2018年2月26日月曜日

平昌オリンピックも終わって


平昌オリンピックも終わりました。日本のメダル獲得数も冬季オリンピックでは記録のようで何よりでした。アルペンスキーは放送も少なくあまり楽しめませんでしたが、スピードスケートは凄い頑張りでした。500メーター金の小平選手は松本の相澤病院が支援していますが、私のかっての同僚も勤務していた病院で一度訪問したことがあります。診療内容もしっかりしていて、普段から尊敬している病院です。アルペン競技に戻ると、高速系(滑降とスーパー大回転)は我が国の選手は殆ど出る幕もなかったのですが、今回は男女一人づつ出ているので今後が期待されます。私の懇意にしているかってのオリンピアンが言うには、日本スキー連盟が随分前に公式戦で降競技をなくしてしまったことがいけない、といわれていました。コース設定が難しく、長野オリンピックでも国立公園という縛りでコースが国際規格に満たない、といったこともありました。どこかに高速系に特化したコース作りも必要ではと思います。しかし、日本のスキー場は普段の経営がやっとで、競技にかける余裕はないのが実態ですが、将来冬季オリンピックをまた招致するのであれば、そこが課題になるのではと素人なりの思いがします。

さて、ここ暫くの医療関係のニュースで気になるのは、地域医療をどう維持するか、そのための医師の偏在の解消が相変わらず出てきています。これは厚労省としても重要課題ではありますが、出てくるのは地方病院への勤務を推奨する制度や大学への地域枠の増加とその活用、といったことです。特に厚労省の出している地域病院勤務経験を将来の地域病院管理者への要件にする、という以前から出ている案を実行させるようです。この措置は正直言ってそれほど効果があるのか疑問で、場合によっては逆効果にもなりかねない案でしょう。無理に行かすより、モチベーション高く地域医療の入り込む人材をどう増やしていくか、課題の分析とそれに対する措置があって始めて実効性が出てくるのではと思います。お役人が机上で考えて、絵を描いても現場との乖離があれば成功しないでしょう。

一方で、日本は病院ベッド数が国際的に見て多い(病院自体も多く、小規模病院が多くを占めている)という記事もありました。以前からこれは医療界では常識であって、これが我が国の医療供給体制の問題の根幹であることは以前から良く知られていて、今更新聞で書くようなことではないでしょう。何が問題になっているかが問われます。即ち、集約化が出来ない理由を分析してどう対応するか、国の判断がこういう基本的なところで必要になると思います。中規模の総合病院を各自治体が自前で堅持していることも、医療資源投資の無駄と医師不足に繋がっているわけです。それでもやっと公立病院で集約化が進みつつあるようですが、私立病院は介入も出来ません。心臓血管外科診療科の集約化が叫ばれて久しい中で実現していない現実があります。

こういう視点で見ても、地域の医療の確保には、病院の集約化は避けて通らない話しであります。地域の方々が近くに我が町立や市立病院を求める時代も、財務的にも無理があり、またこれだけ交通手段が進んだ時代おいては考え方の転換が要る時代です。そういう方向付けが何で出来るかが医療界、特に医師会、そして行政に問われています。自治体病院の集約化には家庭医の役割が重要で、それこそかかりつけ医の定着が必要でしょう。不要な大病院受診が如何に医療費の無駄と人材の分散をもたらしているかです。専門医制度で地域医療の確保は、行政主導では出来ない話しですが、一縷の望みである総合診療専門医の開始は残念ながら全国で200人にも満たず、一部のメディアは失敗と決めつけています。専門医機構のやり方が拙かったと言うことだけでないと思いますが、次年度は盛り返して欲しいところです。

我が国の医療制度は自由社会でありながら国が管理する社会主義医療であり、医師は専門分野の選択には自由が確保されているし、患者さんは何処でも受診できる。素晴らしい制度です。日本医師会の言うフリーアクセス、医療費では差別のない社会保障制度、は理想ですが、一方では医療費は高騰し続け、超高齢化社会も進み、このままでは社会保障制度は破綻するでしょう。一度、暴論でしょうが、医療が経済的な危機に陥らないと改革は出来ないような気もします。何か小手先の議論ばかりが出てくるようで残念な気持がします。

平昌オリンピックのメダルラッシュで浮かれていないで、この国の将来を改めてしっかり考えるモードに戻りましょう。

2018年2月15日木曜日

  平昌冬季オリンピック開催中


 平昌オリンピックが始まってもう1週間になる。今回は時差がないので深夜の観戦ではなく寝不足にはならないので楽しめる。今回は結構メダル獲得が期待されていて、実際これまで6つと好調であるが、金は残念ながらまだである。期待は高かった種目もやはり金はそう簡単には取らせてくれないのがオリンピックか。でも、スケートで2つ、ノルディックで1つ、フィギュア-スケートで1つと金が期待されるし、メダルも増えるのでは。日本も大寒波で北陸東北は大雪と厳しい冬で、韓国は気温が低いという好条件ではあるが、風には悩まされている。数年前に12月のシーズン始めに韓国に足慣らしに行った時も、寒さとアイスバーンで苦労したことを思い出す。冬期オリンピックは札幌も長野も見にいけなかったこともあり、2006年のトリノは行かせてもらった。開会式で今は亡き世界的テノール歌手のルチアーノ・パヴァロッティがプッチーニの「誰も寝てはならぬ」を歌って盛り上がっていた(後でこれは口パクだったらしい)。荒川静香がフィギャースケートで金メダルを取ったときの伴走曲だったと思う。滑降と回転を間近でみて異次元の世界に驚かされた。

私は全関西学生スキー連盟の会長を仰せつかっているが、スキー人口の減少と共に競技スキーに入ってくる学生も減っていて、特に雪国から遠い関西(西日本)で参加校と登録選手の確保に苦労している。でも、ここ数年は参加者の微増もあり、これを平昌オリンピックの後押しでもって勢いを付けたいと思っている。3月初めの日本学生選手権(インカレ)に続いて全関西スキー選手権大会も共に野沢温泉で開催予定である。オリンピックとは比べものにはならないが、学生諸君の個人の戦いと共に学校対抗戦にも熱が入る。今年は雪の心配はなさそうで、順調な大会運営が出来そうである。

さて、下世話の話しではあるが、私の拘っている日本の応援での日の丸への寄せ書きである(以前にも書いている)。今回も相変わらず寄せ書きで埋まった日の丸が相変わらず目につく。国旗は国旗で応援旗ではなく、寄せ書きは美的感覚もないし、そもそも寄せ書き応援から脱し得ていない我が国のスポーツ文化に違和感を持つ一人でもある。太平洋戦争中の話しを持ち出すまでもないが、国際的感覚からも違和感があるのは私だけではない。スポーツ庁の鈴木長官には何か言って欲しいし、東京オリンピックではきれいな日の丸だけになれば嬉しい。

2018年1月31日水曜日

専門医制度; 外科系では


今日で1月も終わります、早いです。この1週間は心臓血管外科ウインターセミナーで安比尾高原へ出かけ、つかの間のマイナス10度の中でのスキーを楽しみ、次は天気が良くなっているのを見ながら後ろ髪ひかれる思いで東京の成人先天性心疾患学会へ。ここで、成人先天性心疾患専門医制度の立ち上げの大事なステップを済ませ、一旦帰った後、とんぼ返りで東京。今度は外科学会の専門医制度の会議。ついでに近くにある日本臓器移植ネットワークに寄って日本循環器学会での成人先天性心疾患への心臓移植の発表データーの確認、といったことで慌しい月末でした。ということで、今月のもう一件は専門医制度なりました。
12月の投稿の続編です。

新しい専門医制度がいよいよこの4月から医学部卒後3年目の方々を対象に始まります。世間の、といっても一部の専門医制度反対(改革反対?)の方々ですが、内科希望者が減ったとか大都市集中に拍車をかけたとか、ネガティブキャンペーンを張っているようです。意見の背景を見てみると、総数8300人の中の内科(基本領域)登録者がこれまでのいくつかの調査(卒後3-5年)に比べ減っていることが指摘され、それを踏まえて地域医療に問題が生じるといったことのようです。これは専門医機構も言っているように、比較対象が明確でなく、また卒後3年のこの一回のデーターのみで結論を出す(制度が悪と)ことは当然無理なことであります。地域の医師不足の背景にはもっと大きな我が国特有の医療供給の課題があるわけで、専門医制度がそれを浮かび上がらせたと考えるべきでしょう。

内科の問題{は本来、日本内科学会がきちんとメッセージを出すべきであって、外野が根拠の乏しい議論をしてもあまり意味がないのではと思います。後の外科もそうでしょう。そもそも内科・外科と言ったメジャー領域には医学部卒業生の関心が薄れてきている現状があります。サブスペシャルへの人気が高まっている傾向そのものがいまの学生の傾向とすれば話しは別になるわけです。加えて地域医療のことは、今回始まる総合診療医のことでもっと注目されるべきで、例えば総合診療医への優遇策でもって地域医療を維持する、と言ったことは厚労省が考えるべきではないでしょうか。

さて、一方の大きな柱の外科ですが、会議に出た資料はまだ公表段階ではないのですが、全国の外科系の教授の方々に配布されていてそのうち公表されるでしょうから、概要をここで紹介させてもらいます。外科専門医新規登録は今回の集計(一次と二次)で約800人(全体が約8300人ですから1割が外科へ)が登録し、この数はこれまでの外科専門医制度での数からいうと減っているというより現状維持と思います。何とかしのいでいるようです。問題の大学病院偏重については、市中病院と応募率(定員柄枠に対する登録者)は共に約39%と変わりなかったようで、世間の非難は当たらないという雰囲気でした。ただ、募集定員枠は母数が違っていて、大学病院は約1600人、市中病院では500人弱、計約2000人です。この約4割が埋まったわけですが、別の見方をすれば外科専門医プログラムは大きく定員割れをしているということです。外科の担当者はこれについては無関心で、現状維持と大学偏重でなかったことで結果オーライ、としていますがそうでしょうか。また、1県1プログラム(大学病院だけ)が14地区もあるのですが、約200名枠に35%の応募でこれも他と差は何ということです。この読み方ですが、私は、これは問題と捉えないといけない数と思います。1県1プログラムでは7-8割は埋まらないと実際は困るのではないでしょうか。外科の地域医療に問題が生じる兆しではないでしょうか。全体(204)で44プログラムが応募ゼロでその中には大学病院も幾つかあります。きめ細かい分析、それもピアレビューに耐えるものが要ります。自己防衛ではない分析と対応が求められているということです

外科専門医と地域差のことは、実際どの地域で研修を始めるかを見ないと今の段階でものをいうのは早いのですが、問題点は結構明らかです。プログラムが多すぎる、募集枠を大きく広げている大都市大学講座がある、地域への対応が見た目には努力不足、が垣間見られます。そして執行部の方もおっしゃっていましたが、この中からサブスペシャルに分かれる中で外科の柱となる消化器外科が現実には大変厳しくなる、ということです。現時点ではこの先のことは議論されていませんが、本来サブサブスペシャルをまとめての議論が必要ですが、専門医機構はまだサブスペシャルには手が回らない状況ですので、困ったことです。

最後に、地域の医師確保については、専門医制度をうまく利用すべきですが、難しい背景には、大学医局の役割の二面性、専門分野の自由選択権、病院過多という我が国の医療の特徴、専門医制度の個人へのインセンティブ不足、等でしょう。大学医局は医師派遣で大きな役割を担っていてこの制度でもそこが期待されるわけですが、我が国では大学院教育{研究}という大きな役割を持っていて大学院生が来ないと運営交付金が減らされるし研究成果も出ないので、臨床医育成より研究が重きになります。これが引いては大きな大学{派遣病院が沢山ある}、研究面で魅力ある講座、都会志向、といったことで大学間の大きな較差が生じています。これが悪いとは言いませんが、地方への医師派遣、地域医療での若手医師の派遣、と研究活動維持、の両者をこなすことの難しさを乗り越えないといけないわけです。地方の大学が今回の新制度で更に医師不足{入局者}が減るようになればそれこそ医療{外科}崩壊に繋がりかねないわけです。これを横に置いて進めるのは問題でしょうし、ここでは地方の大学の声が聞きたいです。また、大学プログラムで大きな枠を設けている都市部の大学は{北海道とか東北は別です}、今回の応募率が50%前後ならそれに合わせた修正が求められるでしょう。

専門医制度をないがしろのにすれば医師の生涯教育のスタートが弱くなりますし、引いては将来に禍根を残しかねません。また、内科や外科と言っていますが、20年先にはこういった専門性は大きく変わるでしょうから、そういう視野で柔軟な対応もしないといけないでしょう。20年前の枠から出ていない現状も深刻な問題で、現実と将来のギャップも感じるわけです。敢えて言えば、サブスペシャル領域はそれこそ将来を見据えて柔軟に対応できる仕組みを今用意しないと現状の課題を後送りするだけで将来に禍根を残しかねません。

1月はこのようにばたばたしていましたが、2月以降は反動でのんびりできるでしょう。


2018年1月13日土曜日

阪大の入試判定ミスに思う

例年、センター入試になると寒波襲来がニュースになりますが、関西も本当に寒いです。ただ風は強くなく一見穏やかな気候ですが山間部は大変でしょう。センター入試、受ける方も実施するほうも大変でしょうが今日明日と無事済むことを願っています。
さて、大阪大学は昨年の入試判定ミスで世間を大変騒がせていて、同窓生としては心苦しいです。確かに事後処理では遅れを取ってしまい、危機管理としては低レベルであることは明白でしょう。今になって合格追加といっても当事者には複雑な問題をもたらしていると思われます。昼のTV報道番組では大相撲の次は阪大入試、といった感じで、女性キャスターが、18歳の若者の人生を狂わした、取り返せないのですよこの1年、と声を上げて阪大を非難しています。確かにそうかとは思いますが、一部のコメンテイターからは、本人は前向きに考えて欲しい、という声もありました。阪大の非は非で認めて責任を取ってほしいですが、当事者には自分の将来をよく考える試金石として捉えれる目向きの対応をして欲しいと思います、道が開いているのですから。
この入試判定ミスで思うのは、以前に学長ブログでも書いたと記憶していますが、大学にとっては、特に教員ですが、試験問題作成は大変な負担で、本来の仕事にかなり影響する行事といってもいいでしょう。毎年新しい問題を作ること自体も大変で、無理をすると正解が複数出たり誤った解答を作ったりする危険を孕んでいます。そのために、予備校に問題作成を依頼することも多いわけですが、経費の問題と大学自身の選抜試験への考え方、などから丸投げ一辺倒にはならないのが現状でしょう。今回の物理の問題作成でも研究者としてのスタンスと問題作成という雑用的なものとの棲み分けが曖昧であったのかもしれません。共通一次が種々の問題がある中でも定着していることから、大学独自の問題作成、試験の在り方はそろそろ考え方を変える時期かもしれないのではと思います。論文形式の問題を主体とすれば解答ミスは行らないでしょうし、学力に何かプラスするものを持った人を受け入れ、教育していく、ということも大事でしょう。こういった仕組みを取っている大学や学部はすでにあると思います。私の勉強不足ですが、私学系で進んでいるAO入試方式がそれにあたるのかとは思いますが、今後は国立大学での対応が注目されます。後述。

この点で言いますと、共通試験(センター試験)の在り方として、今のものから今後はいくつかに分化させたものを作ることも、国立大学や中でも医学部では考慮したらどうかと思います。単に試験判定ミスを防ぐのではなく、教員の負担を減らし、より高いレベルの(難易度だけではなく)選抜試験を作ることはどうなのかとも思います。わが国では大学入学選抜試験の背景には偏差値が大きく関与し、面接や論文での選考過程はあるにしろ、試験点数が絶対的であります。しかも、定員が決まっていて、入学させたら何としても進学、卒業させるのが役割となっています。医学部でいうと、面接はあっても形式的で、医師としての適応性は入ってから分かってきます。東大理3での医学部進学選抜は別の意味でのステップですが、学力の世界です。少し余裕をもって入学させ、専門課程に進む前に選抜するくらいの試みをやるところは出てこないのでしょうか。これも、教養課程がなくなり、専門教育が前倒しになっている現状では難しいでしょうか。途中での共用試験がありますが、それに不合格になってからの進路変更は遅すぎることもあります。今回の騒動でも、若い人に1年の意味に拘った報道がされていますが、何かわが国の教育制度には余裕がないのではと思ってしまいます。これでは社会人になっても余裕がない人が多く出てくるのではと思います。
今後、大学入試判定ミスが出てこないように願うばかりですが、今回のことから、大学を一方的に非難する以外に、背景の分析と問題点を出して、入試制度の改革作りの一歩になればいいと思いますし、大阪大学が後始末だけで終わらせず、入試にあり方そのものについて見識ある対応を取ってほしいと、同窓生の一人として感じた次第です。

もう一点加えるなら、阪大が大学評価でトップ2に水を空けられているなかで、これはかなりの痛手でしょう。危機管理としては最初の記者会見に総長が出ていなかったことは理解できませんし、ここから悪循環が始まります。病院での経験からの感想です。大学の高度の研究を進める研究者である教授の役割をよく考えないといけない面もあるはずです。阪大執行部体制や問題の教授の肩を持つつもりは毛頭ないですが、ここでさらに大学評価を下げるようなことにならないような根本的な問題の洗い出しと斬新的な対策が出てきてほしいですね。

新春放談のような無責任な話で恐縮です。

2018年1月9日火曜日

明けましておめでとうございます。


  皆様、新年明けましておめでとうございます。と言っても、もう松の内も過ぎていますので、何か正月ボケのような感じでしょうか。年末もきちんと締めの原稿も書けずに年が変わってしまい、何かだらしない年越しでした。特に話題もないなかで、今年の目標なるものを掲げることも大事かと思うのですが、年末の締めも出来なかったように、もう何か惰性で生きていっているのかと思います。とはいえ、何か目標を立てることはこの歳でこそ必要なことかと考えるとことにします。

私のこの10年ほどの活動の軸でいいますと、臓器移植、新専門医制度、成人先天性心疾患、人工臓器・医療機器開発支援、そしてシミュレーション手術トレーニング、等になるかと思います。臓器移植は法整備20周年記念も終わり、イベント的なことから本来の地道な普及啓発と重点施策の推進が必要です。今年も都道府県コーデイネーター増員に向けて兵庫県で継続して動くつもりです。新専門医制度はいよいよ基本領域がスタートしますが、私の関心はサブスペシャル領域の動きで、専門医機構がここに入り込む余裕がないなかでどう独自路線を進めるか、正念場と思います。3階部分に当たる成人先天性心疾患専門医制度を立ち上げるべく準備中で、今月後半の同学会で概要を提示できるはずです。成人先天性心疾患は専門医制度とも絡みますが、この複雑な疾患群の診療のなかで最も遅れている心臓移植については、自分なりにまとめた現状分析を3月の日本循環器学会のシンポジウムで発表する予定です。因みに、昨年はこのテー、で英文とその和文版を学会に採用されました。

人工臓器関係では植込型補助人工心臓の永久使用が始まるかもしれませんが、どのようなスタートを切るのか注目されます。社会の理解と支援を如何に得ていくかがリーダーに課せられた課題でしょう。医療機器開発では、神戸市での現在の活動をさらに推し進めるにはどうすればいいか、正念場の年です。最後の手術シミュレーション(OFF-JOB)トレーニングは、福島(福島県)中心にいま進めているプロジェクトの拡充が課題ですが、これまでのまとめを5月のアジア心臓血管胸部外科学会(モスクワ開催)へ演題提出をしているので、採用になれば行くことになります。

以上が目標というか今年の予定であります。それぞれ少しでも進めていければいいのですが、その前向きな所とは反対に自分の出来る限界も知らされるという逆の面もあるので、沢山あると喜んではいられません。重点を置くことが大事のようです。
一方、余暇の使い方では、整形外科医からの許可が出るかどうか微妙ですが、この冬のスキー復活、そして春からの自転車、でしょうか。両方とも下手をすると寝たきりや車椅子になりかねないので、安全第一に心がけることをここで表明でもしないと許されないと思われます。しかし、この半年、自分なりにこれまでにないくらいしっかりとリハビリと筋トレで頑張ってきたので、それなりの主張は出来ると思っていますが過信は禁物ですね。


といったことで今年の第一報にします。段々密度が薄くなってきているので、いつ止めてもいいと思いますが、もう少し頑張ってみようと思います。実は、今世の中を賑わしている阪大入試ミスについて書こうかと思ったのです、初っ端にしては面白くないので次回にします。今年も宜しくお願い申し上げます。

2017年12月21日木曜日

心臓移植を受けて水泳競技で活躍

 先日、TVで心臓移植を受けた少年が移植者スポーツ世界大会競泳で銅メダル、という言い素晴らし放映があった。中学生だったと思うが、泳ぎ方(自由形)が本格的な選手みたいで感心したり、嬉しくなったり。 移植までのストーリーが紹介されたが、阪大病院や国循(?)の建物が移っていたので、どこで移植を受けたか注目して見ていた。答えは海外であった。募金活動の映像もあり、母親も本人も、家庭も何も隠さずにオープンになっていて、すがすがしい感じでもあった。
 移植者スポーツ大会は毎年わが国でも行われていて、国内外で臓器の移植を受けた方々も頑張っていて、世界大会にもわが国から毎年沢山の方が参加している。一般社会では心臓移植や肺移植の患者さんの元気な姿を見ることは少ないが、こういう会に出ると移植の凄い力が伝わってくる。今回の放映も、心臓移植を受けた少年の姿に社会の皆さんもその素晴らしさに感動したのではないか。
 ただ、渡航移植をどうこう言うのではないが、こういう放送に国内で心臓移植を受けた方も是非登場して欲しいと思う。脳死からの臓器移植がまだ年間数例といったころは難しかったが、最近はいろいろな機会で移植者の顔が見られるようになった。とはいえ、まだ限定されているのでは。神戸の市民公開講座でも心臓移植を受けた方に登場してもらったが、いつも問題なるのは、ドナーの遺族の方への配慮である。法律の指針で、レシピエントとドナーの情報(個人情報)がお互いに伝わらないように配慮することが書かれている。このテーマは何度も書かせてもらっているが、わが国で例えば心臓移植を受けた患者さんがTVでその元気な姿を見ることが少ないことの背景にこの指針があるとすれば、やはり問題ではないか。
 先日の読売新聞の臓器移植シリーズの一つで紹介された話。脳死ドナーの家族がTVで肺移植を受けた元気な方の姿の放映を見ていて、画面に移植した日時が出ていてその日が亡くなった家族が臓器提供した日であった。このため、この方が家族の肺をもらった方と分かり、同時にその元気な姿を見ての感想が述べられていた。この放映で移植を受けた日を明らかにしてしまったことは、指針に触れるから今後注意するように、という声が出るのかどうか。遺族がこれで心が安まった、提供に同意して良かった、ということでいい話である。結果オーライではいけない、と原則論を強く主張する方もおられる。移植を受けた方も、ドナー家族との直接の対面は希望されないことも聞いている。
 今回の渡航移植患者さんのTVでの紹介、そして新聞記事での遺族の思い、など臓器移植の啓発活動において考える大事な事例であると思う。渡航移植と国内移植で移植を受けた方のメディアへの出方が違うのやはり何かおかしいのではないか。そして、臓器移植を受けた方が何かひけめを感じることのないように、学校や社会も移植を受けた方のその勇気そして頑張りに拍手を送る、という姿を皆で目指そうではありませんか。それがドナーとその家族への社会からの感謝にもなると思う。

2017年12月17日日曜日

新専門医制度で見えた内科・外科の不人気の背景は?


     再度 医師偏在に関連した話で恐縮です。
 新専門医制度が来年から始まるが、その一期生(卒後3年目)の応募状況が分かってきいている(日本専門医機構)。マッチングの一次結果なので最終ではないが、おおよその傾向が見えている。内科は2527人、外科は767人、総合診療は153人である。内科は全体の38%を占めるが、前年比(学会がまとめた登録数から)では約21%減少、外科は約6%減少という。外科はまだ何とか維持しているが内科はこれが本当なら大変である。一方、眼科の希望者、特に都会で目立っていると言う。内科外科は修練期間が長く、関連診療分野を回るので資格取得まで長くかかるが、眼科や皮膚科、耳鼻科はストレート研修できるので早く専門になれるという.こういうところが今の医学生に人気が出ているということになる。 
さて、ここでいう外科も内科も基本領域というもので、内科はその後に循環器、消化器病、糖尿病、呼吸器などに分かれていくので、この減少がどの分野がその影響を受けるかはこれからの問題である。外科も、消化器外科、心臓血管外科、呼吸器外科、小児外科、乳腺内分泌外科、などに分かれて行く。ここで誤解が生じやすいのは、社会で言う内科と外科は、昔はそれで通じたが今はこのような大きな括りでの内科、外科は存在しなくなっている。標榜科名には内科、外科は存在していて、病院でも内科と書かれている、実は内科の専門外来の集まりである。総合診療的な意味を持たせている場合もあるが、これからは別に総合診療科(内科というより全体を見る)というものが登場してくるので、世にいう内科の存在意義は薄くなっている。外科でいう一般外科は消化器外科が担当ということが多かったが、内科は特に消化器内科がカバーしているわけではない。ジェネラルな内科という専門性を持った内科医は限られて、サブスペシャルといわれる内科系医師が担当してきたが、今回、内科系ではなく一つの基本領域として独立した総合診療専門医が創設された。しかし、希望者はまだまだ少ない。
この総合診療専門医の登場で、内科外科といったジェネラルな初期対応の在り方は変わってくるのか。初診でしっかり鑑別診断が出来、専門医へ送る役割を果たす総合診療医、プライマリーケア医、が必要であり、わが国ではここが弱点であった。英国のような家庭医制度もない。新たな総合診療医がわが国で定着してくのか、大事な判断が要る。総合診療医を育てる仕組みが殆どないことが課題である。内科医のほとんどが循環器や消化器などのサブススペシャルで活動しているのは、大学の講座がそうなっていて、総合診療科はあっても大きな講座にはなっていない。ここを何らかのテコ入れをする施策や処遇改善をするなどしないと育たないのではないか。地域医療を担う病院(自治体病院など)で少なくとも若手を指導できる一人の総合診療医がいるようにすることで、いわゆる内科医不足の一部は改善されるのではないか。
論点を整理しなといけないが、今回言いたいのは、内科と外科といった大きな括りでの専門医制度の在り方である。両者は基本領域で、実際の専門性の高い部分はとサブスペシャルになる。この内科外科分野の二階建て構図は新専門医制度の構想初期で議論になり、外科ではすでにこの仕組みが定着していることによって、内科も渋々同調した経緯があったと記憶している。しかし本音でいうと、内科と外科の基本領域としての存在意義は薄れている。では何故残っているのか。自分自身は外科の共通する基本分野は残すべきと考えていたが、 新制度つくりが混迷を来している中で、反省時期に入っている。初期研修もそうだが、臨床医学のベッドサイド教育のあり方の変化もあり、かなりの部分が医学部教育への前倒しで対応できると思われる。今更ではあるが、10年先には新制度の見直しで現在の内科外科のサブスペシャルが基本領域に下がる可能性もあるのでは思っている。すでにその前兆として現実にはサブスペシャル研修(修練)の前出しで基本部分の内科と外科は形骸化してきている。一方では、内科外科のこの二階建て構造が本来の目指す姿を考えれば、そして10年後に立派な成果が上がれば、また様相は変わってくるのかもしれない。しかし、そのような前向きの変化は期待薄というのが現実ではないか。
内科希望者の減少というところに帰ると、専門医資格が卒後5-6年で取れるかどうか、という卑近な話で恐縮だが、この修練期間の話は大事な論点であるということになる。そもそも専門医といってもその分野の標準的医療のためのトレーニングが済んだということで、医師の生涯教育の始まりであることを考えないと本質から外れるが。さて、外科では参入者が微減とはいえ増えてはこないとすると、これも問題である。しかし、地域医療での外科ではどういう分野で医師不足なのかの分析がないと話が進まない。それに加えて地域偏在があるので、一概に総数での話は誤解を生んでしまう。
専門医機構の発表では、都道府県別で、内科では20名以下が16県ある。外科では10名以下が27府県もある。これは地域医療での外科の崩壊にも繋がる。日本外科学会内部資料でも分かるが、都市部の有名大学は人気が高く、地域偏在は現実に起ころうとしている。都市部大学で1プログラム50名以上の枠を作って受け入れようとしている。関連病院が多いところは枠が大きいことになるが、これだけ地域偏在が問題視されているなかでのプログラムの在り方が再度問われるのではないかと心配される。内科希望者の減少が事実とするとこれは医療体制維持、医学部講座の役割維持、において大変なことであると思う。
専門医制度の背景は複雑である。医局講座制、学会の覇権争い(会員確保)、多すぎる自治体病院(集約化できない)、勤務医の働く環境、女性医師への配慮、などなど、で頭が混乱してくる。


しばらく更新していなかったせいか、歳なのか、論点整理に陰りが出てきた。自覚できるだけまだ許されるか。