ソチでの冬季オリンピックも中盤になって、日本選手のメダル獲得がやっと続きだして、大変盛り上がっているようです。昨夜の葛西選手のラージヒル銀メダルは凄かったですね。年齢といい、経歴といい、スーパ-メダルでしょうね、素晴らしい方です。レジェンドにさらに磨きがかっかったようです。
ネットを見ると、竹田JOC会長が選手に注文をつけているのが話題になっているようです。予選落ちした選手が終わったとのコメントで、思い出になったとか楽しかったとか、ヘラヘラ言うのはけしからん、といった趣旨の発言のようです。要は国費を使って国を代表しているので、個人の感覚での発言は慎むように、国の代表という自覚を持つように、ということのようです。ごく一部の選手の言動が気に入れられなかったのでしょう。これに対して陸上選手であった為末さんが苦言を呈しているのが受けているようです。国費は他の国に比べかなり少ないうえに、個人の努力が大きい背景を知るべき、という趣旨が共感を呼んでいるようです。国威がかかるオリンピックですが、所詮は個人が出す結果であり、かっての東欧やソ連とは違うとも言えます。しかし竹田会長の言いたいことも分かるところです。
今朝のTV番組は有力選手の紹介とともに、お涙頂戴式の個人(家族)情報を流したり、試合結果だけでは場組が持たなくなるのか、スポンサーの意向か、メダル、メダルとキャスターは叫んでいます。あるコメンテーターが、期待の選手が負けたような時に、「メダルを逃した」、という言い方は良くなく、禁句にして欲しいと言ってました。同感ですね。メダル獲得には素直に喜ぶべきところもありますが、オリンピックとなると、メダルを取らないと責任をとれ、といった雰囲気に違和感を持つ一人です。TVはNHK始め異様なくらいの力の入れ方ですから、日本選手のメダル獲得への過剰な期待が作られて行っています。選手の地元では、市役所とか公民館で家族を前に座らせて、全員が日の丸の必勝と書いたハチマキをしめての応援が何度も放映されます。どこも同じ画像です。ご家族は自分の家で身内と一緒の観戦も出来ない訳です。画一的です。
オリンピック開始前ですが、選手の壮行会では、白地が寄せ書きの名前で埋まった日の丸が渡たされます。それをソチの会場で振られているのが世界に放映されています。かっての戦争の時のような悲壮感が漂っています。太平洋戦争とオーバラップさせる海外の方もおられるのではないでしょうか。
大学の時のブログでも書いたことがあるのですが、日の丸は国旗であり、応援の寄せ書きに使うものはない、と常々感じています。今回も会場で、寄せ書きで汚れた(私はそう思います)日の丸(国旗)、を振っている応援の方がおられます。国旗に選手の名前を書いて応援している国も無いことはないのですが、珍しいでしょう。直接応援に行けない人がほとんどですから、何かしらのメッセージを書いたり、自分も其処に行っている、という感覚なのでしょう。でも、E―メイルもあり、もっと他の方法での応援が出来ると思います。もっと自由な雰囲気で選手を送り出して、後は選手に任せて楽しく応援できないものでしょうか。
普段は日の丸の存在は意識していない年代が多くなり、応援旗みたいなものなのかもしれませんが、国旗は国旗でしょう。白地は白地であってこそ日の丸が美しいのです。竹田会長には言って欲しいと思います、日の丸への寄せ書きは止めようと。
この後も、日本人に頑張って欲しい種目が沢山あります。楽しみです。
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