我が国での新型コロナウイルス(Covid-19)感染者数のカーブも漸く下り坂になってきて、今日明日にも非常事態宣言の緩和ないし解除が行われようとしています。感染危機管理でいろいろな課題を抱えたまま収束に向かっていますが、のど元過ぎれば、ではないですが今後の対応が一層注目されます。何が問題であったのか分析と次への対策構想に今から取り組んで欲しいと思います。国家的危機が生じても、一旦収まると関心も薄れ、大事な制度改革を先延ばしにしてしまう国ですから。
PCR検査数も問題ではありますが、検査の少ないことを議論するのはもういいとして、今大事なのはこの目に見えないウイルス感染への国民の正しい理解を求めることだと思います。それが充分でなければ、いくら規制を設けても、自粛という個人の判断に頼るやり方では限界があります。私は大丈夫、世間は怖がりすぎ、自分も家族も関係ない、と言う意見が多い状況では、危機管理に限界があるのは当然で、国民のウイルス感染への啓発が今更ながら重要と思います。どうするかは難しいですが、メディアも政府批判や実況中継的な報道から、ウイルス感染について分かりやすく繰り返し説明することに集中して欲しいと思います。視聴率のことがあるので民放は無理としたら、NHKに頼ることになりますが、一方で医学会や医師会がその啓発にもっと力を入れて欲しいと思います。ウイルス感染症という病気への理解が薄ければ、再燃も充分あり得るでしょう。
さて、New
England Journal of Medicine という米国の医学雑誌のCovid-19関連の記事を紹介してきました。この雑誌では毎週Covid-19に関する発表を掲載していて、原文ですがフリーアクセスで見ることが出来ます。今回は、新型コロナパンデミックにおける心肺蘇生(CPR)についての倫理的背景から見た論文、
CPR in the Covid19 era—An Ethical Framework
(by Kramer)です。
「新型コロナウイルス感染蔓延時期における心肺蘇生の在り方、倫理的にみた構図」、というものです。
我が国でも院外心停止例への救急隊の蘇生操作の施行(胸骨圧迫、人工呼吸、AEDなど)や救急外来での対応が問題になっています。Covid-19感染疑いがあったらどうするか、医療従事者への感染や院内感染にならないか、PCR検査はどうするか、など医療崩壊になる重要な問題です。実際、CPRで蘇生後に入院し手術や治療をした後に感染が判明した事例も生じています。特に個人防御装置(Personal
Protective Equipment, PPT、マスク、手袋、ゴーグル、防御ガウンなど)が備わっていない状況でのCPRや緊急治療は大変悩ましい問題です。心臓外科や心臓カテーテル治療など、生命に関わる場合の緊急治療でも問題で、学会関係(海外からも)の指針も出ていますが、最終決断は現場に任されているのが現状です。以前、このブログで紹介したDNR、終末期医療、に関わる問題でもあり、倫理的な背景の理解が必要となります。
米国と我が国では倫理的な対応も違うので同じにはなりませんが、考え方としては参考になると思います。
さて以下要約です。
背景は米国でも同様で、CPRにまつわる問題は、救急医療の医療リソース(医療資源)不足である。即ち訓練された人材、装備、ICUベッド、などが限られている中で、さらにこの感染症の広がり(医療担当者と施設)を考えると、DNR(蘇生術を受けない)がなければCPRに最善を尽くすという従来の使命は必ずしも受け入れられなくなる。医療従事者の感染と院内感染、必要なICUベッドの確保、の観点から、危機管理における標準規定(crisis
standard)が必要である。そしてCPRをしないとするには倫理的な基準が必要である。この論文では主に院内心肺停止例への対応が書かれている。
背景には、院内心肺停止例へのCPRの成果を見ると、約25%しか退院できていないという現実があるも考慮しないといけない。米国の科学・技術・医学に関するアカデミーの危機対応標準規定によると、最も救命の可能性の高い患者をまず助けることが基本とされている。命の選別が起こる。そこには基本的倫理として、公正であること、ケアの義務を尽くすこと、リソースを大事にする、意思決定における透明性の維持、一貫性、調和、そして説明責任、と書かれている。人種や性別、年齢、保険、経済力、などでの差別を避けるには透明性が家族野理解の上で重要である。
このような背景のもと、以下の3つの項目を危機管理におけるCPRの基準として推奨している。
1) 医療資源が逼迫していることを理解すること。そのためには、病院の受け時点でのDNRの確認と共に、CPRはしないという選択も提示するが、一方では科学的根拠に基づいて慎重な判断が必要である。
2) CPRをしない選択には背景の疾患への考慮が必要であるが、Covid-19を特別な疾患とすることは今の科学的根拠からは推奨されない。しかし、医療資源の制限がある中で最大限の救命者を出すには、以下の場合には蘇生をしないという選択が許容される。それには、人工呼吸器がない、救急治療のベッドがない、また疾患の進行程度が決定的である、などであるが、不整脈のような電気ショックや胸骨圧迫で対応できる場合は除外されるべきである。 これらのことは、院内のcode-team(緊急対応チーム)にも当てはまることである。
3) 医療従事者の安全の確保のためへの配慮は危機管理での標準規定への科学的根拠になる。そのためには、訓練された人材によるPPE使用、経験充分な医療者による気管内挿管、機械的CPR装置の使用があればその使用、をガイドライン等に含める。
纏め的には、米国では一部の施設を除き、危機管理標準規定、を整備していないのが現状である。今後は、倫理的根拠に支えられた明確なcrisis
standard が必要であり、そうすることでCPRの従来のプロトコールに準拠することがもはや適切では無くなる場合が出てくるであろう。
倫理が絡む中々難しいテーマで、訳するのにも苦労したので正確性に欠けるかも知れないのですが、概要は伝えられたのではと思います。我が国では終末期医療のガイドラインも出てきていますが、APCもまだ広く理解されているとは言えない状況です。この感染パンデミックの機会に、心肺蘇生の在り方が更に議論されるのではと思います。標準防御が基本ではありますが、救急患者さんをすべて感染者と見なすには倫理的問題と共に実践するための障壁が高い状況です。それでも、大学病院では手術患者さんの術前検査にCovid-19のPCR検査を進めていますが、外科関連学会の要望もあり保険適応も承認されたと聞いています。
最後に、感染症の疑いがある患者さんへのCPRをしないという決断においては、我が国では倫理的考察よりなんと言っても家族対応の難しい状況があります、例えDNRの存在下でも。
今日のNEJMの記事紹介は何かしっくりしない内容でした。
皆様、もう少し辛抱ですね。
我が国での新型コロナウイルス(Covid-19)感染者数のカーブも漸く下り坂になってきて、今日明日にも非常事態宣言の緩和ないし解除が行われようとしています。感染危機管理でいろいろな課題を抱えたまま収束に向かっていますが、のど元過ぎれば、ではないですが今後の対応が一層注目されます。何が問題であったのか分析と次への対策構想に今から取り組んで欲しいと思います。国家的危機が生じても、一旦収まると関心も薄れ、大事な制度改革を先延ばしにしてしまう国ですから。
PCR検査数も問題ではありますが、検査の少ないことを議論するのはもういいとして、今大事なのはこの目に見えないウイルス感染への国民の正しい理解を求めることだと思います。それが充分でなければ、いくら規制を設けても、自粛という個人の判断に頼るやり方では限界があります。私は大丈夫、世間は怖がりすぎ、自分も家族も関係ない、と言う意見が多い状況では、危機管理に限界があるのは当然で、国民のウイルス感染への啓発が今更ながら重要と思います。どうするかは難しいですが、メディアも政府批判や実況中継的な報道から、ウイルス感染について分かりやすく繰り返し説明することに集中して欲しいと思います。視聴率のことがあるので民放は無理としたら、NHKに頼ることになりますが、一方で医学会や医師会がその啓発にもっと力を入れて欲しいと思います。ウイルス感染症という病気への理解が薄ければ、再燃も充分あり得るでしょう。
さて、New
England Journal of Medicine という米国の医学雑誌のCovid-19関連の記事を紹介してきました。この雑誌では毎週Covid-19に関する発表を掲載していて、原文ですがフリーアクセスで見ることが出来ます。今回は、新型コロナパンデミックにおける心肺蘇生(CPR)についての倫理的背景から見た論文、
CPR in the Covid19 era—An Ethical Framework
(by Kramer)です。
「新型コロナウイルス感染蔓延時期における心肺蘇生の在り方、倫理的にみた構図」、というものです。
我が国でも院外心停止例への救急隊の蘇生操作の施行(胸骨圧迫、人工呼吸、AEDなど)や救急外来での対応が問題になっています。Covid-19感染疑いがあったらどうするか、医療従事者への感染や院内感染にならないか、PCR検査はどうするか、など医療崩壊になる重要な問題です。実際、CPRで蘇生後に入院し手術や治療をした後に感染が判明した事例も生じています。特に個人防御装置(Personal
Protective Equipment, PPT、マスク、手袋、ゴーグル、防御ガウンなど)が備わっていない状況でのCPRや緊急治療は大変悩ましい問題です。心臓外科や心臓カテーテル治療など、生命に関わる場合の緊急治療でも問題で、学会関係(海外からも)の指針も出ていますが、最終決断は現場に任されているのが現状です。以前、このブログで紹介したDNR、終末期医療、に関わる問題でもあり、倫理的な背景の理解が必要となります。
米国と我が国では倫理的な対応も違うので同じにはなりませんが、考え方としては参考になると思います。
さて以下要約です。
背景は米国でも同様で、CPRにまつわる問題は、救急医療の医療リソース(医療資源)不足である。即ち訓練された人材、装備、ICUベッド、などが限られている中で、さらにこの感染症の広がり(医療担当者と施設)を考えると、DNR(蘇生術を受けない)がなければCPRに最善を尽くすという従来の使命は必ずしも受け入れられなくなる。医療従事者の感染と院内感染、必要なICUベッドの確保、の観点から、危機管理における標準規定(crisis
standard)が必要である。そしてCPRをしないとするには倫理的な基準が必要である。この論文では主に院内心肺停止例への対応が書かれている。
背景には、院内心肺停止例へのCPRの成果を見ると、約25%しか退院できていないという現実があるも考慮しないといけない。米国の科学・技術・医学に関するアカデミーの危機対応標準規定によると、最も救命の可能性の高い患者をまず助けることが基本とされている。命の選別が起こる。そこには基本的倫理として、公正であること、ケアの義務を尽くすこと、リソースを大事にする、意思決定における透明性の維持、一貫性、調和、そして説明責任、と書かれている。人種や性別、年齢、保険、経済力、などでの差別を避けるには透明性が家族野理解の上で重要である。
このような背景のもと、以下の3つの項目を危機管理におけるCPRの基準として推奨している。
1) 医療資源が逼迫していることを理解すること。そのためには、病院の受け時点でのDNRの確認と共に、CPRはしないという選択も提示するが、一方では科学的根拠に基づいて慎重な判断が必要である。
2) CPRをしない選択には背景の疾患への考慮が必要であるが、Covid-19を特別な疾患とすることは今の科学的根拠からは推奨されない。しかし、医療資源の制限がある中で最大限の救命者を出すには、以下の場合には蘇生をしないという選択が許容される。それには、人工呼吸器がない、救急治療のベッドがない、また疾患の進行程度が決定的である、などであるが、不整脈のような電気ショックや胸骨圧迫で対応できる場合は除外されるべきである。 これらのことは、院内のcode-team(緊急対応チーム)にも当てはまることである。
3) 医療従事者の安全の確保のためへの配慮は危機管理での標準規定への科学的根拠になる。そのためには、訓練された人材によるPPE使用、経験充分な医療者による気管内挿管、機械的CPR装置の使用があればその使用、をガイドライン等に含める。
纏め的には、米国では一部の施設を除き、危機管理標準規定、を整備していないのが現状である。今後は、倫理的根拠に支えられた明確なcrisis
standard が必要であり、そうすることでCPRの従来のプロトコールに準拠することがもはや適切では無くなる場合が出てくるであろう。
倫理が絡む中々難しいテーマで、訳するのにも苦労したので正確性に欠けるかも知れないのですが、概要は伝えられたのではと思います。我が国では終末期医療のガイドラインも出てきていますが、APCもまだ広く理解されているとは言えない状況です。この感染パンデミックの機会に、心肺蘇生の在り方が更に議論されるのではと思います。標準防御が基本ではありますが、救急患者さんをすべて感染者と見なすには倫理的問題と共に実践するための障壁が高い状況です。それでも、大学病院では手術患者さんの術前検査にCovid-19のPCR検査を進めていますが、外科関連学会の要望もあり保険適応も承認されたと聞いています。
最後に、感染症の疑いがある患者さんへのCPRをしないという決断においては、我が国では倫理的考察よりなんと言っても家族対応の難しい状況があります、例えDNRの存在下でも。
今日のNEJMの記事紹介は何かしっくりしない内容でした。
皆様、もう少し辛抱ですね。
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