2016年6月30日木曜日

何処に行くのか新専門医制度 Leave or Stay?

もう6月も終わりで明日から年の後半に入る。今月の世界ニュースは何と言っても英国の国民投票でEU離脱(Brexit)が決まり、世界を驚かせた。これから欧州はどうなるのか、いや世界は、そして日本は、と何かが起こる連鎖の始まりのようである。アメリカは集団銃殺害事件があっても銃販売規制は変えないという西部劇時代の延長緯線にあり、先日はイスタンブール空港でのテロと、世界の政情は不安定である。同時にアメリカの存在感も薄れてロシアと中国が好機到来と権力拡大を図る様子が窺える。一方我が国は舛添東京都知事辞職でマスコミも政治家もそれぞれの本来の役割は何かを自覚しない未熟さを露呈し、参議院選挙をみると衆議院の選挙と変わりなく、政治も社会も国会の二院制とは何かが全く分かっていない、というか無視した状況で、我が国の議会制度は今後どうなるのか懸念される。選挙権年齢が18歳以上に引き下げられたが、急に選挙と言っても、今の若者は普段から自分の考えを持ってそれをしっかり人前で言える訓練が出来ていないし、新聞は読まない、ネットやスマホ依存、社会への無関心、という背景がある中での選挙である。そもそも選挙年齢の引き下げより議員の数を減らす方が先ではないか。

今回は社会問題ともなりつつある新専門医制度について動きがあったので紹介する。いよいよ来年から新制度が始まろうとするなかで、新たな制度では地域医療が崩壊する、という時期尚早論が大合唱的に病院関連の団体や地方の行政側、そして日本医師会から出て、実施計画にブレーキが掛かったことは紹介した。地元兵庫県も井戸知事が関西広域連合の代表として各知事の連盟で待ったを掛けてきた。専門医制度を取り仕切る機構が問題であり、組織構築の改革が必要との意見が日本医師会主導で急速に進んだ。そして、先日、新しい理事会構成員が決まった。理事が20名以上という大組織で、これまで新制度移行に手弁当で頑張ってきた理事はほとんど再任されず、日本医師会寄りのメンバーが連なっているようである。兵庫県井戸知事も理事の一人とは失礼ながら何をかいわんや、である。学識経験者も多いが、医師の生涯教育に精通した方ではなく、この機構は何をするのかが全く分からない。というか、これまで作ってきたものを一からやり直す、ということにしか見えない。それは許されないであろう。

私自身が旧機構で担当したのは制度の要ともいえるプログラム制の基準案作りであった。その後の新機構の理事ではなくなったので最後の準備には関与していないが、当時の作った側から見て新たなプログラム制の問題点を敢えて言えば基幹施設の決め方であった。2004年開始の新臨床研修医制度の登場で痛い目にあっている地方大学にも光を、ということで基幹施設(プログラムの取りまとめ役)を大学病院主体とし、一方で地域医療の維持、医師の偏在を助長させない、ということを忘れないで何とか踏み出そうとした。基幹施設は大学病院だけでなく地域の中核的総合病院も可能としたが、いざ準備を始めてみると(内科外科といった基本領域のみでの準備)、大都会の大学病院が張り切ってこれまで以上に人集めをするような気配が出てきたし、実際にある県では外科プログラムが大学一つという案や、全国に散らばった関連病院を全部まとめて広域のプログラムを作ったり、大きは大学医局がこれ機会に教室員集めに乗り出した。ということで地域医療を何とか改善しようとする側からの不安感が出てきたようである。これを見て、地域の行政(県立などの公立病院の医師を掌握している)が医師会と共に異議を唱えるに至った、という背景と認識している。医局講座制という我が国の独特の仕組みが医師の配置や地域寮への貢献があるにも関わらず新制度のスタートで足を引っ張ったとも見れる。本意ではないが、外からはそう見られてしまったところが誤算であろう。

ネットでも今回の騒動で機構と厚労省がやり玉(悪者)に挙げられているが、注意しないといけないのは、地域医療とへき地医療を混同している所である。それと機構が何とか厚労省の目論みの医師偏在是正をそのまま制度で導入するのではなく、結果としてそういう方向が出ればいい、という所に持って行って、医師というプロフェッションの矜持を維持すべく努力していることへの理解不足であろう。この専門医制度を悪とするなら、医師の質の担保と生涯教育の制度つくりは昭和時代に逆戻りし、世界から笑われ、国民が期待する良質の医療が提供でいなくなる恐れがあることも理解すべきである。

とはいえ、新理事会の構成員をみて日本医師会よりと思わずにはおられない。それが悪いという訳ではないが、日本医師会はこれまで勤務医主体の専門医制度には無関心で、医師の生涯教育制度構築については海外との大きなギャップを残したままであることを忘れてほしくはない。覇権主義的に走っているのではないかと危惧する。今求められているのは、プログラム認定基準の基幹施設の所を修正することである。これで心配事はほとんど解消されるのであって、これほどの機構そのものの大改革は必要がないはずである。地方の医療に関わる方々の懸念を払しょくするプログラム認定基準の一部改訂が済めば、また元に戻るくらいがいいのではと思う。現職知事さん始め大御所ばかりが集まっても、皆が利益代表的に集まっては収拾が付かないであろう。実際、大御所は理事ではなくご意見番での参加が本来の姿であろう。船頭多くして船山に上る、にならないよう願う次第である。機構の予算も乏しく、というより予算基盤がない状況で、20人以上の理事や監事が手弁当で集まる理事会も、交通費だけでも大変と思う。

新しい専門医制度の目的が正しく理解され、潰すのではなく何が問題でどうしたら良いかの論点整理改めて行う必要があるのではないか。今の機構の努力がなぜこういう破たんともいえる状況になったか検証も必要であるが、今は前向きに議論を進める時期である。要は、次世代の医療を担う医師を目標を持たせて育て、その人たちが十分活躍して日本の医療をさらに発展させることであり、その為には専門医制度が要るという共通の理解が要る。一方で専門医資格取得へのインセンティブを堂々と要求するには、まずは今しっかりと制度作を始めないと社会は付いてこないことも理解すべきであろう。

追記、外科専門医制度とその2階の部分は既に十分準備が出来ているので、新機構の意向とどう向き合うのかが注目される。Brexitのような新機構離脱、とはならないとは思うが。
Leave or Stayが我が国でもあるのか。


2016年6月27日月曜日

医療ツーリズム、上海で会議

最近、海外、特に中国からの日本での健康診断や治療に来られる方が増えている。その背景には、日本の医療が進んでいることや医療費が欧米に比べて安いなどがあるが、政府の方針も後押していて、医療観光や医療ツーリズム、という言葉が賑わうようになっている。政府の後押しというのは、2010年に民主党政権時に「新成長戦略」に外国患者の受け入れの促進が盛り込まれ、その後現政権でも経済産業省がアウトバウンド・インバウンド双方向に力を入れている。戦略としてその支援組織、Medical Excellence Japanを立ち上げ、特に外国人患者受け入れ事業を支援している。海外からの患者受入数はここ45年で年間数万人から倍増する勢いで、2020年には40万人を越える需要があるという。
医療ツーリズムを進めるには海外の患者さんの募集から受け入れ施設を決めたり、費用の面や医療通訳のことなどでかなりしっかりした支援体制が要る。そういうコーディネーター役をする所も増えてきて、これには旅行関係の企業も積極的に事業展開し、受け入れ病院も各地域や専門病院を確保している。私が神戸市ポートアイランドにある公益財団法人神戸国際交流財団に在籍している時に、インドネシアの肝移植希望患者さんを受け入れるキフメック病院が近くで立ち上がったが、地元の医師会は生体肝移植についてかなり強硬に反対していたし、神戸市中央市民病院などの公立病院は市民や県民の医療で手一杯で、海外の患者を受け入れる余裕はない、という雰囲気であった。
今回、このテーマを取り上げたのは中国からの患者さんの国内での受け入れ事業に若干関与することになったからである。元々は岡山の医師と上海の医師の間で医学交流を推進する企画が始まり、私も嘗て西安第4軍医大学と阪大医学部の研究連携に関わったこともあり、お手伝いすることとなった。そして医師間の交流とともにその延長で両地区の華僑の方々の支援で医療ツーリズムの企画が始まった。今回、その中国側の拠点が上海に立ち上がったので出かけてきた。
一泊二日の慌ただしい行程であったが、医療ツーリズムはさておいて、上海訪問を楽しんで来たので書かせてもらうことにした。上海は阪大時代の西安訪問の帰りに一度寄ったことがあるだけで、今回は2度目であった。関西空港から上海までは直行便があり、2時間前後で着いてしまう随分近くなっています。上海側拠点事務所のキックオフ記念会は中心部から少し離れたホテルでこじんまり行われたのですが、日本側は岡山大学の代表(岡山大学のオフィスがある)や岡山の心臓病の中核病院の代表、そして日中友好協会の役員の方も参加し、中国側は行政、医療機関(大学病院)の代表に加え、元上海副市長、そしてなんと片山上海日本国総領事も来られ、盛り上がりました。上海事務所は上海市の許可をもらっていて、上海側にも医療ツーリズムへの期待が高いことが覗われた。因みに上海は国の直轄市であり、人口1400万人の中国最大の都市で、我が国へのビザ発行数も第1位、直近ではディズニーランドが開場し関空からの旅行者も多いという。
上海元副市長の年配の女性が来られていたが、名刺を見ると宋慶齢記念基金財団の理事長さんと読める。中国語は全く理解できないが、華僑の方によると孫文の話しも出てきて、歴史の重さを感じた。宋慶齢とは蒋介石夫人であった宋美齢の姉で、孫文夫人となった方で、有名な宋三姉妹の話しである。以前の西安訪問の時に楊貴妃が通った有名な温泉場、華清池を案内してもらったが、そこには1936年の西安事件で蒋介石が隠れていた部屋の窓ガラスが張学良軍の攻撃で破れたまま残されていたのが思い出される。蒋介石の本拠地は上海であり、ここから西安に向かったという歴史がある。そんなことを聞きながら、そう言えば上海は日中戦争では反日の大拠点でもあったことを思い出した。主に日本であるが以前から歴史物語を読むのが好きで、最近は船戸与一の「満州演義」を読んでいるので、このような話は興味がある。総領事との会話も得難い経験で、我が国の医療や医学教育について意見交換できたことは有難かった。
翌日は新しいオフィスを訪問後、時間があったので明時代にできた公園、古猗園、を訪れた。その中に満州事変を記念した小さな建物があり、説明文には「日本兵による残虐事件を忘れるな」とあった(英文説明)。日中では過去の歴史を見る目が違う、ということを垣間見たようであった。その公園に連れて行ってもらった目的は、隣にある食事処にあった。上海料理と言えば小籠包であり、そのレストランが一番おいしい、ということであった。小籠包だけでなく多彩な上海料理を堪能させてもらい、最終便で関空に帰ってきた。
さて、肝心の上海との医療ツーリズム活動はこれからで、私は学術交流面での立場と共に兵庫県の病院での展開も支援できればと思っている。上海や中国の歴史を学び直してまた訪問したい。充実した2日間であった。


2016年6月21日火曜日

米国専門医制度、外科レジデントの勤務時間

新専門医制度が始まろうとしているがどうも予定通りには行かない雰囲気がある。新制度の目的は、医師の生涯教育の最初の10年程の研修を各制度でばらばらにならないよう標準化し、外部からみても質の担保が出来、国民から信頼される医師を育てていくための生涯教育の仕組み造りである。グローバルに見ても評価されるものにしていくための改革であると思っている。そのためにはプログラム制での施設認定とピア-レビューが不可欠であるが、地域医療を混乱させたり医師の偏在を助長したり、一人前になるまでの期間が増えたりする、といった誤解とも言える疑問が出てきた。その背景には、一つにはプログラム制への理解が出来ていないことと、今の何が悪いのかというある意味固定観念的なものが根強いことと、加えて手続きが煩雑であることや、基幹施設になり難い大学病院以外の中核病院からの不満、も加わったのであろう。地域医療が崩壊するという意見が猛然と起こってきて関西広域連合の提起もされるまでに状況は混沌としてきた。こういう危惧がないように周到な準備と説明が必要であったはずが、スタート時期が決まっていて準備不足のまま来て今があるのかと思う。別の背景には、厚労省主導なので初期臨床研修制度の問題点をこの機会に改めるという姿勢の欠如もある。また、一部の大学、特に都会の大きな大学病院(講座の力が強い)がこれを機会に医局員を更に沢山集める、という動きをしているのではないか、と心配している。今回の改定は、大学病院がしっかりと医師の生涯教育の責任も果たすよう良いプログラムを作りながら地域医療の問題を改善していって欲しいという趣旨であったが、大学の教授の先生方の考えは従来の医局制度から離れられない、ということが理想と現実の解離の背景であると感じられる。

久しぶりの投稿であるが、書きたいのは上記の我が国で問題となっている新専門医制度のことというより、関連する米国での話しである。米国では専門医資格を取るための研修中の医師はレジデントと呼ばれる。卒後5-7年くらいの間、学会や第三者機関がしっかりとプログラムの質と個人の修練を管理しているが、その機構(ACGME)は各学会や各専門医制度と連携し、世界の標準となる制度造りを行ってきた。その中で、レジデントの勤務時間の管理は大きな仕事であった。今は、週80時間ルールがあり、四半世紀も守られている。以前にも紹介したが、1980年代後半に連続勤務が2日や3日が強いられていたレジデンが、過労のために的確な判断が出来ずに、間違った投薬で若い女性患者を死なせてしまった事件が起こった。亡くなったのはLibby Zionとういうか方で、その父親がジャーナリストであって、その事故の背景を調べ、当時常識であったレジデントの長時間の連続勤務が的確な臨床判断を出来なくし、医療事故が起こる背景にあることを訴えた。その結果、レジデントの勤務時間を週80時間以内とする法律(LiBBY法)法が出来た。
我が国で臨床研修制度(卒後2年間)が導入されたときに勤務時間の設定が議論され、また若い医師の過労死問題も起こり、各病院は医師の勤務時間の管理を行うようになった。これは労働基準法での管理であり、初期研修医は週40時間、という決まりがあり、給与が付く夜勤や時間外勤務は対象外でという雇用制度でもある。こんな9時―5時、土日休み、ではろくな研修が出来ない、この制度はいったい何を目指しているのか、という議論をした。しかし、労基法での縛りと厚労省の指針もあって、医師に成り立ての大事な2年間の研修時間が米国の半分である。甘やかされた制度でもある。外科研修から見ると、長い手術にも入れないし、術後の管理も出来ない。無論、研修病院によっては雇用契約が違うので一概には言えないが原則ではそうである。しかし、専門医修練である3年目以降は常勤医師であり、当然時間外手当が付く。従って週40時間という制約はない。しかし、80時間というような上限は設ける必要はない。あくまで労基法管理下であるから、とても80時間は無理である。そんなことをすると病院が労基法違反に問われる。
米国ではなぜ今も80時間制が守られているのか。それは長いレジデント制度のなかで培われてきた仕組みが簡単に変えられないことと、レジデントは安い給与でのマンパワー確保のために必要であるからと思われる。また、その後は補足的に、連続勤務時間を16時間まで、オンコール(当直)は3日に一度以内、夜勤の翌日は朝から帰れる、などで緩和されてきている。しかも、この時間制約を守らないと研修指定病院から外される、というペナルテイーもあるから、手術中にもう時間ですから帰りますと言われたらダメとは上司は言えない、といったことが生じている。この80時間制度について興味ある報告が最近の雑誌に出ている。New England Journalof Medicineの最新号(616日)に外科レジデントの勤務時間、という短い報告である。それは、この80時間ルールがどう守られているかの調査結果である。1003人の外科レジデントへのアンケートで、80時間ルールを超えたことがあるという答えは71%という高率であった。理由は、仕事が終わらなかった、緊急と長時間手術、患者ケアー、種類書き、などがあるが、外からの圧力や病棟を離れることへの罪悪感、などもある。非現実的な制度であり、しっかり守られてはいない、という状況である。
この報告は、若い外科医の初期修練での時間制約ルールは決して望ましいものではなく、より柔軟に、かつ効果的なものに修正していくべきではないか、というメッセージで締めくくられている。産科のレジデントでも同じような状況とも書かれている。手術に参加し、術後管理をすることで育てられる外科医の教育環境は時間で制約されるのではなく、内容と健康面やメンタルなことからの配慮でもって改善されていくのか。日本での新たな外科系専門医制度では働く環境の大事さもプログラム認定で謳われているがどうなるのか。ちなみに、扱う手術症例数が違って米国では半端ではなく多い、という背景もある(忙しい)。また、獲得された専門医資格の重みもかなり違って、資格取得後の処遇はとんでもなく違うことも認めざるを得ない。専門医制度でのプログラム制導入が米国の制度の表面だけ見習って中身はほど遠い、と言われても反論できないと思ってしまう。