2015年11月29日日曜日

医学部教育の国際基準


昨日の読売新聞夕刊に、医学部教育のことと医師偏在の記事が出ていました。両者は関係なく書かれたものですが、それぞれ大事なことなのでコメントします。

 まず医学部教育です。見出しは、「医学部 国際基準で評価」、とあります。一般社団法人で日本医学教育評価機構、というのが発足するそうで、まず日本の医学部での教育が国際基準を満たしているか、個々の大学医学部の教育内容を審査するというものです。基準はWHOの下部組織「世界医学教育連盟」などが設ける基準だそうです。これは米国の臨床研修病院で外国の医学部卒業生を研修生(レジデント)として受け入れる際の基準でもあり、今のままでは日本の卒業生は国際基準に合わないので受け入れられない状況が生じます。どうしてかというと、学部での臨床実習が時間も内容も基準に合わないのです。国際基準では(米国ではといったほうがいいでしょうか)、臨床現場で参加型の実習時間が多いのに比べ日本では見学型が多いからです。以前はポリクリといってほぼすべての診療科を1週間ごとに回って外来診察や回診につくといった浅く広くというスタイルでした。近はクラークシップいって患者さんを受け持って担当医と一緒に診療に参加する(見ているだけですが手術にも入る)形式がとられ大分改善しています。それでも基準に合わせようとすると、座学の講義を減らし、臨床実習の内容もかなり変えないといけないでしょう。日本では医師国家試験対策に躍起ですから、かなり厳しい改革が求められるでしょう。

米国からの通告は我が国の医学教育にとっての黒船(到来)だ、とのその機構の理事の方の話が書かれています。正にその通りです。かって米国の病院でフェローしていたと時に、米国のレジデント(卒後数年から45年)の臨床上の経験やスキルのレベルが高いことに感心したのですが、学部からの教育が違うのです。別の大学病院で著名な心臓外科医の手術見学をしていたら、第一助手は学生でした。見学ではなく、しかも1週間ではなく1か月とか2カ月の単位です。日本のように全科を回る必要はなく内科外科とか主要(?)科と希望の科を(全体でせいぜい数科だったと思います)を選んでみっちり実習するのですから、大変内容は濃く、日本の卒後1-2年でやっていることにある意味相当するわけです。

我が国では医学部には医局講座制という長い歴史があり、学部教育は本務ですが、ここでもお互いが競い合っています。講義や実習枠の確保を平等にすると、総て網羅するための個々の時間が少なく、広く浅くなります。実習より講義の時代が長かった歴史があります。また講義も教授は自分の専門分野を宣伝的に講義して卒業したら自分のところに来るように勧誘する手段にもなっています。内容もまだ普遍化していない自分の先端的研究成果の話で、基礎的なことは卒業試験や国家試験準備で勉強しろ、ということです。これは研究志向マインドを付ける意味であながち悪いことではないのですが、やはり座学中心では形式的になります。最近はコアカリキュラムが示されていて大分変っていると思いますが。とはいえ、今の医学部が押並べて国家試験予備校化している現状で、この参加型臨床実習重視の国際基準をどうクリアーするか、注目です。

この話は、2004年の厚労省(当時は厚生省か)が卒後の2年間を大学医局支配から切離して厚労省主導で行う初期臨床研修制度の導入時の議論を思いだします。文科省と厚労省の縦割り行政の落とし児でもあるこの制度を始める時の議論に阪大病院長の立場で参加しました。内容を見ると所謂スーパーローテイト研修(何がスーパーか?、広く浅く回るのですが)には私たち大学側は猛反対しました。学部教育が臨床実習に力を入れてきているのに、今更また卒業後に繰り返すのか、ということです。学部教育の実態を考えて、無駄を省こう、せめて2年でなく1年でいい、と言い張ったのですが、法律も出来ていてすでに路線は轢かれていて押し切られました。文科省も医師になったものへの関与では弱い立場にあり、課題を残しながらのスタートでした。案の定、今ではその初期研修制度は専門医制度の改革のなかに取り込まれて、形骸化してきています。学部教育の国際標準化をするなら、初期臨床研修制度を専門制度に組み込んだ新たな制度造りを考える時でしょう。

後半の話はもう一つの話題、医師の偏在、に関係するのですが、このことは後編に回します。
 

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