2015年11月29日日曜日

医師偏在は解消できるか


もう一つの話題は、「医師偏在、解消へ検討会」、という報道です。地域枠や医学部定員議論、とあります。どこでやるのかというと、厚労省です。医学部の定員枠に地域枠、というのが作られていて、卒業後はその地区で働くことを条件に学費の支援や定員で特別枠を作っているものです。各都道府県が支援していますが、人数は各大学(各学年)数名で、全国的にも限られています。自治医科大学は学費援助の代わりに地方の自治体病院に勤務する義務を負わしていますが、義務の期間が終わると都会に戻ってしまう人が多く、地方の医師不足は慢性的で改善は見られていません。

今度の専門医制度の改革でも、厚労省は当初医師偏在を解消する手段として制度造りを考えていましたが、医師側から反対が強くそれを前面に出すことは出来ていません。専門分野の選択でも偏りがあって、一時は産科や小児科、救急医が不足していることが社会問題となっていました。かなり解消されてきたは言え、確かに偏在は依然として続いています。そういうこともあって医学界(学会)も医師や専門分野の偏在を助長するような専門医制度造りは避けようとしていると思います。新しい専門医制度では卒後4-5年の修練を教育プログラムが基準に合ったところでしか認めないようになっていて、このことで極端な診療科選択の偏りは少なくなるでしょう。しかし、強制力はないので、実効性は疑問です。そもそも医師は自分の進む診療科を選ぶことでは自由であります。職業の選択と同じで自由裁量が認められています。またどこで働いても開業も個人の自由であります。このことがあって、どういう制度を作ろうと医師の地域配分や診療科の偏在は強制的に直すことは出来ない訳です。英国とは違うわけです。英国はの家庭医が国家管理になっていますし、専門医でも地域のポジションは医師や病院の自由にはなりません。こういう背景を考えても我が国で厚労省がいくら検討しても、医学部定員を触っても、一時しのぎの策しか出てこないでしょう。ましてこの問題を文科省抜きで検討しても無理なわけです。

このような背景があるのなかで、また検討会の立ち上げ?、という感じです。失礼ながら厚労省主導で何が出来るのか、また厚労省と文科省が連携しても何か実効的なものが出来るとは思いません。根本的にこの問題を何とかしようとすれば、英国式の国家管理の例えば家庭医制度を作るくらいしないと思います。地方で家庭医(プライマリーケア―)を担当する医師の登用制度(専門医に入れるかは別で)を作って、学費免除ということではなく、社会的地位も高くし、継続できる制度を作るなど、発想の転換がいるのではと思います。

一方、日本医師会はどう考えるかでしょう。厚労省がいろいろ考えなくても地域医療は医師会の先生方がかなりの所を担っていることも認識すべきです。厚労省の言う医師や診療科の地域差というのは地域の自治体病院や基幹病院を考えての発想ではないでしょうか。ここを明確にして話を進めないと、絵に描いた空論になりかねないでしょう。というのは、確かに北海道や東北地区で自治体病院や地域基幹病院での医師不足や診療科の偏在はあります。しかし、患者搬送ネットワークや専門別の病院の集約化をはかるなどを自治体や大学を交えて議論して進めることが先決と思います。各自治体が自前ですべて対応できる先端機器を備えた総合病院を持ちたい、という考えがあるのではないでしょうか。あるいは、医師の派遣をする大学がそのことを助長してはいないでしょうか。そこの議論がなければいけないし、医師偏在や専門医の偏在を表面的な数字から言うのでは解決に向かわないでしょう。まして医学部定員を増やしても解決するはずがないことは広く認識されているのですから。

正直この記事には何を今さら、という感じがしています。文科省抜きでどうするのでしょうか。私は以前からどうも厚労省からはにらまれることが多いのですが、また言ってしまったという感じです。ですが、この記事が書いてある通りであれば、以上のようなコメントになると思います。あえて付け加えれば、患者さん側の意識改革も伴わないと解決しない難題です。今回は結構辛口になりましたがご容赦を。
 
 
補足:医師不足や診療科偏在について少しレビューをしたので補足します。
1)厚労省の今回の動きはかねてより行っている、医師確保対策、の流れにそっている。
2)日本医師会は22年3月に、医師不足・偏在の是正を図るための方策、を纏めているが、その対策は勤務医の働く環境の改善にあることしている。
3)直近では、日本医師会と日本医学部長・病院長会議がこの8月に出しているのは、医師偏在の解消には、医学部の新設ではない、という副題付きで、医師キャリアー支援センターの設置などを提案している。

医学部教育の国際基準


昨日の読売新聞夕刊に、医学部教育のことと医師偏在の記事が出ていました。両者は関係なく書かれたものですが、それぞれ大事なことなのでコメントします。

 まず医学部教育です。見出しは、「医学部 国際基準で評価」、とあります。一般社団法人で日本医学教育評価機構、というのが発足するそうで、まず日本の医学部での教育が国際基準を満たしているか、個々の大学医学部の教育内容を審査するというものです。基準はWHOの下部組織「世界医学教育連盟」などが設ける基準だそうです。これは米国の臨床研修病院で外国の医学部卒業生を研修生(レジデント)として受け入れる際の基準でもあり、今のままでは日本の卒業生は国際基準に合わないので受け入れられない状況が生じます。どうしてかというと、学部での臨床実習が時間も内容も基準に合わないのです。国際基準では(米国ではといったほうがいいでしょうか)、臨床現場で参加型の実習時間が多いのに比べ日本では見学型が多いからです。以前はポリクリといってほぼすべての診療科を1週間ごとに回って外来診察や回診につくといった浅く広くというスタイルでした。近はクラークシップいって患者さんを受け持って担当医と一緒に診療に参加する(見ているだけですが手術にも入る)形式がとられ大分改善しています。それでも基準に合わせようとすると、座学の講義を減らし、臨床実習の内容もかなり変えないといけないでしょう。日本では医師国家試験対策に躍起ですから、かなり厳しい改革が求められるでしょう。

米国からの通告は我が国の医学教育にとっての黒船(到来)だ、とのその機構の理事の方の話が書かれています。正にその通りです。かって米国の病院でフェローしていたと時に、米国のレジデント(卒後数年から45年)の臨床上の経験やスキルのレベルが高いことに感心したのですが、学部からの教育が違うのです。別の大学病院で著名な心臓外科医の手術見学をしていたら、第一助手は学生でした。見学ではなく、しかも1週間ではなく1か月とか2カ月の単位です。日本のように全科を回る必要はなく内科外科とか主要(?)科と希望の科を(全体でせいぜい数科だったと思います)を選んでみっちり実習するのですから、大変内容は濃く、日本の卒後1-2年でやっていることにある意味相当するわけです。

我が国では医学部には医局講座制という長い歴史があり、学部教育は本務ですが、ここでもお互いが競い合っています。講義や実習枠の確保を平等にすると、総て網羅するための個々の時間が少なく、広く浅くなります。実習より講義の時代が長かった歴史があります。また講義も教授は自分の専門分野を宣伝的に講義して卒業したら自分のところに来るように勧誘する手段にもなっています。内容もまだ普遍化していない自分の先端的研究成果の話で、基礎的なことは卒業試験や国家試験準備で勉強しろ、ということです。これは研究志向マインドを付ける意味であながち悪いことではないのですが、やはり座学中心では形式的になります。最近はコアカリキュラムが示されていて大分変っていると思いますが。とはいえ、今の医学部が押並べて国家試験予備校化している現状で、この参加型臨床実習重視の国際基準をどうクリアーするか、注目です。

この話は、2004年の厚労省(当時は厚生省か)が卒後の2年間を大学医局支配から切離して厚労省主導で行う初期臨床研修制度の導入時の議論を思いだします。文科省と厚労省の縦割り行政の落とし児でもあるこの制度を始める時の議論に阪大病院長の立場で参加しました。内容を見ると所謂スーパーローテイト研修(何がスーパーか?、広く浅く回るのですが)には私たち大学側は猛反対しました。学部教育が臨床実習に力を入れてきているのに、今更また卒業後に繰り返すのか、ということです。学部教育の実態を考えて、無駄を省こう、せめて2年でなく1年でいい、と言い張ったのですが、法律も出来ていてすでに路線は轢かれていて押し切られました。文科省も医師になったものへの関与では弱い立場にあり、課題を残しながらのスタートでした。案の定、今ではその初期研修制度は専門医制度の改革のなかに取り込まれて、形骸化してきています。学部教育の国際標準化をするなら、初期臨床研修制度を専門制度に組み込んだ新たな制度造りを考える時でしょう。

後半の話はもう一つの話題、医師の偏在、に関係するのですが、このことは後編に回します。
 

2015年11月25日水曜日

東京国立近代美術館で藤田嗣治特別展示を見る

先週の東京での日本人工臓器学会中に、東京国立近代美術館に寄ってきました。皇居近くの竹橋で用事があったのですが、少し時間が空いたのでお堀付近を歩いていたら美術館の前に出てきました。北の丸公園の東京国立近代美術館でした。いままで入ったことはなかったのですが、藤田嗣治画伯の全所蔵展示という案内に目が行って寄ることにしました。海外では学会の合間に時々美術館に寄るのですが、国内では珍しいことです。MOMATコレクション、ということですが、MOMAT The National Museum of Modern Art, Tokyoの英訳ということでした。65歳以上は無料と言うことも手伝ったのですが、藤田嗣治という名前に惹かれて入りました。
案内によると、ここは2012年にリニュウアルしたそうで、12,000点を超える充実のコレクションから選りすぐった約200点を展観する「MOMATコレクション」展を続けているそうです。「戦後70年にあたる今年は、 4階、3階の2フロア、約1500㎡を使い、所蔵する藤田嗣治の全作品25点と特別出品の1点、計26点を展示します」と言うことです。最近は「戦争画」に焦点を集めているという説明もあったようです。戦後70年と関係があるかは分かりませんが、藤田嗣治が太平洋戦争の戦場の画をかなり描いていたことは知りませんでしたし、驚きでもありました。説明によると、フランスから1933(昭和8年)に帰国した後、1937(昭和12)に日中戦争が始まると陸海軍の委嘱を受けて現地取材を始め、その後戦争画の作成を始めたそうです。太平洋戦争ではどうも現地には行かれなかったようですが、軍の要望でしょうか壮絶な戦闘現場の大型の作品を実際に見たように描いています。目に迫る、という言葉が当てはまるものばかりでした。
武漢進撃からシンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)アッツ島玉砕、血戦ガダルカナル大柿部隊の奮戦最後に、サイパン島同胞臣節を全うすなどがありました。戦争画14点を一挙に展示するのは初めてだそうです。戦争末期の壮烈な場面、負け戦のなかでの多数の日本兵の死を壮烈に描いています。軍はそれらを敗戦濃厚のなかで英雄的に扱って最後まで国民の戦意を高めようとしたようです。当時の新聞もありましたが、まさに大本営発表の類です。藤田画伯は軍に加担しているようではありますが、その画の内容は、戦争の過酷さ、死屍累々、といった様をしっかり描いていて、戦争の本質を伝えようとしているように思えます。芸術的にも素晴らしい作品は、戦争への痛烈なメッセージを残しています。フランス時代のよく知られた画や自画像もあり、最初は楽しんでいましたが、後に出てきたこれらの対照的な戦争画には見入ってしまいました。案内によると、これらの戦争画は敗戦後に米国に接収されたのですが、1961年の日米修好100年を機に日本国内で戦争画返還を求める声が高まり、外交交渉の末、1970年、作品は「永久貸与」の形で日本に戻ってきて、以来東京国立近代美術館が保管先となっているとのことです。
何故この美術館散歩をここで紹介したかですが、数日前の毎日新聞の「余録」に藤田嗣治のこの戦争画のことが紹介されていたので、タイミングも良かったので書かせてもらいました。「洋画家の藤田嗣治が単身渡仏したのは1124日掲載でした。「第二次大戦中に軍の依頼で戦意高揚の戦争画に取り組んだ真意は何なのか。戦後70年のいま、改めてその意味を問う動きが広がる」、と紹介されています。

藤田嗣治、再発見でしたが、美術に詳しい方からは素人の拙い紹介に思われるでしょう。お許しを願いたい。



2015年11月24日火曜日

人工臓器学会で


 しばらくご無沙汰していました。もう11月も終盤になって来ていますが、ようやく紅葉も始まって遅い秋の到来、というところでしょうか。胸部外科学会や心不全学会が済んで暫くのんびりしていました。
11月の学会としては紹介したいのは先週東京であった日本人工臓器学会です。もう50年の歴史ある学会で、人工腎臓や人工心臓、人工肺、人工肝臓、人工関節、人工膵臓、人工血液、などあらゆる臓器や組織を人工的に作ろうという分野です。そして、その基礎となる科学として、材料工学では生体に親和する材料の開発、も重要です。また、一時的な補助(補助人工心臓、人工膵臓、人工肝臓)や恒久的なもの(人工関節、人工骨)など多彩です。人工透析や血液浄化の研究も盛んです。今回は、会長が日本大学心臓外科の塩野教授であったことから、心臓関係が多い学会でした。
人工心臓というと何度も紹介していますが、補助人工心臓の新たな展開、永久使用(DT)、を視野にしたセッションが多くなって来ている。また植込み型の認定施設が全国で40施設にもなり、看護師、ME技士、の参加も多くなっている。同時並列で、日本補助人工心臓研究会や定常流ポンプ研究会など関連研究会もあり、かなりダブっているのでいっそのこと人工臓器学会で纏めた方が時間節約にもなる、とも思われる。
人工心臓以外の話題では、米国で人工肝臓の研究を進めておられる南カリフォルニア大学の三木敏夫先生の幹細胞(iPS細胞)を使った新たな展開が紹介された。3-4年先には臨床試験を始めたいということである。この分野では日本は遅れている感じがしたが、間違っていたら謝ります。またロボティックスではロボットスーツのHALで有名な、ベンチャー企業サイバーダイン株式会社を立ち上げた筑波大学の山海嘉之教授から、革新的サイバニックシステムという特別講演があった。この医療用スーツHALはヨーロッパでドイツを始め医療用器具として脊髄損傷の患者への労災保険が適用され、日本でもようやく医療機器として認可される見通しになっている。わずかに残っている神経活動を拾って補助の人工脚を動かしながら訓練すると自分の神経が回復してくるのである。自力歩行が出来なかった車椅子の患者さんが、HALを付けて歩けるようになり、次は簡便な補助器を付けながら自分で歩けるようになるという、素晴らしい成果で感銘した。世界に誇れる技術である。心臓関係が海外からの輸入に頼っている現状とは大きな違いである。
さて、補助人工心臓についての発表が多い中で、いろいろな課題も浮かび上がってきている。素晴らしいテクノロジーの成果で世に出てきている植込み型補助人工(VAD)も我が国では年間百数十例に植え込まれている。しかし、保険適用は心臓移植への繋ぎであることから、適用はかなり。心臓がかなり弱ってもう打つ手がない、しかし心臓移植になるかどうかはまだ分からない、本人も家族もまだ理解が出来ていない、と言う状況が多くなっている。VADでないと命が持たないけれど、今使える体外式VAD では感染や血栓塞栓などのリスクもたかく、付けるなら長期の在宅管理が出来る植込み型が望ましい。しかし、保険適用はされない。体外式を付けても退院できないから、補助が長期になったことを考えるとそれも躊躇される(東大からの報告)。要するに、優れた機器があるのに保険の縛りでみすみす使えないという何とも歯がゆい状況が増えている。
永久使用(DT)があるではないかということだが、治験が済んでもDTは別の世界で、移植適応がないとことが明確でないと使えない。65歳以上なら移植は(登録)出来ないから今後DTと言う選択肢が出てくるが(今は全くない)65歳未満はどうなるのか。移植になりそうだがまだ決断できない、という患者さんへの道を閉ざしている現状である。保険適用に厳しいお役所に負けて関係学会が自分で首を絞めているのではないか。
このような植込み型VADの課題が鮮明になって来た学会であったと思う。私は、DTの治験は今の流れで進めたら良いと思うが、今後も取り残されていく沢山の重症心不全の患者さんへの対応を、一度原点に戻って全体像を考える時機であると痛失に感じるのである。この12月にある補助人工心臓の関連学会協議会でこのことを議題にしてもらうようお願いしている。DT治験後の植込み型補助人工心臓の保険償還の在り方について、である。この問題は医学的なことより医療経済の問題になってくる。デバイス代が2000万円近く米国の2-3倍である現状では適用をおいそれと増やせないという健康保険の財政問題がある。

社会復帰、言い換えれば生活の質を、を考慮した医療費用の算出が大事で、質調整生存年QALYがある。社会が許容できる(生産性を見たという表現は的確ではないであろうが)、1QALYとしてどの位医療費の投入が妥当かである。大阪大学の田倉教授が今回も発表されていたが、人工透析は年簡600万円かかるが補助人工心臓では約1,000万強とのこと。これは結構良い予測であるが、装着後安定すればの話しである。これまでの分析では1QALY 2,200万円程度というデーターがある(http://www.jacvas.com/view_dt.html。これでは保健医療のなかで受け入れられないであろう。米国では高齢者への国の補助も額が大きくなっているが、そもそも医療保険体制が異なるし、企業の力が強い。我が国では今後、VADの高齢者への適応も考えると、慢性透析だけでなく補助人工心臓もやり玉に挙げられる可能性もある。先手を打ってこの問題をアカデミア、行政、そして企業で真剣に考える重要な時機であると感じて帰ってきた。

写真は懇親会でのショット。塩野会長を前に、後ろには渥美先生ご夫妻、瀬在元日大総長、の顔も見えます。前の女性は日大医学部卒の産婦人科医で、その方の主催するマジックショーがありました。日大、瀬在明先生のFBより拝借。
 
追記:医療用ロボットHALは11月25日に厚労省よりこの分野では初めての医療機器として承認され、幾つかの病気で保険適用されることになりました。画期的なことです。 できればに日本発のこのような先進機器は欧州より先に本家で承認されるようにしてほしいですね。