年が明けても本州は暖冬が続いてスキー場はどこも雪不足が続いていましたが、やっと寒波が訪れて各地のスキー場はこの週末は賑わいを見せるのではないでしょうか。とはいえ、先週来の大雪や強風で関東地方は大変で、首都圏での交通マヒのニュースは驚きでもありました。センター試験も先般済みましたが、この時期はいつも寒波襲来で受験生も実施側も気を遣います。センター入試に関わらなくなってもう3年目ですが、相変わらず小さなミス(受験生にとっては小さくないのですが)とか器具の不具合とか細かく報道しています。こういうニュース配信の心は何なのか、メデイアの理解できない一面です。また、センター試験のリスニングほど意味の分からない、時代錯誤の試験もないとかねて思っていますが、試験のやり方もそろそろ変わるようです。
関東の大雪による交通マヒでは、首都圏で朝から電車待ちの長い行列ができ、駅のプラットフォームは人で溢れて事故寸前という感じでした。将棋倒しになったり、人が押されて線路に落ちる、といったことがよく起こらなかったと不思議なくらいです。前日から大雪で荒れ、交通にも支障が出るという注意予報がなされているのに、皆さんはとにかく会社に行くのです。行けるかどうかわからなくても、まずは家を出るのです。自宅待機が出来ない我が国の面白い状況です。海外から見たら日本人はなんて勤勉で真面目なのかと、皮肉交じりで言われていると思います。企業の方からは、そんな甘い考えでは競争に負ける、という声が聞こえて来そうですが。どこから思い切って声を上げないと進まないのかも知れません。大企業はゆとりがあるから出来るが、中小企業や役所は無理です、ということなのでしょう。
新聞で面白い記事がありました。国会の話ですが、この大雪の日に参考人として出席しなければならなかったどこかの官僚の方が数人、委員会に遅刻したそうです。それを、上司は監督不行き届きで注意、また本人たちにもお叱り、のご沙汰があったそうです。前の日から泊まっておけ、ということなのでしょうか。国政を預かる人たちには当然の義務かも知れませんが、こうなったら官僚の方々は国会周辺に皆さん住んでもらわないといけなくなりませんか。文化庁が京都に移転する話がありますが、国会での迅速な対応、委員会などの答弁や議員からの急な注文などへの心配があって完全移転は出来ないといことうらしいです。首都機能を仙台に移す案は、冬は雪が降るのでだめという話を聞いたことがあります。文化庁だけでなく、国政機能機関をもっと関西に持って来たら、一極集中や大災害対策などのいろんな課題が解決するのではと、関西人として思ってしまいます。南海トラフ地震があるからダメですかね。
さて阪神淡路大震災から21年も経ちました。医学部6年生の卒業口頭試問の日で、私は吹田まで行かれなく、その年は筆記試験で済ませたのを思いだします。前にも書いたかもしれませんが、神戸では未曾有の災害で町がまだ火に包まれている時期に、東京の国会議員の先生方は、関西で少し強い地震位に思っていたようで、いまでは信じられないお粗末な情報伝達機能と国の危機管理体制が露呈されました。私も翌日、兵庫県の家から何とか車で吹田の大学に向ったのですが、道路は大混乱でした。しかし大阪府側に入ると街の様子は一転して普段と変わらないのです。お店もスーパーも、10キロほど西では大変になっているに、静かで落ち着いた普段の町なのです。阪大病院はかなり揺れたので、混乱はあったようですが普段の診療が続けられていました。輸血用の血液が足りなくなるのではと心臓外科手術は少し延期しました。しかし、そんなことを言うのは我々だけで、他の科は予定手術をこなすのが使命と、いうわけです。市立芦屋病院からの急性腎不全患者の受け入れを頼まれたのですが、阪大病院としては対応するマニュアルもなく、支援体制も作られていない状況でした。止む無く私たちの病棟に搬送しましたが、その時に他の病棟の婦長さん方は、知らん顔でした。何で私の病棟を使うのか、といった声が聞こえて来るのです。ボランティアーも組織だった取り組みもなく、学生だけが自主的に動いていました。
阪神淡路大震災後21年が過ぎ、何故大災害になったのが報道されています。地震後の大火災は都市ガスが原因かと思っていたら、電気らしいのです。地震で送電が止まった後に復旧するのですが、電源を入れたままの電気ストーブなどからの発火が大きいと言うことです。今では地震の揺れで落ちるブレーカーが開発されています。それこそ、全国にこれを徹底して備えるというのが、得られた教訓ではないでしょうか。色々その使い方が議論されている予算を、この耐震ブレーカーの普及に使ったらどうですか。
今頃、何故こういう話をするかというと、先の首都機能のことです。震災の数日後に厚生省の管轄する研究費事業の発表会が東京でありました。私は一つのテーマを貰っていて、報告会に出ないと評価が下がります。しかし、この大災害の時に発表会をするのかと聞くと、当たり前のように、「予定通りです」、という返事です。欠席でも良かったのですが、行けるなら出席しようと、私は何とかと前日に東京に入りました。ホテルのTVでは神戸はまだまだ火災の勢いは収まらない、広がっている映像でした。翌日の発表会では震災のことは皆さん他人事で、粛々と済まされていました。私は報告を済ませて早々に帰りましたが、地震のメンタルなトラウマがあったのか、何か気持ちが収まらないで帰って来たのを思いだします。大雪の交通マヒで遅れた官僚をしかりつける国の在り方と何か通じるものがあると感じます。
新春放談、といった所でした。 これから一段と厳しい寒波が来るようです。皆様、お気を付けてお過ごし下さい。
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