写真は夕方の市内からの大山です。かろうじて見えています。
今回の学会の懇親会でサプライズがありました。西村教授が留学先のヒューストンで面倒を見た方(心臓移植を当地で受けられた二人)と阪大の移植患者さんで植込型補助人工心臓(当時は拍動型で大きなもの)で長期待機後に移植を無事受けられた患者さん、計3人が来られていました。私にとってはサプライズで皆さん移植後15年や20年以上になりますがお元気でした。西村教授と共に私も再会を喜んだ次第です。
さて、リビングウイルですが、何故これがこの学会で話題になっているかということです。植込型補助人工心臓の普及が我が国で急速に進むなか、心臓移植への繋ぎで保険適応となっているのですが、海外では移植には向かわない、これが最終の治療手段ですよ、という選択が増えています。永久使用、Destination Therapy (DT)と言われるものです。これを日本でも進めることとなり、既に治験が始まっています。心臓移植は末期的心不全への最終治療ですが、移植適応にならない方(例えば65歳以上の心筋症)にこの補助人工心臓で社会復帰や自宅での質の高い生活を送れるようにするものです。
DTの患者さんが補助中に例えば脳梗塞や脳出血を起こし、高度の脳機能の障害を来した場合、どういう終末期の医療を行うかが問題となるわけです。DTで補助人工心臓を装着するときに、終末期をどうするか、患者さんや家族とよく相談しておかないといけません。言い換えれば、人工心臓は動いているが体はもう反応しないか死に近い状況になっても、それでは人工心臓(生命維持装置)のスイッチ(電気駆動です)を切りますから宜しいですか、とは行かないのです。癌の末期でもう延命が出来ず衰弱するなかで、栄養や人工呼吸を、多分本人はこういう延命を望まないと思うから、中止出来るかということです。
これは尊厳死や安楽死、という話しです。この二つは全然違うことでうすが、日本では尊厳死を法的に認めてもらうよう尊厳死協会(12万人が会員)が以前から国に要望していて国家議員のなかでこれを実現しようというグループもありますが、未だ法整備は実現していません。宗教団体、弁護士、障害者の団体、そして日本医師会が強硬に反対してると言うことです。
学会中の一つのセッションは、終末期医療とリビングウイルをDTでどう扱うか、で議論がありました。尊厳死の法律がないので、終末期になっても人工心臓は基本的には止められない、と言うことですが、治療前に医療スタッフ(多職種が集まる)と患者さんと家族が集まって議論し、最終的に事前指示書なるものを揃えておきなさい、というのが法律関係者のアドバイスでした。そこに記載があれば倫理委員会等の了解は要りますが、終末期医療として(人工心臓のオフ)も不可能ではない、と言うことでした。でも家族関係のどなたが後で訴えたり、医療側が疑問を呈すれば、それこそ医師側は殺人罪で訴えられるという事態も当然予想されます。
終末期医療をどうするか、延命治療を中止出来るか、はなかなか悩ましい問題です。DTが最終治療であり、その先には緩和ケアや終末期医療が出てくるわけで、これにどう対応するか医療側も良く議論し準備しておかないといけないのです。ケースバイケースで最善を尽くすのですが、少なくとも植込み前に事前指示書(終末期になったときの対応)を取っておくことが大事ということでした。
さて、尊厳死法がない状況から見て思ったことは、日本では脳死が法律で認められているではないか、ということです。臓器移植の場合、脳死での臓器提供をするかどうかで生前の意思表示、即ちリビングウイル、が必要ですし有効です。ただ、今はそれがなければ家族が代諾することが出来ますが。勿論、臓器提供でない場合はリビングウイルがあろうとなかろうと、脳死は人の死ではなく、生命維持装置を切ることは出来ません。とはいえ、リビングウイルが一部でも法的に認められている、という認識を尊厳死議論の場ではどうなっているのか気になったわけです。臓器移植でのリビングウイルがすぐに終末期医療にも繋がるとは言えませんが、このことが何か突破口になるのでは、と思ったのでここに取り上げた次第です。それは関係ないよ、という声が聞こえて来そうですが、救急医療現場で二つの死が依然として存在している問題への対応と通じるところがあると思うからです。
心臓外科医が終末期医療にも関心を待たないといけない状況が増えています。普段の診療で高齢者も多くなっていますが、高度の先進医療が普及することで尊厳死の問題も身近になって来ています。これを支える倫理問題を扱う組織や人材が周囲に必要と感じています。