2017年5月30日火曜日

DNAR(DNR), 蘇生術をしないということの誤解。


 最近の循環器系診療においては他疾患と同様に高齢者にどう向き合うかが課題である。先進的な治療法、特に低侵襲手術の普及に加えてデバイス治療(体内植込み型医療機器)の発展も急速に進んでいて、日々治療法の選択において苦慮する場面が多くなっている。高齢者の循環器医療では心臓発作、なかでも心停止での来院や経過中の心停止発生は少なくない。これはある意味で終末期医療に関連することである。
また、補助人工心臓の普及と高齢者の問題は323日の投稿で少し触れさせてもらった。補助人工心臓植込み後に脳障害を来してしまった症例への対応では、別の意味での終末期医療が待ち構えている。薬や治療の中止や軽減などの緩和対応は補助人工心臓患者さんでは難しい。それは心臓の代わりの人工ポンプは電気と機械で駆動しているので、電源が入っている限り打ち続ける(働き続けるが正しい)ということで、これまでなかった事態が出てくる。
そういう中で、循環器救急医療に関係する学会関係の動きで注目されるものがある。今回は日本集中治療医学会[ICU学会]の話題にさせてもらう。それは、DNARである。
DNARとは(Do not Attempt Resuscitation) の略で、心停止時に心肺蘇生(cardiopulmonary resuscitation, CPR) を試みない(行わない)ことを意味する。一般にはDNR(Do Not Resuscitate 心肺蘇生をしない)として知られているが、そこに潜在する救急医療や医療倫理での問題に正面から取り組んでこなかった我が国の事情があるようだ。特に救急現場でのDNR,治療撤退、の判断は現場任せである。このことは、最近の医学界新聞(3224 , 2017/5/22) に詳しく記載されているので、そこからのエッセンスをピックアップし紹介する。

前段では、米国医師会(医学会)が1991年に公表した指針で、「DNARは医師のみならず関連するすべての者がその妥当性を繰り返して評価すべきであり、心停止時のCPR以外の治療内容に影響を与えてはいけない」というものである。なお、DNARは当初はDNR(Do Not Resuscitate 心肺蘇生をしない)とされていたものである(我が国では一般にDNRとして使われている)。
DNAR( DNR)は心肺蘇生(CPR)を試みない、即ち、高齢者や活動性の悪い患者さんなど予後不良と判断される場合には心肺停止時に胸骨圧迫や人工呼吸はやめましょう、というものである。しかし、そこには、CPR以外のICU入室や薬剤、点滴、などをDNAR指示により自動的にこれらを不開始、差し控え、中止すべきではない、ということである。救命延命処置すべてを放棄するものではないということである。我が国ではDNRが一般臨床に導入されて30年以上になるが、この背景が理解されず、蘇生措置を最大限行うことの弊害を考えて、しない選択も大事ということになったように私は思っていた。加えて、裁判事例では終末期医療で人工呼吸中止の是非に法律論が強く出て、その本来の趣旨が理解されないまま、危険な世界には入らないという風潮が強くなったように思われる。しかし、集中治療関係の医師は、心停止時に即断でDNARと判断し、その結果安易な終末期医療が実践され、本来すべき究明の努力が放棄されているという危惧が持たれていた。なお、現場の調査では、心停止時に救命措置を行わないとする判断根拠には、高齢、日常の活動低下、認知症、身寄りがない、寝たきり、などである。なお、これは入院治療中の患者さんないし家族がサインするDNRとは違って、そういう意思表示が前もってない緊急の患者さんが対象と理解される。(後述;これは私の誤解で、まさに入院患者さんのことが想定されていて、事前指示でDNRが記載されている場合が主な想定場面です。)
さて、今回、日本集中治療医学会が出した勧告(DNAR指示のあり方についての勧告)の要旨を紹介する。
1)     DNARの指示(担当医が出す)は心停止時のみに有効である。心肺蘇生不開始以外は集中治療室入室を含め通常の医療・看護については別に議論すべきである。自動的にその他の措置や治療を差し控えてはいけない。
2)     DNAR指示と終末期医療は同義ではない。それぞれ別個に行う。
3)     DNAR指示にかかわる合意形成は終末期医療ガイドライン(厚労省)に準じて行うべきである。
4)     DNARの指示の妥当性を患者と医療ケアチームが繰り返して話し合い評価すべきである。(皆で学習し、自己点検して改善していく)
5)     部分DNARは行うべきではない。心肺蘇生手段の一部のみ行うが他はしない(胸骨圧迫は行うが気管内挿管は行わない)、といったことは理念に反する。
6)     米国で使用され我が国で日本語版が出ている、生命維持治療における医師の指示(POLST)について。内容にDNARを含んでいるが、日本臨床倫理学会が作成しているもので、これに準拠して行うべきではない。我が国の急性期医療では合意形成がない。
7)     DNAR指示の実践を行う施設は、臨床倫理を扱う独立した病院倫理委員会を設置するよう推奨する。なお、学会の調査では671.%の施設が設置しているとのことである。
最後のコメントで、この学会では「法的制裁をおそれるあまりに患者の尊厳を無視した延命治療が行われていないか」という問いに対しての回答を模索し、2014年に3学会(日本集中治療医学会、日本救急医学会、日本循環器学会)からの、救急・集中治療における終末期医療に関するガイドラインを出していている。その過程で、尊厳死、延命医療拒否の錦の御旗のもとに救命の努力が放棄されているのでは、との危惧があると問いかけたが、これが現実のものになっている、というのがこのアナウンスの背景にあるようだ。
なお、1)2)について、緊急時にあって、そこまで議論や判断がチームで出来るかは率直な疑問である。

以上、この心肺蘇生をするな(DNAR)は今さらであるが複雑な問題を提起している。この勧告は現在の複雑な医療現場でどう活用されるのか。これまで施設の担当医の判断で心肺蘇生を行っていなかった症例が、数年後にはどう変化していくのか。救命率とともに終末期医療となった症例がどのくらいになったか、フォローが必要であろう。尊厳死が認められていない状況で、補助人工心臓での緩和医療も法的なところで行き詰ってしまう。超高齢者の心筋梗塞や大動脈瘤破裂、が頻繁にくる循環器急性期医療での対応はどうなるか。この勧告にそって治療をすることに家族は納得しても、施設側はその後のケア、医療費、など問題が降りかかる。施設の倫理委員会で対応しても、今の我が国の医療の現場、医療構造、健康保健制度、では医療者や医療施設に負担が増える。スタッフの疲弊にもなるリスクがある。医療体制では救急医療とそのバックアップ体制が整備されないと、基幹施設での負担増が起こりはしないか、危惧されるところである。また、心停止例での救命措置の結果、歩いて退院できる、ないし自己管理が出来るようになる基本条件、即ちガイドライン等にある治療選択肢への信頼と実践なくしては進まない話であることは当然である。

諸刃の剣にならないようにするにはどうしたらいいか、というのが私の老婆心的感想である。

補足:最初は外来の緊急治療室での話で入りましたが、本題は病棟やICUにいる患者さんへの対応が主であったようです。補足説明しておきます。

日本集中治療医学会HP
http://www.jsicm.org/news-detail.html?id=7

参考になるもの
http://www.jikeimasuika.jp/icu_st/170314.pdf

2017年5月17日水曜日

成人先天性心疾患と心臓移植


 5月初めの大型連休も済んで世の中も落ち着いてきて、気候も爽やかな日が続いています。とはいえ、北朝鮮のミサイル発射、憲法改正、沖縄本土復帰45年、センター入試の改革、高齢者の自動車事故、などなど無視できないニュースが続いていて騒がしい所も相変わらずです。
さて、今日の話題は成人先天性心疾患です。生まれつきの心臓病は新生児や小児期に手術を必要とする場合が多く、難しい手術が多い中で成績も向上してきています。一方で、その子どもさんが大人になって心臓や重要臓器に色々問題が生じてきています。その成人になった患者さんを扱う専門医療分野が必要になっていているということです。この成人先天性心疾患のテーマはこれまで何度か取り上げて来ましたが、それは私の心臓外科医としての長い経験の中でかって手術をさせてもらった子どもさんが今は大人になって一部の方は継続してフォローし、治療しないといけないからです。これは私の今の臨床のなかで続いていて、また興味を持っている大事な分野の1つです。言い換えれば臓器移植と並んで今の私には大変大事なテーマです。
というのも、臓器移植と成人先天性心疾患は重要な関係があるからです。それは心臓移植です。成人先天性心疾患で心臓移植を必要とする重症の心不全が発生することが少ないとはいえ防ぎ得ない所があります。私が関わった方で補助人工心臓を付けて移植待ちの方もおられますし、適応が検討されている方もおられます。米国では年間100例ほどの方がこの疾患で心臓移植を受けています、と言っても成人全体の心臓移植の僅か3%くらいですから非常に限られています。しかし、ドナー不足が厳しいなか、海外では着実に成果が出てきていて、我が国でも避けては通れない問題です。
このテーマ、成人先天性心疾患と心臓移植、については我が国ではまだ専門集団のなかでもあまり認識されていません。このままではいけないと思って、論文にすることにしました。関係する学会誌、これは日本胸部外科学会になりますが、総説(レビュー)と言う形で、海外での成人先天性心疾患への心臓移植の現状を纏めました。文献集めや整理はすべて一人でしないといけない環境なのでなかなか大変な作業でした。幸い、先般、学会誌(英文誌、General Thoracic and Cardiovascular Surgery に採用され、今はOn-Lineでのみ閲覧できる状況です。(Heart transplantation for adults with congenital heart disease; current status and future prospect)

この海外で進んでいる状況を我が国で進めるためにはドナー不足だからとてもそんなところには、とういう雰囲気がありますが、それは患者さんに対して専門集団として責任逃れになってしまう危険があります。そいうことで、あえて現状認識という形で我が国の関係者に訴えるという所から出発しました。また自分なりには現状をまとめて何が出来るかを問う、ということも必要と思ったからです。我が国で先天性心疾患で心臓移植を受けた方は、子供さんですが海外で受けた方はおられるようです。大人では2人だけです。私が任期中に阪大病院で行った方と、最近国立循環器病研究センターで行われた1例のみでしょう。移植待機中の方は、先の私の関係する方以外には九州地区でおられるようですが、共に補助人工心臓を装着されている方です。心臓移植では待機期間が3年にもなると、補助人工心臓がないとまず難しい状況です。補助人工心臓が付けらなかったら優先度が下がって3年でも回ってこない状況です。このような中で、我が国では成人先天性心疾患の心臓移への対応は遅れていて、実際に移植を検討すること自体も難しい環境です。
この移植優先度が成人先天性心疾患患者さんでは低いという問題が米国でも指摘されています。最近そのシステムが少し変わったのですが補助人工心臓が付かない限りはやはり低いままです。わが国の優先度システムは基本的にはステータス1と2のままで、強心剤や補助人工心臓が付けられず、肝臓* や腎臓が機能不全になりQOLも著しく悪く予後不良となっていくこの疾患群への配慮はされないままです。この移植の優先度を変えるという作業は倫理的医学的にしっかりと実証しないと進まないのですが、成人先天性心疾患ではその数も少なく、検討対象にもなっていません。日本成人先天性心疾患学会や日本循環器学会などが頑張るしかないのです。
この成人先天性心疾患について学会専門集団(日本成人先天性心疾患学会)もセミナーを年2回開いてきていて、お互いに啓発活動を進めています。今年の前期のセミナーが6月に聖路加国際大学でありますが、そこで心臓移植の話をさせてもらう機会を作って頂いています。少しずつ認識が深まり、ひいては心臓移植の現状を知り、大きな課題であるドナー不足を少しでも解消できるよう世の中が動いてくれればと思います。という意味で、臓器移植法制定20周年を迎えて臓器提供について社会の認識を深め、提供の仕組みを変えていく機運がこの成人先天性心疾患での課題からも強まればと思います。
最後に、成人先天性心疾患の心臓移植は海外では当初は危険度が高かったのですが、選択基準の改善、医学的管理の向上などで、最近は先天性心疾患以外の心筋症と遜色ない結果が出てきています。とはいえ、早期は死亡率が高いのですが、遠隔期は他の心筋症に比べかえって良好であるということも分かってきました。この現象は、生存率の逆点現象, survival paradox と認識されています。それを示すグラフを紹介しておきます。実線が成人先天性心疾患、灰色がその他の一般の成人の成績です。初期は成人先天性心疾患の方が生存率が低いのですが、移植後8年ほどで交差して、15年では逆転しています。15年で半数近くの方が生存されています。




 *; 先天性心疾患、特にフォンタン手術後の肝障害〔肝硬変になっていく危険がある)は大きな課題になっています。

2017年4月24日月曜日

子どもさんからの臓器提供ニュースの意味は

   分かりにくいタイトルだが、今日は臓器移植について軽く触れたい。今年の7月は臓器移植法制定から20年の節目であるが、それについてはしっかり別の機会に触れるとして、今日は軽く寸評程度で。
 一昨日から昨日にかけて子供さんの臓器提供のニュースが出ていた。15歳未満(6歳未満の小児ではない)の子供さんが脳死となり、ご家族が臓器の提供の承諾をされ、心臓などの移植が行われる、という記事。ご家族の尊いコメントも載せられていた。法律改正で可能となった15歳未満の子供さんからは家族の同意で脳死での提供が可能となり、この子供さんが13例目と書かれている。少しずつではあるが小児の臓器提供も進みつつある。
少し軽い話として、昨夜のTVドラマでは、企業に勤めるエンジアの母親が、心臓病の子供を米国に心臓移植を受けに行かせるため数億円という費用を捻出しないといけない、というなかで、企業がその費用を用意するという条件で母親を犯罪に巻き込んで行ったというシナリオである。渡航移植の費用が巨額になっていること、米国に行かなければ助からないということ、などの背景が企業犯罪とこれに対峙する警察のTVドラマにまで登場するのかと、複雑な気持ちになった。渡航移植の数億円という費用の捻出に親たちが現実にどれほど苦しんでいるかを思うと、ドラマを楽しむよりやるせない気持ちになる。ただ、高額費用の渡航心臓移植について社会問題化していることを表しているのかもしれない。
ここで、脳死での臓器提供のニュースは今ではもうあまり目に留まらなくなったとは言え、小児ではまだ記者会見の様子などTVも交えて報道される。提供に同意された親御さんのお気持ちをネットワークが紹介することで、普及啓発になるのであろうが、もうそういう時期はそろそろ卒業してはどうかと思う。ニュースのタイトルも、脳死での提供とある。ことさら脳死ということを付け加える必要があるのか。メディアは報道の役目があるが、それでも脳死ということに拘るのは、まだこれが特別な意味を持っているからではないか。これは考え過ぎかもしれないが、20年経っても、改正から7年経っても、特別扱いすることの意味である。しないと忘れられるのか、しないといけないのか。もう特別扱いは卒業したらいいのでは、と思う。それが臓器移植を普通の医療に成長したとする証になる。いやそうはいかない、また和田移植のようなことが起こるかもしれない、社会への公開が大事、という意見が出そうである。この意味で、和田移植(今の時代の方には何のこと、という話)の呪縛はまだ社会(行政、マスコミ)に残っているのではないかと思ってしまう。
何気なく見過ごしている臓器移植のニュースの在り方や、ネットワークの記者会見も、そろそろ考え直す時期ではないかと、感じた。一方、臓器移植は社会と共にあるのだからそれは無理だという考えもある。これからの臓器移植を考える上での大事な論点である。新聞報道を見て、脳死臓器移植がまだ成熟していないのか、いや返って必要なのか、考えてしまう。

因みに、この報道でのネットでの書き込みを見ると、家族の決断を支援する声や移植は自国で、という意見があり、これに賛同が30ほどあれば1割ほどはそうではない。ネットでこういう意見交換が進むのを見ると、臓器提供に問題がなくてもその都度ニュースに出す意義は大きいのかもしれない。

2017年4月14日金曜日

ガラパゴス化

4月も半ばに入って近くの桜もそろそろ散りかけているようですが、今週末はまだ楽しめるかと思っています。とはいえ札幌では雪が降り、関西も朝夕はまだ肌寒い日が続いています。さて、このところの世界情勢は混乱状態で、かっての東西冷戦時代の再来かと思われる緊迫もあり、北朝鮮の核兵器や化学兵器の驚異もエスカレートしていく中で、我国の外交でどういうアイデンテイテイーを示すのか、大変難しい問題です。といって、憲法改正ありきではなく慎重にすべきと思いますが、この世界情勢における日本の立場はどうなるのでしょうか。国連の核兵器禁止条例には唯一の被爆国の日本が不参加に回ったことは個人的には大変な残念でありました。外交もトランプ政権に振り回されているのでしょうか。
さて、表題のガラパゴス化ですが、最近の新聞のコラムであることについてこの表現が使われていました。私は最近の身近なことでこれを引用したいことが二つあります。一つは受動喫煙防止対策であり、もう一つは何度も書いている医師の専門医制度です。世界から、そしてグローバルスタンダードから取り残され、井の中の蛙的な状況に黙っておられない心境です。

受動喫煙がこれほど野放しになっている先進国はない。受動喫煙が、喫煙で吸い込むより危険な科学物質を撒き散らし、周りの大人や子供が間接的に健康被害を生じること、喫煙自体が発がんの原因になる、という科学的に明確な根拠が我にでは無視されている。タバコは嗜好品だとおっしゃる偉いさんは、タバコ中毒、ニコチン依存症である、ということを信じないか無視しておられる。タバコ関連事業からたくさんの税金が入ってくるからいいじゃないか、と財務大臣が国会で述べられていた。喫煙と受動喫煙による健康被害で使われる医療費をタバコの少しの税収と比べるのも愚かである。

今回は東京パラリンピック・オリンピックに合わせて何とか国際水準に持っていこうと厚労大臣が率先して健康増進法を改正しようとしている。このチャンスを失えば向こう何十年もこの状態が続くであろう。WHOの方がこられて厚労省案でも世界では最低のレベルである、と警告されても自民党議員のかた(反対派)には馬耳東風。小さな飲食店がたくさん倒れる、というが世界では一的にはお客さんが減るがすぐに回復することが実証されている。我が国でも完全禁煙の店にしか入らない、という人々も増えている。喫煙可能な飲食店での子供さんや従業員の健康被害はどうするのか。今日の新聞では、自民党が難色を示し部会での審議もできないという。受動喫煙対策でガラパゴス化しないよう、厚労省は決して怯まないで頑張って欲しい。ガラパゴス化した国での東京オリンピックは危険な煙でくすぶってしまう。東京だけの問題ではない。健康被害は目に見えないが、何十年か後には病気が発生する確率が高くなる。タバコは臭くても最新の臭い消しで対処しよう、という広告が目に付く。国民的人気アスリートの宣伝に惑わされてはいけない。

医師の専門医制度は何度も書いているが,今回の改訂で修練制度において何とかグローバルスタンダードに近づけよう、という関係者の努力はどこかに行ってしまった。これまでの制度でも確かに個々の医師のレベルや学術レベルは世界に向けて引けを取らないし進んでいる。しかし、これを一部ではなく標準レベルにおいて、質の担保を図ろう、卒後教育を効率良くしよう、という趣旨が大きく壊れてしまっている。若手や中堅の医療現場の医師自身が、挑戦しない、現状維持を好む、というスタンスでは、医学教育と共に卒後生涯教育においてガラパゴス化していくと危惧している。リーダーはポピュリズムとは離れるべきである。ハワイ大学の町教授は,日本の医学教育は鎖国状態と言われていたのを思い出す。

ということで、二つのガラパゴス、を紹介した。良いガラパゴスはないと思うし、進化が停滞する。 日本にはまだまだガラパゴス状態が沢山ある。先週は米国で国際心肺移植学会があり参加してきたが、移植医療では日本はまさにガラパゴス島でありガラパゴス化ではない。臓器移植法制定後、今年は20年目を迎える。感慨に耽っている状況ではない。今日も移植待機中に亡くなられる方がおられるかもしれない。

          16日、夙川の桜です.まだ結構残っていて温かくいい日和でした。



2017年3月28日火曜日

金沢レポート、その2

日本循環器学会のトピックス、第二報です。
3月も終わりになってもまだ寒波が来ていて、昨日は栃木県で高校山岳部の訓練中に雪崩事故がありで沢山の若い命が失われている。ファミリースキー場(名称)のちょっと奥の山の斜面で起こっているから痛ましい。最近のバックカントリースキーでの遭難は自己責任の問題ですが、今回の高校生の雪崩遭遇は沢山の高校山岳部やワンゲル部を集めた公的な訓練であり、指導者の責任問題になるのではと思われる。とは言えスキー場は雪山と隣り合っていることを改めて知らされたということで、スキー関係者としても肝に銘じるべきことある。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
金沢の追伸は、再生医療、医療事故調査、そして心不全緩和医療。心不全への再生医療最先端的とした国際セッションでは、英国からの招請講演者からは心筋障害発生と予防に関連する新しく発見された蛋白についての紹介であった。マウスの虚血・再灌流障害の防止に関する実験で、詳細はついていけない基礎的な話であったが、私が現役時代に取り組んだことでもあり、これは永遠のテーマだなという感じであった。心筋梗塞の早い時期に血流再開だけでなく薬剤の介入で障害が減らされるわけで、臨床応用が期待される。遺伝子治療やiPS等と違ったやや古典的であるが、原点の研究スタンスである。阪大からはお得意のiPS細胞での心筋再生治療の話しで、主体は癌化しない細胞をどうして作るか、危ない細胞をどう見分けるかの話しであった。熱演だったが内容が盛りだくさんで時間オーバー、座長から時間ないので討論は無し、次の演題、となった。制限時間を守ることがいい発表の基本ということを忘れてはいけない。
教育セッションの一つのテーマが医療事故調査制度であった。この問題は長らく自身も関与してきたものでこのブログでも何度も紹介しているが、制度が始まっても実際なかなか進展が見られない現状がある。今回は、九州大学法医学の池田教授が演者で、診療関連死届け出についての講演であった。そもそも診療関連死については明治時代の医師法21条が問題の根幹でもあるが、それに加えて診療関連死について日本法医学会がこれを「予期せぬ死亡」、という定義をかなり前に発表したことも混乱の背景にある。日本外科学会で医療事故調査モデル事業を始めたときも、法医学会と議論した経緯がある。池田教授は、この問題では心臓外科医とやりあった、と紹介していたが、今回の医療事故調については法医学会として国や日本医師会と医師法21条を外すことで合意していたのに、蓋を開けたらそうではなかった。日本法医学会はこの制度に反対である、など日本法医学会理事長としては過激な発言もあった。結局、医療事故調の現状の解説ではなく、背景にある問題の解説と私的苦言であった。ではどうしたらいいか、については大学の法医学教室に相談しろ、病理解剖やCTで対応する、ということであった。講演はどうも非現実的な話で個人的な経験話が多く、教育講演としては些か疑問の残るものであった。質問する機会を逸したのでフロアーで質問したが、問題点は共有できたが、前向きな話にはならなかった。聴衆はどう捉えたのか、混乱させた方が大きかったのではないか。ただ、日本では医療事故でも法律上業務上過失傷害罪該当するが欧米法では医療ではこれが当てはまらない、という紹介もあった。欧米では、医療、医師、が社会から信頼され、また医療が不確定なものである、ということを長年の歴史で社会が知っているということであろう。法医学者はこの違いを紹介するだけでなく、我が国で改革は出来ないのか、質問したかったことである。
心不全の緩和医療のセッションもあった。緩和医療は癌の話しだけでなく、心不全でも現実となって来ている。循環器医療でも対象が高齢化し、新しい薬やデバイス治療も進み、医療・ケアがどんどん先に進むが、その後の到達点のことは無関心であった。今や心不全でも緩和医療が必要となってきている。先駆的な試みをしている東京のクリニックの話しはこれからの心不全の緩和医療のモデルとなるであろう。また、ここでもハートチーム(チーム医療)の必要性が問われる。見かけだけでなく、科学的根拠の上に心の入った、患者目線、家族目線、での緩和ケアが今後の課題である。補助人工心臓での緩和ケアの話もあるが、一般の心不全では心臓が弱ってくるが補助人工心臓では心臓は弱らない。別の倫理と法的な課題が残っている。
ということで足早に参加したセッションの紹介をした。その日(日曜日)の午後は参加者が一斉に帰るのでJRの指定は軒並み満席である。帰りのサンダーバードの指定を取っていなかったので、夕方の心臓移植のまとめのシンポジウムは欠席して、何とか指定が取れたつるぎ号で米原経由で帰ることができた。

この原稿を纏めてから朝刊を読むと、医療事故調査制度での報告数が昨年三千八百例に増えたとの記事が目に付いた。それまでに比べて倍増しているが、簡単な事故的なものが多いらしいく、大学病院や基幹が協力した結果、とある。数だけ何とか増やせばいいというものではないであろうが、一般市中病院は置き去りにされている。

2017年3月23日木曜日

金沢市で日本循環器学会開催


 先週の週末は金沢市で日本循環器学会が開催され参加してきた。第81回という伝統ある学会で、循環器内科、心臓血管外科、放射線診断科、小児循環器、リハビリテーション医学、循環器看護、さらに成人先天性疾患も加えた我が国で心臓血管疾患の最大の学会である。会長は金沢大学循環器内科の山岸正和教授で、山岸教授は大阪(阪大、警察病院、国循)で長らく仕事をされ、仲間のような先生でもある。会場は金沢駅前のホテルと公会堂などで集約され、駅前地下広場は受付やクロークなどに当てられ、駅から直行で手続きが出来るという便利さも有り難かった。私は前日に東京で用事があり、朝一の新幹線、かがやきで金沢には9時前に到着し、聞きたかった心臓移植のセッションに間に合った。関東からは北陸新幹線開通で金沢は本当に近くなったのが実感できた。因みに、その前の週は役員をしている全関西学生スキー選手権大会が妙高高原であり、北陸新幹線、サンダーバードには何度もお世話になっている。
学会参加者は総数で13000人と発表されたが、実際はこれ以上の人が集まっている。金沢は新幹線も開通し駅前はホテルが集中しているが、学会参加で満員御礼、宿が取れなかった多くの人が近くの温泉から電車で金沢まで来ているという。地元新聞も大きく取り上げて、金沢及び近郊の経済効果は30億円という。これも新幹線効果か。
さて、3日間で沢山の会場似分けて多くの領域のセッションがあり、重点的に聞きに行き、発言もしてきたが、幾つか拾って紹介する。ただ、心臓血管外科のセッションは少なく201つ位かもっと少ないもので、外科医の参加者も年配者ばかりで若いのはあまり見られない。とはいえ、学会参加と共に教育セッションとか医療安全講習とか専門医の更新に必要なポイント確保が参加者にとって大事で、私もその一人。確かに専門医制度で学会が潤っている、という面も否定できない。
まず、先に述べた移植関係は、ガイドライン解説講演の1つで、「心臓移植に関する提言」、であった。この提言は今回公表されるもので、磯部光章教授心臓移植委員会委員長としての作成の意義と今後については聞きそびれたが、その後の臓器移植ネットワーク、適応判定委員会、補助人工心臓によるブリッジ、移植後管理、そして小児心臓移植と心肺同時移植では、それぞれの分野のリーダーが現状を述べた。私には提言としての位置づけははっきりせず、現状報告の感じであった。最後にフロアーから質問させてもらったが、心臓移植待機患者や移植後患者の登録データーベースがどう活用されているのか、これを科学的に分析して移植優先順位の改正をすべきではないかということであった。優先順位基準が国際的に見て旧態依然としている。待機中の無駄な死亡を減らすべく、ドナー不足ということで切り捨てるのではなく学会としてしっかり進めて欲しい、というお願いをした。磯部委員長からこれは大事なことで現在鋭意取り組み中である、と言うことであった。例えば、ステータス2という低い優先順位は現在ではまず移植に届かないが、2年後くらいから結構死亡される方が増えてくることもあり、改正の必要性が共同の認識であると思われたのは収穫であった。
その後、教育セッションを聞きに行ったことで、同時開催の「韓国と日本の合同セッションとして心不全の外科治療」は聞けなかった、プログラムでは、韓国2カ所の代表的施設からこれまでの一施設で600例といった大きな心臓移植の成績の発表があり、我が国からは澤教授が日本の話しをされた。韓国が年間心臓移植を日本の4倍の数を行っていること、我が国で20年を要した数が韓国では2年程度でこなしているということを我が国のマスメデイアは伝えてない。さて、教育セッションは心臓リハビリと血管疾患の血管内治療、であった。心臓リハは心不全や心筋梗塞後の管理では非常に重要な分野で、私自身も兵庫医療大学でリハビリ分野の方々と交流が始まり、自身の病院でも盛んに行われていて関心が高い分野である。テーマは、運動療法の主体は有酸素持久運動か筋力トレーニングか、であった。それぞれ心臓リハビリで有効性が示されているが、筋トレと言ってもアスレティックジムでボデイービルをするようなものではなく、レジスタンス負荷といって一定の負荷に対して筋力を回復させるものである。長期臥床で下肢筋力が落ちて歩けなくなった場合などにベッド上でも行われ、これは下肢だけでなく心臓にも効果があり、2つはそれぞれ役割分担があることも分かった。血管外科について省略する。
次いで紹介するのは、埋込型補助人工心臓(VAD)関連したものである。この領域は複数のセッションがあり、外科系や移植関連学会ではよく見られるが、循環器学会、内科系学会)、では異例のことで、時代が変わったという感じである。中でもVADの永久使用Destination TherapyDT) についてはホットな議論あった。推進派というべき移植医や心臓外科医がその必要性と治験の妥当性を述べたが、東京医科歯科大学の磯部教授が問題発言があった。教授はDTについて、私はDTを終末期医療と考えているので良く準備して勧めるべきであるという慎重論であった。このDT=終末期医療には他の演者から異論が出た。確かに最終的には終末期医療ではあるが、基本は前向きの医療であって、誤解を招くということであった。私としては、DTありきで進んでいる現状への警鐘として一部納得できることであった。現在、DTの治験が進んでいるが、それが終了した後の種々の議論の前倒し的でもあった。
もう一つDTについてはその後に研究会があった。その中で感心した発表は、東北大学の看護師さん(移植コーデイネーター)のものであった。現在心臓移植適応年齢が60歳から65歳に引き上げられているが、DTはこの年齢を超える患者さんが当面対象になると予想される。しかし、65歳以上の移植適応となるような患者さんの実態調査が全くなされていない現実がある。そこを考慮して、東北大学ではVADを移植ブリッジとして60歳以上(65歳未満)4症例に植込みを行っている。報告はその詳細であったが、年齢が高いことで体力の低下や長期心不全治療で抵抗力も低下し、管理に難渋することもあるという内容で、発表者はしっかり現実を見極めて、何が問題かを提示していたので素晴らしい発表であった。こういうことをしっかり議論しないでDTありきで進めるのはどうかと思う私の持論と共鳴するものであった。

長くなったので、第一弾はこれ位にします。





2017年3月7日火曜日

補助人工心臓とレギュラトリ―サイエンス、


 

 早くも3月に入ってしまいました。記事の更新も滞っていて、月2回の目標も崩れてきています。ここで気合を入れないとズルズルと後退して行きそうですが、そろそろ学会とか研究会も増えて来るので回復を目指します。

2月は日本心臓血管外科学会という我々の領域では最も大きなものが2月末に東京であったのですが、その最後の日に別のシンポジウムがあったので紹介します。

レギュラトリ―サイエンスに関するもので、早稲田大学の医療レギュラトリ―サイエンス研究所主催の「補助人工心臓の研究開発から学ぶ」、というものです。早稲田大学には医学部がないのですが、その代わりではないですが東京女子医科大学と連携して連携研究体制を作っています。新宿区河田町の女子医大キャンパスの一角にTWInsという両大学の合流した新しいユニークな研究所が出来ていて、その中には人工心臓の開発研究では日本を引っ張ってきた梅津光生教授がおられ、今は早稲田大学総合機械工学教授でこのレギュラトリ―サイエンス研究所の所長をされています。また、循環器内科分野でのレギュラトリ―サイエンスではやはりリーダーの笠貫宏先生が特任教授として参画されています。

さて、本題ですがレギュラトリ―サイエンス以下RSとしますが、これは医薬品や医療機器の国(行政)による許認可において、規制だけではなく如何に国民の福祉に貢献できるシステムを作るか、即ち規制を規制に止めずサイエンスでもって支援していく科学です。 これまでデバイスラグやドラッグラグが問題になっていましたが、ただ規制が悪い、迅速な承認、というだけでなく、そこにRSの概念や手法を取り入れることで、我が国の医療機器や薬品開発促進しよう、というものです。また国際標準に合うべく審査や承認の仕組みを変えていこう、という動きでもあります。医療費との関連、費用対効果、の話でもあります。沢山の活動や学会、研究組織もありますが、此の早稲田の研究所(MeRS)はユニークな存在です。

今回のテーマは、補助人工心臓関係なので、主催者側でもなく演者でもないのですが、旧知の梅津先生や補助人工心臓のデバイスラグでともに闘って来た順天堂大学の佐瀬一洋教授にも久しぶりに会いたくなって、急遽の参加でした。前置きが長くなるのは悪い癖ですが、要点を紹介します。なお、この分野では究極のターゲット?となるPMDA(医薬品医療機器総合機構、FDA日本版)の近藤達也理事長のお話は間に合わず聞けませんでした。

演者は心臓外科の仲間の話は省略し、行政やRSのアカデミアの話が面白かったので紹介します。行政からは現在PMDAにおられ、これまで長く厚労省におられた俵木登美子氏と、PMDAで補助人工心臓のレジストリー(J-Macs)を立ち上げてこられた石井健介氏が登場。これまでの私共の学会と連携して進めてきた補助人工心臓の認可におけるデバイスラグ解消やレジストリー構築までのステップの紹介があり、懐かし話や最近の展開も楽しく聞かせてもらいました。医療機器の開発支援や審査承認制度については人工心臓がいつも成功組として紹介されますが、このステップも考えてみれば10数年に及んでいる訳で、こんなに懸ったのか、これでいいのか、という感想もあります。

では、現状での課題は何かですが、話題はもっぱらレジストリーの在り方、活用の仕方でした。RSはまさにこの登録制度(レジストリー)で得られたデーターベを如何に活用するか、そして新たな仕組みをどう作って行くかが問われている、ということです。非臨床試験(基礎や動物実験)での評価法、レジストリーネットワーク、リスク・ベネフィット評価、というテーマでの議論でした。私も議論に参加させてもらい、心臓移植を例に出しての話ですが、我が国の臓器移植のデーターベース(レジストリー)では移植登録は日本臓器移植ネットワーク、適応判定は日本循環器学会、それぞれが管轄しているのですが、そのレジストリーデーターの活用が全くと言っていいほどなされていないのです。因みに米国のUNOSからは学術的な報告(解析)がどんどん出てきて、これが規制というかドナー選択システムを変えて行っているのです。我が国では全くなされていません。不作為と言っていいでしょう(自分にも責任がありますが)。元に戻って、医療機器や薬品では米国はFDAが仕切っている訳ですが、FDAからのデーターの分析やRS関係の論文がNew England Journal of Medicineという超一流雑誌にいくつも出るようになって来ているということです。世界が違うのです。10数年前に佐瀬先生たちとFDAを訪問し、Harmonization by doing (HBD)という切り口というか合言葉で規制改革を進め始めたのですが、このHBDの進捗はまだ道遠しです。

最近はビッグデーター、ということが良く言われますが、診療報酬制度のデーターは医療の正に根幹ですが、その他の多くの臨床データーを実臨床エビデンス(Real World Evidence)に繋げる科学(integrate,統合、する)もこれから必要という、これを実践している研究者、大津洋博士のお話も素晴らしかったです。佐瀬先生は医療戦略の本質はValue-based Medicineであるという米国クリーブランドクリニックの紹介も新鮮でした。これは先の記事で紹介した藤田浩之氏の講演にも関連するものではと思いました。

まとめですが、医療機器でいいますと補助人工心臓や新たなデバイスがツナミのように我が国に押し寄せていますが、国内企業や研究者を守りながら、そしてHBDの趣旨で非関税障壁を取り払いグローバルな視点で新たな医療機器を迅速に導入することが求められている。そしてそこにはRSに基づいた仕組み作りが大事であるということでした。規制改革やデバイスラグを叫ぶだけでなく、科学する姿勢で対応することが今後さらに求められ、そこにはデーターベースからのエビデンスを基盤にするという文化を根付かせる必要がある、ということでしょうか。しかし、これを進める上でのレジストリー事業には大変なお金と人が必要である、という現実が大きな障壁として残っていることも改めて認識したシンポジウムでした。