ここのところ医療の現場、特に外科領域で、社会の信頼を裏切るような事態が続いている。ご承知のように群馬大学と千葉県がんセンターで、先進的な高度の技術が必要な内視鏡手術(腹腔鏡手術)による肝切除や膵切除等の消化器癌の摘出手術を行い、その結果が異常に高い死亡率であることが分かってきた。今は検証の段階であるが、次々と信じられないような事態が明らかになってきている。まだ医療事故であると言う判断ではないが、タイトルはそうさえてもらった。
報道によれば、普通の開腹手術は確立されていて、手術死亡率も数パーセントという範囲であるが、これが低侵襲手術で患者さんにとって回復が早いと言うメリットがありながら、返って高い死亡率になっている。一体どうなっているのか、である。これは個人の技量の問題も大きいが、それと共に施設やその分野の責任者の管理能力の問題でもある。
通常の開腹手術に比べて高いことを自分達が(あるいは個人)が知りながら、止めることをしなかったのは何故か。群馬大では、術前はもとより術後の検討会も満足に開かず、死亡例のデスカンファも行っていない。大学の外科教室がやることとは到底信じられない。外科に限らず医療は患者さんのためでないといけない。先進的な医療も、安全性が担保されないと進めるべきではない。実験ではないし、個人の技量の修練に患者さんを使ってはいけない。他に治療法の選択がないような、まさに先進的な場合で、放置すれば命が保証できないような場合とは到底考えられないと思われる。
ここで敢えて言うと、これらの事態は外科医の業績作りのためと思われても仕方が無いのではと思われる。大学に籍を置く外科医や大きなセンターは、個人やその施設の業績で評価されることが多い。指導的な外科医を目指す人は、論文以外に先駆的な手術をどれだけ経験しているか、も大事となる。大きな学会でシンポジウムの演者になるには、相当の臨床での実績が求められる。こういう背景は日本では長らく続いている。自分のとってきた道を振り返っても、こういう業績至上主義が背景にあると思う。ただ、外科では成績が悪ければ相手にされないし、そのままでは済まされないことも事実である。
ここで専門医との関連で意見を述べる。以前、ある心臓血管外科専門医が行った連続した弁膜症手術で死亡例が続いたことがあり、社会は専門を認定した学会にも批判の矛先を向けたことがある。今の事態で関連する厚労省が認めた専門医制度は、1階の外科専門医とその2階にあるサブスペシャル領域としての消化器外科専門医である。その上に、学会独自の制度であるが、肝胆膵外科の学会認定高度技能医というのがある。医師は基礎となる専門医(外科専門医とか内科専門医)を取った後は、経験が積むと上のクラスの認定を取りたくなる。これだけ医療が専門化してくると、専門医の認定もより細分化していくのか。医療技術の進歩を患者さんの戻すうえで、こういった制度作りも必要であるが、その目的は是としても、こういう社会批判を受けるようになると、専門医とは何か、考えてみる必要がある。
ここで再確認すべきことは、専門医はスーパードクターのお墨付きではなく、その領域の標準の医療を質の担保をしながら行える医師であり、患者さんから信頼される医療提供者としての認定である。今回の改訂でもそうである。専門医はその分野の基本的医療を安全に遂行でき、更に上級の医療を研鑽する下地がある、と理解すべきである。更に重要なことは、倫理性、科学性、患者本位の医療やチーム医療への参加が出来る資質、を備えていることが必須である。エキスパートの専門医も、この際、基本の要件を振り返り、医師の原点に戻って診療や研究に当たることで社会の信頼を取り戻せるのではないか。専門医は高度の技術習得も大事であるが、その基礎として何を備えていなければならないか、考えて欲しい。そして、大学や医療施設、そして専門医制度では、この事態を対岸の火事として見てはいけないと思う。