先週の東京での日本人工臓器学会中に、東京国立近代美術館に寄ってきました。皇居近くの竹橋で用事があったのですが、少し時間が空いたのでお堀付近を歩いていたら美術館の前に出てきました。北の丸公園の東京国立近代美術館でした。いままで入ったことはなかったのですが、藤田嗣治画伯の全所蔵展示という案内に目が行って寄ることにしました。海外では学会の合間に時々美術館に寄るのですが、国内では珍しいことです。MOMATコレクション、ということですが、MOMATは The National Museum of
Modern Art, Tokyoの英訳ということでした。65歳以上は無料と言うことも手伝ったのですが、藤田嗣治という名前に惹かれて入りました。
案内によると、ここは2012年にリニュウアルしたそうで、12,000点を超える充実のコレクションから選りすぐった約200点を展観する「MOMATコレクション」展を続けているそうです。「戦後70年にあたる今年は、 4階、3階の2フロア、約1500㎡を使い、所蔵する藤田嗣治の全作品25点と特別出品の1点、計26点を展示します」と言うことです。最近は「戦争画」に焦点を集めているという説明もあったようです。戦後70年と関係があるかは分かりませんが、藤田嗣治が太平洋戦争の戦場の画をかなり描いていたことは知りませんでしたし、驚きでもありました。説明によると、フランスから1933年(昭和8年)に帰国した後、1937年(昭和12年)に日中戦争が始まると陸海軍の委嘱を受けて現地取材を始め、その後戦争画の作成を始めたそうです。太平洋戦争ではどうも現地には行かれなかったようですが、軍の要望でしょうか壮絶な戦闘現場の大型の作品を実際に見たように描いています。目に迫る、という言葉が当てはまるものばかりでした。
武漢進撃からシンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)、
アッツ島玉砕、血戦ガダルカナル、大柿部隊の奮戦、最後に、サイパン島同胞臣節を全うす、などがありました。戦争画14点を一挙に展示するのは初めてだそうです。戦争末期の壮烈な場面、負け戦のなかでの多数の日本兵の死を壮烈に描いています。軍はそれらを敗戦濃厚のなかで英雄的に扱って最後まで国民の戦意を高めようとしたようです。当時の新聞もありましたが、まさに大本営発表の類です。藤田画伯は軍に加担しているようではありますが、その画の内容は、戦争の過酷さ、死屍累々、といった様をしっかり描いていて、戦争の本質を伝えようとしているように思えます。芸術的にも素晴らしい作品は、戦争への痛烈なメッセージを残しています。フランス時代のよく知られた画や自画像もあり、最初は楽しんでいましたが、後に出てきたこれらの対照的な戦争画には見入ってしまいました。案内によると、これらの戦争画は敗戦後に米国に接収されたのですが、1961年の日米修好100年を機に日本国内で戦争画返還を求める声が高まり、外交交渉の末、1970年、作品は「永久貸与」の形で日本に戻ってきて、以来東京国立近代美術館が保管先となっているとのことです。
何故この美術館散歩をここで紹介したかですが、数日前の毎日新聞の「余録」に藤田嗣治のこの戦争画のことが紹介されていたので、タイミングも良かったので書かせてもらいました。「洋画家の藤田嗣治が単身渡仏したのは…」11月24日掲載でした。「第二次大戦中に軍の依頼で戦意高揚の戦争画に取り組んだ真意は何なのか。戦後70年のいま、改めてその意味を問う動きが広がる」、と紹介されています。
藤田嗣治、再発見でしたが、美術に詳しい方からは素人の拙い紹介に思われるでしょう。お許しを願いたい。
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