2015年3月31日火曜日

医療事故と専門医


 ここのところ医療の現場、特に外科領域で、社会の信頼を裏切るような事態が続いている。ご承知のように群馬大学と千葉県がんセンターで、先進的な高度の技術が必要な内視鏡手術(腹腔鏡手術)による肝切除や膵切除等の消化器癌の摘出手術を行い、その結果が異常に高い死亡率であることが分かってきた。今は検証の段階であるが、次々と信じられないような事態が明らかになってきている。まだ医療事故であると言う判断ではないが、タイトルはそうさえてもらった。
報道によれば、普通の開腹手術は確立されていて、手術死亡率も数パーセントという範囲であるが、これが低侵襲手術で患者さんにとって回復が早いと言うメリットがありながら、返って高い死亡率になっている。一体どうなっているのか、である。これは個人の技量の問題も大きいが、それと共に施設やその分野の責任者の管理能力の問題でもある。
通常の開腹手術に比べて高いことを自分達が(あるいは個人)が知りながら、止めることをしなかったのは何故か。群馬大では、術前はもとより術後の検討会も満足に開かず、死亡例のデスカンファも行っていない。大学の外科教室がやることとは到底信じられない。外科に限らず医療は患者さんのためでないといけない。先進的な医療も、安全性が担保されないと進めるべきではない。実験ではないし、個人の技量の修練に患者さんを使ってはいけない。他に治療法の選択がないような、まさに先進的な場合で、放置すれば命が保証できないような場合とは到底考えられないと思われる。
ここで敢えて言うと、これらの事態は外科医の業績作りのためと思われても仕方が無いのではと思われる。大学に籍を置く外科医や大きなセンターは、個人やその施設の業績で評価されることが多い。指導的な外科医を目指す人は、論文以外に先駆的な手術をどれだけ経験しているか、も大事となる。大きな学会でシンポジウムの演者になるには、相当の臨床での実績が求められる。こういう背景は日本では長らく続いている。自分のとってきた道を振り返っても、こういう業績至上主義が背景にあると思う。ただ、外科では成績が悪ければ相手にされないし、そのままでは済まされないことも事実である。
ここで専門医との関連で意見を述べる。以前、ある心臓血管外科専門医が行った連続した弁膜症手術で死亡例が続いたことがあり、社会は専門を認定した学会にも批判の矛先を向けたことがある。今の事態で関連する厚労省が認めた専門医制度は、1階の外科専門医とその2階にあるサブスペシャル領域としての消化器外科専門医である。その上に、学会独自の制度であるが、肝胆膵外科の学会認定高度技能医というのがある。医師は基礎となる専門医(外科専門医とか内科専門医)を取った後は、経験が積むと上のクラスの認定を取りたくなる。これだけ医療が専門化してくると、専門医の認定もより細分化していくのか。医療技術の進歩を患者さんの戻すうえで、こういった制度作りも必要であるが、その目的は是としても、こういう社会批判を受けるようになると、専門医とは何か、考えてみる必要がある。

ここで再確認すべきことは、専門医はスーパードクターのお墨付きではなく、その領域の標準の医療を質の担保をしながら行える医師であり、患者さんから信頼される医療提供者としての認定である。今回の改訂でもそうである。専門医はその分野の基本的医療を安全に遂行でき、更に上級の医療を研鑽する下地がある、と理解すべきである。更に重要なことは、倫理性、科学性、患者本位の医療やチーム医療への参加が出来る資質、を備えていることが必須である。エキスパートの専門医も、この際、基本の要件を振り返り、医師の原点に戻って診療や研究に当たることで社会の信頼を取り戻せるのではないか。専門医は高度の技術習得も大事であるが、その基礎として何を備えていなければならないか、考えて欲しい。そして、大学や医療施設、そして専門医制度では、この事態を対岸の火事として見てはいけないと思う。

2015年3月30日月曜日

臓器提供は増えて来たのか

  早いもので、もう3月も終わりで、急に暖かくなって桜も開花、一気に春突入です。このブログも3月はあまり更新できず、低迷状態でした。近々、臓器移植について話す機会があるので、その準備がてらネットワークの資料を見ていて、気の付いたところを紹介します。
 
 今年はこの3月までに心臓移植が12例と昨年より少し多いペースで行われているようです。さて、脳死で臓器提供も3か月で18件と昨年の同時期の16件より僅かに増えている。昨年の全体の脳死での提供数は丁度50件(過去最高)であったが、今年はそのペースを超えてくれるか、注目される。心臓移植数も昨年は37件とその前年と同じでしたが、今年は何とか50例に近づいてほしいですね。
 
  さて、日本臓器移植ネットワークのニュースレターの昨年版を見ると、重要なことが表れている。それは、法改正後、脳死での臓器提供は確実に増えていますが、心停止での提供と合わせるとあまり変化はしていません(後の図参照)。心停止での臓器提供、これは主に腎臓提供となりますが、極端に減少しています。この心停止での提供とは、基本は脳死なのですが、本人の意思表示を示すカードなどがないため家族の承諾で心停止の後で腎臓の提供がなされる場合が主です。心停止での提供が少なくなると腎臓移植にとって大変深刻な問題となっています。
 
 ここで理解しないといけないのは、大きな意味での臓器提供に至った脳死患者の数はここ何年も変わっていない、あるいはやや減少しているということです。これは、心臓移植が増えてきたといても、臓器移植全体にとって提供数は増えていないという大変厳しい状況でもあります。何か、根本的なところで臓器提供への社会の理解が得られていないか、あるいはシステムが悪いのかということになります。
 もう一つの図では法改正後の本人の意思表示がどうであったか、家族の承諾だけでの提供はどうだったのか、が示されている。即ち、意志表示なしが3/4を占めています。意思表示の仕方では、意思表示カード所持が19件、保険証での記載が18、運転免許証での記載が5、複数が5件、となっている。これは全体が201件での話で、如何に意思表示をしている人が少ないかが分かります。こういう状況なら、カード所持を叫ぶより、家族の承諾を得るような努力の方が実質的では、といった不謹慎な考えも出てきます。
 とはいえ、意思表示をしておけば残された家族が苦労しなくていいわけで、やはりカード所持や健康保険証、運転免許証への記載を(ノーでもいいのです)してもらうような啓発活動が大事と思います。とはいえ、我が国ではどうして臓器提供が進まないのか、そこの背景の分析とそれに対応した策、システム作り、が必要でしょう。
 以下、ネットワークの資料です。
 



2015年3月27日金曜日

成人先天性心疾患


最近の心臓外科で関心が高まっているなかに、成人先天性心疾患、という領域があります。生まれつきの心臓の異常で、生直後(新生児期)に外科手術をしないと生存できない重症の場合もありますが、ファロー四徴症や心室中隔欠損症など多くは小児期に根治手術を受けています。また、心房中隔欠損症のように成人なるまで症状の出ないものもあります。こういった小児期に手術をした方で成人期までフォローされている方や手術を受けていないで大きくなった方等の数がどうしても年々増えてくるわけです。我が国では毎年約100万人が生まれてきますが、その1%は生まれつきの心臓病を持っていて、かっては長生きできなかった病気も外科治療や内科治療すごく進歩して、今では90%が成人期まで到達されます。15歳とか18歳以上の先天性の心疾患を持った方は1997年には約30万人に達して数では小児患者と同じ位になり、今では新たに臓病で小児期に手術や治療を受ける子供さんより多くなっています。
こういった小児期に根治的な手術や一時的な手術(姑息手術と言いいますが)を受けた方は、全員ではないですが、残っている病変による心不全や不整脈、そして肝臓障害などを持った方が少なくなく、小児循環器医や成人循環機器医、そして心臓外科医がフォローしている訳です。ただ、こういった方は大人ですから、小児科医が見るには限界があり、精神的なことや全身の管理、不整脈治療、再手術など、成人の先天性疾患特有の病気についてのプロが管理する必要が出てきています。そういなかで、成人先天性心疾患専門の診療科や専門医が登場してきていますし、学会も出来て毎年一月ですが活発な活動をしています。
このテーマを選んだのは、私がかって小児期に外科治療に携わってきた方の多くが、30歳とか40歳といった成人になって来ておられるからです。その中の一部の方では病変が残っていたり、解剖学的な異常、不整脈などから心不全が強くなり、再手術や別の心不全治療を受けるようになってきています。私の心臓外科医としてのルーツは小児の先天性心臓病であったことから、学術的にも関心が高いわけですし、いまでも昔の患者さんのフォローをさせてもらっています。経過が順調で、社会人として制限なく活動されている方も多い中で、薬を飲んだり、生活の制限をしたり、人工弁の管理をしている方などがおられます。年賀状でのやり取りが多い中で、何人かは外来でフォローしています。多くは昔話をしたりして年1回の同窓会的なところもありますが、大人まで頑張ってきた心臓と仲良く付き合えるようサポートしています。
この成人先天性心疾患の話題は、兵庫医療大学の学長ブログ時代にも一度取り上げました。(2010,10,15, Friday) その背景には、心不全が進んでしまって残された治療が心臓移植しかない、という方が少ないですが出てくるようになったからです。肺も悪くなると心肺同時移植が必要になってきます。阪大では既に二人が心肺移植を受けていますが、先天性の複雑な心臓病で肺高血圧を来したかたです。心肺移植は必要なくても心移植の可能性がある方は少なくないのですが、ドナー不足で長期の待機や補助人工心臓治療も考えるとその選択は難しく、保存的治療が優先されている状況です。
成人先天性疾患の患者さんは、チアノーゼ(唇が紫色になる)もなく、一見心臓病を持っているとは見えない方が多いのですが、ペースメーカーや利尿剤などに頼っている方も少なくありません。成人先天性心疾患という患者さん群があることは一般にはあまり認識されていないのですが、大人の心不全患者さんのなかで占める比率は年々増加していて、専門の医師やチーム、施設が今後増えてくることを期待しています。

先日、東京新橋のホテルから見えた夕方の東京タワーがきれいでした。




2015年3月14日土曜日

医薬分業、規制改革会議で議論

3月に入って前回紹介したように全関西学生スキー選手権大会があり、ご無沙汰していました。大会は春の雰囲気の中で無事終了しましたが、最終日は寒波がぶり返って3月とは言え真冬並みの気象でした。今シーズンの雪上活動は終了です。

    今日のテーマは、先日12日に東京で行われた内閣府の規制改革推進室公開ディスカッション「医薬分業における規制の見直しについて」についてです。1月に次いでこのテーマだったようです。私の仲間がFacebookで紹介していたので知ったのですが、阪大第一外科の同門で薬剤師界では売れっ子の元?外科医である狭間研至氏がパネリストとして登場したこともあって、FBでは盛り上がっていました。

さて、医薬分業というテーマに直接関わっていた訳ではないのですが、新設の兵庫医療大学で6年制の薬学教育にお付き合いしたこともあり、関心があり、また狭間氏の元上司でもあり、同氏が立ち上げた日本在宅薬学会にも創設から参加させてもらったりしています。新しい薬剤師の登場で医療での関わりがどう変わるか、また何を期待するか、関心がありますのでこの話題を取り上げました。因みに、兵庫医療学長時代のブログでは何度か薬学教育や薬剤師関連のことで書いています。2009427年制薬剤師教育20091130日は米国の薬学教育201058日はトロントで薬局に薬を貰いに行った時の話、 2013118日は大衆薬ネット販売解禁、等です。

今回の公開ディスカッションの議事資料は下記のWebで見ることが出来、私のコメントもその資料を基にしています。ディスカッサントには、厚労省、日本医師会、健康保険連合会、日本薬剤師会、アカデミア(医療経済学)、そしてしんがりは日本在宅薬学会(狭間研至理事長)でした。

http://www8.cao.go.jp/kiseikaikaku/kaigi/meeting/2013/discussion/150312/gidai2/agenda.html

 
    イントロの政府からの資料ですが、事前のアンケート調査(約1000人対象)で医薬分業という言葉やその内容を知っている人は50%程度で、この制度で処方する医師と調剤する薬剤師の役割分担について、必要があるという人は25%程度で、思わないか分からないが残りを占めています。コストでは約60%が高くなると思い、70%が薬は医療機関に近い薬局に行っている、という背景が示されています。国民側から見て、形骸化している制度であることが明白のようです。

さて、今回の規制の見直しの対象になった医薬分業とは何かといいますと、医師が診療して薬の処方をして、患者さんはその場(その医療機関内)で薬を貰えた時代から、医師(医療機関)は診療を担い、薬剤師(薬局)が調剤を担当することを原則的にですが決めたものです。医薬分業法というものが登場して半世紀以上になります(1956年施行)。目的は、医師と薬剤師がお互いに独立した機能を発揮することで、医療の安全性の面から医療の質の向上、また医療保険経済面でも効率化(無駄を少なくする)を図ることであったと思われます。その流れを加速させたのが、ここ20年位に広がった大病院での院外処方へのシフトであります。大病院では調剤のみのために沢山の薬剤師(薬剤部で働いていて病棟には来ない)を抱える必要があることと、自前で薬を出す経営上のメリット(薬価差益の減少)がなくなってきたことが背景です。阪大病院でも私の前任の松澤病院長(現住友病院院長)時代に院外処方に切り替えたのですが、文科省はその年度の薬剤費や処方代が大幅に減少する(実質の損益ではないのですが)ことでクレームが来ていたことを思い出します。一方、現実では診療所や小規模の病院では今でも院内処方が多いことや、院外処方といっても名ばかりで大病院では門前薬局がひしめいていて、何をかいわんや、というところもあります。

60年近くなって何故これを見直そうとしているのか。医薬分業は患者視点から問題がないか、①利便性の問題(医療機関と薬局が構造上離れていなければならないこと)、②薬代が高くなるが患者さんへの薬の説明や疑義紹介などでのメリットがあるのか、の2点であると規制改革会議の説明です。構造上の分離は意味があるのか、薬のコスト高(調剤費は年々増加傾向)は患者のためか、が論点です。処方箋を出す側と薬を出す両者の独立性の確保が法律で決められているのですが、同じマンションで入口が別でも一体的な構造とみなされて医療機関が訴訟で敗訴しています。両者の出入り口が構造上離れていなければならないが、隣接していても公道面していたら許容されるとか、まさに現実離れの規制の課題が浮き彫りになってきているということです。

もう少し現状分析をしますと、分業率は67.0%で、かつ年々増加していること、この20年で薬価差(23年度約8%)および国民医療費に占める薬剤費率は低下(23年度20%)していると厚労省は説明しています(ただ、これらは過去10年では横ばい)。また、後発医薬品使用率は漸増し薬剤師からの説明で変更している割合が数年目から増加していることも注目されます。そして厚労省は、かかりつけ薬局での薬学的(この言葉は?)管理をチーム医療の中で進めることを描き、今後の方向性は、かかりつけ薬局を作る体制、かかりつけ医(医師会主の主張に配慮か)との連携、そしてセルフメディケーション、そして地域包括ケアの推進、で絞めています。

薬剤師会の立場からは、医薬分業を薬物療法における安全性と質の向上、と考えていて、平成18年の医療法改正で薬局が「医療提供施設」であることが明記されたことと、平成24年から薬学教育が6年制になったことと病棟薬剤業務加算として100点が加わったこと、を紹介しています。調剤という概念が見直され、医薬分業における薬剤師の役割が変わりつつあり、こと、疑義紹介と薬剤費の削減や残薬減少、医師と協働で医薬品訂正使用サイクルが動くこと、そして病院薬剤師の役割も大きく変わってきたことを強調されています。
 
ここで狭間氏の発表内容を公開資料より拾い出してみましょう。タイトルは「在宅支援から見えてきた薬局・薬剤師の果たすべき役割」でした。薬剤師の在宅や居宅療養患者への管理指導料が加算されルようになり、薬剤師の在宅・介護医療での質や効率の向上に寄与していますが、特に6年制の薬剤師がこれから世に出てきてチーム医療の大事な担い手になることから、薬剤師の役割は大きく変わりつつあり、医療現場も変わらねばならない、という趣旨ではないかと想像します。医師であり(呼吸器外科医)、薬局経営に関わり、そして薬剤師の生涯教育、特にバイタルサイン教育、でリーダーシップを取っている同氏が選ばれたのは当然でしょう。同氏のメッセージはが薬剤師の職能拡大へと向いていることは、6年制終了の薬剤師の参加だけではなく、既存の薬剤師の活躍を期待してのことで、規制緩和という切り札の中での同氏の発言は大きな意味があるでしょう。因みに、今朝のTBSの放送でも登場していました。

まとめますと、医薬分業という医療制度上の理想像と現実との乖離がまさに規制改革の対象になってきているということでしょう。構造上というそもそもおかしな規制が長年続いていたわけで、薬剤師の役割が変わりつつあるこの時期に、見直し議論が熱くなってきたということです。個人的には、この議論は大衆薬のネット販売という規制改革とは別の、医療体制に関わる大事なことなので、6月の答申までしっかり議論を進めてほしいと思います。狭間氏は継続して発信しいって欲しいと思います。私は、配布資料もとにこれを書いていて肝心の議論を聞いていないので、何とも締まりのない内容であるはありますが、今回はその範囲で書かせてもらいました。実際の議論については情報を集めてみます。
薬を貰う側が院内処方より割高になることが適切なのかは議論の余地があるでしょうが、調剤薬局にしろ、病棟薬剤師にしろ、薬剤師が説明や受け渡し、フォロー、医師との連携について信頼される役割を果たし、在宅医療の現場や普段のコスト面でも信頼されるようになるには、まだまだ薬剤師側の努力(生涯教育の充実)と医師側の理解と協力が必要と思います。薬剤師がここで頑張って欲しですし、関係者は特に6年制卒の薬剤師の行く先(受け入れ先)や、専門性の生涯教育に尽力してほしいと思います。

明日は、兵庫医療大学の第3回の卒業式(学位授与式)がありますが、薬学部卒業生にはこういった医療環境の変化が目の前にあり、そこでの新薬剤師の活躍が期待されていることを自覚して巣だって行って欲しいと思います。

 野沢温泉でのスナップを掲載します。野沢の風情を懐かしく思われる方も多いかと思います。