2014年12月31日水曜日

今年も大晦日になりました:2014年のまとめ


今年はこのブログとしては2年目でしたが、何とか頑張ってこれを含めで総数50  件の投稿が出来ました。気が乗らなかった時は月に2-3件でしたが、何かのきっかけがあると10月のように8件と忙しい月もありました。何しろ対外的な仕事が減ってきているので、話題も限られてくるという少し寂しい感も出てきました。その結果、しっかりと軸として何かのメッセージをというものではなく、場当たり的なところが多いのはやむを得ないというかこういったブログの姿かと思います。とは言え、やはり臓器移植関係が多くなっているのは仕方ないかと思います。
 
今年の医学関係での話題はSTAP細胞騒動で始まりました。しかし、先般の調査委員会の報告で、細胞(現象)の実態はES細胞であったのでは、という科学的な面での結末が付いたようです。何ともやりきれない結末でした。国中が大騒ぎになりましたが、研究者の態度ひとつでマスコミをはじめ社会の反応は恐ろしいことになる、という教訓を教えてもらったのではと思います。A First とういう話題も科学の先陣争い(いい意味での競争として)の在り方に関係するものでした。
 
一方ではiPS細胞の臨床例がやはり神戸で高橋政代チームによって実現したことは素晴らしかったです。まさに世界初として我が国が誇れる成果でありました。今年はそんなことで再生医療について幾つかコメントを書きました。社会的関心が非常に高く、マスコミに煽られて科学的なところから飛び出してしまうリスクが今の再生医療にあるように感じていますので、その辺りを書いてみました。再生医療とは内在する自己再生能力を活用する医療で、その手段として細胞、特に幹細胞や細胞ではない足場を用いた培養組織・臓器で機能不全に陥った組織や臓器を再生させようとするものです。直接に細胞や組織を移植する方法と自己修復機能を呼び戻す方法の二つがあります。一方、従来の臓器移植や骨髄移植は他人から頂いたものを移植するので、ドナーの方からの提供と拒絶反応が課題であり、ここで再生医療が注目されているわけです。しかし、心臓の再生医療が実用化するまでのこれからの10年間に、心不全で亡くなる人は何万人もおられるわけで、少ないとはいえ年間数百人でも心臓移植で救える、ということも社会は認識して欲しいし、マスコミも再生医療のスクープ合戦に固執せずに地道に臓器提供について紙面を割いてほしいですね。心臓外科では心臓弁の話しも取り上げました。ドナーからの摘出し保存している心臓弁、ホモグラフト、の紹介でした。海外では日常で使えるものが我が国ではせっかく高度の技術をもった心臓外科医がいるのに使えない現実です。これも医療技術ラグ、でしょう。一方では、普段感じている高齢者医療や終末期医療についても書きました。
心臓移植では1月の初めに北海道大学で行われていますが、和田移植以来半世紀近くなっての北海道での再開でありました。今年最初の記事で紹介しましたが、その後5月にも2例目が北海道大学行われています。また、6歳未満のドナーからの2例目になる提供も実現しています。ま臓器移植への国(お役所)の関与の在り方も変わってきたこと、そして最後は12月になって脳死での臓器提供が法制定後300例になったことで締めくくりました。
学会関係では、岡山での成人先天性心疾患学会に始まり、春は東京での循環器学会と京都での外科学会、5月はサンディエゴでの国際心肺移植学会、夏の大阪での在宅薬学会、秋の心不全学会と心臓移植研究会など幾つかの学会や研究会の紹介もさせてもらいました。
休暇や研究会がらみの遠出も幾つか話題にしました。ツアーとして、志賀高原、北海道、北陸、などでした。北陸ツアーでは戦国時代と日本の近代化の中での興味ある歴史を振り返りました。最後は蔵王の樹氷になりましたが、今年もスキーとロードバイクを続けられたのは良かったです。
スキー関係ではソチの冬季オリンピックもありました。メダルが獲得での悲喜こもごもの物語もありましたが、余談としては私の拘りの一つである“章旗への寄せ書き”も再登場でした。フィギャースケートでは羽生結弦選手への熱狂的な応援でも相変わらずです。東京オリンピックではきれいな書き込みのない日に丸での応援に期待していますが、まず無理でしょうか。
医療人の生涯教育は今も関心事です。これまで関わってきた専門医制度では新制度への準備段階で役割を終えましたが、まだ関心を持って成り行きに注目しています。第三者機関としては専門医以外では医療事故調も取り上げました。また、慢性心不全では多職種によるチーム医療が進んできていることも紹介しました。一方、看護師や若手心臓外科医のシミュレーターを用いた研修も始めました。しかし、医師以外の生涯教育についてのレビューは出来ないままに年を越すことになりました。ただ、12月になって災害医療での医療人育成についての国際シンポジウムに参加できたことで少し気が楽になりました。
さて今年の最大の話題は何といっても青色LED発明へのノーベル物理学賞でした。日本人3人が揃って受賞という快挙で、大いに沸きあがりました。ブログでは簡単な紹介でしかできませんでしたが、正に、多弁を要しない、に尽きる出来ごとでした。そして、これほど世界の社会生活に貢献した発明はまさにノーベル賞の心髄であるという、ストックホルムの対応も嬉しい限りでした。人類の普段の生活に直結し、世界が抱える課題にも光を当てる発明は何十年に一度でしょうが、多くの子供さんが夢を持って科学に取り組むきっかけになるでしょう。
 
その他、Let it goやベルリンの壁崩壊25年、医療安全管理ではMMカンファ、等も楽しく書かせてもらいました。皆様、今年もお付き合いくださり有難う御座いました。来年も宜しくお願いします。良いお年をお迎え下さい。
 

2014年12月29日月曜日

蔵王温泉



   今年もあと数日で終わりますが、最終稿のまえに一息です。昨年の最後の投稿を振り返って見ると、1年の出来事のまとめと共に大山でのスキーを紹介していました。今年は山形県の蔵王温泉で初滑りです。少し早目に休暇に入って仙台経由で蔵王入りました。この冬、東北地方は早くからかなりの雪が降ったようで、雪は十分です。幸い天気も大寒波の後で落ち着いていて、3日目には12月ではとても望めない好天に恵まれ、雲一つない青空のもとロープウエイの地蔵岳山頂まで上がって大パノラマを満喫できました。名物の樹氷もかなり出来ていて、その自然の美しさと不思議さに感動でした。 

蔵王の樹氷のもとになるアオモリトドマツが、ガの一種「トウヒツヅリヒメハマキ」の幼虫による被害を受けていることがNHKで放映されていましたが、そんな心配は微塵も見受けられず、これからさらに成長するでしょう。写真を掲載しますので、雰囲気を味わってください。肝心なスキーは地元や(元?)競技スキーの仲間に特訓を受け、少し進歩もあったのではと自己満足です。脚は自転車で頑張ったせいか、何とか持ってくれました、ご安心を。
 
 
 
 

 
 

2014年12月25日木曜日

 脳死移植300例


 今朝の新聞をみると小さい記事ですが表記の見出しが目に留まりました。1997年2月以来の臓器移植法に基づく法的脳死判定で臓器提供になった数が昨日で300例に達したということです。16年近く前の第1例のことが思い出されますが、長く掛かったとは言え脳死移植もやっと社会のシステムが機動しつつあるのか、という思いです。この間の関係者の努力と社会の理解に敬意を表したいと思わずにはいられません。

法改正前は86例の提供が、201010月の改正後は214例になり、ここ4年程で急増していることは明らかです。心臓移植は昨日(阪大病院で実施)221例になっています。当初の約12年で69例と低迷していた心臓移植もこの4年ほどで150例を越えています。しかし、年間の全体の臓器提供数はまだ50例にいたっていませんし(昨日で49例)、心臓移植も年間40例弱です(今年は36例で昨年は37)です。すごい数と言えばそうでしょうが、一方では心臓移植の登録患者さんも急増し、そのペースは移植数を越えていることから、待機期間も長くなり、まだまだ移植到達は狭き門であるわけです。

年間の臓器提供数が100例を越え、そして心臓移植が年間100例になれば国際的にも肩を並べられる所に近づくのでは思いますが、あと何年掛かるのか。関係者の更なる努力、特に社会啓発がいっそう重要になります。

小児の提供についてはまだまだ限られていることは明らかで、小さな子供さんからの臓器提供について更なる議論が必要です。

心臓移植中心になりましたが、それは脳死での移植しか道はないからですが、一方では心停止後の腎臓提供がどんどん減少している現実にもしっかり目を向けないといけません。
マスメディアも300例という現実のみの、数の報道ではなく、この後しっかりと現状を分析し問題点を提示する姿勢が是非欲しいです。

以上が、今朝の新聞を見ての感想です。

2014年12月21日日曜日

MMカンファレンス



師走も押し迫ってきました。日本列島はここ何日か爆弾低気圧の襲来で冷え切っています。年内、頑張って数件の投稿をと思っていますが、あまり元気がありません。ということですが、今日の話題はMMカンファレンス、としました。
 
その前にSTAP細胞に関する検証実験の結果が出て、結局追試は不成功となったというニュースが大々的に報道されました。残念な結果ではありますが、マスコミのいう、正体は何か、については外部がどうこう言うものではないと思います。そういうレベルでは無くなったのですから。一方ではなぜこのように日本中で大騒ぎすることになったのか、そこの詰めが必要と感じます。論文を取り下げた段階で、論文不正の責任は別として、もう話は終わったはずが何故ここまで引きずったのか、未だに理解に苦しみます。
 
さて、本題に移ります。新聞等で報告されていますが、ある国立大学病院で高度の技術が必要な肝臓の内視鏡手術で死亡例が続いたにも関わらず死亡例の症例検討会が開催されていなかった、という報道がありました。死亡例の検討会はデスカンファ、とも言われ、これを随時行わないこと自体が理解できませんが、これに関してMMカンファレンス、というものがあるので紹介しておきます。米国の教育病院の外科では日常行われている仕組みですが、我が国では正直言ってあまり馴染みではないものです。

MMカンファレンスですが、臨床現場で行われるmortality-morbidity- conference (死亡および合併症検討会) のことです。大学病院や教育病院などの外科系部門(講座とか診療科)で、主に外科手術を行った後に死亡例や感染症などの合併症発生例について原因や対策を議論する検討会のことを言います。死亡例についての検討にはCPC( clinico-pathological conference 臨床病理検討会)がありますが、それはある症例について病理解剖結果が出たあとで病理医や関係部署が集まってその原因について議論を行う、不定期のものです。一方、このMMカンファは少し違います。それは、まず自分の部署で定期的に(月1回とか)行うもので、死亡例があればその報告と合併症(創部感染、術後出血、その他の臨床上のイベント)についてのまとめを病棟担当者が報告し、必要に応じ対策等を考える、というものです。

術後死亡例については別途CPCではなく死亡例検討会、として開かれることもありますが、MMカンファレンスは基本には定期的に行うものです。ですから、死亡例がなければ合併症のまとめに報告だけになります。私が以前米国の病院で臨床フェローとして働いたときに見てきたことですが、毎週月曜の外科系カンファレンスで、チーフレジデントが最後に死亡例と合併症(主に創部感染)をさらっと纏めていました。改めて別途行うのではなく通常の検討会の最後の5分を、今からはMMカンファレンスです、と言って行っていました。といっても外科の創部感染が続けばその対策の指示が責任者からでることになります。死亡例についても要点を突いた議論が行われれて、対策が提案されます。

残念ながらこのMMカンファレンスは日本では馴染みではありません。以前所属していた大学病院でも、外科系の合同カンファレンスを始めた時にこの仕組みを入れようとしましたが、周囲の関心がなく立ち消えになりました。心臓血管外科は術後合併症が残念ながら少なくないし、命に係わりますからこの仕組みが必要ですが、他科ではそういう雰囲気にはなかったようです。多くの診療科ではあえてこういう形式での名前を付けなくても、同じようなことは普段やっているよ、ということであります。しかし危機管理や医療の質の担保、医師の教育、ということでこれを組織として組み入れる、名前を付けて定期的に行う、ことが大変大事なのです。件のニュースを見てこの仕組みが我が国でも定着して欲しいと思った訳です。

現在、日本では専門医制度を改める準備が進んでいます。新たな制度での修練病院ですが、外科系ではこのMMカンファレンスを定期的に開くことが施設の要件に入っていると思います。こういう自己点検ともいえる仕組みが当たり前に入っていることが、医療事故や医療過誤を未然防ぎ、再発防止に繋がると思います。外科系では創部感染(SSIといいますが)を最大限に減らさないといけません。体表面なら命に別状はないと言っても、入院期間が増えるし、医療費も増えます。MMカンファレンスのベースはSSIの発生状況報告から始まります。いやなことでもきっちり報告する、情報を共有する、という姿勢が求められます。外科系では毎週の術後検討会のうちの月1回でも最後の5分をこれに切り替える、ということで充分と思います。さらに大事なことは、記録に残すということです。

ということで、今回も堅い話ですいませんでした。

2014年12月8日月曜日

災害医療と人材養成、その2

      前回は災害医療への取り組みについてDMATを軸に米国と我が国を比較しながら紹介したが、肝心の人材養成(育成)はあまり触れられなかったので、その補足を今回させてもらいます。

まず、イタリアのコルテ(Corte)教授の講演でありますが、先生の根拠地である北イタリアのノバラでのおもに医学部や医療関係の大学生向けに行っている災害医療教育の紹介がありました。行っておられるのは、おもにコンピューターによるシミュレーション教育です。先生は欧州(地中海域)の救急医学カンファレンスの創始者でもあり、EUで様々な災害医療プロジェクトに関わり、大災害に対応できるプロの養成を精力的に行っておられる。コンピューターによるシミュレーションはいろいろな場面を想定したシナリオがあり、多職種や遠隔地の学生を交えて、実践的な対応の教育を進めている。大災害はそう滅多にある訳でもなく、想定訓練も何度もできるものではないの、こういったシミュレーション教育で下地を備えたり、学生の時から災害医療に興味を持たせたりする努力を続けておられる。

イタリアでも医学部教育で災害医療を基本カリキュラムへの取り組みは遅れていることもあり、また卒後教育にもつながることから、基本となる災害医療の知識と対応についてのモデル作りをされている。EUという環境ではまさに国際的な教育システムの構築も可能であるのかと思われる。楽しみながらシミュレーションに参加している学生の様子が紹介された。

質疑では、前回も書かせてもらったが、どういう専門職を相手にして教育するのかということで議論が盛り上がった。こと卒後教育となると、救急医学や感染症、外科、など多彩な分野の医師やヘルスケアーワーカー達が知識と対応方法を身に着け、いざという時に参加できることを第一とし、災害医療という枠にはめ込まないことが基本であることがよく理解できた。我が国の学部教育では救急医学の教授が講義や実習を担当するが、全体の中ではごく一部であり、国家試験対策が表に出るような所もある。まして大災害を想定した教育は座学でしか出来ないが、イタリア方式は今後我が国にも導入されるのであろうか、興味がある。我が国の医学教育は、最近でこそクラークシップも浸透してきたが、基本的には全ての領域での座学があって、臨床実習が海外に比べて少ないのは歴然としている。また、卒後の初期臨床研修(2年)もローテイト方式で、救急医療にはごくわずかで、少し様子を見る程度の経験しかできない。

災害医療は何時も行われているものではない。いざという時に総合的に医療部隊や行政が抜けのない対応ができるかは、システム作りと人材養成、そして普段の教育が必要であることを今回のシンポジウムに参加して痛感した。災害医療一つをとっても、わが国の医学教育,卒後教育、救急医療のリソース確保、など問題山積ではないか。都道府県の枠と言い、厚労省と文科省の連携のなさ、など行政の在り方も問われるのでは。

災害医療にも関連するのですが、昨日NHKTVニュースでドクターヘリのことが取り上げられていました。我が国のドクターヘリは学会や国を上げてその普及に取り組んできて、平成11年から始まり、現在は36都道府県で43機のヘリが置かれているということです。また、その出動回数が急速に増えて昨年度では2万件を超え、一機当たりの出動は平均480回にも及んでいるように、我が国の救急医療での役割は大変重要になっていているということでした。ここで驚いたのは、ドクターヘリはいくつかの航空会社(民間)が担当し、運用は都道府県に任されていることでした。医療チームは大学病院や救命センターが担当するのですが、ヘリの管理や運用には多額の予算がいるわけで、出動が多くなると当然その費用は増えます。航空機の会社に付けが行くわけです。患者さんには請求は出来ません。そこで、国はドクターヘリ用の補助金制度を作っていて、一機当たり年間一億七千万円を基準として、国は半分、自治体が半分を出す仕組みです。出動回数が多いところは、飛行機会社の持ちだしになるそうです。要は、最近増額されたとはいえ、そもそも補助金運用されているということに門外漢として何かおかしいのではと思ってしまいます。これまでの関係者や行政、国会議員の方々の大変な努力でここまで普及したことは素晴らしいことです。ただ、このような国民の生命に関わること、広い意味での医療費(ここが論点でしょう)が行政の補助金で進めなければならないことが残念です。米国のように医療保険で出るわけではないので、何としないといけないのですが、ドクターヘリ出動が補助金予算で制限されかねない状況をNHKも問題としていました。仮に40数機で平均して一機で年間約1億円が必要としたら、総額年間約50億円です。これを日本の現在の総医療費33兆円のなかでどの位かというと約0.015%です。膨れ上がる医療費のごく一部を節約すれば出てくる額、ということです。乱暴な解釈ですが、補助金の額を出来高払いにすれば事が済むわけですが、そうはいかないのは国の予算の仕組みですから、どうしたいいのでしょうか。ドクターヘリを医療費で云々は別にして、災害医療も含め、大事な医療を支える社会の仕組みへの国家予算が潤沢になるのは何時なのでしょうか。

災害医療という所から幾分脱線しましたが、いろいろ考えさせられる話題でした。

2014年12月3日水曜日

災害医療と人材養成

早くも12月になってしまいましたが、皆様如何お過ごしですか。突然の衆議院総選挙が飛び込んできていっそう慌ただしい師走になりました。昨日より寒波も訪れて交通等大変でしょうが、北海道や東北のスキー場でも今週末にやっとオープン出来そうな気配です。さて、この月曜日(121)に国際救急災害シンポジウムというのが大阪梅田のグランフロントであったので参加してきました。近畿大学医学部救急医学講座の平出淳教授(附属病医院救急救命センター教授)の主催で、同教授が阪大救急部出身でもあり、またテーマが人材養成と言うこともあって、お誘いを受けての参加でした。いろいろ面白かったので少し紹介してみます。

このシムポジウムは文科省の課題解決型高度医療人材養成プログラムに採択されたもので、今年から5年間続きますが、大阪市立大学や旭川医大もメンバーです。参加したシンポジウムは災害医療における人材養成と言う副題で、米国のサンデイゴから災害医療での草分けでDMATDisaster Medical Assistant Team「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム」構築でのリーダーでもあるIrving ‘Jake’ Jacoby(ジャコビー)名誉教授の基調講演と、もう一方はイタリアはミラノの近くのNovara(ノバラ)で災害医学教育のシステム作りをされているFrancesco Della Corte教授でした。

ジャコビー先生は、DMATの創生というお話しで、イントロは阪神淡路大震災の時の日本のTVニュース(日本テレビ、櫻井よしこキャスター)が出てきました。当時の米国の大災害の時の国を挙げての対応がDMATのみならずFEMAといったシステムで如何に迅速にかつ効果的に、そして被災した人を国がどう護るかのシステム作りと実践を当時第一線で活躍中のジャコビー教授の動きを紹介しながら、櫻井キャスターが日本との歴然とした差を指摘したものです。ジャコビー先生の講演は米国での大災害事例としてニューオーリンズを襲ったハリケーン(カタリーナ)での対応を紹介しながら、国が如何に省庁の壁を乗り越えて大災害対応を進め、またDMATのチーム作りと研修、訓練が機能し、その成果が出てきているかを、最近のテロ事件での対応を含め、紹介されました。ニューオーリンズでは、飛行場が拠点となり、被災者の収容、搬送、そして病院機能を各コンコースに振り分けているなど、さすが米国というところです。

米国では現在61DMATが作られ(カリフォルニアには6つ、人口は全米の約10%)、人口約500万人当たり1チームと言うことのようです。米国でのDMATチーム作りの資金は寄付であると言われていましたが、さすが米国、というところでしょうか。さらに国としては、1979年にジミーカーター大統領の時に始まったFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁Federal Emergency Management Agency)が省庁の壁を越えて指令系を一本化する仕組みがあることも大きなことであると言われていました。その中には公衆衛生も入っていることも強調されていました。そして、主題は大災害時の指令系統で、各区地区でIncidence Command Systemがあって、そのチーフが大事な役割を果たしているということです。指揮がばらばらでは有効な救助活動が出来ないと言うことで、よく分かります。FEMAといい、現場でのコマンドシステムが日本との違いではないかと思いました。興味があったのは、DMATに参加している医療者はそれぞれの病院や施設で働いているのですが、集合が掛かったときは、施設長は迅速に許可を与えなければならないという決まりがあり、帰ってきた時もきちんと休暇が取れるなど、支援をしないといけなくなっています。この辺りは日本でも大分出来るようになっているようですが、実際はどうなのでしょうか。ただ、先の東日本大震災の時に、当時おりました兵庫医科大のDMAT対応では組織として適切に対応されていたことを思い出します。

最近の我が国の続いて起こっている大災害(ディザスター)への対応を見ながら、20年経ってDMAT自体はよく組織され、迅速な活動が紹介されています。ただ、直接災害医療には関わっていないものがどうこう言う資格はないでしょうが、我が国が行政(省の壁を越えたもの)や医師や医療専門職のプロフェッション集団の取り組みとしてはどうなのか、と感じられずにはおられません。こういうと関係者からお叱りを受けるでしょうが、我が国では阪神淡路大震災以降、厚労省や学会関係者が組織作りを進め、独立行政法人国立病院機構に災害医療センターという中央組織を作って研修制度を進めています。ただDMATとしては、中央と各都道府県別の組織構成になっているようで、この辺りで都道府県という壁が出来ない仕組みが取られているとは思いますが、狭い日本での都道府県という枠組みはどうなのかと思ってしまいます。
 
人材養成ということではいろいろ勉強させてもらいました。最後に質問させてもらったのですが、いわゆる専門医制度との関連です。これは適切な質問だったのか、君は分かっていないな、となったのかもしれません。ですが、災害医療に参画するのは、例えば救急医といった何か直接関与する専門分野が主体ではなく、総合的な医療チームの構築が要であることを強調されていました。全くその通りだと思い、認識を新たにしました。人材養成は日本でもDMATというなかで研修制度が進められているようですが、さて医師(専門医を含め)の参画はどうなるのか。ここは平出教授のこれからの活動にも関係するのでしょう。これか始まる新たな専門医制度で災害対応の教育を何処で取り入れるのかの論はこれからと思います。ある特定の専門医制度に入れるのではなく、関連する広い分野がその研修カリキュラムに、{災害医療}、をどう取り組ませて行くのか注目されます。

2時間のシンポジウムでしたが、大変勉強になりました。医療人育成という私の神戸での仕事にも関係することから、今後も平出近畿大学教授の活動を見させてもらいたいと思います。なお、コルテ教授の話が紹介出来ませんでしたが、次の機会に考えます。





2014年11月25日火曜日

 小児からの臓器提供:6歳未満第2例目


     昨日、6歳未満の子どもさんの脳死からの臓器提供が順天堂大学病院で行われました。6歳未満の提供の第一例からしばらく後が続かなくて心配していましたが、これで移植待機中の子どもさんやご家族の方々にはすこし前が見えてきたのではと思います。提供されたご家族にはその勇気ある決断に頭が下がります。ご自分の子どもさんをまだ小さい時に亡くすという大変つらい状況のなかで、命のリレーという選択肢を選ばれたわけです。新聞記事によるコメントも心に響くものでした。今回も脳死という状況に至ってから提供に至るまで、病院や移植ネットワークの多くの方々が、子供さんやご家族とともに厳しい時間を乗り切って、そしてご家族の意思を生かせられたことに敬意を表します。
心臓移植は阪大病院で無事済んだようですが、小児用の補助人工心臓からの移植は国内では初めてではないかと思います。小児では補助人工心臓の装着自体が大きな侵襲であり、血栓塞栓症や感染などが起こりやすいのですが、比較的短い待期期間で移植が出来たことも良かったのではと思われます。
今回、小児からの臓器提供が決まった後のTVニュースを見ていて思ったことを紹介しておきます。臓器提供について(ドナー側)は(公社)日本臓器移植ネットワークが国の認めた唯一の臓器斡旋機関であり、社会的関心が高いときには筆頭理事(医療本部長)が記者会見をするのが決まりです。今回のニュースを見ていると、ネットワークの芦刈氏の横で厚労省のお役人が座っておられました。厚労省は脳死からの臓器移植については法律が出来た当時からその健全な発展に責任を持っていて、脳死判定や臓器配分に一点の曇りもないように、と見張っているわけです。その窓口は臓器移植対策室というところです。一方、ネットワークは公益社団法人で独立しています。しかし、ネットワークは厚労省の予算で動いていることもあって、法律のもとでの臓器提供でもあり厚労省が後ろにいるという構図です。こういうことから臓器提供の記者会見で厚労省のお役人が横に座っていてもおかしくないと思われますが、今回特に問題が生じたわけでもないので、厚労省の陪席に私は少し違和感を持ったわけです。少し前の記事にも書きましたが、臓器移植の実施体制もお役所が監督していた時代から、移植の現場(実施施設)に任すように変わってきているのですが、臓器提供となるとまだそうではないのか、ということです。国がバックアップしている、ということを伝えたいのかもしれませんが、臓器移植ネットワークはもっと独立性を示していい時期と思っていることから、こんな斜め目線の話になってしまいました(どこかで怒られそうですが)。
とはいえ、今回の脳死の子供さんからの臓器提供を社会が温かく見守り、ご家族に敬意を表し、そして子供さんの心臓移植を海外に頼らなくていい日が早く来ること願って締めとします。
 
 
 
 

2014年11月17日月曜日

シミュレーターを用いた看護研修


 随分寒くなりましたが、皆様お変わり御座いませんか。

さて、医療専門職者の生涯教育のフォローが遅れています。気になっていたのですが、最近注目されているシミュレーター看護教育の紹介で続編の一つといたします。
その前に私が昨年より理事長をしております公益財団法人神戸国際医療交流財団について紹介しないといけません。この財団は肝移植の田中紘一先生が我が国の進んだ医療や医療機器の国際展開を図る目的で設立され、そのかなで医療に関わる人材育成が大事な仕事となっています。補助金を頂いて活動するもので、東南アジアなどから医療技術習得で来られる方の支援を進めてきました。理事長職を私が引き継いでからは、ポートアイランドで新築された伊藤忠メデイカルプラザを新たな活動拠点にし、この10月から事業展開を図っています。そのなかの医療人育成事業として、患者シミュレーターを導入しました。米国製の高機能患者シミュレーターで、バイタルサインがチェックでき、いろいろなシナリオで操作ができます。臨床現場を想定して実践能力を高めるために、患者さんで訓練するのではなく、こういったシミュレーターを用いた教育(シミュレーション研修)が盛んになってきています。医学部、看護学部、薬学部などでは学生教育に必須となっていますが、一方では資格を取った後の継続教育、生涯教育、のツールとしても重要視され、欧米では医療専門職教育の中で確固たる位置を築きつつあります。

さて、先日は看護のシミュレーション研修の第一回目を行いました。チーム医療のための看護実践スキルアップ研修というもので、中堅病棟看護師さんが病棟で患者さんの様態がおかしくなったときにどう対応するか、というシナリオでした。異常サインに気づき、観察とアセスメント、そしてナースコール、初期対応、そしてドクターコール、的確な報告という一連の流れを想定したものです。私はシミュレーターのシナリオの移行を備え付けのパソコンから捜査する役です。5-6名の少人数で行い、消化管出血を想定したシナリオです。患者さんから息苦しいというナースコールがあって、個室の病室(ICUではない)に訪問し、異変についてどう把握し、次に進めるかを一人一人がまず実演します。ほかの参加者は観察者ともなり、それぞれの看護師さん役の対応について議論(振り返り、デブリーフィング)していきます。初期設定の場面で一回りし、次に出血性ショックが進行しドクターコールで終了する二回目を行い、最終的にまとめの総合討論、めとめ、を行います。結構議論する時間がとってあり、参加者は自由に意見を言うことが大事で、ファシリテーター(企画から実施まで、急性・重症患者看護の専門看護師と認定看護師の方にお願いしました)がまとめていきます。個人の対応の悪いところを指摘するのではなく、どう気づいて行ったかのプロセスを大事にし、最終的には出血性ショックに限らず、病室で急変した患者さんへの対応に自信を持って帰ってもらうのが趣旨です。何でもナースコールを押して先輩看護師に応援を求めるだけでなく、状態の把握に基づいて行うことで、遅れないで適切な時期に応援を呼べるようになる、というのが目標です。自信を付けてもらうのが目的です。

夜間や休日では詰所への応援コールやドクターコールは容易ではない環境が新人や中堅看護師にあります。何でこんなことで呼んだのかとか、自分でしっかり対応してから呼びなさい、と言われることも少なくありません。一方、何でもっと早く呼ばなかったのか、という先輩や担当医師の叱責も出てくるので、現場の看護師さん(新人看護師や研修医もそうです)には大変悩ましいことです。基本は遅きに失する状況を絶対回避しないといけないのですが、今回の看護シミュレーション研修は最初の観察で急変であるということをいかに早く把握するかのレーニングでもあります。急変の把握の仕方も最初に講義し、途中の振り返り時にもう一度確認するということをしていきます。何でもいいから早く応援を呼ぶのも困るのですが、かといって大事になる前に呼んでほしいわけです。大事なのは呼ばれた方も一緒になって状況の把握をして、適切な対応に繋げて欲しいわけです。そして応援を呼びながら状況の把握と初期対応が求められます。

この研修はチーム医療のための、と銘打っているところが大事です。師長さんや医師の側も、不要な未熟な報告をただ非難するのではなく、ともにスキルアップを図って的確な対応(看護師の応援からドクターコールまで)が出来る環境を作っていく上でこのような研修が役立つものと思います。臨床現場で多職種が連携してチームのレベルアップを図ることが大事であり、そういう意味では先輩看護師や医師の対応ひとつでネガテイブにもなりポジテイブにもなるわけです。上級医師と研修医の関係も同じであると思います。チーム医療というコンセプがなかった時代の昔の自分を振り返りながら、感慨深くこの研修を眺めていました。

臨床での生涯教育を進める上で、このようなシミュレーション研修はこれから大事になってくるものと思います。看護研修はこれからの2回目、3回目と続きますが、我々もスキルアップして進めていきたいと考えています。


当財団は、既に心臓血管外科の若手相手に冠動脈バイパス手術のトレーニング(BEATというシミュレーション機器)を別に始めています。これらの企画などは財団のHPをご覧ください。http://www.kobeima.org/  今週は摂食嚥下サポート相談室と冠動脈バイパスの2回目(2回で1コース)が行われます。

2014年11月9日日曜日

ベルリンの壁崩壊から25年



 今年は世界の歴史から見て幾つかの節目の年です。第一次世界大戦勃発から100年、第二次世界大戦が始まって75年(太平洋戦争勃発はその2年後で私が生まれた年)、東京オリンピックから50年、そして天安門事件やベルリンの壁崩壊から25年、といったところです。特に今日、11月9日、はベルリンの壁が崩された記念すべき日でもあります。こういう機会に世界史を勉強し直すのもいいかと思います。といっても本を見なくてネットで事が済むのも寂しいですが。

      世界に冠たる自転車競技のツールドフランスも昨年が100回記念でしたが、今年はというと第一次世界大戦開戦100周年記念大会となっていました。ヘリコプターからのフランス各地の映像を見るだけでも楽しいのですが、今年は戦争の記念となる土地やモニュメントに加えて、26万人が戦死した激戦地跡も紹介されていました。例えば毒ガス(マスタードガス)が戦争で初めて使われた戦線である北フランスのイープルもコースに入っていたり、戦死者の広大な墓地のそばを走ったり、フランスは100年前の戦争の苦い経験を忘れない、という大会主催者の気持ちが入った大会でした。因みにマスタードガスは別名をイペリットと言いますが、これは地名から出てきたということです。

      表題のベルリンの壁ですが、25年前の11月9日に東ドイツはベルリンの壁の開放を宣言し、東西を遮っていた壁のゲートが開けられたわけです。これに至る数か月(数年?)の東西ドイツやソ連、そして東欧諸国の目まぐるしい動きに今となっては歴史の面白さを感じます。さて、この解放によって東ドイツから自由に西側にはいれるようになったのですが、実際に構造物としての壁が崩され始めたのは数日後のようです。このテーマでは崩壊後20年の時(2009年)にこのブログの前身の学長ブログで紹介しています。その内容は、まず1989年のベルリン訪問です。丁度壁崩壊の数週間後でして、まさに壁が壊されていく場面に遭遇したわけですが、その20年後にベルリンを再訪しています。  (http://www.huhs.ac.jp/president/index.php?page=23)。

      さてこの歴史を紐解くと、このベルリンの壁崩壊は突発的なことではなく、その数年前からの東欧の国で広まっていった社会主義独裁への反動がピークに達した結果が東西冷戦の象徴であったベルリンの壁の崩壊に繋がったわけです。その年の12月に行われた米国(ブッシュ)とソ連(ゴルバチョフ)の両首脳がマルタ島で会談し、冷戦終結宣言が出されたわけです。近大世界史上の大きな出来事をこんな風に端折って書くのは気が引けますが、それは許してもらうとして、同じ年に(壁崩壊の前ですが)北京で天安門事件が起っています。しかし、その後の結果は全く逆であったことは、欧州ではその後の東西ドイツ統合やEU誕生、等が続いていったことと比べてしまいます。

   ベルリンの壁崩壊は長く続いた東西冷戦の終焉をもたらし、東西の対決は戦争ではなく対話への時代に入っていたのですが、残念ながら今年はクリミヤ半島で始まったウクライナへのロシアの介入が起こり、再び東西冷戦が始まったかのようでもあります。壁崩壊25年と言っても、中東も含め各地でまだまだ諍いが続いているのを見て、「歴史は繰り返す」という言葉が重く降りかかってきます。振り返って我が国を見ると、近隣国との関係はいまだに不安定でありますが、我が国はこれからも良い歴史を作って行って欲しいと感じます。

2014年10月30日木曜日

我が国の心臓弁手術で遅れていること


 心臓弁手術のことを触れたついでに紹介しておきたいことがあります。なお、先の内容と重複するところが多いですが、後で調べて分かったこともあり、補足することにしました。一度で済ませられなく、要領が悪くてすいません。

  心室の出口の大動脈弁と肺動脈弁では修復が難しく、取り替える手術(置換)がどうしても必要になります。そこで登場するのが人工弁です。これには機械弁と生体弁があり、前者はパイロライトカーボン(炭素樹脂)という素材で出来たもので、ワーファリンによる抗凝固治療が必須です。生体弁はブタやウシの大動脈弁や心膜を処理したもので、抗凝固治療は必ずしも必要ではありません。前者は耐久に優れていますがワーファリンが要りますし、出血傾向も出ますからQOLでは劣ります。生体弁ではワーファリンは必須ではなくその点ではQOLはいいのですが長期的には石灰化が起こって再手術が必要になります。とはいえ最近は優れた生体弁が出てきて、高齢者の大動脈弁置換ではよく使われます。年齢的に10年持ったらいいという場合は生体弁が有利です。

   さて生体弁というと海外では亡くなった人(ドナー)から頂いた同種弁(ホモグラフト)が普及しています。1960年代に英国で始まって、その後長らく重要性が認識され使用されてきました。肺動脈弁と大動脈弁があり、ともに血管付です。ホモグラフトは欧州とニュージーランド、そして豪州で先駆的に始まりましたが、当時は凍結ではなく特殊な保存液で処理していました。先天性の複雑な手術ではホモグラフト(血管も使います)の使用が大変有用なのですが、我が国ではこの入手が殆どなく外科医や患者さんには大ハンデイでした。

  ホモグラフトの処理としては現在は液体窒素での特殊な凍結保存です。特に薬物での処理はしませんので組織が壊れずに保存され、また免疫反応も少ないのが特徴です。またしなやかで操作性が高く、人工物がなくて感染に強いという利点があります。また小児のドナーからのものは先天性心臓病の小さな子供さんで大動脈や肺動脈の再建をするときに有用です。しかし、ドナーの細胞が残っているので耐久性では限界があるのも事実です。その後ですが、米国の会社(CryoLife社)がホモグラフとを商品化していて我が国でも輸入すれば使えますが大変高価で実用性は残念ながら低いのが現状です。

   さてホモグラフトの入手ですが、脳死と心臓死のドナーの方からの提供です。死亡後に心臓を頂き、弁を提出し、バンクで凍結保存します。我が国では既に日本組織移植学会や日本組織バンクがその普及に尽力し、現在は当初の東京大学と国立循環器病研究センターに加えて全国で6つの認定バンクがあり、また心臓弁と血管の臨床応用は先進医療制度(一部患者さん負担)として2006年からも上記の二施設で適応されています。ただ、提供が脳死と同様に少なく、その数は大変限られています。昨年度では血管も含めると年間40件(心臓弁手術数は不明)の先進医療が行われていますが、施設が限られ、またドナー数は年間10にも届いていません(東京大学病院HPから)

   こういう中で、生体弁の新たな開発に鎬を削っています。免疫反応の回避と長期の構造維持です。その中で、生体弁の脱細胞処理と人工的に作った足場(スキャアホールド)に自己の細胞を生やす二つの方向があります。後者は日本でも研究が盛んで、東京女子医科大学で臨床試験も行われていると思いますが、今日は前者に限ります。先の米国の会社はホモグラフトの脱細胞処理法で特許を取っていますし、その会社の製品は既に臨床で大動脈弁置換に試験的に使用されています(2003年報告)。一方ドイツでも別の方法がハノーファー大学で開発され、臨床応用のためのベンチャー企業が出来ているようです。そこで処理された肺動脈弁が今度阪大で使われたとものと理解されます。この脱細胞弁ですが,使うのは基本的にはヒトの弁であります。従って海外では如何にしてドナーを増やすか国(ネットワーク)や学会挙げて取り組んでいます。これは心臓移植を増やすことにも繋がり、移植に適しない場合は弁と血管の提供となります。日本でも関係者の努力で徐々に進んでいますが、何しろ亡くなった方からの臓器や組織の提供は本当に限られているのです。事態は深刻です。

   振り返って見ると、ホモグラフトがあると日本の心臓外科のレベルはもっと高くなり、多くの患者さんが恩恵を受けることが出来るのです。私もかってホモグラフトがあればもっと良い手術が出来たのに、と思ったことも何度かありました。しかし今、世界はもう次の時代に入っていて、そのキーが脱細胞によるtissue  engineering(組織工学)弁です。阪大病院の澤教授のグループはドイツと連携して我が国での先鞭をつけたといえるでしょう。一方、日本で進めるにはドナーが今のようではこの技術は進まないという現実も理解しないといけないと思います。ここで強調したいのは、脱細胞弁も元はヒトのホモグラフトであり、臓器提供が初めにあることを多くの方に知っていただくことが大事と思って追加の投稿としました。ホモグラフトについては、東京大学病院と国立循環器病研究センターのHPで紹介されていますし、組織移植学会でも啓発に努めています。また、日本臓器移植ネットワークも支援しています。こういう臓器提供もあることをもっと知ってもらえればいいと思います。


  今月は随分頑張りました。いろいろ興味あるテーマがあったからでしょう。11月に入ると急速に寒くなっていきますが、皆様風邪など引かないよう,また秋の紅葉もお楽しみください。

写真は先日、神戸は新神戸駅の近くの布引の滝に行ったときの写真です。まだ紅葉は始まっていませんでした。

2014年10月29日水曜日

新しい心臓弁手術

先日は阪大病院で新しい心臓手術の発表がありました。自分がやってきた領域なので少し解説とコメントを書きます。
患者さんはファロー四徴症の根治術を2歳で受け、遠隔期に肺動脈弁が痛んできて再手術となった30歳の男性でした。根治術は私が在籍したときに行われていますが、顔を見ても思い出せませんし私が術者ではなかったと思います。この病気は先天性の心臓病で、大きな心室中隔欠損(孔が開いている)に加えて右室の出口の肺動脈弁が狭く(狭窄)なっていて黒い血液がそのまま体(大動脈)に流れてしまいチノーゼ(唇などが紫色になる)が出る病気です。解剖学的には四つの異常がありますが、根治手術は欠損孔の閉鎖と右室の出口の狭窄解除です。根治手術の成績も不良な時代がありましたが、1980年代には安定し,かつ遠隔期にも再手術や不整脈などの合併症が出ないような工夫がされた時代でした。それでも肺動脈弁の逆流とか狭窄の再発が起こります。そのための心不全や活動制限が出れば再手術で肺動脈弁の再建、あるいは置換、が要ります。この場合、人工弁(生体弁)であれば弁逆流や再狭窄が将来来るので、どういう材質で再手術するのが今でも懸案であります。

このような背景があるなかで、ドイツで加工した人の弁(肺動脈弁)を輸入して行ったということです。弁置換は理想的には人の弁がいいのですが、他人の弁では拒絶反応が起こり、それを防止する処理をすると石灰化が起こるという問題があります。よく使われる豚の弁では石灰化が起こります。これを解決する方法の一つがtissue engineering 組織工学技術です。免疫反応の元となる細胞をすべて取り除き細胞のない骨格状態(スキャホールド)にして移植すると、今度は患者さんの自分の細胞がそこに根付いて、暫く経つとまさに自分の弁になるというものです。再狭窄や弁の破壊などが起こり難いと考えられています。脱細胞ではなく骨格のみを人工的に作ってそれを移植手術の前に患者さんの皮下に植えて、細胞を生やしてから取り出して心臓に使うという方法もあります。
脱細胞技術は再生医療の研究分野で日本でもよく使われていますが、今回はドイツの企業がそのノウハウをもっていて、阪大とドイツのハノーファー医科大学との共同研究(研究に国費が使われている)の成果でしょう。ドイツではヒトや動物の脱細胞弁の基礎的実験が進んでいます。ヒトの大動脈脱細胞弁による大動脈弁置換はまだ実験段階のようですが、脱細胞技術は米国の会社が特許をもって商品化を目指しています。日本も技術があるのにどうして自前でできないのか、という気もします。
 注:上記の項、一部修正しました。アンダーライン
個人的には興味あることが2-3あります。まず、使った元の弁がどういう方から頂いたのかです。心臓移植を受けた方の摘出心臓からまだ使える弁を取り出す方法と、亡くなった方で心臓移植に使えない心臓から弁を頂く場合があります。後者は日本でも行われています。この辺りを報道することは臓器提供や心臓移植を進める上での社会的メッセージ性はあると思いますが、日本のマスコミはどう捉えるでしょうか。日本人の弁をドイツに運んで処理して日本の患者さんに戻す、というシナリオもあればいいと思います。将来は全部自前でやることが最終目標でしょうが。

後は、今回は成人例でしたが、小児ではどうかでしょう。小児でそれこそ再手術が要らない脱細胞化弁が使用出来ればいいですが、弁のドナーのことと、脱細胞弁が成長するのか、ということへの回答が要ります。 もう一つは、人工弁ということでは大動脈弁置換が既に沢山行われ、術後に抗凝固療法が必要な方が多いのです。ここに脱細胞弁が大動脈弁置換の世界に登場すれば大きなメリットが出てきます。次のステップとして計画されているでしょう。ただ、弁にかかるストレス(圧)は大動脈弁で当然強く、肺動脈弁とは大きく違います。大動脈弁を使うにしろ、これに耐える脱細胞弁が出来るか、大変興味があります。多分、今回の処理方法で既に強度が保たれているのではと想像しますし、多くの患者さんが期待していると思います。今回の成果はその先がどうなるのかを考えて注目する必要があるようです。


iPS細胞から弁や血管を作ることも出来てくるでしょうが、人間が作った自然のものが身近に沢山あって、その活用も忘れてはいけないと思います。

2014年10月23日木曜日

iPS細胞で心筋再生治療、新たな展開

 今日のニュースですが、iPS細胞の研究でまた新たな展開です。京都大学の山下教授のグループがヒトiPS細胞から作った心筋組織シートをラットの心筋梗塞モデルに移植し心機能の回復が得られたと言うものです。心筋細胞だけでなく心筋組織のシートであり、これをヒトiPSから作ったこと、しかも動物で成果が出来たこと、ということが素晴らしいことです。世界初です。

これまで阪大では骨格筋芽細胞シートの臨床応用を進めていて、心筋症の患者さんの心機能が改善したことが報道されています。この筋芽細胞を用いたシートでは心機能の回復はサイトカイン効果という、植えた細胞から出てくる生理活性因子(蛋白)によることが明らかになっています。ということは、シートにした細胞自体が心筋と同じように,また残った心筋と繋がって、収縮したりするものではなく、いわば薬を放出する装置的な役割と考えられています。またこれまでのシート治療は使われる細胞に制限があり、真の心筋再生(新たに心筋細胞が出来る)とは言いがたいところがありました。そこで当然の流れとしてヒトiPS細胞からの心筋再生の研究が活発となり、阪大や慶応義塾大で精力的に進められているようです。そういうなかで、今回の京都大学の成果は大きなステップを刻んだわけです。なお、培養した細胞をシート状にする技術は東京医女子医大の岡野光夫教授の発明した温度応答性培養装置であり再生医療研究を大きく発展させています。

さて、これまでの心筋細胞シートでは心筋以外の血管や支持組織を組み込むことが出来ないという大きな課題がありました。細胞に酸素や栄養を送るライフラインが出来なかったということです。これに対し京都大の山下教授らは、ヒトの皮膚細胞から作ったiPS細胞(元の細胞)にこれまでと異なった刺激因子を加えることで、心筋細胞だけでなく血管となる細胞(内皮細胞と平滑筋細胞)も同時に出来ることを発見し,これらの細胞が混在したままでシートにする成功しました。心筋組織シートです。さらにラットでの実験でこのシートが4週間後にも生き残ってかつ血管も出来ている、というまさに心筋組織が生着していたという結果です。また心機能改善効果は2ヶ月後にも続いていました。
(この部分、一部修正しました)

今後は大動物での実験や、がん化しないか、どの位の大きさまで作れるのか、特発性心筋症ではどうなるのか、などなど課題は沢山あります。しかし、iPS細胞を使った再生医療が、眼科領域から心疾患にも確実の進んできています。他の大学の成果も併せて、日本版シート工学による心筋再生治療を実現していって欲しいと思います。

さて、またまた余分なコメントです。TVニュースでも心不全の究極の治療である心臓移植はドナーに依存するという限界があり、これに変わる再生医療といういつものフレーズが出てきます。米国では人口が約2倍でも心臓移植は毎年2400例ほど行われています。日本は年間50例にも届きません。人口比で24倍です。子供さんは相変わらず米国に行って移植を受けています。日本ではだから再生医療を、ではなく、心臓移植もしっかり普及した上で再生医療も、というべきです。今、心臓移植を待っている多くの患者さんは再生医療まで待てないのです。今、全ての臓器でドナー不足は深刻なのです。