2013年10月3日木曜日

医療費の無駄と質

       昨日のNHKクローズアップ現代は、「ムダの“見える化”で 医療の質を上げろ」で、岐阜大学医学部付属病院が取り組んでいるビッグデーター事業の紹介であった。医科歯科大の川渕孝一教授が開設で登場していた。詳細は他に譲るが、幾つか論点が浮かび上がってきたので書かせ頂く。

まず、冒頭に医療費が高騰して年間総医療費は37兆円に達していることが協調されている。10年位前は30兆円であったから、確かに急速な上昇ではある。そういう背景で、医療費の使い方にムダがあるはずで、ここを漠然とした考えでなく、データーで攻めて行こうというのが最近の世界の傾向で、岐阜大は率先してこの事業を専任の教授のもとで進めている。ここで、ムダという表現は単純に無駄なものとして切り捨てていいかはまず議論が要る。何の研究でも主たるテーマの定義がはっきりしないと結論は甘くなる。という事はさておいて、大学病院は多くの患者さんが来られ、多様な診療科があって高度医療も行われている。また、医師は自分の領域で専門性の高い先端的な医療を積極的に進めているが、診療科間の横の連絡は乏しい。従って、薬の過剰投与など、最適な治療が総合的に行われ難い状況がある。そこの調整役はいままで誰もしなかったし、しようと思っても適切な人材もそれを受け入れるポジションもなかった。そこ膨大な臨床データーを一括して管理し、そこから出てくる情報を使って医療の質の改善を目指しているのが、岐阜大である。

外科医については手術時間のことが紹介された。予定時間を延長した手術が多いのがまずやり玉に挙がってきた。そこには、手術が長くなると再手術が多いというデーターが出ていて、術前検査や手術計画をもっと適切にやったら改善する、という話であった。手術時間の延長は思ったより重症であったとうこともあるが、外科医側は手術を多くこなしたいので決められた時間枠の中に無理に予定を入れるという現実もあると思う。これは麻酔科の陣容や考え方に大きく左右される。

我が国では手術室の使用に時間当たりいくらかかっているかの基準が現実離れの安さで計算されているうえに、医師や患者さんもそうであるが、高額な医療資源(設備と人)を使って医療をしているという感覚に乏しい。ICUもしかりである。これまで医師側には周りはあまり意見がしにくかったが、データーを見せて納得させる、という方式になりつつある。

医療費の無駄と再手術については、結論の導き方に疑問がでる。とはいえ、この事業の結果、入院期間が減り、再手術率が少なくなり、手術件数も増えたのか、病院全体の利益が大幅に増加したという。素晴らしい、結果でありほかの大学病院への影響も大きいのではないか。今回の紹介は、医療費の無駄を少なくすると言う視点ではあるが、表題の質を上げる、とは直結しない危険もある。医療費削減、無駄を省け、というこことは以前から言われて実行していることであるが、返って質の低下やリスクを高める結果にもなる。そうしないためには、岐阜大のよう医療の適正化を病院全体で共有し、その基盤にビッグデーターを使うことも大事であるが、それを担当する責任ある人材の登用である。川渕教授も言われていたが、そういう人材が日本では育っていないし、一般病院では採用予算もない。診療報酬での対応も提案されていたが、大いに期待したいが、それを整備できる病院がどれだけあるのか、疑問である。また、データーベース至上主義になると種々の弊害も出てくる。管理医療、データー医療、電子カルテ医療、など患者さんの顔をも見ながらの丁寧な医療が損なわれないか。

最後ですが以下のコメントが大事です。医療費高騰と言う強力な出だしのメッセージは社会にどういう印象を与えるであろうかも考えるべきである。高騰している医療費は何処で増加しているのか、どこが無駄なのか、そこの分析を紹介しないで、一大学病院の事例から、医療費はムダが多いという印象を与えるのは本質を見損ねる恐れがある。医療不信にならないよう注意がいる。総医療費とGDP比率はどうなったのか、大学病院の医療費は全体のどの位を占めるのか、入院期間短縮は医療削減にはいいが患者さんには本当にいいのか、などなどで論点が多いテーマである。岐阜大学の外科の先生の意見を聞きたくなった。
補足:2011年のもこの番組は、「医療費のムダを減らせ、国民皆保険50年」を放送している。NHKの影響は大きいので要注意か。

2013年9月29日日曜日

産科医不足

    先日の新聞で兵庫県伊丹市の市立伊丹病院が来年4月からお産(分娩)を扱わないことになった、という記事があった。これまで年間300件のお産を扱っていた地域の中核病院であるが、4人いる産婦人科の当直できるスタッフの一人が退職するが後任のめどがつかない、と言うことである。一人減るだけでどうしてと思われるが、緊急対応もあり当直体制が組めなくなる。伊丹市の近くでは西宮市立中央病院、宝塚市民病院もこの6年位の間にお産を扱わなくなり、市立芦屋病院も既に産科は休止している。阪神間には市民病院以外に県立病院や半公的病院が幾つかあり、個人病院もあることから、産科の地域医療崩壊にはならないであろう。とはいえ産科医不足というより地方自治体病院の医師不足は依然として厳しいことを物語っている。

医師不足や地域医療の崩壊、という記事が最近は少なくなったとはいえ、産科では救急対応が遅れて救命出来なかった事例もまだ記憶に新しい。救急医療に限ると、小児科の夜間診療では大学病院や関連の自治体病院の小児科医が連携して1か所に集約して医師不足に対応している所もある。一般救急でも、断らない病院の整備が行政の主導で進みつつあるようだ。産科については、嘗て隠岐の島の一人医長であった産科医が撤退して、島ではお産ができなくなったということもあったが、今回は都市部での話でありその背景には大学病院での産科医の確保が出来なくなっているのではないかと想像される。産科はハイリスク診療であり、関係学会では、最低3名の産婦人科常勤医師がいないと公的病院では安全に運営できないとしているようだが、それもぎりぎりで、10名近くの常勤医がいる病院にお産は集約しないといけないという意見もある。

自治体病院の多くは大学医学部からの医師派遣に頼っている。大学の医局(古い言葉であるが、まだ現実的に残っている)が若い医師を集めていた時代は良かったが、2004年の臨床研修制度開始でもって卒後2年間は厚労省主導で各地の指定病院に勤務することが義務付けられた。その結果、それまで卒業したらほとんどが大学のどこかの医局に入っていた構図が崩れ、大学医局から若い医師がいなくなってしまったのがきっかけである。地域の第一線病院や自治体病院から医師の大学医局への引き上げ現象が起こり、その構図がまだ続いている。その中で、産婦人科は医師不足が厳しい状況が続いている。

医師不足については全体数と偏在の二つの問題が背景にあるといえる。また、偏在といっても、専門性での偏りと地域の問題、さらに勤務医と開業医のバランスもある。専門性では、労働環境や医療訴訟リスクなどが若い医師が将来の専門分野を選択する上で影響し、外科や産科が敬遠される原因となっている。Quality of Lifeは患者さんに対する医療上の言葉であるが、最近は医師にも当てはめられている。自分の生活を犠牲にして献身的に患者さんを診なさい、といっても通らない時代となった。労働環境が悪いと医療ミスも起こり易いことも理解されてきた。米国でも医学部卒業生が将来の専門分野を選ぶ時に、自分の生活がコントロールできる科とそうでない科に分けて、前者への希望者が多いという結果を10年位前であるが学術誌に出ていた。外科や産科はコントロールできない代表である。

さて、産科については医師数がどんどん減っているというわけではなく(補足で説明します)、恐らく勤務医がなかなか増えないことが問題であると思われる。勤務医が個人病院やクリニックの産科に移っている数と、大学の産科医局に入ってくる数の均衡が崩れているのではと想像される。先の市民病院でも4-5人の医師で当直やお産の緊急対応をすることに限界があり、何年かは(10年とかそれ以上)使命感を持って、家庭を犠牲にして頑張っているうちに「燃え尽き症候群」になっていくのではないか。

日本産科婦人科学会は卒後3年目からの4-5年間の専門医の研修を行い、優れた若い産婦人科医を育ててきている。毎年の専門医資格取得者の数をみると、ここ何年かは年300人位(昨年は400名位)である。専門医資格をとらないで病院や大学で診療をするのは難しいことから、毎年の新人は300人程度という事になる。因みに外科専門医は毎年800人程でありまだ多いようであるが、その先に幾つかの専門分野に分かれるので決して十分ではない。産婦人科でも将来は産科と婦人科に分かれるから、毎年の新人が300人ではとても回らない。80いくつの大学医局に残るのが毎年せいぜい3-4人、あるいはゼロから数人、ではいくつもある関連病院の人事は到底できない計算である。といって、どこの診療科の専門医取得者が多いから、何らかの方法で調整したらというが、そういう仕組みにはならない。其々の診療科や大学医局が若い医師にとって魅力あるものにすること以外には方法はない。

とはいえ、専門医制度の仕組みが新しくなろうとしていて、厚労省は医師の専門性や地域性の偏在をなんとかこの機会に改善してほしいという意向である。しかし、医師側は筋が違うし専門性選択の自由は行政でどうこうするものではないとして、抵抗している。とはいえ、分野毎の専門医数にある程度の適切な数を設定し、トレーニングできる枠を決めてはと言う考えもある。米国では医師の最初の5-6年の研修は国や医療界が面倒見るべきとして、医療費の支払い側(保険機構)がレジデント(日本の後期研修医)のサラリーを負担している。一方我が国ではその病院が若い修練中の医師の給料を勤務医枠内で工面している。仕事をさせながら教育もついでにしている、ということになる。とはいえ、専門分野の選択を医師の好き勝手に任していれば社会は黙っていないであろうし、余り偏れば自己破綻につながるであろう。この辺りをうまくバランスをとりながら新たな専門医制度が進んでいけばいいと思っているがどうなるか。

2004年の新臨床研修制度の話に戻ると、時の厚生省は医師の偏在や地位医療の崩壊は大学医局が若い医師の人事権を持っているからであり、その是正のために医学部卒業生をそれまでの大学医局から離して地域の一般病院に多く行かせるという考えであった。その結果、確かに大学で研修する人数は大幅に減ったが、地域への医師配分には効果はほとんどなく、返って大学が医師引き上げを行って現場の混乱を生じてしまったのである。新たな専門医制度もその二の舞にならないようにしないといけない。

産科医療にせよ、救急医療にせよ、何年経っても問題の解決にはなっていないのは何故なのか。医師側も、開業医主体の日本医師会と大学や病院の勤務医が合いよらないと解決の道も見えて来ないのではないか。日本の医療レベルは素晴らしいが、医療提供体制や若手の教育制度ではかなりの問題がある。この辺りの課題には色々な分析があり、原因や背景ははっきりしているが、どうしたらいいのかの決断が出来ないまま来ているようだ。私立伊丹病院が産科の取り扱いを来年度も継続、というニュースが流れることを願っている。

補足:産科医の数については少し誤解を招くような内容でしたので、修正しまします。千葉大学医学部産婦人科教室生水真紀夫教授のHPでのコラム、2008年ですが、参考になります。雑誌「医学の歩み」( 224(12):942-945, 2008)に投稿されたものですが、厚労省の統計上、平成6年から18年で全体の医師数は15%増加しているのに対し、産婦人科医は12%減でした。平成18年にはそれまでの1万数千人から9500人へとかなり減っています。また、産婦人科学会入会者は平成16年にそれまで約350人程度であったのが18年には280人と減少。これは新臨床研修制度の影響です。この後は、入会者ではなく専門医資格取得者についてですが、300人程度で維持していることは本文で紹介しました。

 

2013年9月22日日曜日

熊本城で中秋の名月鑑賞


ご無沙汰しておりますが、早いもので明日はもう秋分の日です。2週間ほど何とはなしに過ぎてしまったようです。今年は秋の訪れが遅く、まだ結構暑い日が続いています。先週は台風18号が関西にも襲ってきて、京都の桂川の氾濫で嵐山の観光地が水に浸かったり、大雨の被害が各地で発生しています。さらに突風や竜巻などもありました。これまでに経験したことのない大雨といった異常気象警報が少なくありません。昨年、台風21号が和歌山県に甚大な被害をもたらしたのも9月上旬であったと思います。学長ブログに書いたことを思い出しますが、自分が小学校のころには二百十日、9月1日だったと思いますが、台風シーズでその備えを学校で聞いたことを覚えています。最近は台風も8月中か9月中旬に多いのか、二百十日という言葉は耳にしなくなったようです。今日はまたも3連休の中日ですが、昼間は夏日の様な暑さで、秋の気配はまだまだ感じられません。

とはいえ、先日15日は彼岸の入り、15夜で、熊本城の中で素晴らしい中秋の名月を拝むことが出来ました。日本列島が好天に恵まれ、各地で楽しいお月見ができたのでは思いますが、私は熊本で楽しみました。日本心臓病学会の前夜祭が日が暮れてから熊本城の歴史ある広場、奉行丸広場、で行われました。ライトアップされたお城と名月のコンビネーションが素晴らしかったです。ところで中秋の名月が満月となるのは次回は8年後らしいです。

心臓病学会は心臓内科のドクターや看護師、リハ、超音波検査、などの多職種が集まる学会で、心音図や地超音波診断がメインでしたが、今は広く臨床心臓病に関した現場からの発表や教育講演が多くみられます。Clinical Cardiologyという英文名からもその趣旨が分かります。私は特に約はなかったのですが、数年ぶりに出かけてきました。外科医は少なく、セッションも限られていましたが、心臓移植や補助心臓の特別セッションもあり、また最近注目のカテーテルで大動脈弁を治療する方法のパネルもあったりして、1日半しかいませんでしたが、それなりに楽しんできました。

今日紹介するのは、TAVI とかTAVRと言われる経カテーテル大動脈弁植え込みや置換術です。心臓手術、特に心臓の中の弁を変えたり修復する手術は、人工心肺を使ったり、心臓を止めたり、と多くは侵襲的であり、合併所も少なくないところから、最近は低侵襲アプローチが進んでいます。高齢者や透析患者さんでは心臓の出口にある大動脈弁が石灰化で狭くなり、心不全や突然死をきたします。最近は高齢者でこの病気が見つかることが多いのですが、80歳や90歳となると手術の危険率は高くなります。こういうなかで、胸を開かないで、大腿部や小さな傷で、カテーテルで治す方法が登場し、欧州では大変ない勢いで広まっています。既に7000例*に行われたとも言われています。これはカテーテル(シース)の中に萎めて入れられるステント付の生体弁があって、カテーテルを大動脈弁まで進めてそこで元の狭い弁を風船で広げ、その後に新しい弁をカテーテル(シース)から押し出して置いてくる、というものです。レントゲンの透視下に行います。ハイブリッド手術室という数億円もする設備と場所が要ります。カテーテル技術やいざという時には外科手術に切りかえられるような体制も要りますし、講習を受けた施設と医師でないと出来ないようになっています。何処でもできるものではないのですが、この秋から保険償還されるとのことですから、次第に広まっていくでしょう。

今日の紹介は実はこれからが大事なのですが、長くなってきたので簡単にします。このカテーテルによる大動脈弁置換は大変魅力的で高齢者で手術が困難な方にはいい方法でしょうが、今回の発表で分かったのは結構厳しい合併症があるという事です。高齢者やハイリスクで片づけられないものであるという印象です。大動脈弁を無理に広げることから、外に石灰化した塊が飛び出したり、冠動脈口を塞いだり、出血や緊急に外科手術が必要であったり、10%にはペースメーカーが必要になるなどです。それより、結構な頻度で植えた弁の周りの漏れがあることです。外科手術では到底ほっておけないものが、まあこれくらいなら耐えられるか、という不完全な状態で終わっているケースが結構あるようでした。

長年にわたり外科手術で大動脈弁を手術してきたものとして、大歓迎とは言えないし、低侵襲といえかえってリスクが高くなるのではと、思ったりして帰ってきました。一方では、補助人工心臓は移植適応でない高齢者にも適応するのか、という話題も別のところでありました。補助人工心臓も緩和医療と重なってくる、という話題もありました。心臓病でも高齢者をどうするかがこれからの大きな課題のようでした。
余り推敲できていない荒い内容ですが、お許し下さい.

 下の絵はTAVIのシェーマです。Webからのものです。風船で膨らませた状態の絵で、これから風船を萎ませてカテーテルを抜いてきます。右は左室心尖からの方法。
 * 70,000例でした。




月の写真はぶれていますが、雰囲気だけでも。

2013年9月9日月曜日

日本移植学会で

    先週は京都宝が池の国際会館で、アジア移植学会と日本移植学会が合同開催で行われました。会長はアジアが高原阪大教授(腎移植)後者は澤教授(阪大心臓血管外科)で共に阪大であり、言い換えると阪大の移植関係者の合同開催と言ってもいいでしょう。アジアの方は週の前半で、大雨や天候不順で海外からの出席者には気の毒でしたが、後半は天気も回復し日本移植学会は盛会に終わったことは母教室関係のものとして良かったと思います。アジアかも沢山来られていましたが、各国の臓器移植の現状が良く分かり、どうしたら脳死(死後)の臓器提供が進むかが議論になっていました。といっても、宗教や国民性で欧米に遅れていた脳死臓器提供も、各国は国が制度を作り後押しをして随分成果を上げていました。その中で、我が国は依然として後進国で、ここ数年提供が増えているとはいえ、桁違いの差に改めて根本的な対策が必要と思いました。韓国は宗教的な背景が異なるとはいえ、最近は年間400例に達する脳死での臓器提供があり、心臓移植も年間100例近くまで増やしています。日本がいまだに年間50例弱の臓器提供に比べると大きな差があります。臓器提供の比較では、人口100万人当たりの数が出ますが、世界トップのスペインが約30、欧米では少なくとも10を超えています韓国は数年前の8から今は10に近くなっていますが、日本は1にも満たない状況です(0.3-0.4)。  
   一方、肝臓移植では生体肝移植が米国や海外ではドナーの死亡例があったりして、減少傾向にあることも分かりました。日本は依然として肝移植は生体に依存していますが、生体肝移植数は減少傾向(日本で年間500が400程度)にあることも示されました。心臓移植は脳死移植しかないのですが、我が国の脳死臓器提供は人口や待機者数を考えても、年間500例、少なくとも数百例はあって欲しいと思います。どうしたいいのか、これでいいのか、何故か、など討論が盛んに行われましたが、学会は議論だけではなく具体策を実行をすべきと思います。
     さて、私は今度の日本移植学会で、会長の澤教授の会長講演の司会と、特別企画の「脳死移植の歩み」、という所での出番でした。最初の法律が出来てからの心臓と肝臓の最初の症例の話を紹介しろ、というものです。心臓は私、肝臓は当時信州大、現在は順天堂大の川崎誠冶教授が演者でした。今さら再開例は、という昔話はさておいて、今何をすべきかを主に喋らせてもらいました。今のドナーの数では到底移植医療は成り立たないから、移植学会は奮起してほしい、というメッセージでした。一方、補助人工心臓は心臓移植には無くてはならない存在ですが、その適応や今後の展開についても普段考えていることを述べさせてもらいました。人工臓器も再生医療もこれから大事ですが、共に臓器移植を基盤にして発展するものであり、また存在するものであり、ドナー不足をまず解消する努力をしてほしい、という内容でした。会長の再開例をもう一度若い人に知ってもらうという意向とは異なったかもしれませんが、普段考えていることを聞いていただけたと思っています。 
    この学会は、数年前からですが、看護師の方の参加が増えています。これは移植コーディネーター制度が定着してきた証拠と思います。設立に関与した者として嬉しいことです。学会では看護系セッションも結構あり、その中の一つに阪大関係の発表と心肺移植の術後の患者さんの発表もあったので聞きに行ってきました。ミニ口演で、討論時間はあまりないのですが、フロアーからあまり質問もないので、というか対象が移植施設に限るのでしょうがないところもあるのですが、少しコメントと質問をしてきました。一つは、心臓移植と心臓リハについての東大病院理学療法士の方の発表であり、もうひとつは阪大移植医療部移植コーディネーターの心肺移植待機患者ケアの発表でした。何か、参考というか刺激になればと思ってのコメントでした。まだまだ話題は多いのですが、私の印象に残ったことを主に紹介しました。
     昨日、2020年のオリンピック開催地が東京に決まって日本中が湧いていました。本当に良かったと思います。決まると決まらないでは、日本の国際的信頼、わが国の経済発展、国民生活、そして震災復興、なかでも福島の汚染問題、に大きな影響が及ぶからです。原発汚染問題もオリンピック準備もこれからスタートでしょうが、皆で支えるのが大事でしょう。まあ、これで政治や経済の東京一極集中が益々進むのでしょうが、大阪とか関西はどうなるのか、という思いもあります。科学で頑張りますか。

 図の説明 左は我が国の脳死臓器提供の推移 法律が変わって増えているが年間50例に至ってていない。




  韓国の脳死下臓器提供数の推移 折れ線は提供総数、棒グラフは心臓移植数。

2013年8月30日金曜日

 理学療法士のプロフェッショナル

    最近リハ関係の皆様と懇談する機会が増えています。兵庫医療大学で理学療法士や作業療法士の先生方と一緒に大学作りと学部教育を考えてきたお蔭です。なかでも、心不全と理学療法、運度療法、というテーマは植込み型補助人工心臓が広まってきたせいか旬になってきているようです。先の仙台での心臓リハ学会の話もそうです。

一方では、専門職の生涯教育についても意見交換ができる機会が増えています。それは、私が医師の専門医制度に関わっているからと思います。日本専門医制評価・認定機構の中で、今行われようとしている改革でのプログラム認定についての指針を纏めたりしています。専門医制度も変わりますが、この流れは他の専門職者の国家資格の後の認定や専門認定へ影響を及ぼすのではという事もあると思います。

先週末は奈良県にある畿央大学に行ってきました。この大学は今年で開学10周年を迎え、健康科学部理学療法学科の開設記念講演会があって、そこに呼ばれていました。庄本学科長は住吉高校の同窓の関係でもあります。この学部は、4年生の理学療法学科としては関西初で、兵庫医療大学開設準備では見学させてもらった経緯もあります。記念講演会での基調講演でしたが、タイトルは、「プロフェッショナルとしての理学療法士への処方箋」でした。なかなか難しい要望であったあったのですが、何とか話を纏めてきました。

詳しい内容は省きますが、プロフェッショナルという視点からは、認定制度や専門資格制度への考えを、医師の専門医制度に絡めて提言しました。その骨子は、①認定士にせよ専門士にせよある程度数がないと力にならない、②卒後教育(生涯教育)でのコンピテンシー手法の導入、でありました。後者は、私自身未だ十分理解出来ていないのですが、米国の医師や看護師の生涯教育・認定制度で今や根幹になってきている考えと思われます。もともとコンピテンシー理論や方法は、企業や会社での人事管理や人事考課、採用、評価、で使われてきたもので、成果達成能力、とも言われます。従来の知識や経験でみる通り一遍の能力評価とは次元が違うものであります。ダイナミックな要素が入っています。知っているだけではなく、どう活用し、成果が上げられる能力があるか、doが問われるものであります。米国では医療関係の専門職教育に活用されています。我々は、これまでGIO やSBOとして扱ってきたものですが、内容は同じとしても、コンピテンシーは成果主義(outcome-based)とも言えます。

コア・コンピテンシーとサブのコンピテンシーに分かれ、主なドメインと呼ばれるコア・コンピテンシーは5つくらいあっても、サブはそれぞれの場で可成りの数が上げられています。其々についての到達目標があるわけです。従来皆が現場で何となく漠然とした中でやってきたことを、成果がうなる、という視点が整理されてきたようです。システム作りに大事になってくるものでしょう。

米国では、看護師の上級資格取得の制度で盛んに宣伝され、日本の看護の大学院の先生方が取り入れているようです。米国の医師専門医制度は30年かけて素晴らしいものにしていますが、1999年になって、教育の仕組みと評価制度において、以下の6つのコンピテンシーを掲げて成果を上げています。

    1. Patient care                                                       患者のケアー
     2. Medical knowledge                                            医学知識
 
    3.  Practice-based learning and improvement            実務経験
    4. Interpersonal and communication skills         コミュニケーション
          5. Professionalism                                                        専門性

   6. System-based practice                  医療システムの中の活動

さらに今年からは、4つに絞って、Milestoneという名称で、段階的に評価(教育する側とされる側の両方です)する方式が始まっています。我が国の専門医制度改革でも取り入れるべきものではないかと思っています。

このコンピテンシーという考え方を、理学療法士の生涯教育の場でも採用していくのが、プロフェッショナルとして社会から認められる一つの大事な道ではないか、という話をさせてもらいました。処方箋になったどうか分かりませんが、皆さんがどういう反応をされたか、また聞かせてもらうつもりです。

ということで、今日はこの位にします。 8月も終わりですね。体調管理に気を付けてください。私は、熱中症のリスクを避けて、この夏の自転車はほどほどにしていますが、体がなまってきたでそろそろしっかり走ろうかと思っています。

2013年8月21日水曜日

心臓移植 対 長期機械的補助:臨床的均衡?

  関西では連日暑い日が続いています。北海道・東北地方では集中的な雨の被害も出ていますし、鹿児島では桜島の爆発的噴火もあり、夏の終わりといえ落ち着かない毎日です。
 さて、今日は抄読会です。会員になっている内外の学会の学術誌が手元にまだ結構の数が送られてきますが、そのままゴミ箱行きか本棚へとなるのですが、数は少ないですがパラパラと中を見るものもあります。今日は夏休み気分でもあり、珍しく中身を見ていてこれは読まないといけないというものが出てきました。雑誌は欧州心臓胸部外科学会誌(European Journal of Cardio-Thoracic Surgery)です。欧州はかっては其々の臨床分野で各国が雑誌を持ち、自国語で学会をやっていたのですが、今は雑誌も学会も英語で統一し、米国に負けるものかという勢いです。その一つがこの雑誌ですが、Editorial(論説) に心臓移植と補助人工心臓の二つが載っていました。特に前者でびっくりしたのは、著者がSara Shumway(サラ シャムウェイ)とあります。そうです、心臓移植のゴッドファーザーでもあったスタンフォード大学のNorman Shumway教授のお嬢さんです。心臓外科医になっておられ、心臓移植にも関わっておられて、今はミネソタ大学の心臓胸部外科におられます。
さて、タイトルが表題のものです(日本語にしています)。心臓移植対植込み型補助人工心臓(VAD)という議論は最近よく出てきます。植込みVADの進歩、特に米国での永久使用(Destination Therapy) が登場して以来、心臓移植に代わる治療法か、心臓移植はどうなる、といったことが討論のテーマになったりしています。日本では移植が少なく、最近はもうVADが取って代わっていいのでは、という意見を言う方もおられます。米国は心臓移植が年間2000例をコンスタントに実施していながら、VADの登場で心不全治療のパラダイムが変ろうしています。この雑誌のもう一つの論説は人工心臓ですが、今日はシャムウェイ先生の内容を紹介します。
まず、副題の臨床的均衡は英語の元のタイトルでは、clinical equipoise? です。この言葉は実は恥ずかしながら私にはなじみが薄かったのですが、プラセボ(偽薬)を使った臨床試験において、被検者の立場を守りながら科学的データーを作っていくときの倫理の話のようです。プラセボや従来の治療を対照として、新たな治療や薬の効果を調べるには、無作為比較臨床試験(ランダム化臨床試験、RCT)として、被検者に恣意的に一方の選択肢に入れることがないようにしています。ここでプラセボとか古い治療など、被検者にほとんどメリットがない選択肢があるのは倫理的におかしい、という議論が続いています。RCTに参加する方のメリットは個人的にはなく、母団のメリットへの参加にしかならないのです。ということで、対照(コントロール)として何を選ぶかが大事になってきています。被検者の「最善の治療を受ける権利」を守るのか、集団の理論(統計学)が優先するのか、ジレンマが何時も出て来ます。二つの選択肢が倫理的に同等(均衡)であるかは判断が難しいわけです。
これを理論的にサポートしようとしているのが、1987年にFreedmanが提唱した「clinical equipoise」とされています。東京医科歯科大学の津谷先生の解説によれば、臨床試験で二つの新しい治療を比べる場合に、理論上それらが同等であると証明するのは困難であるが、その臨床試験をするコミュにティーの中でどちらが劣っているかの意見が分かれるような場合、臨床上の均衡clinical equipoise があるとして、その場合はRCTを行ってもいい、というものです。そのためには、両者の科学的データーをしっかり漏れなく集めるという、システマティック・レビュー、をして、エビデンスの現状を理解し、正確に評価する必要があり、これをコクラン共同計画、と言うそうです。高いエビデンスを作るためにはまず現状を厳しくレビューして、臨床試験に臨ことが求められて要るわけです。
肝心の論説の内容に行く前に統計学のお勉強をしてしまいしたが、シャムウェイ先生はまさに両者(移植とVAD)の信頼出来るエビデンスを紹介しています。要点のみを紹介します。最近の心臓移植のデーターでは、九万人以上の患者の中間生存年は10年(生存者が半数になるのが10年)で、1年まで生存していれば63%が10年、27%が20年生きるチャンスがある、というデーターも出ています。植込み型VADの成績は向上しているが、長期成績はまだ十分ではなく、安定した状態で植え込んだ場合には1年と2年の生存率はそれぞれ88% と80%であります。移植や植え込み後の年間死亡率は移植で6%以下、VADでは10%以下、とまだまだVADの長期管理は難しい状況に見えます。その他、医療費(費用対効果)の報告も出てきていて、これからより長期で移植とどう違うかが求められるが、両者ともかなりのコストになっているのは事実です。
各々の治療の現在での課題として、移植では悪性腫瘍の発生、慢性拒絶、感染、などまだ克服されていないものが多くあり、一方のVADでは適切な抗凝固療法が課題で、血栓症やドライブラインの感染、脳梗塞などを克服する必要があります。ただ、年齢がいった患者さんは、移植は若い人にチャンスを与え、VADがいいとも言っています。
これ以上の詳細は省きますがclinical equipoiseという視点では、心臓移植は末期的心不全の治療手段としゴールデンスタンダードに変わりはないが、ドナー不足が問題である、と指摘しています。この二つは均衡していないということでしょうか。最後にはドナー不足解消には、mandatory donation(義務的提供)が助けになるであろう、しています。家族の同意が得にくいわが国でも考えないといけないことでありましょう。なお、筆者はこれだけしっかりオーバービューをしながら、両者のRCTをしろとは言っていないのです。これだけデーターがるから、それらをよく見て適応を考えるように、ということでしょうか。
 一人抄読会みたいで、長くなってすいません。暑さが続く中で面白い話題ではなかったかもしれませんが、最後まで読んでいただき、感謝です。 暑い夏ですが、もう少し辛抱して乗り切りましょう。

参考文献 
Shumway S. Heart transplantation vs long-term mechanical assist device: clinical equipoise? European J Cardio-Thoracic Surgery  2013;44:195-197
Freedman B. Equipoise and the ethics of clinical research. N Eng J Med. 1987; 317:141-145
津谷喜一郎. Evidenceと臨床試験 (I. レクチャーシリーズ). 日本産科婦人科學會雜誌 1999; 51(9): "N-223"-"N-227"

2013年8月11日日曜日

小児の臓器提供、3例目


立秋が過ぎても猛暑が続いていますが如何お過ごしですか。お盆休み体制に入って世の中何かせわしない雰囲気です。高校野球と世界陸上が始まって、また楽しいドラマが見られそうです。

 さて、少し話題が途切れていましたがここ数日の新聞記事で目についたのは、小児の臓器提供です。二つありました。一つは1週間ほど前でしたか、オーストラリアでご自分の小さなお子さんが脳死となり、臓器提供をされたお母さんの記事です。その前に海外でご自分の子供さんの臓器提供をしたことを日本に帰られて(一時帰国?)お話されたています。先日の記事はその後日談です。ご自分の経験を公表された後、ネットで随分ひどい目に会われたそうです。プールに落ちたのは親の責任とか、心臓が動いているのに臓器をとることを認めるとは、とか大変次元の低いというか人の心まで攻撃するいわゆる書き込み(?)があったそうです。ネットでの中傷や誹謗はどこかの他の国の話かと思っていましたが、身近でこんな情けない、民度が問われることが起こっていることに驚きました。どうして人の善意を理解しようとしないのか、心の問題に踏み込んでくるのか、脳死への誤解、ネットやマスコミの怖さ、など臓器移植に関わって来たものとして気が重くなりました。脳死は医学的事象であり、死亡とするか(法的脳死判定を受けるかどうか)は家族に委ねられている訳です。決して強制ではなく、そこには説得もないことを広く知って欲しいと思います。

 とういう中で、先日長崎大学病院で15歳未満の女児(10歳以上だそうです)からの脳死での臓器提供が行われるという記事です。法律が改正され15歳未満の子供さんで法的脳死判定が家族の承諾で出来るようになって3例目です。富山大では6歳未満でしたが、今回は小学生か中学生でしょう。生前、自分は臓器提供に前向きな話を家族に話されていたそうです。後のニュースで順調に移植が行われたようですし、心臓移植も東大病院で無事行われたとあります。関係者の方々のご努力に感謝しますが、何よりご遺族の皆様の決断に敬意を表します。

 ここで、九州での臓器移植について少し紹介します。今の制度では、日本国内どこで提供があっても、全国を一つの地区とし、臓器の配分は日本移植ネットワークが登録患者さんの適合要件や待機期間などで決めるわけで、九州地区の待機患者さんが優先される訳ではありません。ただ、腎臓は二つあるので、一つはその地区に優先されます。今回も、腎臓の一つは長崎の国立病院で移植されています。他の臓器ではこういう仕組みはありません。一方、心臓と肺では九州地区で移植できる病院は、心臓は九州大学のみで、肺は長崎大学と福岡大学の二つです。今回、肺は東北大学で行われました。米国や欧州では国が広いので地域ごとの優先が行われていますが、日本はそういう状況には至っていません。それは待機患者への公平な配分、待つ方の権利に関わり、例えば今回で長崎大学の肺移植待機患者さんに肺の移植をすると、全国の他の待機患者さんを飛び越えるということになり、それこそ大変なことになります。臓器の取り合いみたいになり、ここはネットワークのなかで決めないと移植医療そのものの信頼が無くなりますし、やろうと思っても出来るわけでもありません。ただ、遠方への移送で時間がかかり臓器の障害が心配されるときは、結果として近くの移植施設での実施もないわけではありません。しかし、その場合もあくまでルールに則って行われるということです。

 なぜこの話を持ち出したかといいますと、先般、小児心臓移植の実施施設の追加認定の会議がありました。小児の心臓移植を実施できる施設は、東から、東大病院、阪大病院、国立循環器病研究センターの三つです。岡山大学病院も九州大学病院も大人だけで認められています。数年来、この小児心臓移植施設の拡大を関係学会で行ってきましたが、先月やっと結論が出ました。東京女子医大と九州大の申請があったのですが、東京女子医大だけが認められました。九州大学は福岡こども病院と連携した申請でしたが、残念ながら今回は認められませんでした。九州地区で小児心臓移植施設を認めることで、九州地区での臓器提供にも後押しとなると期待されていたのですが、個人的には大変残念に思っています。ドナー状況がまだ少ないなかで施設を増やす意味とか、成績の維持、とかの議論があるようですが、これもどちらが先かの話であると思います。とはいえ、沢山の待機患者さんが待つ中で、後発の施設の待機患者さんはどうしても順番が遅れることから、北海道大学も岡山大学もまだ心臓移植が出来ていない状況です。

 小児の臓器提供はまだまだ超えないといけない壁がありますが、徐々にでも進んでくるでしょうし、一人ひとりの提供者とその家族への温かい気配りを大事にすることが求められます。