2020年2月20日木曜日

新型コロナウイルス感染で思うこと


もう2月も終わりに近づいてます投稿します。新型コロナウイルス問題についていつ書こうかと様子を見ているうちに局面は大きく変わって来ました。遅ればせながら書かせてもらいます。

新型コロナウイルス(COVID-19)が蔓延しつつある我が国おいて、我々の抱える医療における問題が改めて浮き彫りになったと思っている。自身年末は東南アジア,1月末からは欧州の渡航歴がある中で、先週より風邪にかかっていて、行動はかなり自粛している。ただ、発熱もなくもう下火になってきたのでひと一安心と言うところですか。
COVID-19については中国での発生から注目しているなかで、クルーズ船の問題が起こった時から,いろいろ言いたいことが出ていたのですが、ここ数日で国内での対応の問題が明らかになってきたので、自分なりに纏めてみたいと思います。後出しジャンケンみたいですので、ポイントを分かりやすくするために項目のみにしておきます。

1)  国際的感染防止対策における水際作戦は重要だが、こと中国が震源地であるのに武漢市以外を容認した甘い国の判断。観光客が減ることへの懸念といいながら、返ってこれを増悪させ長引かせてしまった。
2)    感染防御と対策に厚労省(お役人)が仕切っていて、感染専門家はTV新聞のコメンテーターで終わっている。国立感染症研究所の顔が表に出ていない。ことが進むと言い訳がめ煮付き、対応も後手に回っている。 米国のCDCを見習った組織を緊急設置するくらいの危機管理が必要であるが、予算委員会でこのことも質問があったが、回答は前向きではなく、しっかり遣っている、国にまかせなさい、という役人的考えが続いているのは誠に残念である。
3)    感染者が出たクルーズ船対応では、最初の検疫対応(quarantine)は妥当であったが、3000人以上の乗船者(乗組員も1000人)をまさに培養船としてしまったわけで、早急に次の策を考えないといけないのは分かり切っているのに漫然と14日という観察期間に責任転嫁をし、船内Out-Breakを起こしてしまった。
   我が国の感染症研究者(専門集団)はこのクルーズ船の感染の蔓延について,早急に疫学的・科学的に検証して、著明な国際誌(LancetとかNEJM)の発表することが重要な責務であることをあえて書かせてもらう。これがなければそれこそ国際的に糾弾されテおかしくない。
4)    もう市中感染が多発しているのに、次の策が見えて来ないので社会は混乱して来るし、他国では14日の更なる隔離を行っているのに、我が国では陰性下船者を何ら制限なく(国の)自宅に返すという矛盾した判断を、国立感染研が容認したことも議論を呼んでいる。
5)    こういった多くの問題をさらけ出した我が国の感染症対策は,一言でいうと失礼ながら危機管理という面では国際水準ではなく、縦割り行政を打破する米国CDCに準じ行政的判断も出来る専門組織を作ってこなかった付けが今に来ている。報道上ではあるが、国会での感染プロ集団(感染研、学会)の御用学者的存在は誠に残念である。
6)    医療機器についても米国FDAに習って我が国もPMDが随分進化したが,いまだラグは続いているし、無駄な治験も消えていない。かかる我が国の医療における行政主導の弊害は今回の感染症でも浮き彫りになったといえるのではないか。
7)    最後に、感染症対策では standard precaution(標準予防)「施設内で感染があるかないか検査結果に頼るのではなくにすべての対応患者さんは感染の病原菌やウイルスを保持していると仮定して対応すること」が基本であることを改めて感じた。

  COPVID-19Out-Breakが国内(船外)で起こらないことを切に願っています。






2020年1月24日金曜日

明けましておめでとうございます



 もう1月の後半に入っていますが, 遅まきながら2020年を迎えて皆様おめでとうございます. 今年も気ままなこのブログにお付き合いいただければと思います.
さて, 新年を迎えて, というか昨年末よりですが, 落ち着かない日が続いていました. それは117日から始まる日本成人先天性心疾患学会での宿題報告ともいえる講演を指名されていたからです. 最近はこの成人先天性心疾患領域への関心が個人的にも凝集しつつある中で, 今回の第22回(学会となって9回目)学術集会の会長である東京慈恵会医科大学心臓外科の森田紀代造教授から昨年秋ですが, 私に特別講演をしてみないかというお誘いがりました. 先天性心疾患を手掛ける心臓外科医が会長ということもあって, もうかなりシニアーである私に気を使って頂いた話でした. この学会の専門医制度立ち上げでの関わりもあったのでしょうが. さて, 特別講演といってもレジェンド・レクチャー(Legend Lecture)ですよ, といわれ大いに戸惑ったのですが, 大変ありがたいこととお引き受けしました. こんな名前の特別講演はこれまでこの学会で聞いたことがなかったのでびっくりでした訳です. 因みに2015年の学会では英国のこの分野の創始者で小児循環器医のJane Somerville先生が, 50 years with cardiac surgeons,という特別講演をされておられるのが後で分かりました. Somerville先生の50年と比べたら私ごときが大それたタイトルを付けたことが恐れ多くお許しを願いたいと思います.


成人先天性心疾患については心臓移植も大事なテーマで, 学会誌に総説などを書いてきたわけですが, タイトルは勝手ながら, 「先天性心疾患と共に50年」とさせてもらいました. 先天性心臓病への外科治療は私にとって移植より長いライフワークですから, この機会は私の心臓外科医としての締め括りのようなもので大変ありがたいことでした. 現場の第一線(手術室)での活動は10数年前に一応終わっているのですが, 昔手術をさせてもらった患者さんが成人になって, 今も外来で診させてもらっているので,50年とさせてもらいました. その講演も先週無事済みましたので, 一息ついて今回の学会を振り返っている状況です.

成人先天性心疾患疾患についてはこれまで触れたこともありますが, 小児期の手術成績が向上すると共に大人に成長した方が多くなってきますが, その中の少なくない数の患者さんは, 何度も再手術を要し, 肝臓や腎臓の機能不全や心臓自体の機能障害が出てきます. 難しい手術に成功してもその後は結構問題が生じることがだんだんわかってきています. 今回の学会で, 私にとって衝撃的でしたのは, フォンターン手術のことです. この手術は複雑な心臓の異常があり, 左室と右室の二つの心室が機能する2心室修復が出来な場合があり, 右室側(肺動脈に血液を送るポンプ)を無くしてしまって, 静脈圧だけで肺循環を維持させるという機能的根治術で, 1971年にFontan教授によって報告された右心バイパス手術といわれる画期的手術です. それまで根治的手術が出来なかった世界の多くの子供さん方に大きな福音をもたらしました. わが国でも(我々も)その手術の導入から手術術式の改良, 適応拡大, と小児心臓外科医にとって大きな目標でありチャレンジでもありました. その結果, 手術成績も飛躍的に向上し, 多くの子供さんがチアノーゼもなくなり, 普通の生活ができるようになってきました.
この手術は, 体全体の血液循環を一つの心室に委ねるという非生理的な面もあり, どれだけ長く維持できるか, 静脈圧が必然的に上がるのでうっ血する腎臓や肝臓は大丈夫か, という心配がありました. 手術数が増えてくると術後20年とか30年とか長くなると肝臓が痛んで肝硬変になる症例が出てきますし, その他のいろいろな併発症が発生し, フォンターン不全, failed Fontanという病態が最近は広く関係者に認識されるようになってきています. フォターンエピデミックが近づいている, tsunamiの如く, とも警告もされるようになってきました.
私の次の時代の心臓外科医が素晴らしい成績を上げてきたので, 私自身はこの遠隔期のフォンターン術後の問題は少なくなるのではと期待していたのです. ところが, 今回の学会での内外の発表はから, 少しオーバーですがその期待はかなり幻想的であったかと思うようになりました. フォンターン術後20年で隠れた肝硬変が多く見つかるようになり, 30年ではもう避けられない, ということが当然の如く議論されています. 肝硬変だけでなく多くの課題が出てきたフォンターン手術は, success or fail という質問を会場に投げた海外招請演者もおられました. 30年の術後生活をみたらsuccessと言われていましたが, 衝撃的な議論です.
Failed Fontanへの心臓移植や機械的補助循環の議論は4-5年前に学会で話をしてもあまり反応なかったようでしたが, 今回の学会ではかなりホットな議論がされるようになっています. もちろん, 心臓移植への道は険しく, まして心臓と肝臓の同時移植は非現実てきですが, 学会で真剣に議論がされるようになってきたことも衝撃的でした.
また, フォンターン手術以外の先天性心疾患でも高齢になって心不全となり心臓移植か補助人工心臓は, という議論が出てきている疾患があります. それは修正大血管転移症といわれるもので, 生まれつき右心室と左心室が入れ替わっているのですが, 出口の大血管も入れ替わっている(転位)ため, チアノーゼもなく普通の生活ができ, 病気として発見されることはなく, 成人になって心電図異常(房室ブロック)で発見されることが多い疾患です. しかし, 解剖学的右室の心筋は左室と比べもともとしっかりしたものではなく, また逆流防止弁も三尖弁であり漏れが生じ易い形態です. 40, 50, となって三尖弁閉鎖不全が出てきて心不全も進んできたので, こういった患者さんをどうするか, という議論が盛んになってきています. そして, 弁置換をしてもその先は解剖学的右室(左室の役割をしている)が体心室としてもたなくなることも分かってきたので, いつ補助人工心臓や移植の説明をするのか, という意見が普通に出てくるようになったことも驚きでした. この修正大血管転移症で補助人工心臓をつけて国内で心臓移植に至った症例ありますが, 私が修復術(他の心内異常合併)をさせてもらった方で, 移植登録し, 補助人工心臓をつけて待機していた女性は移植に辿り着けずに亡くなっています. こういった成人先天性心疾患で移植を必要とする方は少なくないのですが, 移植の優先度も低く, 長期待機がかなわない臓器不全もあり, 心臓移植での臓器配分システムにおいて成人先天性心疾患への配慮が強く求められるわけがここにあるのです.
といったことで, この成人先天性心疾患領域の難しい面を強調しましたが, 一方では移, 循環器系と移行医療の法律も出きたので, 移行医療をどうするか, 専門医制度の施行と共に地域でセンターをおいて連携施設共に診療体制, 医師の継続教育体制が進むことも明るいニュースでした. 私自身は, 長い心臓外科医の後でようやくこの領域にたどり着いた, という心境です. そういう意味からも, 今回の講演の機会を与えていただいた森田会長に深く感謝しております. 東京はお台場での学会で, 世の中は3連休でしたが東京は天候も落ち着かず, お陰で学会に集中した3日間でした.

今年も宜しくお願いいたします.

写真は、森田会長からいただいたCertificateです。






2019年12月31日火曜日

心臓移植の総数が500例を超えました


今年も大晦日となりました.  前回の投稿でもう終わるつもりがどうしても伝えたいことがありますので最終投稿#2です.

締めくくりは心臓移植となりますが, この12月で心臓移植を受けた患者さんの総数が500例を超えました. そしてそれを可能とした脳死での臓器提供はこれまでの総数で666例なります. 再開から20年もかかりましたが素晴らしい成果と思います. これは当然ですがドナーとそのご遺族の方々の尊いご意思があってのことで, 深い尊敬と感謝の気持ちを新たにしています. そして, 臓器提供に関わった提供施設関係の多くの方々とドナーコーデーネーターの献身的な働き, そして臓器移植ネットワークのご尽力のお陰でもあります.

2010年の法律の改正後, 毎年の脳死での提供数も着実に増加し, 今年は12月21日で96例の脳死での提供があり, 年末まででは100例に達するかも知れません. 心臓移植も84例とこれまでの年間数の最多です. 年間たった数例でもがいていた頃のことが嘘のようです. 時代も変わりましたが, この勢いで心臓移植が年間200例を超え, 待機期間がせめて2年程度で収まるように早くなることを祈念してこの投稿を終えます. 2020年は心臓移植の新たな時代の幕開けになりますよう祈念します. 皆様, 良いお年をお迎えください.

追伸;前回の人生会議の話ですが, そのなかで紹介した神戸市で行われた市民公開講座「もしものときのための人生会議」について神戸大学腎臓内科の吉川美喜子先生が神戸大学のHPに投稿しておられますので紹介しておきます.

http://www.med.kobe-u.ac.jp/jinsei/index.html


2019年12月26日木曜日

人生会議


何となく過ごしている内に今年も後5日となりました. 12月の終わりなのに全国的にひどい雪不足で, 北海道以外のスキー場からの雪情報は殆どなく, 例年12月の終わりには長野に出かけているのに今年は何処にも出かけていません. 筋トレの成果を,と思っていますが空しく時は過ぎていきます. 1月末から2月に掛けての計画は大丈夫と思いますが, 何とも気の抜けた年末です.
今年の学術的な活動を振り返ると, かなり濃厚であったと思います. この年で何を今更という所でして, 最後のあがきかも知れません. 国際学会でいうと, 4月のトロントでの米国胸部外科学会と10月のイタリアでの補助循環系の学会で, 共に聞くだけの出席ですが, 現状と今後の展開への情報収集には十分価値がありました. 米国胸部外科学会では阪大の後輩の発表にも立ち会ったりして若手との交流もしっかり出来たようです. 国内では前回紹介した人工臓器学会での発表も今年の成果として十分だったと思います. また, その前に紹介した日本心臓移植学会での発表も記憶に残るものでしたが, その内容を論文にまとめて日本移植学会の機関誌「移植」に投稿し採用されています. 2019年度の最終号にon-lineで掲載されるということです. 論文書きもそろそろ終わりだとは思いますが, 自分としてはしっかり書けたと思っています. 英語版では, 先の国際人工臓器学会で学会機関誌の編集長から, 我が国の心臓移植と補助循環について歴史を含めたレビューを書くように頼まれていて, 今はまだ資料集めの段階です. 3月までには終えたいと思っていますが, ハードルは高く頑張れるかやや心配です.
論文ではないですが, 日本心臓財団と日本循環器学会が発行している循環器系の雑誌「心臓」に対談が掲載されました. Meet the Historyというのが年一度企画されているようですが, 今回は日本での心臓移植再開に巡り会った私と, 循環器学会の重鎮の北里大学名誉教授(循環器内科)の和泉徹先生との対談でした. 結構の時間を掛けての対談でしたので, 移植再開から現状の課題までしっかり議論した内容が詰まっていると思います. もう20年前のことなので, 皆さんの記憶が薄れていたり, 若い人は実情を知らなかったりするなかで, 我が国の心臓移植を振り返りながら現状を理解する上で役立つ読みもであると思います.
自分のことばかり並べて面白くないので, 本来の姿である医療事情関連の話しで今年も締めくくりたいと思います. そのテーマは「人生会議」です. 臓器移植関連で私が関わっているものに, 兵庫県臓器移植推進協議会があり, 2回市民公開講座をやっています. この秋のテーマが,人生会議, でした. 「もしものときのために, 人生会議」, 最後まで自分らしく生きるには?というものでした. 救命救急センターの先生と大学病院の緩和ケアを看護師さんのお二人の講演でした. 終末医療における自分の意思をどう前もって家族に伝えておくか,という話しで, アドバンスト・ケア・プラニング (advanced care planning, ACP)として医療者の間で広まっていて,特に緩和ケアで最近使われているものです. 一方, 突然の脳障害で訪れる終末期の選択肢として, 臓器提供があるわけで, 臓器提供が中々進まない我が国でこのACPを広めることで新たな展開が出来ないかという背景があります. このACPを一般に分かり易く広めようとして厚労省が作った名称が,人生会議, なのです. といわれても何かピンとこない言葉なのですが, 最近マスコミで大きく取り上げられました. ご承知のように, 普及のための厚労省が作ったPRポスターです. お笑い芸人の方が酸素吸入をして苦しい顔をしている写真を大きく載せているものです. これを世に出そうとしたとたん, がん患者さん団体が抗議して厚労省は引っ込めてしまうという事態になりました. 患者や遺族を苦しめるものである, という意見で賛同者も多くなったようです. がんの末期を想定したように取られ, がん=死, を連想させるというのが抗議の趣旨だそうです.
これには賛否両論があったということですが, 皮肉にもというか, このニュースのお陰でこの人生会議のことが世に知られるようになったことは逆に良かったのでは思います. さて, このがん患者さん団体からの抗議についてですが, 私はどう思うかを問われたら, それは表面的なことに拘っていて, また直感的に判断していて, メッセージの本質を理解していない,のではと、思っています. がん患者さんの気持ちを逆なでする気持は全くなく, がんになった時もこのACP(人生会議)は自分の生き方をどう考えるかの助けになる,というふうに理解してもらえないのかと思っています. ポスターの見た目だけで判断するのはどうかと思うのです. だれもがんの患者さんに苦しいときに人生会議をせよと言っているのではなく, 普段の生活の時に前もって(アドバンス)話しておくのが人生会議であることを誤解されていると思います. 次にどんなポスターが出るのか興味がありますが, これ以上のインパクトのあるものはないのではと思います. 一方, 臓器提供の意思についても人生会議の対象になることをどこかでもっとアッピールして欲しいです. そこには, 意思は後で何度も変えることができること, を十分周知することも大事です.
といったことで, 今年は締め括りたいと思います. 来年も宜しくお願いいたします. 皆様, 良いお年をお迎え下さい.





2019年11月16日土曜日

大阪の人工臓器学会での話題


 日本人工臓器学会と国際人工臓器連合学会が合同開催という形で先週大阪にて開催されました. 主催は大阪大学の心臓血管外科で、前者は戸田宏一准教授が、後者は澤教授が会長. これらの学会は教室の歴代教授が担当して来た歴史もあり、私が担当したのが2001年ということでもう20年ほどになります. 関連する人工臓器は人工心臓、人工肺、人工腎臓(血液透析)、人工膵頭(インシュリンコントロール)、人工血管といった臓器や器官の代替するものから、その基礎となる材料分野、生体反応まで多彩です. 主催者側が循環器系なのでどうしても人工心臓や補助循環の比率が多くなっていたのいたし方ないかと思いますが、透析やバイオマテリアル、再生医療といった基礎系もしっかりカバーしていました. 機械的補助循環ではいろいろと新しいデバイス(機種)が登場しているのですが、最近はチームで担当しかつ施設基準や認定制度もあり、看護師や臨床工学技士の参加も多く、大変盛り上がっていました. また、国際部門とジョイントでもあり、海外からの参加も多く、国際色豊かで、懐かしい方々との再会もあり、3日間十分楽しめました.
今回の私の関心事はやはり補助人工心臓と移植となってしまいました. 心臓移植や肺移植は今や人工的な代替装置でもって待機するという状況であり、必然的にこの学会でも臓器保存装置や移植への橋渡し(ブリッジ)などが結構ホットな話題であります. 米国での肺移植のリーダーとなっている教室出身の重村先生の肺移植における進歩の話もありました. 一方前者は、同時開催で日本臨床補助循環研究会もあり、永久使用(Destination Therapy)とともに急性心不全やショックへの短期使用の循環補助装置としてImpella®や国産の遠心ポンプの登場で盛り上がっていたと思います. そこで、懸案事項である植込み型補助人工心臓の適応拡大のことと、心停止ドナーからの心臓移植について紹介します.

植込み型補助人工心臓(VAD)は心臓移植へのブリッジとして保険償還されていますが、適応基準や申請タイミングが厳しく管理(日本循環器学会)され、植込み型VADの装着は学会のお墨付きがないと植込みが出来ず、手続等で時間がかかると最適な装着時期を逃してしまう問題(角を矯めて牛を殺す、という感じか)から、今は実施施設の仮判断で届け出をまずして承認が下りる前に見切り発車での植込みが可能となってきています. しかし、今回の議論で明らかになったのは(個人的にですが)、施設間でのこの早期実施の判断が異なり、施設でのポリシーも若干異なり、同じような心不全の進行状況でも、植込みまで3-4日でストレートに進む施設と、間にいろいろな苦労をして最後の最後にやっと許可(仮)がでることで10日も2週間もかかっている状況もあるということです. 単に日数で判断してはいけないでしょうが、そういう現実もあり、個人的にはかなり昔と変わりない苦労を強いられている状況で、患者さん主体に考えると気が重くなる場面でもありました.
将来的に心臓移植が必要であるが、心不全が進んでそれまで保存的治療では限界がある場合に補助人工心臓で移植まで持たすのがBTT(bridge to transplant)、いわゆるブリッジなのです. 一方、明らかに移植の適応があり本人も希望しているが、肝臓や腎臓の臓器機能の基準でクリアーできないところがあり、そのままでは適応外であるが、補助人工心臓で臓器機能が改善する見通しがある場合には補助人工心臓をまず付けてある期間様子を見て最終的適応の判断をするという、bridge to candidacyBTC, 移植候補への適応)というカテゴリーが米国ではあります. わが国でもDTへの保険が来年でもおりる時期になって、このBTCは現場では明確な基準もなく、保険適応もなく、悩ましい部分として取り残されています. このBTCについて、私はDT到来になっても置き去りにしないよう実施側への働きかけをしているのですが、今回も意見集約をすべく準備するという働きかけは不発に終わってしまいました.

このBTCへの保険適応問題は当然ながら簡単ではなく、適応拡大に繋がりVAD治療成績が悪くなりかつ医療費がかさむリスク、現状の早期植込みパスの延長(緩和)で十分ではないか、移植適応にならなかったらどうするのか、そもそも定義や基準が施設で異なって標準化は難しいので保険収載はできるのか、といった課題が出てきます. 米国ではBTCは施設が決めるものの保険会社によっては認めないところもあり、統計上も数は少なく、あまり重要な関心事ではないとのことも聞かせてもらいました. また、その先が移植できなったとしたらまさにそれはDTになるわけで、候補(candidate)の先は移植とDTの両方としたほうが現実的とも思われます.

BTCという言葉が独り歩きすると現場は混乱するし、一方ではなんと対応してあげたい患者さんも少なくないのが現実であり、それはどうしたらいいのか.  まずは実態調査(実態と数と予後など)が必要であること、そのうえで移植施設が集まって意見をまとめ、保険適応や適応拡大が必要と判断すれば関係する上部機関に提案する、というシナリオかと思われます. その上で、DTにおいてもBTCというカテゴリーをどうかも議論することが大事と思います. 要は、BTCというなんとはなしに現場で作られただけの話では進歩もなく、患者さんに被害が生じ、混乱と停滞につながる恐れがあります. これを関係者は真剣に考える時期と思って今回もしつこく発言をしてきました. 何らか進展につながればいいですが.

もう一つは心臓移植に直接関係することで、ドナー不足を少しでも改善する策としてのDCDドナーからの心臓移植です. DCDとはdonation after circulatory deathで、我が国いう心停止での臓器提供です. 脳死ではなく旧来の心臓死を経て臓器を摘出するという方法で、わが国では以前より腎移植で行われている献腎移植(生体ではなく)ですが、今話題のDCDは大きな違いがあります. わが国でのDCD移植は脳死などの不可逆性脳障害になった方で、家族の承諾を得た場合、積極的医療を控え自然に心臓が止まるまで待って、心停止後に摘出に入るというものです. これは心停止前に臓器還流カテーテルを入れるのは積極的に死を導くなど、もう30年位前に社会問題化した負の歴史があります. カニュレーション時期は別として、1990年前後には年間200件以上の心停止ドナーからの腎臓移植が行われていたのですが、脳死移植が導入される時期になってから激減し最近は年間30件ほどという寂しい状況です. また、臓器も酸素欠乏時間が長くなるので機能回復にお遅れが出ます. 腎臓では透析がありますが、心臓移植では患者の死亡になります. 一方今話題のDCDでは人工呼吸などの生命維持装置を中止して起こす心停止であります. 虚血時間は短縮されます. 脳死に準じるような重度の不可逆性脳障害になった場合で死後の臓器提供が家族から提示されて場合に、豪州、英国、最近ではベルギーで、心臓移植と肺移植が実際進められ、従来の移植と遜色のない結果が出ています.

今回の学会でも、豪州シドニーと英国マンチェスターからの報告がありました. その方法は、国で決めた終末期の生命維持のガイドラインに則って人工呼吸を中止し心停止をもたらし、その後5分から30分の観察(hand-off)後に死亡宣告し、その後に心臓など臓器の還流を死体内ないし外で行って、次に心機能の判定ができる臓器還流装置に収め、移植施設に搬送するという手順であります. 英国ではこの方法の導入で脳死を含めた臓器提供数が20%以上増加したということでした. 私は、このセッションの最後にコメントをさせてもてらいましたが、そもそも阪大ではもう30年前になりますが、心停止ドナーからの心臓や肺の移植実験を犬で行っていて、脳死ドナーが全く無理になら心停止ドナー、それも生命維持装置停止なし、からの心臓や肺の臨床応用ができるよう実験をしていました. 結果も良かったので人への応用も考えていた時期があったことを紹介しながら、わが国ではどうか、ということで発表しました.

わが国での腎移植を振り返っても潜在的DCDドナーはかなり存在することまず理解しなければなりません. その上での課題は生命維持装置停止を法的脳死判定以外で行えるかどうかで、脳死議論を再燃させ社会を混乱させては現在の脳死ドナーの提供数増加に水を差すリスクも抱えています. 一方では、日本集中治療医学会、日本救急医学会、日本循環器学会が救急・集中医療における終末期医療のガイドラインを発表しており、その中に生命維持装置の中断が書かれていることから、法律を新たに変えるとかではなく、学術団体のコンセンサスが得られ、厚労省の専門委員会で審議してもらうようになればと思っています. 何れにせよ、わが国このDCDドナーからの心臓移植はドナープールを拡大し待機中死亡を減らす重要な選択肢であり、わが国の関係者がONE TEAMとなって道を開いて欲しいとお願いしコメントとしました. シドニーの座長から、日本ではなぜドナーが極端に少ないのかという質問もあり、人の死のダブルスタンダードが大きな問題であるとも発表に加えていましたが、人口100万人当たりの死後の臓器提供数がいまだに1.0以下(0.8前後)と海外の20人から30人というレベルと大きく違っていることをわが国の社会は知ってほしいと思います.

因みに、この11月24日に兵庫県臓器移植推進協議会の市民公開講座が近づいてきていることを紹介して締めさせてもらいます.


2019年10月7日月曜日

心臓移植研究会で



長らく記事のアップが出来ていませんでした。何とはなしに89月が終わってしまいましたが、まあ、何とか生き延びてはいます。8月は猛暑、猛暑といいながら、学会活動もなく、だらだらと終わった感じでしたが、9月以降はかなり濃厚でした。ということで、まずは9月の活動報告から始めます。
9月の第2週の日曜はここ何年か毎年の行事になっています、自転車イベントの参加です。自転車、ロードバイクというやつですが、6月は富士山、秋は丹後半島とか淡路島、といったイベントに参加していますが、9月は城崎温泉をベースに神鍋高原から豊岡へと回る周遊120キロです。コウノトリチャレンジライド、です。心臓血管外科医仲間が関東からも集まり、温泉プラス自転車ライドを楽しんでいます。3回目の挑戦で1回目は大雨で途中リタイア(収容車で帰還)、昨年は何とか完走。今年もそれなりに準備していきましたが、やはり体力も落ち、さらにかんかん照りの猛暑、坂登りに入る前、熱中症になる前に早々にリタイアでした。これは正解で、今回はかなりの人がリタイアしたそうです。とはいえ、歳を考えもう無理は出来ないなということです。
その後は、タイはバンコクでの医療機器フェアに神戸市医療産業都市機構のお供で参加してきました(チラシ参照)
。関西の医療機器関係の企業17社が大阪グループとしで参加していました。かなりしっかりした国際展示で、何かビジネスチャンスはないかと、色んな国の方が集まっています。日本からの出展企業は関西以外に福島県、東京、も参加していましたので、自分なりに興味ある企業の方と医療現場でのニーズ絡みで面白い話も出来ました。心臓シミュレーション用に使えるシリコンモデあるもありましたし、補助心臓のドライブライン感染防止に使えそうな医療フィルムとか。全体では心臓外科といった個別の分野ではなく、介護支援とか滅菌消毒とか、医療器の素材など、多様で、中国は勿論のことアジアの国々の医療産業への熱気が感じられました。バンコクは学会で行ったのはもう20年以上前のことですが、街は綺麗になって電車も整備され、様変わりでした。観光無しの3日間でしたが、医療機器開発の今後の活動に刺激になったようです。




さて、10月には入って学会シーズン到来ですが、まずは日本心不全学会が広島で先週行われました。以前は堅い話ばかりでしたが、最近は心不全パンデミックと言われる慢性心不全への対策に熱気が感じられます。多職種連携が必須となり、参加者は医師以外に看護師、理学療法士など多彩で、多いに賑わっていました。兵庫医療大学のリハビリテーション学部の4期生が声をかけてくれて、発表も聞いてきました。心臓リハで頑張っていました。
同時に、日本心臓移植研究会も例年この学会のなかで行われる様になっていて、そこでいろいろ重要な事項もあって参加してきました。と言っても、今回は若手が何をしているのかな、といったものではなく、研究会の一般演題に応募して発表してきました。今さら年寄りが何を血迷ったか、認知症か、という周りの心配もあったかも知れません。その話しをしっかり書かせてもらいます。
またまた心臓移植の話しですが、いろいろ懸案事項のなかに当然ドナー不足はあるのですが、ここ数年の私の関心事は提供者(ドナー)の方の心臓という臓器をレシピエント(希望者、待機者)にどう配るか、という話しです。 20年前に決めたルールがあるのですが、全く触られていなくこれまで来ています。何故改定しないかは複雑な背景がありますが、心臓移植が年間100例に近づこうとしているなかで待機中に死亡する(移植に行かずに)方減るどころか増えつつあります。海外では、待機中の死亡リスクを調べ、待機中死亡を少しでも減らすようシステムを進化させていますが、我が国はガラパゴス島です。
この問題は移植関係の現役の人たちにはなかなか踏み込めないところがあるようなので、暇にしている年寄りの出番としました。日本臓器移植ネットワークというところがすべて所掌しているのですが、そこに依頼して心臓移植待機中死亡を分析してもらいました。これは私だからやってくれたのではなく、制度に則りデーター活用依頼をして、進めた話です。ただ、統計解析は私の環境を考えてもらってネットワークですべてやってもらいました。有り難いことです。その結果を、どう公表するかと考え、研究会に一般演題で応募したということです。学会の当番会長である九州大学心臓外科の塩瀨教授にもご理解頂きました。
内容は、専門的なこととして臓器配分システム(優先度)の見直しに繋げてもらえれば初期の目的は達するのですが、もう一つ重要なことがあります。それは一般社会の方々に、心臓移植は徐々に広まっているが、その陰で如何に多くの方が無念の死を遂げているかを知ってもらい、臓器提供への理解が深まれば、ということであります。そのキーとなるスライドをここで紹介させてもらいますので、多くの方に見て欲しいと思っていますい。5月頃から始めたこの自分なりのプロジェクトですが、実はこの夏は結構これにかかり切りで、今は論文に纏めながら、やっと一息ついている、という状況でもあります。若干の達成感ですが、自転車と共通するところはなさそうです。
ということで、9月と10月の流れを紹介しました。



      補足:このスライドは心臓移植の年間数とその年の待機中死亡を並列で示しています。毎年移植数(青)の半数以上に匹敵する数の移植に至らない死亡(赤)が続いているということです。

2019年7月31日水曜日

最近読んだ本から 「社会はかえられる」と「医療現場と行動経済学」



 長かった梅雨もやっと明けたと思ったいきなり全国的に猛暑で、熱中症の死者も出て来ている。欧州では40度にもなる異常な暑さですが、一方では雹が降ったりして大変です。自転車ロードレースの世界最高峰のツール・ド・フランスも、アルプスの最終段階で、冬期オリンピックも行われたアルベールビル近くの最後の峠が突然雪と雹に覆われてレースが中断、その前の峠が切り上げゴールとなり大波乱の幕切れとなった。

最近読んだ本で興味があったのは、「社会は変えられる」(国書刊行会)と「医療現場の行動経済学(東洋経済新報社)」。前者は厚労省と経産省の両方に席を持つ異色の官僚、再生医療新法を作った立役者でもある江崎禎英氏の話題の本で、世界が憧れる日本へ、という副題付きのものである。超高齢社会における種々の課題を凄い発想の転換でもって分析し、一般に変えられないと思ってしまっている社会の問題は実は変えられるのだ、というメッセージで溢れている。先般の大阪での日本心臓リハビリテーション学会と名古屋での日本在宅薬学会で特別講演をされていて、早速学会場で購入したしたものである。後者は大阪大学大学院経済研究科の大竹文雄氏と平井啓氏の編集によるもので、すれ違う医者と患者、という副題である。行動経済学の専門家集団が、患者と医師の間を人間心理のクセが分かれば溝は埋められる、というユニークな考えのものである。FBで紹介されていたのでこれも早速注文した。

今回は後者の中から一つテーマを選んでみた。というのは、前回も書かせてもらった臓器移植における個人情報の扱いの話しである。まず今の我が国における臓器移植について、特に脳死での臓器提供が諸外国に比し極端に少ない現状を行動経済学的に分析している。それは、臓器提供の意思をどう示すか(9)に書かれている.背景にはオプトイン方式である我が国ではドイツと同様、意思表示をしているのは12%前後であるが、オプトアウトの国では90%以上となっていることから、表示方式のデフォルト(原文)の違いで大きく変わることを指摘している。オプトアウトにしたら問題は解決できるかというとそう簡単ではない。実際、我が国では法改正でオプトアウト方式と併用することでかなり提供は増えたが抜本的ではない。そういう中で、如何に社会が臓器提供の仕組みやその意義について理解を深めるかは広報(Web)の言葉一つで変わってくることが述べられている。具体的な話しとして、ドナー家族への調査(どういう考えを持って提供し、提供後はどうかなど)が十分なされているとは言えないと指摘している。臓器移植ネットワークが頑張って進めてはいるが、確かに社会にはあまり理解されていないことから、ドナーや遺族へのリスペクトする雰囲気も希薄である、と私も思っている。これについて以下の原文を紹介する。「臓器提供に関する様々な経験が、「個人情報の保護」という観点から一切表に出なくなっている現状は、むしろ意思表示のしにくい環境を作り出して、臓器移植医療が抱える様々な課題を一層解決困難なものにしてしまう。」 正に、私の訴えたいことが論理的に示されている。行動経済学的という馴染み薄い視点から見た話しであり、すこし取っ付き難い所もあるが、最近一部で進められているソーシアルマーケッティング手法とも相通じるものかと思う。

最後に書かれている文章は大変示唆に富むものであるので紹介する。デフォルトの変更や様々なナッジ(ちょっとした肘うち、私の追加)が、提供意思に関わる行動変容に一定の効果をもつことは、行動経済学の研究によって示されている重要な知見である。そうした知見を政策に応用するうえでは、提供数や移植ツーリズムといった目先の課題に目を向けるだけでなく、誰が、誰のために、いかなる意図でアーキテクチャーを設計するのかかが問われなければならない。 臓器移植医療に携わるものへの重要なメッセージある。

この行動経済学の本では、臓器提供以外にも癌や終末期の普段の診療における意思と患者の考え方の相違や意思疎通における問題も書かれている。終末期医療(人工呼吸管理はやめられないのか)は大変興味深く読ませてもらった。そして、医療現場では行動経済学でいうバイアスが存在し、この意思決定におけるバイアスを知っていたら患者による合理的な意思決定が出来るとしている。行動経済学的と医療、まだまだ未消化ではあるがこれから更に発展していくのではと思う。そして何事も課題解決には発想の転換、視点を変えること、が大事であることが、江崎氏の本もそうであるが、この二つ本の共通するメッセージある。