二冊目は「原発と大津波・警告を葬った人々」(添田孝史著、岩波新書)で、東日本大震災と福島原発事故を扱ったこれも新聞記者の取材記録を主とする検証である。
著者は朝日新聞の科学記者としてスタートした頃に阪神淡路大震災が起こり、阪神高速高架道路がなぎ倒されているのを目の当たりにして、耐震工学関係の学者達の言うことが信頼できない現実を知ったという。
阪神淡路大災害後、著者は科学記者として原発は地震が起きても安全という安全神話に疑問を持ち、精力的に取材と資料調査を始めている。そして疑問の始まりは、1997年の石橋克彦神戸大教授(当時)の「原発震災」という言葉、概念を知ったときとしている。その論文では「原発は最新の地震学の知識を反映しておらず、設計で想定していた以上の地震に襲われて事故を起こす可能性がある」と書かれていた。この意見を原子力のお偉方は無視し、さらに安全神話を作って行った。福島原発事故が起こるまでに学会や行政、そして電力会社が取ってきた地震および津波災害対策について検証している。登場するのは原子力安全保安院、電気事業連合会、土木学会、などで、関係省庁や学会が取り組んできた原発の耐震性の基準作り(耐震指針)を振り返りながら、安全基準についての疑問を研究者や行政に投げ続けたが、2011年1月17日に東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生した。
地震と共に10mを超える大津波によって福島第一原発は全電源喪失という大変な事態に陥り、水素爆発、炉心融解という大事故になってしまった。記者は原発の震災対策の杜撰さを目にしてきたなかでまさに大事故が起こってしまったわけである。そして東電社長が事故後の記者会見で、「想定を大きく越える津波だった」と発言したことで、この記者は大変憤りを感じている。記者はその年に退職しフリーランスとなってこの問題を追ってきた。想定外ではなく危険な古い想定をそのまま放置していただけの不作為である、ということの検証を進めてきたわけである。その中で、行政の立場、企業の立場、学会の立場、がうまく連携が取れていない、また過去の大地震の記録をしっかり読んで具体的対策に転換できなかった日本の行政の甘い仕組みについて資料を基に明らかにしていっている。電力会社という企業の経営からみた対応の限界も大きな要因であるが、アカデミアについては土木学会(当時)が利益相反を当然のごとく抱えた御用学会となり、本書では退廃という表現で糾弾されている。
以下は私の感想です。1000年に一度あるかないかの巨大地震を想定して、巨額の費用が要る防災対策を企業や行政が出来るかどうかというジレンマはあると思う。しかし、原発はいったん重大事故が起これば直接被害はもとより放射能汚染という何十年後にも影響する大変なことになる。想定外という言葉は、その想定が科学的検証によって支持されていれば納得できるが、そうでないからこのような大事故になったといわれても仕方がない結果であった。後からなら何とでも言えるということもあるが、この本では阪神淡路大震災からの約15年の間の歩みを検証しているのから説得性があると思う。抜本的な巨額の費用が掛かる対策ではなく、津波の高さの想定が科学的な背景を持つことを理解して、電源確保を最優先にしてもう少し対応できなかった悔やまれるところである。因みに東電は設置申請時には想定津波高を3.1mとしているがその後の種々の提唱に対して対応は+40センチだけに止めていたということである。福島沖は地震学者からは大地震では想定の5.7mでは危険で15.7mを提案しているが、東電は対応しなかったと書かれている。爆発事故後の対応で高い評価を得た福島第一原発の当時の吉田昌郎所長は、2006年(7年?)に新たな耐震指針(15.7m)が出されたときには東電の原子力設備管理部長で、この想定を受け入れなかったことが紹介されている。複雑な気持ちになる。
二つの本を読み比べながら、一つは医学生理学の基礎研究でもう一つは工学系で国の運命をも揺るがす大事故、というかけ離れた分野ではあるが、科学的検証、ピアーレビュー(利益相反や隠蔽のない検証)という点では共通点があるように思う。現在も既存の原発の安全性の評価も取りざたされているが、原発に限らず医療でもそうであるが、安全性や信頼性の評価はそれを社会に公表することで科学的検証、ピアーレビュー、となるのではないかと思う。
ということで、二つの本を科学的検証で並べるのにはこじつけのような所もありますが、人の健康も国の安全も科学の在り方で大きく変わることを知らせているように感じた次第です。少し添田元記者に肩入れした内容になったかも知れませんが、事実や歴史を振り返ることは大事だと思います。(事実関係については正確性を欠いたところがあるかも知れませんことをお断りしておきます)
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