今年も6月に入ってしまいました。梅雨入りのニュースも聞こえるようになり、いよいよ暑い夏が目の前にきている、という感じです。5月は結局のところ1回の投稿のみで終わりました。月間最小記録です。自分の置かれている医療現場の立ち位置から、また年齢からもこうなっていくのは避けられなのですが、実際は何か書こうとする気持ち強くても筆作業(パソコンですが)とのマッチングがもう一つ合わなかったというのが正直なところです。書くぞ、という意欲の問題かもしれません。
5月は先に報告したように身近の問題が悩ましい状況にあって、その後もブログ書きは停滞しています。そこで今日は学会関係の話題とします。今日から横浜で日本血管学会が、来週は岡山で関西胸部外科学会があり忙しくなります。私自身が学会に呼ばれて何かを話すという機会はほぼ無くなってきていますが、勤務している病院の若手の学会発表の共同演者としては参加出来るということになります。ここで学会発表について少し持論を述べさせてもらいます。
若い外科医にとっては自分を磨く上で手術がうまく出来るようになることが最大の関心事でしょうが、学術的な素養を育むうえで学会発表は大変重要です。一例(症例)報告から始まって大きな学会での臨床のまとめの発表へと進歩していくわけです。症例報告は簡単という印象がありますが、これをきちんと出来ないと学術発表や論文書きへ繋がりません。私自身のことでは外科医になりたての時の最初の症例報告では、論文にするのに数年かかった記憶があります。症例報告にしろ臨床研究にしろ、発表する前提をしかり捉えないと何を言いたいのか分からなくなり、単にこんな経験をしました、となってしまいます。発表に当たってその意義は何か、何が新しいのか、なにを訴えたいのか(新規性とか臨床的重要度など)をきちんと自分のものにしておかないと発表は浮ついてしまいます。
最近よく言っていることは、臨床報告に限らず実験研究もそうですが、対照、コントロール、は何ですか、です。対象を分析して結論を出すには適切な対照がいるということです。比較する元をしっかり把握しないとその発表の意義は弱くなります。臨床の纏めでもその手技だけ対象の纏めをしてしまいますが、比較の元となるコントロールが無いといけませんし、適切なコントロールを持ってこないと結論も適格性を欠きます。
最近は研究発表の具体的内容まで議論するのは難しいですが、スタディデザイン(研究計画)がしかりしているか、その前提となる作業仮説(ハイポセシス)はどうか、即ちおコントロールはどうか、と言う視点で見てしまいます。一例報告や臨床報告では文献的考察がこれを支えます。先行研究とも言われています。私の最近の口癖は、コントロールはどうなっている、でということで今回の話しは終わりにしておきます。
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