2016年8月31日水曜日

8月も終わり

リオデジャネイロオリンピックで日本中が沸いた8月も今日で終わります。最後になって異常な経過を取った大型台風10号による東北・北海道での大きな被害が刻々と報道されています。我が国は毎年のように大雨と洪水・土砂崩が起こっていて自然災害の恐ろしさを目にしています。猛暑の後の秋を間近に迎えるにしては心が休まりません。洪水による被害が早く収束することを祈っています。

リオデジャネイロオリンピックは日本チームのメダルラッシュで大いに沸きました。最後の男子陸上の100x4メーターリレーの銀メダルは感動的でした。金メダルに匹敵する結果でしょう。柔道は男女ともお家芸としての伝統を復活させてことも良かったと思います。テニスの錦織圭選手がナダルを破っての銅メダルも興奮させました。女子バスケットも頑張り、体格的に大きな差がある競技での躍進も印象的でしたし、惜しくもメダルには届かなかった競技も女子体操など沢山あり、チームジャパンの全ての選手に拍手を送りたいと思います。

オリンピックで毎回思うのですが、TVの役割を今更どうこう言うつもりはないとはいえアナウンサーのメダル-メダルと叫ぶ過熱報道も鼻につきます。メダル獲得、それは大変なことで素晴らしいですが、金メダルは10数人しか取れない現実があるし、メダルに届かなかったが精一杯力を出した選手が沢山いるわけです。メダリストを支えた多くの選手にも光を当てて欲しいと思います。若い人には次がある訳ですから。とはいえ、心配されたリオでのオリンピック開催も大成功で、日本のメダル獲得も史上最高でしたし、めでたしめでたし、でした。また勝者の掲げる日の丸の美しさにも感動しました。さて次の東京はどうなるのか、今から気掛かりです。

ロンドンの時も書いたのですが、私の拘りの一つは日の丸への寄せ書きです。応援席ではありますが、多くの日の丸が振られる中で何か異様な日の丸が目に付きます。地元や会社の応援者が名前やメッセージを白地に隙間なく書いた寄せ書き日の丸です。現地に応援にいけない人の心がこもっているのでしょうし、選手も心強い応援と思います。必勝と書いた日の丸の鉢巻きも定番です。私は右翼ではありませんが、国旗は国旗であって寄せ書きをするものはないと単純に思います。せっかく美しい白地に赤が台無しです。君が代を替え歌で歌っているようなものです。太平洋戦争では戦地で故郷の人の寄せ書きされた日の丸を振る日本兵の写真と交錯して、日本と戦った国の年配の人たちはどう感じるでしょうか。日本人はオリンピックもかっての戦争と同じ悲壮感のある自己犠牲の思考なのかと思ったりします。考えすぎかと思いますが、昨日の朝日新聞の投書欄にも71歳の方が「日の丸に戦争連想」として同じような意見を書かれています。そういう視点は別にしても、美的感覚からも日の丸の白地は無垢でないと引き立ちません。東京オリンピックでは日の丸への寄せ書きがないすっきりした国旗が美しい応援になるよう願っています。

この夏はTVの歴史ものに触発されて唐津や大垣の写真を紹介しましたが、締めは福井県勝山市にある白山神社平泉寺です。福井市にある福井循環器病院を訪問した際に、大橋博和理事長(教室の同門で前院長)に良いところがあると連れて行ってもらいました。永平寺は有名ですが、その近くで観光客もまばらで、ひっそりとしたなかで素晴らしい杉木立と美しい苔の絨毯に目を見張りました。写真スポットとしては知る人ぞ知る、ではないでしょうか。暑さを忘れる一時でした。因みに福井循環器病院は別名福井心臓血圧センター、となっています。心臓血圧センターという名称は東京女子医科大が元祖です。心臓外科の黎明期の我が国を代表する外科医が榊原 仟先生ですが、先生は東大から東京女子医科大に行かれて心臓外科を始められた方です。50年ほど前は福井や日本海側には心臓外科の施設がなく、榊原 仟先生が福井ご出身であったことから福井の地元の方々が先生をお呼びして手術をしてもらうべく作った病院がルーツです。今や北陸地方有数の心臓血管センターになっています。ということで8月は終わりとします


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2016年8月25日木曜日

夏休み

  残暑お見舞い申し上げます。関西は相変わらず連日の猛暑が続いていて、雨も殆ど降らず、もう8月も終わりなのに秋の気配どころではありません。このままでは地球はどうなるのでしょうか。

大変ご無沙汰をしておりますが、なんとか元気にしております。ブログのネタは夏枯れといってしまえば楽ですが、何かを探す気力が薄れたのかも知れません。今年いっぱいは何とか続けてみようと思いますが、そもそもタイトルが自分に合わなくなっているのかも知れません。ということで、気楽な題材で暫く書いてみようかと思います。

ここ何年かは夏休みと言えば近場で済ましていますが、この夏は岐阜県に行ってきました。行き先は大垣城と関ヶ原古戦場跡巡りにしました。何故大垣か、ということですが、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で紹介されたからです。山本耕史(真田丸の石田三成役)とのコンビで、大垣城や関ヶ原古戦場跡、養老の焼き肉街道、など楽しく紹介していたので、真田丸のこともあって歴史探訪となりました。
関ヶ原古戦場跡は始めて行きました。東西の交通の要所であることを不破関跡で再確認しましたが、合戦上跡では光成の陣屋があった笹尾山(山というか丘の感じ)に。ここから各武将の陣屋の場所を想像したわけですが、天下分け目の合戦があったにしてはのんびりした場所でもありました。たった一日で決着がついた戦いを想像するにはあまりにのどかな気配に時代の流れと言いますか400年の歴史を感じました。
大垣城も始めて行きました。街の中心のビルが立て込んだ中に天守閣だけが復元されていました。とはいえ周囲には堀の後や屋敷跡が覗われ、歴代の城主である戸田家の記念館もあり、当時を偲びながらの散策。堀は今も運河として残されていました。TVの放送をフォローして商店街で水まんじゅう入りのかき氷で一服。大垣は松尾芭蕉の奥の細道の終点(むすびの地)でもあり立派な記念館が建っていました。その足蹠を見て驚くのは、関ヶ原古戦場跡の戦いから80年ほどして江戸から出発し、奥州、北陸道をへて大垣まで全行程2千キロを超す行程を2年ほどで踏破していることです。歩くだけでなくそれぞれの地で歌を歌い、地域の人々と交流しながらです。芭蕉は大垣に4回訪れたそうですが、ここがむすびの地となっています。芭蕉の有名な句、「夏草や兵どもが夢の跡」は平泉ですが、関ヶ原古戦の合戦場跡について芭蕉はどう読んだのか、記念館では見落としたようです。大垣では「蛤のふたみに別 行く秋そ」がありました。
焼き肉街道は通っただけですが、養老の滝は暑い中でしたがしっかり歩いて行ってきました。帰りには養老サイダーで一息。ここの水は古くから(700年ごろ)天皇が若返りの水として重宝したそうです。養老は今で言えば年寄り相手の言葉のようですが、語源的には「養」にアンチ(抗)、という意味があったのですかね。


後書き;下記は既に投稿してました。二重投稿ですいません。

ということで、関ヶ原古戦場跡、大垣巡りの紹介でした。真田丸と言えば、7月に福岡であった学会中に唐津までJRで脚を伸ばし、そこからバスで名護屋城跡も見てきました。朝鮮や明への派兵のために、この場所にこんな大きな城を作った秀吉の天下人としての力には驚嘆するものの、それ以上に負の側面が大きかったことに心が傷む感じでした。丁度終戦記念日も近く、そこに太平洋戦争にも繋がるものを感じてしまいました。




                                 


これは名護屋城跡です。