開始され、19の基本領域の研修が2年目に入る。懸案のサブスペシャル(以下、サブスぺ)領域は来年度から開始であるが、この時期になって混乱が生じている。サブスペは来年度から3ないし4年の研修期間で始まるが、基本領域(1階)の3年の修練中にサブスぺ(2階)の臨床経験となり得るものは前倒しでサブスぺの研修実績にカウントされることとなっていた。基本とサブの連動研修である。このことは専門医機構のもとで長年の議論の後、各専門医制度(主に内科専門医と外科専門医)で合意されていた。ところが、今大きな混乱が生じている。国がこの連動研修に待ったをかけたのである。昨年7月に発表された医師法改正で、初期臨床研修とともに専門(医)研修についても厚労省の権限が追加され、この4月から施行されることである。具体的には、従来は医師等の処罰に携わっていた医道審議会が専門医制度も扱うこととなったのである。新専門医制度において、国が研修の機会確保や地域医療の観点から、日本専門医機構に対して意見を述べる仕組みを法定したということである。

専門研修に厚労大臣・都道府県知事の意見を反映させ法律上の仕組みが無い。
医師法上、以下の仕組みを位置付ける。
国が認めた団体(専門医機構と基本領域学会)は、厚労大臣の意見を聴いたときは、医師の研修に関する計画の内容に当該意見を反映させるよう努めなければならない。

このようなことになった背景は、新専門医制度によって若手医師の都会への偏在が助長されるという地方の行政から反発であった。プログラム制が大学や大病院中心であることへの反発である。こういう中で、新たな専門医機構はガバナンスの低下からその自立性を失い、行政が乗り込んできたのである。医道審議会に、医師分科会の下に医師専門研修部会が出来、これまで何回かの審議が行われ、3月の部会で、基本領域の修練中にサブの修練を開始することに疑義が出され、従来の決め事(専門医機構と専門医制度を持つ学会等の団体)であった連動研修に待ったが掛かった。

日本専門医機構が新制度作りの過程で、私は前の認定機構までで役割を終えているが、基本領域研修の進め方そのものの整備に時間がかかり、また地方行政等から大学主体の制度では地域医療が崩壊するという意見から時の塩崎厚労大臣が新制度の立ち止まりを指示する談話を発表するに至っていた。その後、機構の体制も大きく変わり、執行部のガバナンスが問われる中で、医師法改正まで進んでしまったのである。学会のオートノミーは形骸化され、医師の生涯教育制度まで国が権限を持って仕切る事態に至った。結局、専門医制度にことかけて厚労省が医師の生涯教育制度を自分たちの支配下にしてしまったとも言える。

私が以前から危惧していたことが現実になったといえる。(このブログの20171119日の記事;医師偏在を法改正で、参照)。それは、新たにプログラム制を導入することで、学会や医師自身が自分たちのことばかり考えて専門医制度を進めると、医師の専門性と地域からみた偏在を助長させ、そのうち社会からバッシングが来て、行政が仕切ることになる危険があり、新制度作りにはそうならない配慮をすべきと言ってきたからである。現実にはこの意見は医師達や学会側から、自分たちの世界にお上主導を入れるとはとんでもない、と切り捨てられた。そして、プログラム制を大学講座主体にしてしまった結果、地域医療崩壊という声を出さてしまった。厚労大臣の鶴の一声でいったん立ち止まり、そして今の法律改正まで進んでしまった。悪い予測がその通りとなってしまった。

勿論、国の方針は医療環境の整備という点では至極正当性があり、国民目線でも妥当なことばかりである。私も、連動研修という前倒しは正直如何なものかと思っていて、もともと心臓血管外科のようなサブは脳外科と同じように1階に下がってもおかしくないと思っている。一方、自分たちのところが他より数年でも早く専門医資格が取れる、と言って各基本領域専門分野の教授が医学生を勧誘するのがまかり通っている。早くと資格が取れるはイコール未熟、となる。かといって何故内科と外科で連動研修が必要となっているか。1階の研修が疎かになるものではないと専門医機構はしっかり代弁してくれないといけないのでは。内科や外科の基本領域修練(研修)の役割と、他の基本領域とは異なった背景、即ちサブスペシャル領域との密接な連携があって成り立つの制度である(少なくとも外科は)と何故しっかり説明してくれないのか。

確かに新たに出来た専門医機構のガバナンスに問題があり、学会からもその指導性が問われる事態を作ってしまったことも今の混乱の原因でもある。しかし、法律が出来てしまったからといって流されるのではなく、聞くべきところは聞き、言うべきことは言う、というスタンスが大事ではないか。専門医制度の本質を忘れないように、学会の為ではなく、若い医師をどう育て、医療の質の担保とその発展のために関係者は制度作りを進めて欲しいと痛感する。

最後に、医道審議会の医師専門研修部会のメンバーをみると、県知事2名、日本医師会から2名、自治体の長2名、病院関係が数名、などであるが、文科省関係は岡山大学の地域医療人材育成講座の教授のみである。国立大学医学部長・病院長会議のメンバーはないし、専門医機構もオブザーバーのようである。若手医師の生涯教育をどうするかという視点での議論が今後どう進むのか、僭越ながら大変危惧される。

以下、厚労省が出している法改正のポイントを紹介する。





2019年3月31日日曜日

横浜から 日本循環器学会に参加



 平成時代の幕切れも近い中、今日は3月の最終日。先日より横浜での第83回日本循環器学会に参加している。1万人以上の参加がある巨大な学会で、ほとんどが循環器内科医で外科医の参加は少ない。近年、外科手術にとって替わるカテーテル治療がいくつか登場し、この学会でもホットな話題となっていて、こういう状況を見ると心臓血管外科医の将来はどうなるのか憂いたくなる。内科医の行う低侵襲手術(?)も時代の流れであり、innovativeな治療法の開発は大事である。しかし、低侵襲の名のもとで不完全な治療であれば長い目で見て問題がでてくる。心臓外科医として遺残病変の少ない手術を心掛けてきたが、今の弁膜症へのカテーテル治療はしっくり来ない。心臓への再生医療の話題も多く、この分野の著名な海外招請演者の講演もあるが、内外の研究成果を見ても総じて実臨床で成果が近く期待されるものは少ないのではないか。心筋細胞が新たに出来るなり誘導される、というエビデンスはまだまだ乏しい。細胞治療即ち再生医療、と定義づけしていることも一般の方々への誤解を生むのではと思う。
今回、横浜での学会で参加したセッションは、心不全治療としての再生医療、成人先天性心疾患の画像診断、経カテーテル大動脈弁留置(TAVI)時代の外科的弁置換の役割、心不全の在宅医療ネットワーク、左室補助装置、などあった。自分なりに知識のアップデートと課題の整理は出来たと思う。ただ、外科医として参加しているのは殆どがシニアークラスで、若手を見かけることは本当に少ない。若い人は時間的にも経済的にも苦しく、こういった内科系の学会参加は敬遠されているし、外科の枠もかなり限られているので仕方がない状況である。昨年は外科医が会長であったので、内外の外科医が結構集まり賑やかであったが、今年はまた元に戻ったのか。
さて、今回紹介したいのは学会中に行われた日本心臓移植会の幹事会である。そこでは、昨年の心臓移植の集計の紹介があった。近く、研究会のホームページで公表されるものである。心臓移植は総数428例になり、2016年以降やっと年間50例を超えたが、20172018年とも5655例と頭打ちである。脳死での臓器提供も2017年は75件であったものが昨年は66件と減少している。昨年の移植例の待機期間でみると、2015年までは3年以内が殆どであったが、昨年は4年以上が半数を占め、ついに5年以上の方が2例出てきた。大変なことである。この異常な待期期間は埋め込み型補助人工心臓の普及のお蔭ではあるが、一方では待機中に亡くなられる方も多いという実態があることを知らなければならない。毎年150人以上の新規登録患者さんが出てくるが、待機患者数が500人を超えていることは、臓器提供が年間50件であれば、新たに登録した患者さんが移植に到達するには10年かかる計算になる。しかし、その間沢山の方が亡くなっていく現実がある。やはり、脳死での臓器提供が年間200件超えるようになって欲しいと思わざるを得ない。何とかしないと。
一方、小児の臓器提供は18歳未満でみると昨年は7件と徐々に増えているが、6歳未満はこれまで4件、昨年は2件であった。移植数では、10歳未満は4例と過去最高となった。なお、渡航移植の数は含まれていない。子供さんからの臓器(心臓)は心臓移植待機中の子供さんに優先的に贈られるが、待期期間は最長で1,700日を超えている。補助人工心臓装着例でも平均約700日である。小児の待機患者の数は今回出ていないが、大人以上に長期の待機は小児には厳しい状況である。
さて、今回の集まりで一つの提案をさせてもらったことがある。それは、わが国の心臓移植は小児においてはいまだ多難の時代が続いているなかで、研究会として何かできないか、ということである。依然として巨額の募金のもとで渡航移植が行われ、その背景には言うまでもなく小児の脳死からの臓器提供が非常に少ないことにある。関係学会、行政等がこの問題について課題の分析、対応施策の提案等が進められているが、小さな子供さんからの臓器の提供には、成人ドナーの場合より一層の社会の理解と支援が必要であることは明白である。そのためには、小児の心臓移植を受けた子供さん達がどう発育し、学校に通い、家族と幸せに暮らしていることを社会に知ってもらうことが不可欠と思う。渡航移植の子供さんは表に出てきますが、国内で受けた子供さんたちはどうなのか。周囲に受け入れられ、普通に学校生活や発育をしているか、社会に知ってもらうことが大事です。それが小児心臓移植への理解を支援につながる第一歩となることから、研究会で小児心臓移植の社会的な面を中心に実態調査をするよう提案した。この秋には第一報が出ればと思っている。
ということで、今回も臓器移植がメインになってしまった。横浜では桜はもうすでに満開で、帰りは桜並木を通って帰ろうと思う。明日は新元号の発表、時代は変わっていく。