2018年2月26日月曜日

平昌オリンピックも終わって


平昌オリンピックも終わりました。日本のメダル獲得数も冬季オリンピックでは記録のようで何よりでした。アルペンスキーは放送も少なくあまり楽しめませんでしたが、スピードスケートは凄い頑張りでした。500メーター金の小平選手は松本の相澤病院が支援していますが、私のかっての同僚も勤務していた病院で一度訪問したことがあります。診療内容もしっかりしていて、普段から尊敬している病院です。アルペン競技に戻ると、高速系(滑降とスーパー大回転)は我が国の選手は殆ど出る幕もなかったのですが、今回は男女一人づつ出ているので今後が期待されます。私の懇意にしているかってのオリンピアンが言うには、日本スキー連盟が随分前に公式戦で降競技をなくしてしまったことがいけない、といわれていました。コース設定が難しく、長野オリンピックでも国立公園という縛りでコースが国際規格に満たない、といったこともありました。どこかに高速系に特化したコース作りも必要ではと思います。しかし、日本のスキー場は普段の経営がやっとで、競技にかける余裕はないのが実態ですが、将来冬季オリンピックをまた招致するのであれば、そこが課題になるのではと素人なりの思いがします。

さて、ここ暫くの医療関係のニュースで気になるのは、地域医療をどう維持するか、そのための医師の偏在の解消が相変わらず出てきています。これは厚労省としても重要課題ではありますが、出てくるのは地方病院への勤務を推奨する制度や大学への地域枠の増加とその活用、といったことです。特に厚労省の出している地域病院勤務経験を将来の地域病院管理者への要件にする、という以前から出ている案を実行させるようです。この措置は正直言ってそれほど効果があるのか疑問で、場合によっては逆効果にもなりかねない案でしょう。無理に行かすより、モチベーション高く地域医療の入り込む人材をどう増やしていくか、課題の分析とそれに対する措置があって始めて実効性が出てくるのではと思います。お役人が机上で考えて、絵を描いても現場との乖離があれば成功しないでしょう。

一方で、日本は病院ベッド数が国際的に見て多い(病院自体も多く、小規模病院が多くを占めている)という記事もありました。以前からこれは医療界では常識であって、これが我が国の医療供給体制の問題の根幹であることは以前から良く知られていて、今更新聞で書くようなことではないでしょう。何が問題になっているかが問われます。即ち、集約化が出来ない理由を分析してどう対応するか、国の判断がこういう基本的なところで必要になると思います。中規模の総合病院を各自治体が自前で堅持していることも、医療資源投資の無駄と医師不足に繋がっているわけです。それでもやっと公立病院で集約化が進みつつあるようですが、私立病院は介入も出来ません。心臓血管外科診療科の集約化が叫ばれて久しい中で実現していない現実があります。

こういう視点で見ても、地域の医療の確保には、病院の集約化は避けて通らない話しであります。地域の方々が近くに我が町立や市立病院を求める時代も、財務的にも無理があり、またこれだけ交通手段が進んだ時代おいては考え方の転換が要る時代です。そういう方向付けが何で出来るかが医療界、特に医師会、そして行政に問われています。自治体病院の集約化には家庭医の役割が重要で、それこそかかりつけ医の定着が必要でしょう。不要な大病院受診が如何に医療費の無駄と人材の分散をもたらしているかです。専門医制度で地域医療の確保は、行政主導では出来ない話しですが、一縷の望みである総合診療専門医の開始は残念ながら全国で200人にも満たず、一部のメディアは失敗と決めつけています。専門医機構のやり方が拙かったと言うことだけでないと思いますが、次年度は盛り返して欲しいところです。

我が国の医療制度は自由社会でありながら国が管理する社会主義医療であり、医師は専門分野の選択には自由が確保されているし、患者さんは何処でも受診できる。素晴らしい制度です。日本医師会の言うフリーアクセス、医療費では差別のない社会保障制度、は理想ですが、一方では医療費は高騰し続け、超高齢化社会も進み、このままでは社会保障制度は破綻するでしょう。一度、暴論でしょうが、医療が経済的な危機に陥らないと改革は出来ないような気もします。何か小手先の議論ばかりが出てくるようで残念な気持がします。

平昌オリンピックのメダルラッシュで浮かれていないで、この国の将来を改めてしっかり考えるモードに戻りましょう。

2018年2月15日木曜日

  平昌冬季オリンピック開催中


 平昌オリンピックが始まってもう1週間になる。今回は時差がないので深夜の観戦ではなく寝不足にはならないので楽しめる。今回は結構メダル獲得が期待されていて、実際これまで6つと好調であるが、金は残念ながらまだである。期待は高かった種目もやはり金はそう簡単には取らせてくれないのがオリンピックか。でも、スケートで2つ、ノルディックで1つ、フィギュア-スケートで1つと金が期待されるし、メダルも増えるのでは。日本も大寒波で北陸東北は大雪と厳しい冬で、韓国は気温が低いという好条件ではあるが、風には悩まされている。数年前に12月のシーズン始めに韓国に足慣らしに行った時も、寒さとアイスバーンで苦労したことを思い出す。冬期オリンピックは札幌も長野も見にいけなかったこともあり、2006年のトリノは行かせてもらった。開会式で今は亡き世界的テノール歌手のルチアーノ・パヴァロッティがプッチーニの「誰も寝てはならぬ」を歌って盛り上がっていた(後でこれは口パクだったらしい)。荒川静香がフィギャースケートで金メダルを取ったときの伴走曲だったと思う。滑降と回転を間近でみて異次元の世界に驚かされた。

私は全関西学生スキー連盟の会長を仰せつかっているが、スキー人口の減少と共に競技スキーに入ってくる学生も減っていて、特に雪国から遠い関西(西日本)で参加校と登録選手の確保に苦労している。でも、ここ数年は参加者の微増もあり、これを平昌オリンピックの後押しでもって勢いを付けたいと思っている。3月初めの日本学生選手権(インカレ)に続いて全関西スキー選手権大会も共に野沢温泉で開催予定である。オリンピックとは比べものにはならないが、学生諸君の個人の戦いと共に学校対抗戦にも熱が入る。今年は雪の心配はなさそうで、順調な大会運営が出来そうである。

さて、下世話の話しではあるが、私の拘っている日本の応援での日の丸への寄せ書きである(以前にも書いている)。今回も相変わらず寄せ書きで埋まった日の丸が相変わらず目につく。国旗は国旗で応援旗ではなく、寄せ書きは美的感覚もないし、そもそも寄せ書き応援から脱し得ていない我が国のスポーツ文化に違和感を持つ一人でもある。太平洋戦争中の話しを持ち出すまでもないが、国際的感覚からも違和感があるのは私だけではない。スポーツ庁の鈴木長官には何か言って欲しいし、東京オリンピックではきれいな日の丸だけになれば嬉しい。