まずは6年の学長職から解放されて、心臓血管外科の臨床に戻れたのが何といっても大きなことでした。陸に上がったカッパから水を得た何とかではなくても、本職に戻ったというのが実感です。といっても学長職は自分にとっても大変大きな挑戦もありました。支えて頂いた方々には本当に感謝しています。ではその社会にどう貢献できたかたですが、これは後の人たちが評価してくれるでしょう。とはいえ、チーム医療やボーダレスで旗を振りながらいろんな意味での異文化コミュニケーションの難しさも経験し、さて医療現場に帰ってみて改めて多職種連携・チーム医療とは何か、何がバリアーか、等々現場で再認識をした年でもあります。勿論、大学病院と第一線病院との違いも大きいのですが、基本は変わりないことも実感しました。
さて臨床に戻ったとは何をもって言うのか、です。白衣を着ただけではなく、外来診察をするだけではなく、私の場合は何といても手術室で何が出来るかです。当然ながら術者でどうこうするのはさすがに控え、若手と一緒に手術するのがせいぜいですが、まずは手術から離れない様にしてきました。一方では手術症例検討会は長年とった何とかで結構気合を入れています。専門性が進んで今の若い人は自分の担当する病気にしか目が届かず、患者さん全体を見る視点がともすれば薄れるところを、カンファレンスなどで補っています。
このブログも名前を改めて再開し、9ヶ月、毎月3ー4件ほどで、全部で33件になりました。最近は閲覧数が急に増えて何事かと思ったら、例のリファラスパムでした。無視に徹しています。皆様にご迷惑にならないよう願っています。肝心の内容では、教育現場から離れたことや私が関係する学会や研究会、そして委員会などに限られていることもあり、ごく狭い領域での医療事情になっています。カテゴリーでは、やはり臓器移植が多くなるのは仕方がないとしても、小児の臓器提供がゆっくりではりますが歩みだしたことが印象的でした。後は、日本移植学会や心臓移植研究会の記事を書きながら何が課題かも触れてきました。臓器提供が法改正後急増したとは言え、とりあえずの(最低限)目標である年間50例はもう少しですがまだ達していません。この12月になって5例の提供があり、今日現在で47例になったことは注目していいと思いまます。心臓移植も37例とこれまでの年間数の最大まで増えていますし、心肺同時移植も2例目が行われ、岡山大学でも小児の心臓移植が実施され、施設言うと後は北海道大学で行われれば9施設全てで実施というひとつの節目になります。もう一息です。
医療問題では医師不足、医師偏在、地域医療崩壊、などが依然として懸案事項であり、その解決策の一つが専門医制度と個人的には捉えている訳です。総合診療専門医のことはその後触れずじまいでしたが、またなにか展開があれば紹介したいと思っています。さて、その専門制度改革も大詰めに来ていますが、最後の段階になり第三者機関とは何かで釈然としない状況があり、私見としてを述べさせてもらいました。日本はなぜか後になって偉いさん達が出てきて仕切る、という構図が多いようです。米国では専門医制度は医師の卒後教育の最初の段階としてほぼ義務化し、かつ保健機構が資金を出しています。制度は標準化とピアレビュー制を取り入れ、80%以上の卒後医師がこれを乗り切って医療現場で活躍していますが、わが国ではそこまで踏み込めないのは何か、を考えさせられた1年でした。文科省と厚労省、医師会と学会、といった対立構造は何とかこれを機会に解消しないと、医師偏在も何ら改善しないでしょう。
多職種連携では、特定医療行為をあるきまった教育を受けた看護師ができる制度(以前特定看護師と言われていたもの)が来年の通常国会で提案される予定です。看護系の中でもいろいろ意見がありますが、まずはしっかり制度を作り、現場でその真価を問いながら育てて行くべきものと思って、法律制定(保助看法一部改正)に期待しています。関連して、薬剤師やリハビリテーション分野でも専門資格の制度作りが進むと思いますが、医師の制度作りを参考にされるものと思います。その中でも触れましたが、米国での専門職の教育や評価制度での特徴はコンピテンシーという概念の登場です。その中核をコアコンピテンシーとして、目標設定を行うものです。わが国の新た専門医制度作りの中で、年末には基本となる制度整備指針がまとまってきましたが、その中の専門とは何かのところで、このコアコンピテンシーを採用してもらいました。グルーバル化の点からもいいステップだと自負しています。どう活用されるか注目です。国際移植学会は学長ブログ時代に触れましたが、来年4月に再度サンディエゴで開催されます。その案内を見ると、学会前の教育セッションでは 幾つかのテーマがあり、そのサブタイトルが、コアコンピテンシー、となっています。どう言う意味でこうなったのか、出来れば参加して実感してみたいと思います。
その他には、三浦雄一郎さんの80歳でのエベレスト登頂もありました。といったことでこの1年(9ヶ月)が済んだ訳ですが、幾つか簡単に補足します。学長退任後、神戸新聞から6月の1ヶ月だけの紙面批評コーナの担当を任され、ブログ並みに5本を頑張って書きましたが、いい経験をさせてもらいました。もう一つの仕事の神戸国際医療交流財団のことは触れずに来ましたが、なかなか紹介する話もなく、正直いろいろ迷いながらの1年でありました。来年春には新たな出発になるかと思いますので、また紹介させてもらいます。一方では、神戸市の医療機器開発のプラットフォームは何とか滑り出していて、来年は実際のモノ作りの活動が始まると思っています。
趣味では、アウトドアースポーツに限ると、大きな節目(?)の年でもありました。スキーのオフシーズンは自転車になって長いのですうが、ロードバイクを楽しみ出して4年が経ちました。週末に近場を走るという程度ですが、心臓血管外科の自転車組に刺激され、日曜の午前中に何とか50キロくらいは走れるようになってきました。スピードは上がらず、坂上りはほぼ無理、という状況から、今年は長距離(ロングライドといいます)への挑戦でした。まずは5月の大阪での学会の後に淡島へ出かけ、一周ではなく南側の坂をショートカットした90キロを何とか走り切りました。途中でステーキ屋での一服というのんびりしたものですが(左写真)、これで少し自信がついて、思い切って秋の大きなイベント、淡路島一周ロングライド150に登録しました。2000人からの参加がある“あわいち“と呼ばれているもので、海岸沿いの一周が丁度150キロになります。9月23日、前日から泊まり込んで、朝6時に夢舞台のあたりから出発、途中で4箇所の補給処があるのですが、南の坂登は予想以上にきつく、押して歩く始末(たくさん歩いています)。エネルギーの補給が大事ですが、そのコツも分からないまま前半で体力消耗。でも午後4時までにゴールという時間制限に少し遅れましたが、何とか完走できました。休憩を挟んで8時間あまりの死闘でした。途中で低血糖、筋痙攣などもありましたが、何とか完走、写真の証明書をもらいました。その後は、もう自転車は結構と、という雰囲気でしたが、何とか続けています。有酸素運動で心肺機能維持にいい運動です。ただ、体重を減らさないと坂上りは難しく、来年の課題です。 ”あわいち“に再挑戦するかは未定としておきます。
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