関西の今年の夏は雨もほとんど降らず、連日の猛暑で終わりそうです。関東は雨の日の連続記録更新中とか、毎年のように夏には異常気象の話が出ます。それにしても、台風、大雨災害、と自然は容赦なくこの国の地形の弱みを突いてきます。人の知恵と力にも限界があるようですが、それに打ち勝つ術はまだまだわが国にはあると信じています。
毎年8月には終戦記念日がやってきて、メディアでも戦争の悲惨さ、太平洋戦争の残したもの、などの歴史を風化させない記事や特集が出ますが、今年は何かしら、とくにNHKですが、力を入れているようです。NHKスペシャル、戦慄の記録、インパール、は繰り返し放映されていますが、今回は新しい証言もあり見応えがありました。太平洋戦争における我が国の軍部(陸軍)の指導者の信じられない行動、無責任さには憤りを感じると共に、東京裁判の国内版がGHQの公職追放処置だけで、本来すべきことが欠如していたことに気が付きました。一方では、新聞などの報道が大本営の思惑通りに動かされていたことも忘れてはいけないことです。我が国今の繁栄は、太平洋戦争の多くのそれこそ無駄な犠牲によってもたらされているのかと感じます。戦争を経験した年代や幼少時に戦後の混乱を経験した世代がどんどんいなくなっていくのですから、戦争の詳細を知らない人々の時代に変わってしまって行くのです。
私は太平洋戦争が始まった年に生まれました。しかし、生地の札幌は空襲には遭わず平穏であり、小学生の途中からの大阪での生活でも悲惨さは感じられず、かえって楽しい学校生活が待っていました。半面、今となって毎年の戦争記念日特集には心が痛みます。それでも世間が振り返るのはその時だけのようです。原爆もそうで、広島は関西の小学生では修学旅行で訪問するようですが、政府要人の形式的な記念式典挨拶をみても、またメディアの世界での過去を振り返ることへの嫌悪感を匂わす記事にわが国の行く先が案じられます。毎年繰り返される政府要人の靖国参拝もしかりです。何故、国立戦没者墓地のような記念施設が出来ないのか、不思議に思っ
終戦記念の新聞記事のなかで紹介されていて読む気になった本があります。堀田江理著(人文書院)、1941決意なき開戦、現代日本の起源、です。1941は開戦の年で、上記のように私の生まれた年でもあり、興味が沸いて手に入れました。400ページになるなかなかのボリュームの本ですが、もとは米国滞在が長い著者が英語で書いたものを、後で日本語版として出されています。そもそも開戦にまつわる政治的な話は米国ではあまり知られていないことを案じて書かれたものを、改めてわが国でも読んでもらうべし、といういきさつが背景にある本です。まだ実は最後まで読みきってはいないのですが、1941年12月の真珠湾攻撃に至る日本の中枢部の意思決定やその仕組みにおいて、天皇の存在はあるにせよ、如何に無責任な人たちによって日本の運命が決まっていったことに、今更ながら憤りを禁じ得ません。松岡外相、近衛首相の無責任な言動や政策決定、米国との戦争は負けることが分かっていながら、踏みとどまれなかったいきさつが詳細に書かれています。何とか読み切りたいと思います。
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