2014年1月31日金曜日

厚生科研とウインターセミナー

 皆様、ご無沙汰しております。早いものでもう1月も終わりです。先週は、評価委員をしている移植関係の厚生科研発表会があり東京に出かけ、週末は例年恒例の心臓血管外科ウインターセミナーがあって志賀高原でした。私にとって冬はどうしても忙しくなります。
    厚生科研の発表会は、幾つか懸案になっている課題についての発表があり出かけてきました。臓器横断的移植症例の全国登録制(レジストリー)の研究では、基盤となるWEBベースのシステムが完成したということでした。レジストリーは心臓移植研究会が中々出来ないで苦労している課題です。国際心肺移植学会は既に確固たるものを作って成果を毎年出していますが、わが国ではもう症例は200近くなるのですが、毎年の各施設からの集計のまとめを公表している段階です。学術的な分析ができないという問題があり、何とかデーターベースを作れないかという要求のなかで、厚生科研(高原班)で臓器全体をカバーするシステム作りが始まり、今年は最終年度でそのシステムが出来上がった,ということでした。ただ、運用がどうなるのか、研究会でどう使えるのかが心配だったので、直接聴きに行ったということです。
   質疑応答でわかったのは、そのシステムの管理運営母体が決まっていない、ということでした。かなりの経費がいるので日本移植学会では対応できないようで、かといって一研究会ではもっと大変なのです。とはいえ心臓移植研究会も何とか症例の登録は始められそう、ということで少し安心しました。ただ、この移植登録制度には国際的な動きがあって、世界で統一して組織移植まで含めて進める、というのがWHOの方針である、ということでした。これを聞いて先行きにまた懸念が出てきましたが、心臓では何とか4月から活用したいと思っていますし、担当者が頑張っているので大丈夫でしょう。
    ウインターセミナーは志賀高原焼額スキー場で開催されました。もう30回を超えている伝統ある研究会?です。今回は東京医科歯科大の荒井教授のお世話でしたが、素晴らしい天気に恵まれ、1日半でしたが堪能しました。スキーだけではなく、興味ある発表もあり、勉強とスポーツを両立させた楽しい集まりです。最近は、スキーのタイムレース(大回転)が組まれていて、これもセミナーを盛り上げるものです。年齢別の表彰もありますが、60歳以上組では(残念ながら70歳以上は作っていません)雪国からの強力なライバルが何人かいて、結果は不本意(年齢以上と言っていただいてます)でしたが、楽しみました。一番は、怪我もなく無事帰還したことです。
     志賀高原からは一日早く帰ったのですが、それは土曜日に京都で開かれた日本肺および心肺移植研究会の役員会に出席するためでした。心臓移植研究会から、肺移植と一緒になって学会にしないか、という提案の説明をさせてもらいました。二つの研究会は同じ胸部臓器を扱い共通する課題もあり、また対社会的な活動、先のレジストリーも含め、が大事な時期でもあり、学会にしようという提案です。小さな研究会を二つ集めても学会と言えるかどうかとか、また学会を増やすのか、といった議論はあり、その通りだと思っています。そこで、今の各組織に大きな変化はさせないで、特に二つの研究会機能をそのまま存続させながら、連携して学会にする方策はないか、というところです。肺移植の方々は、提案をもとにまずワーキングを立ち上げるということになり、一安心して京都から帰りました。
      筋肉痛はあまりないのですが、土曜日は朝4時起きで長野電鉄の初発で長野まで行き、特急しなの、新幹線で京都、ということで大分疲れました。 本当は、理研のSTAPを話題にしたかったのですが、そこまで行きませんでした。私がコメントできるものではないですが、それにしても凄い研究ですね。今後が楽しみでもあり、また発信が神戸ポートアイランド(所属している財団もそうです)ですから、こちらも楽しくなります。ということで、1月はこれくらいにします。

2014年1月14日火曜日

岡山で学会

この冬一番の寒波のなか、しかも3連休だというのに、先週末の土日は岡山行きでした。用件は成人先天性心疾患学会への出席。この学会はもう16回になるが、今回は岡山大心臓外科の佐野俊二教授が会長。先天性の心臓病の子供さんの多くは小さい時に心臓手術を受けるのですが、手術を乗り切った方が10年20年経つと当然ながら成人になる。ところが、最初は良かってもだんだん問題を抱えるようになる。再手術が必要になったり、不整脈、心不全、弁の異常、肝障害、肺高血圧、などが生じてくる。心臓外科医は最初は助けたと言いながら後の面倒も見ないとせっかくの手術が長続きしない。成人期になると心臓外科医や小児循環器医ではなく大人の循環器内科医も加わって、総合的な管理をする必要が出てくる。診療体制から構築していかないといけないし、遠隔期の問題をどうしたらいいか、多方面の専門医がよって議論がなされてきた。 私の心臓外科医としての歩みの中で子供さんの心臓手術、生まれつきの構造的な異常、への関わりは大きく、ルーツでもある。小児に関わりだしたのは医師になって5-6年経ってからで、米国留学も小児病院であった。今となってもう四十年以上になる。
     さて、今回はフォンターン手術の遠隔期の話題が集中して取り上げられた。フォンターン手術も私がライフワークとしてきたともいえるものです。正常では右と左の二つの心室(ポンプ)があるが、それが機能的に一つしかない病気があって、その手術方法の開発が研究テーマであった。自身が心臓外科に入った頃は、こういう複雑な異常,多くはチアノーゼ(唇の色が紫になる)があるが、には姑息手術で一時しのぎをし、あるいは何もできないで診ていたが、1971年にフランスの心臓外科医であるフォンターン先生がびっくりする手術を報告した。三尖弁閉鎖症という右心室ほとんど機能しない先天異常に、右心室を使わないで体から戻ってくる静脈血を肺に直接流すという常識外の手術であった。解剖学的な根治ではないが、チアノーゼもなくなるという機能的根治手術である。
      我々もそれを導入していったが、その理論的根拠を探る、あるいは新たな手術法を開拓する、というのが私の研究テーマでもあった。犬の実験で苦労した時代です。 その後この手術をもっと複雑な病気(単心室、左心低形成など)にも適応拡大しようとしたが、当時は成績も良くなく、患者さんにも心臓外科医にも厳しい試練の時代であった。その後手術方法も改良され、長期成績もよくなり、フォンターン手術の生存患者さんもずいぶん増えてきている。最近は年間日本で300例前後のフォンターン手術が行われている。この手術は心室(ポンプ)が一つなので、何かと無理がある。臓から出て行く血液量は正常の下限あるいはそれ以下、肝臓や腸管のうっ血、不整脈、血栓塞栓症、などが出て来やすい。
   フォンターン手術は心臓機能が悪くなっていくともう先の選択肢が少なくなり、心臓移植も考えないといけない状況も出てくる。海外では数は少ないが移植の報告も出てきていて、今回の招請講演者、英国のアシフ・ハサン先生から素晴らしい講演があった。ニューキャッスルの病院は英国で心臓移植を一番多くやっていて特に成人先天性の移植で良い成績を上げている。また、埋込型補助人工心臓も適応して,大変参考になった。この先生は二つ講演をされた。小さな子供さんが心臓手術を受けて、10歳とか20歳になって心不全が出てきて、再手術を繰り返し、もう後がないと言う状況を紹介。聞く方がこの方は亡くなったと思ったら、9回裏に逆転ホームランで元気になって、結婚したり子供さんを生んだりというストーリー。最後のホームランとは心臓移植でした。
  講演の後の議論で、私も移植や補助心臓の現状を質問したが、佐野教授も日本での困難状況を訴えた。すると答えは、日本では補助人工心臓があるではないか。どうして移植の代わりにそれを使わないのかとハッパをかけられた。永久使用Destination Therapyになるが、日本ではまだ保険が通らないし、最後まで内科治療でがんばるので補助人工心臓をつける時期が遅すぎて合併症が多くなり長続きできない,という実態もある。
    最後に,旧知の循環期内科の教授にお会いして雑談となった。フォンターン手術で心機能が悪くなったらどうしたら良いか、と振ってみたら、答えは外科医も小児科医も長く持ちすぎで、それが結局はうまくいかない大きな要因であるという。小児科医や外科医はまだ良くなる時期(上向き)を見ているが、大事なのは下り坂になったときが大事で、そこは我々内科の心不全専門医に任せたら、ということであった。そもそも慢性心不全をしっかり診てくれる循環器委が少ないことも課題なのだが。
   以下、余談です。かって阪大病院でフォンターン手術を三尖弁閉鎖から単心室など広げて行った中で、何とか助かった女性の患者がいる。その方は後に医科大に入学して医師になり、精神科をやりながら自分と同じ病気と関わりたいと言ってこの分野に入っている。彼女とは数年ぶりの再開で、岡山に来た理由の一つで懇親会で再開。何年か前に医学博士を取った頃に再手術を乗り切り、昨年には結婚もされている。元気な姿をみて感激。
     長くなりましたが、私からのメッセージを要約しますと
1) 成人に達した先天性心疾患患者さん(主に術後)の管理には、小児科医や心臓外科医だけではなく、呼吸器専門医、循環器専門医で慢性心不全が専門の医師、インターベンション専門医、などのチームが必要。2) フォンターン手術後の患者さんには心臓や肝臓、それに腸管などの障害が出てくるので、まだまだ克服しないといけない課題が多い。肝障害とか蛋白漏出性腸症など。未解決な課題が多いから、研究テーマが多い。3) フォンターン術後に限らないが、従来の治療では対応できなくなった先天性心臓病の心不全には、心臓移植や補助人工心臓の適応も我が国で考える時期。
    なお、成人先天性心疾患については、学会のHPがあるので、参照されたし。  
         http://www.jsachd.org/event/index.html

2014年1月9日木曜日

冬期オリンピックまで1ヶ月

  いよいよ冬期オリンピックが近づいてきました。今回はロシアのソチ、ということで何とはなく盛り上がりに欠けている雰囲気でしたが、代表選手も決まりだしてやっとムードも上がって来たようです。TVニュースでは有力選手のインタビューが続々と出てきて、皆さんの意気込みが聞かれますが、選手も大変だなと同情します。メダル取りの抱負を何とか言わせようとマスメディアも躍起ですから。 個々の選手では何といっても女子ジャンプの高梨選手に大きな期待がかかっています。平常心でやれば勝てると思いますし、芯がしっかりしているようなので安心して見られると思います。個人的にはアルペン(スラローム)の湯浅選手に期待です。今季のワールドカップで調子を上げているので猪谷千春選手以来のメダルを期待しています。トリノでは7位ともう少しのところまで行きながら、前回のバンクーバーではどうしたのか代表漏れとなっていることから、彼の頑張りが期待されます。トリノで惜しくも4位でメダルを逃したのは皆川賢太郎ですが、佐々木とともに今回調子はもうひとつのようです。後はモーグルの上村選手です。過去二回のオリンピックで順位が一つずつ上がっているので、今度こそメダルをあげたいです。
     それにしてもジャンプの葛西選手は40歳を超えて7回目の出場です。これだけ継続でき、しかもメダルが期待される頑張りは驚異的です。個人でのメダルを何とか持って帰ってきて欲しいです。かっての札幌、長野のジャンプ陣の活躍も思い出されます。スピードスケート、クロスカントリー、フィギャースケート、なども再度金が期待されるようで嬉しいことです。また、団体では、カーリング、アイスホッケー、アイススケート、など女子が頑張っています。オリンピックは目が離せないです。
     冬期オリンピックは、札幌、長野と、ともに見に行けなかったのですが、前々回のトリノは出かけてきました。開会式の切符はドイツ留学中のO先生に確保してもらって入れました。最後にイタリアが誇す声楽家パヴァロッテイが、誰も寝てはならぬ、を歌ったのを後ろ側で聞いていました。後で声は録音のものだということでしたが、癌に侵されていてその後お亡くなりになられました。トリノ市からスキーアルペン競技場は電車で2時間くらいかかる所で、会場のセキュリテイーも厳しい中で、滑降競技場まで何とかたどり着いたり、ナイターのスラロームを見ていて帰りのバスを間違ってしまし、トリノのホテルに着いたのが深夜、といったことが思い出されます。荒川選手に金メダルは見に行けませんでしたが、伴奏はパヴァロッティが歌ったものでした。 幾つか写真紹介します。 ソチの次は韓国ですが、近いのでまたチャンスがあればと思いますが、今回はTV観戦で楽しみます。
  ロンドンオリンピックの時も前のブログで書いたのですが、オリンピックになると日の丸が沢山出てきます。国旗です。日の丸は白地があるので丁度ここに寄せ書きをすることが普通になっています。国旗に個人名を書いたり、メッセージを書くのはまず日本だけです。私は右翼でもなく一愛国者ですが、日の丸にはこだわります。国旗だからです。かっての太平洋戦争では寄せ書きでいっぱいの日の丸や旭日旗を持った戦地の兵隊さんの写真がよく紹介されます。何とも言えない辛い思いで見てしまうのです。これをオリンピックと関係付けるのはナンセンスかもしれませんが、個人的には日の丸への寄せ書きは止めてほしいと何時も思ってしまいます。勿論、殆どは綺麗な日の丸を振っての応援ですが、個人の応援となると寄せ書き日の丸が出てきます。先日のある選手の壮行会でも沢山の名前が書いた国旗を持っていざ出発、というニュースです。直接応援に行けない人がこの寄せ書きに思いを託すのは分かりますが、なにか悲愴感が漂います。オリンピックは国の権威をかけてではなく、スポーツの祭典という原点に帰ればいいのですが。もちろん日本選手には頑張って欲しいですが、応援の仕方の問題です。靖国問題もあるのではないか、とまでは言いませんが、美的感覚と国旗の役割、ということにこだわっているのですが、皆さんはどう思われますか。
  日の丸で長くなりましたが、今日から寒波襲来です。体調に気をつけましょう。  
  写真はトリノでのものです。8年前になります。

2014年1月7日火曜日

明けましてお目出度うございます

 新年、明けましてお目出とうございます 皆様、お正月はいかがお過ごしでしたか。天候に恵まれたのどかな三ヶ日ではなかったと思います。今日はもう7日、七草がゆで鈍った体を少しは戻してまた仕事に邁進というところでしょうか。本年も気ままなブログにお付き合い下さるようお願い申し上げます。昨年の記事を振り返りながら少し考えたのですが、あまりタイトルに拘らないで日常のことにも触れながらのんびり書かせてもらおうかと思っています。  さて、またまた移植で始まりそうなのですが、昨日は北海道新聞の記者から電話があり、北海道大学で心臓移植が行われている、ということでした。私の最初のことばは、「そうですかそれは良かったです、ほんと嬉しいですよ」と言うものでした。記者もあまり難しい話はしないでので、しばらくいい雰囲気でおしゃべりを。かいつまんで紹介すると、何故私が嬉しいとか、それにしても北海道での再開がここまで長くかかったのは何故かとか、和田移植から46年も経ったのか、などでした。それでもこれでやっと実施認定9施設すべてで心臓移植が行われたこと、札幌で再開されたこと、といったことから心臓移植も新しい時代になったな、という感想です。約15年前の阪大での再開では、やっと和田移植の呪縛から解かれた、ということでした。しかし、その後のドナーの少なさから、また最近カード無しでの提供や小児心臓移植でのマスコミの対応、さらに足下の仲間内から和田移植を忘れるな、といった言葉も出てくる有様ではこの呪縛はまだ解けていないなというのが実感でした。それが、今回の札幌での心臓移植で、やっと真の呪縛から解放された、といえるのではないかと感じています。何かこじつけのようですが、そういう実感がするのです。北大チーム、ご苦労様でした。松居教授もやっと肩の荷が下りたのではないでしょうか。     北海道新聞の記者に、私の経歴を知っているのかと振ってみたら、札幌生まれでしょう、ときた。これを承知で電話してきたようで、阪大での再開時に北海道新聞に大きな顔写真で紹介されたのを思い出していると、先輩の記事は見ています、とい声が返ってきた。このインタビューが北海道新聞でどう扱われるのか、楽しみでもあります。最初に書いたように、今年の出だしは正月休みのことを書こうかと思っていたのが、北大での心臓移植に取られたという感じです。次は砕けた話を書きますので、お楽しみに。 今年も宜しくお願いします。 写真は当時の北海道新聞です。1999年3月27日、だいぶ色あせてます。