2013年5月26日日曜日

三浦雄一郎さん、世界最高齢のエベレスト登頂

 プロスキーヤーの三浦雄一郎さんが先日、80歳でエベレスト登頂に成功というニュースが日本中を駆け巡委りました。年齢でも世界最高、素晴らしいことです。天候が悪く予定のアタックより遅れての登頂で、途中のキャンプを一つ増やすなど、体力の温存の務めた成果でしょうが、それにしても凄いことだとおもいます。人間の力というか気力というか、医学のみでは図りしれないところがあるのが不思議でもあり、チャレンジが生まれてくるものと思います。

  三浦さんとは2005年の冬、岩手県の安比高原でスキーを一緒にさせてもらったことがあります。丁度75歳での登頂成功の後でしたが、心臓外科ウインターセミナーで講演をお願いしたら、一日前に来られて一緒に滑るという大変幸運なことがありました。その時も、リュックと足に重りをつけて来られました。心臓にも問題があって、カテーテル治療を受けられるという事でした。安比では一緒に滑らせてもらいましたが、ゆったりとした無理のない滑りながら、後に付いていくのが精いっぱいという状態でした。

  その後は、札幌の地元のコースでバス道に飛び出して骨盤骨折をされたのですが、それも驚異的なリハビリで回復されたと聞いています。80歳でもここまでやれるのですし、父上も100歳までスキーをされていましたから、特別な遺伝子を持っておられるのでしょうが、加えての医学的に


 
 

2013年5月21日火曜日

チェイニー米国元副大統領の心臓移植

  先の米国胸部外科学会での話題で触れましたが、特別企画のチェイニー氏(Dick Cheney)へのインタビューについて少し詳しく紹介したいと思います。聞き手は、補助心臓と移植の執刀医(Fairfax, Vaの外科医)と学会会長メイヨークリニックのシャフ教授、でした。すべて理解できたわけではなく、微妙な言い回しは理解できなかったところですが、大筋の話は何とかフォロー出来たつもりですが、間違いもあることをお断りしておきます。

さて前置きとして紹介しておきますが、チェイニー氏は2001-2009年までGorge W.Bush大統領のVice Presidentを務め、イラク戦争や911テロ後の対応などで強硬派として実績を上げながら、米国ではあまり良い評価が得られていなかったとも伝えられています。同氏が71歳で心臓移植を受けたことで、医療界でかなりの議論が起こったようで、70歳を超えた高齢者がどうして心臓移植を受けられたか、政治的なことがなかったか、などなどであります。年齢については、70歳以上は受けられないという決まりはなく、カナダでは79歳で受けて90歳まで生きられた方や、テキサスでは75歳で受けてマラソンを楽しんでいる方いるとか、米国は年齢については自由度があり、その移植施設に任されているし、UNOS(全米ネットワーク)への登録も70歳未満であれば原則可能であると思います。心臓の場合の臓器配分は、日本のように全国統一ネットワークではなく(仕組みとして)、まずは地域の中で配分されるので、バージニア州がその点で良かったのかも知れません。

さて同氏はこれまでの自分の病気について詳しく話されました。その要約です。37歳の時に冠動脈の硬化で心臓発作(心筋梗塞)が始まり、副大統領時代に何度も心臓発作や心不全で入院しながら、任務を全うされています。不死身というか、すごいエネルギーを持った政治家です。任期後、2010年には心不全が悪化し、ICUで人工呼吸器をつけた治療が数か月ほど続いて(そう聞けました)、体力はかなり落ち込んだ、という話をされていました。そして、植込み型補助人工心臓の装着を受け、その後で移植登録をしたようです。約2年(20か月)の待機期間で移植に到達されています。20か月ですから、そう早く移植になったわけでもなく、何か優先されたようなことでもなかったと思われます。ということで、移植登録は69歳と推測されますが、移植を受けた後の経過は順調で、素晴らしい贈り物であった、とドナーに感謝の言葉を何度も言われていました。ドナーがどういう方かは知らされていないが、何かの機会に会うことがあれば、心より感謝の言葉を言いたい、とも言われていました。聞き手から、移植を受けられたことに政治的なことはなかった、という質問もありましたが、そういうものではないとのお答えだったようです。

また、頂いた心臓を、My Heart、と何度も言われていたのが印象的でした。何かアメリカ人らしい考えか、と思ったりしましたが、移植を受けたことを本当に感謝し、真摯に現代医学の進歩に敬意を表しておられました。詳しくは本を出す準備をしているので見て下さいということでした。学会自体が心臓移植や補助心臓の推進的なところですから批判的な雰囲気はなく、終わった後もしばらくスタンディングオベーシオンが続きました。

次の日の一般演題で補助人工心臓に永久使用(Destination Therapy)の発表があり、発表後の質問でも、チェイニー氏の話が引用されていました。それは、補助人工心臓の永久使用は年齢が高いなど、心臓移植を目指さない選択肢で始まったのですが、実際には植え込み後に患者さんの状態が良くなってやはり移植希望をするケースが出てきていて、チェイニー氏もそういう流れであった、ということで議論がされていました。

我が国では植え込み型補助心臓は移植へのブリッジ以外は適応(保険償還)にならないので、それを拡大すべく(永久使用というかどうかは議論中)議論が進んでいることを申し上げておきます。

河野前参議院議長が息子さんの太郎さんからの生体肝移植を受けられましたが、日本の政治家は原則的に病気を隠しますし、何度も入院すれば辞めさせられます。首相でも、自発できですが、辞めたことが記憶に新しいです。米国の大統領制が基盤にあるからチェイニー氏のような方でも要職に10年近く付いておられたのかもしれません。また、年齢差別を悪とする社会でもあります。日本の補助人工心臓の心臓移植待ち以外の適応や心臓移植そのものの適応年齢(やっと65歳まで引き上げられましたが)について、また私のような前期高齢者(?)への先進医療の適用、などについて考えさせられる内容でした。
 写真は、学会のインタビューでのもので、学会場のモニターを写したものです。左が学会会長、右が主治医、真ん中がチェイニー氏です。
 

2013年5月12日日曜日

米国胸部外科学会で


 ゴールデンウイークは皆様いかがお過ごしでしたか。今年は前後に分かれていて、あまり長くは休めなかったのでは思います。私は米国胸部外科学会(AATSと訳しています)の出席のため、30日から米国に飛びました。学会はミネソタ州ミネアポリスで4日からなのですが、その前の2日ほどはサンフランシスコでゆっくりしました。大学のクラブの後輩夫妻が長くベイエリアに住んでいて、学会の行き帰りに時々遊びに寄るのですが、今回も2日ほどお世話になりました。ワイナリーとヨセミテ、そしてモントレー、とカリフォルニアの素晴らしい自然を満喫しました。素晴らしい天気、何時もそうらしいですが、気温も30℃としっかり日焼けしてから学会に向かいました。ミネアポリスまで飛行機はまた3時間ほどかかり、着いたら雨で気温は3℃でさっきまで雪が降っていたそうで、夏から冬へ逆戻りでした。

さて、AATSというのは米国の心臓外科、呼吸器外科、それに食道外科の専門家が集まる学会ですが、世界で最もプレステージが高く、かつ卒後教育の企画も充実していて、世界中から医師や企業関係者が集まってきます。企業展示はその規模に圧倒されます。日本からも教授の方が7-8人、若い方が20人位でしょうか来られていました。日本からの採用演題は2つだけで寂しかったですが、全体でも80ほどですから、厳しい採用率です。

興味ある発表や企画が幾つかありました。その中で一つをまず紹介します。それは胸部外科医のトレーニング(レジデント+フェロー)の話です。米国では一般外科の修練後に心臓・肺・食道外科の胸部外科のコースがあり、厳しいながらきちんと教育体制がとられていて、世界の標準にもなっています。日本もそれにならって一般外科の修練の後で心臓とか呼吸器の外科に行きますが、制度的には甘く、社会的評価も高くありません。米国のレジデントの給与は保険機構から出ていて、その枠も決まっていて、アプライが無ければ病院の若手の働き手がなくなります。いいプログラムを提示しないと若い医師は来てくれません。

その素晴らしい米国のレジデント制ですが、外科系は世界共通で希望者が減っていて、レジデント枠が埋まらないプログラムが増えてきていることは知られていましたが、今回の学会ではその関連の発表がありました。それは応募が少ないだけでなく、専門医資格試験の合格率が65%(年平均で受験者は最近は130人位)に落ちてしまっている、ということです。それは臨床経験に関する口頭試問の成績が悪く、それは2006年ごろに米国の専門医教育関連機構がレジデントは週80時間以上働いてはいけないという事を決めたためということです。外科では手術と術後管理、週何回かの当直、当直明けの手術、という当たり前の勤務(教育)があったのですが、レジデントの働く環境を良くして、例えば医療事故を減らそう、ということから週80時間以上は働かせられなくなっているという事が原因と言っていました。少ない時間でより臨床能力を上げるにはどうしたらいいか、という話であったと思います。年に200人近くは胸部外科医資格を取ってくれないと困るのに、7-80名の合格では心臓外科や呼吸器外科の臨床活動に無理が出てくるでしょう。また、カナダの先生は、自国では医学部卒業生の60%(そう聞いたと思います)が女性なので、外科系は本当に深刻であるが米国はどうするのか、という質問もありました。また、一般外科に行かないで直接心臓外科や呼吸器外科に行って、胸部外科専門医の資格だけをとるストレートコース選択もありとなっています。これは要注目でしょう。

さて、我が国では専門制度の改革を進めようとしていますが、お手本となる米国のレジデント制が外科系で破綻している状況をよく理解し、今でも少ない日本の外科入門者をさらに減らさないよう、逆にどうしたら増えるか、具体的に考える大事な時期になっていることを強く感じた次第です。

もう一つの話題はチェイニー元米国副大統領の心臓移植の話ですが、次回にします。