2020年5月14日木曜日

新型コロナ感染も収まってきましたが。感染蔓延時の心肺蘇生について


我が国での新型コロナウイルス(Covid-19)感染者数のカーブも漸く下り坂になってきて、今日明日にも非常事態宣言の緩和ないし解除が行われようとしています。感染危機管理でいろいろな課題を抱えたまま収束に向かっていますが、のど元過ぎれば、ではないですが今後の対応が一層注目されます。何が問題であったのか分析と次への対策構想に今から取り組んで欲しいと思います。国家的危機が生じても、一旦収まると関心も薄れ、大事な制度改革を先延ばしにしてしまう国ですから。
PCR検査数も問題ではありますが、検査の少ないことを議論するのはもういいとして、今大事なのはこの目に見えないウイルス感染への国民の正しい理解を求めることだと思います。それが充分でなければ、いくら規制を設けても、自粛という個人の判断に頼るやり方では限界があります。私は大丈夫、世間は怖がりすぎ、自分も家族も関係ない、と言う意見が多い状況では、危機管理に限界があるのは当然で、国民のウイルス感染への啓発が今更ながら重要と思います。どうするかは難しいですが、メディアも政府批判や実況中継的な報道から、ウイルス感染について分かりやすく繰り返し説明することに集中して欲しいと思います。視聴率のことがあるので民放は無理としたら、NHKに頼ることになりますが、一方で医学会や医師会がその啓発にもっと力を入れて欲しいと思います。ウイルス感染症という病気への理解が薄ければ、再燃も充分あり得るでしょう。

さて、New England Journal of Medicine という米国の医学雑誌のCovid-19関連の記事を紹介してきました。この雑誌では毎週Covid-19に関する発表を掲載していて、原文ですがフリーアクセスで見ることが出来ます。今回は、新型コロナパンデミックにおける心肺蘇生(CPR)についての倫理的背景から見た論文、
CPR in the Covid19 era—An Ethical Framework (by Kramer)です。
「新型コロナウイルス感染蔓延時期における心肺蘇生の在り方、倫理的にみた構図」、というものです。

我が国でも院外心停止例への救急隊の蘇生操作の施行(胸骨圧迫、人工呼吸、AEDなど)や救急外来での対応が問題になっています。Covid-19感染疑いがあったらどうするか、医療従事者への感染や院内感染にならないか、PCR検査はどうするか、など医療崩壊になる重要な問題です。実際、CPRで蘇生後に入院し手術や治療をした後に感染が判明した事例も生じています。特に個人防御装置(Personal Protective Equipment, PPT、マスク、手袋、ゴーグル、防御ガウンなど)が備わっていない状況でのCPRや緊急治療は大変悩ましい問題です。心臓外科や心臓カテーテル治療など、生命に関わる場合の緊急治療でも問題で、学会関係(海外からも)の指針も出ていますが、最終決断は現場に任されているのが現状です。以前、このブログで紹介したDNR、終末期医療、に関わる問題でもあり、倫理的な背景の理解が必要となります。
米国と我が国では倫理的な対応も違うので同じにはなりませんが、考え方としては参考になると思います。

さて以下要約です。
背景は米国でも同様で、CPRにまつわる問題は、救急医療の医療リソース(医療資源)不足である。即ち訓練された人材、装備、ICUベッド、などが限られている中で、さらにこの感染症の広がり(医療担当者と施設)を考えると、DNR(蘇生術を受けない)がなければCPRに最善を尽くすという従来の使命は必ずしも受け入れられなくなる。医療従事者の感染と院内感染、必要なICUベッドの確保、の観点から、危機管理における標準規定(crisis standard)が必要である。そしてCPRをしないとするには倫理的な基準が必要である。この論文では主に院内心肺停止例への対応が書かれている。
背景には、院内心肺停止例へのCPRの成果を見ると、約25%しか退院できていないという現実があるも考慮しないといけない。米国の科学・技術・医学に関するアカデミーの危機対応標準規定によると、最も救命の可能性の高い患者をまず助けることが基本とされている。命の選別が起こる。そこには基本的倫理として、公正であること、ケアの義務を尽くすこと、リソースを大事にする、意思決定における透明性の維持、一貫性、調和、そして説明責任、と書かれている。人種や性別、年齢、保険、経済力、などでの差別を避けるには透明性が家族野理解の上で重要である。
このような背景のもと、以下の3つの項目を危機管理におけるCPRの基準として推奨している。
1)  医療資源が逼迫していることを理解すること。そのためには、病院の受け時点でのDNRの確認と共に、CPRはしないという選択も提示するが、一方では科学的根拠に基づいて慎重な判断が必要である。
2)  CPRをしない選択には背景の疾患への考慮が必要であるが、Covid-19を特別な疾患とすることは今の科学的根拠からは推奨されない。しかし、医療資源の制限がある中で最大限の救命者を出すには、以下の場合には蘇生をしないという選択が許容される。それには、人工呼吸器がない、救急治療のベッドがない、また疾患の進行程度が決定的である、などであるが、不整脈のような電気ショックや胸骨圧迫で対応できる場合は除外されるべきである。 これらのことは、院内のcode-team(緊急対応チーム)にも当てはまることである。
3)  医療従事者の安全の確保のためへの配慮は危機管理での標準規定への科学的根拠になる。そのためには、訓練された人材によるPPE使用、経験充分な医療者による気管内挿管、機械的CPR装置の使用があればその使用、をガイドライン等に含める。

纏め的には、米国では一部の施設を除き、危機管理標準規定、を整備していないのが現状である。今後は、倫理的根拠に支えられた明確なcrisis standard が必要であり、そうすることでCPRの従来のプロトコールに準拠することがもはや適切では無くなる場合が出てくるであろう。

   倫理が絡む中々難しいテーマで、訳するのにも苦労したので正確性に欠けるかも知れないのですが、概要は伝えられたのではと思います。我が国では終末期医療のガイドラインも出てきていますが、APCもまだ広く理解されているとは言えない状況です。この感染パンデミックの機会に、心肺蘇生の在り方が更に議論されるのではと思います。標準防御が基本ではありますが、救急患者さんをすべて感染者と見なすには倫理的問題と共に実践するための障壁が高い状況です。それでも、大学病院では手術患者さんの術前検査にCovid-19PCR検査を進めていますが、外科関連学会の要望もあり保険適応も承認されたと聞いています。

最後に、感染症の疑いがある患者さんへのCPRをしないという決断においては、我が国では倫理的考察よりなんと言っても家族対応の難しい状況があります、例えDNRの存在下でも。
今日のNEJMの記事紹介は何かしっくりしない内容でした。
皆様、もう少し辛抱ですね。
 
我が国での新型コロナウイルス(Covid-19)感染者数のカーブも漸く下り坂になってきて、今日明日にも非常事態宣言の緩和ないし解除が行われようとしています。感染危機管理でいろいろな課題を抱えたまま収束に向かっていますが、のど元過ぎれば、ではないですが今後の対応が一層注目されます。何が問題であったのか分析と次への対策構想に今から取り組んで欲しいと思います。国家的危機が生じても、一旦収まると関心も薄れ、大事な制度改革を先延ばしにしてしまう国ですから。

PCR検査数も問題ではありますが、検査の少ないことを議論するのはもういいとして、今大事なのはこの目に見えないウイルス感染への国民の正しい理解を求めることだと思います。それが充分でなければ、いくら規制を設けても、自粛という個人の判断に頼るやり方では限界があります。私は大丈夫、世間は怖がりすぎ、自分も家族も関係ない、と言う意見が多い状況では、危機管理に限界があるのは当然で、国民のウイルス感染への啓発が今更ながら重要と思います。どうするかは難しいですが、メディアも政府批判や実況中継的な報道から、ウイルス感染について分かりやすく繰り返し説明することに集中して欲しいと思います。視聴率のことがあるので民放は無理としたら、NHKに頼ることになりますが、一方で医学会や医師会がその啓発にもっと力を入れて欲しいと思います。ウイルス感染症という病気への理解が薄ければ、再燃も充分あり得るでしょう。

さて、New England Journal of Medicine という米国の医学雑誌のCovid-19関連の記事を紹介してきました。この雑誌では毎週Covid-19に関する発表を掲載していて、原文ですがフリーアクセスで見ることが出来ます。今回は、新型コロナパンデミックにおける心肺蘇生(CPR)についての倫理的背景から見た論文、
CPR in the Covid19 era—An Ethical Framework (by Kramer)です。
「新型コロナウイルス感染蔓延時期における心肺蘇生の在り方、倫理的にみた構図」、というものです。

我が国でも院外心停止例への救急隊の蘇生操作の施行(胸骨圧迫、人工呼吸、AEDなど)や救急外来での対応が問題になっています。Covid-19感染疑いがあったらどうするか、医療従事者への感染や院内感染にならないか、PCR検査はどうするか、など医療崩壊になる重要な問題です。実際、CPRで蘇生後に入院し手術や治療をした後に感染が判明した事例も生じています。特に個人防御装置(Personal Protective Equipment, PPT、マスク、手袋、ゴーグル、防御ガウンなど)が備わっていない状況でのCPRや緊急治療は大変悩ましい問題です。心臓外科や心臓カテーテル治療など、生命に関わる場合の緊急治療でも問題で、学会関係(海外からも)の指針も出ていますが、最終決断は現場に任されているのが現状です。以前、このブログで紹介したDNR、終末期医療、に関わる問題でもあり、倫理的な背景の理解が必要となります。
米国と我が国では倫理的な対応も違うので同じにはなりませんが、考え方としては参考になると思います。

さて以下要約です。
背景は米国でも同様で、CPRにまつわる問題は、救急医療の医療リソース(医療資源)不足である。即ち訓練された人材、装備、ICUベッド、などが限られている中で、さらにこの感染症の広がり(医療担当者と施設)を考えると、DNR(蘇生術を受けない)がなければCPRに最善を尽くすという従来の使命は必ずしも受け入れられなくなる。医療従事者の感染と院内感染、必要なICUベッドの確保、の観点から、危機管理における標準規定(crisis standard)が必要である。そしてCPRをしないとするには倫理的な基準が必要である。この論文では主に院内心肺停止例への対応が書かれている。
背景には、院内心肺停止例へのCPRの成果を見ると、約25%しか退院できていないという現実があるも考慮しないといけない。米国の科学・技術・医学に関するアカデミーの危機対応標準規定によると、最も救命の可能性の高い患者をまず助けることが基本とされている。命の選別が起こる。そこには基本的倫理として、公正であること、ケアの義務を尽くすこと、リソースを大事にする、意思決定における透明性の維持、一貫性、調和、そして説明責任、と書かれている。人種や性別、年齢、保険、経済力、などでの差別を避けるには透明性が家族野理解の上で重要である。
このような背景のもと、以下の3つの項目を危機管理におけるCPRの基準として推奨している。
1)  医療資源が逼迫していることを理解すること。そのためには、病院の受け時点でのDNRの確認と共に、CPRはしないという選択も提示するが、一方では科学的根拠に基づいて慎重な判断が必要である。
2)  CPRをしない選択には背景の疾患への考慮が必要であるが、Covid-19を特別な疾患とすることは今の科学的根拠からは推奨されない。しかし、医療資源の制限がある中で最大限の救命者を出すには、以下の場合には蘇生をしないという選択が許容される。それには、人工呼吸器がない、救急治療のベッドがない、また疾患の進行程度が決定的である、などであるが、不整脈のような電気ショックや胸骨圧迫で対応できる場合は除外されるべきである。 これらのことは、院内のcode-team(緊急対応チーム)にも当てはまることである。
3)  医療従事者の安全の確保のためへの配慮は危機管理での標準規定への科学的根拠になる。そのためには、訓練された人材によるPPE使用、経験充分な医療者による気管内挿管、機械的CPR装置の使用があればその使用、をガイドライン等に含める。

纏め的には、米国では一部の施設を除き、危機管理標準規定、を整備していないのが現状である。今後は、倫理的根拠に支えられた明確なcrisis standard が必要であり、そうすることでCPRの従来のプロトコールに準拠することがもはや適切では無くなる場合が出てくるであろう。

   倫理が絡む中々難しいテーマで、訳するのにも苦労したので正確性に欠けるかも知れないのですが、概要は伝えられたのではと思います。我が国では終末期医療のガイドラインも出てきていますが、APCもまだ広く理解されているとは言えない状況です。この感染パンデミックの機会に、心肺蘇生の在り方が更に議論されるのではと思います。標準防御が基本ではありますが、救急患者さんをすべて感染者と見なすには倫理的問題と共に実践するための障壁が高い状況です。それでも、大学病院では手術患者さんの術前検査にCovid-19PCR検査を進めていますが、外科関連学会の要望もあり保険適応も承認されたと聞いています。

最後に、感染症の疑いがある患者さんへのCPRをしないという決断においては、我が国では倫理的考察よりなんと言っても家族対応の難しい状況があります、例えDNRの存在下でも。
今日のNEJMの記事紹介は何かしっくりしない内容でした。
皆様、もう少し辛抱ですね。

論文:


2020年4月15日水曜日

新型コロナウイルス感染患者のケアの課題 米国からの報告



コロナ感染の話が続きます。

医学系の超一流雑誌、New England Journalでは毎週Covid-19に関する貴重な報告が続いている。41日号ではEditorialですが、このパンデミックカーブを10週間で潰せ(平坦化ではなくクラッシュさせる)、というもので、そのための6つのことが提案されている。わが国の関係者に是非読んでほしい論文である。

 Ten Weeks to Crush the Curve. 
   Harvey V. Fineberg, M.D., Ph.D.

そのための6つのstepが書かれています。米国の話ですが日本も同じです。
  1)大統領を補佐する統合指揮官に最大の力を与えること。
  2)次の2週間で。100万件の検査ができるようにする。
3)医療従事者にPPE(個人用防御装置や器具)を充分支給する。
4)症状やリスク分析で5つの群分けをして対応する。
  5)国民とともに戦う(inspire and mobilize the public)
  6)実行しながらこのウイルス感染の基本となる研究を進める。


今回紹介したいのは下記の投稿です。

「一人だけで死なない  
Covid-19パンデミックにおける最新の心のこもったケア」

Not Dying alone, Modern Compassionate Care in the Covid-19 Pandemic
NEJM  2020. 414日号  By GK Wakamu, MD

米国デトロイトの市中病院の外科のレジデントから1例報告。
ICUの5時間勤務交代体制で受け持ったCovid-19感染患者が、人工呼吸器治療でもガス交換が悪く呼吸性アシドーシスと低酸素血症で末期的な状態となった。ECMOは適応外というか病院の使用は拒否され、もう後の治療はなく、死亡するのは時間の問題となっている。その患者の奥さんとは電話のみで状態を報告しているが、面会は病院の方針で出来ない。死期が近づいても面会は無理である。それはCovid-19患者を受けている病院の方針である。奥さんも感染の可能性もあることや、なくても病院に来ることで新たに感染するかもしれない。普段は死期が迫ったら、家族が来るまで何とか持たせて、お別れをさせてあげるのが役割であるが、今回の状況は深刻である。電話で幾ら説明しても、奥さんに面会できないことを理解してもらうことは困難で、最初は怒り、次は司法に訴える、そして歎願、最後は‘5分でいいから会わせて下さい、そしてすぐ去りますから“という交渉という悲嘆のサイクルが始まる。
PPE(個人防護装置)は医療者用でさえ不足しているから、面会家族に使うことは到底出来ない話である。何とか出来ないかと、スマフォを預かって写真を送ることも考えられるが、これも安全性や個人情報とか、誰がするかとかで許可されない。そうこうしているうちにCode-Blueで呼ばれ、患者は心停止。蘇生を90分続けた後(個人としては信じられない)でも心拍動はなく、重苦しい気分で死亡宣告をした。
この間、看護師の一人は病院の廊下で奥さん2説明していて、死亡したことも伝えた。そして、その看護師がスマフォのFaceTimeを使って旦那さんの写真を送ったが、苦しんでいた顔を見て返って悲しみ賀増して悲嘆の悲鳴を上げることになった。私は後をまかせて他の患者の治療のために部屋を後にした。
我々レジデントは市中病院のICU(ここは米国でのCovid-19発生、震源地、病院の一つ)での数週間の勤務で、皆がこのような同じ経験をしている。この3週間で見た死亡はこれまで研修期間で見た数を超えている。このことはますます多くなるであろうが、これまで診療指針等で示されていない、患者さんの心に寄り添い、患者中心の医療から離れた未知の分野である。
今回の感染蔓延では、家族が患者の手を握りハグすることは不可能である。しかし、我々は米国のヘルスケア制度が今後より良くなると信じている。テレヘルス、バーチャルミーティング、が普通になるのではないか。隔離された患者と家族が遠隔面会できる様になるのでは。例えばタブレットを使ってビデオチャットなどである。コミュニケーションツールの開発でこのような不本意な状態を改善し、患者やその家族の安全を担保しながら、何らかの方法で患者と家族の結び付きを可能にする新たな仕組みを作って行けるのではないか。

わが国でもCovid-19で亡くなられた方の家族が遺体との面会も出ないことや、火葬も立ち会えない、ということが報じられています。
わが国でも亡くなられる患者さんが増えつつあります。ICUでは同じようなことが起こっているのでしょうか。このウイルス感染のもたらしていることの一端というより、本質を物語っているような報告と思って紹介しました。和訳には一部不正確なところがあることをお断りします。




2020年4月10日金曜日

新型コロナウイルスと臓器移植



 わが国のCOVID-19の感染拡大は止まることなく、都市部だけでなく地方でも患者数は急速に増加しています。7都道府県対象に非常事態宣言が昨日公示されました。これまでもそうですが、すべて遅くまた中途半端で、政府の無責任さには驚くほどです。国民の命と経済のどちらを大事にしているか、国のリーダーは何を考えているのか疑問に思わざるを得ません。兵庫県も日増しに感染者数が増えていっています。一般病院については、COVID-19対応は基幹病院にまかせて、置き去りにされる危険がある一般患者への対応を担うわけですが、一般患者や医療者で感染が出ると、まず感染者への接触医療者は2週間の自宅待機になり医療施設としての機能は大きく妨げられるのは明らかです。医療崩壊を防げと大きな声が上がっていますが、わが国では中小規模の病院が非常に多いという構造がこのような危機状態でその弱さが露呈しています。集約化が出来ていないから、医師も看護師も分散してしまい個々の現場で不足してしまうわけです。これは今言ってもどうしようもないわけですが、PCR検査体制を抜本的に強化することでこの問題は少し改善するのではと思います。PCRをやたら行うのは弊害が大きいとする意見はもう通じない状況といっていいでしょう。

さて、このCOVID-19の移植医療に及ぼす影響は深刻で、世界の臓器移植、幹細胞移植(骨髄移植)の学術団体は積極的にメッセージを出しています。それは、移植を受けた方は免疫抑制療法下であり感染リスクが高く肺炎になれば致命的であること、移植待機患者は臓器不全で抵抗力が落ちていてウイルス感染にかかると重篤になること、であります。さらに深刻なことは、臓器提供側にも影響が及ぶことです。即ち移植希望者への移植の機会が減ること、が危惧されます。このドナー側(提供側)の問題は二つあって、一つはドナーがCOVIDF-19に感染していないことを確認しないといけないこと、もう一つは臓器提供の主な役割を果たす救急医療施設がCOVID-19対応で忙殺されていて通常であれば行える臓器提供へのステップへの選択肢が下がること、であります。脳死での臓器提供の可能性があっても、このような普段とは異なる状況が生じることで、提供に至らないケースが増えるのではないかと危惧されます。

臓器または造血幹細胞の提供候補者へについてのCOVID-19感染について、厚労省から202035日付けで通知が出ています。もともと提供者についてはウイルス感染有無の検査が法律で義務付けられ、ウイルスによっては陽性ならば候補除外になっていますが、この度COVID-19も対象に加えられたということです。疑いがあれば情報収集(検査)を強化し、疑いとする要件に該当すれば移植に用いない、という通知です。先般、著名な芸能人がこの肺炎で死亡された時に、遺族が遺体に会えなかったことから、この状況の深刻さが窺われます。

実際、臓器提供がどうなっているかを日本臓器移植ネットワークのHPで調べますと、今年になってからの脳死での臓器提供数は、17件、29件と、昨年と同様に増えている状況が分かりますが、3月は4件、4月は現在まで1件と、まだ分かりませんが提供が減っているのでは思われます。移植待機中の患者さんにとって、ご自身が移植を受けられる猶予時間が刻々と短くなっているなかで、今の状況は本当に辛いと思います。何とか早く収束して、臓器移植がまた元の状態戻ってくれえることを切に願うばかりです。


2020年3月31日火曜日

新型コロナウイルス感染はパンデミックに



前回の新型コロナウイルス感染についてコメントした後は沈黙していましたがもう3月も終わりになってしまいました。その後、パンデミック宣言もあり、未曾有の混乱が世界中に起こっているなか、我が国はオーバーシュートを避けて何とか乗り切ろうとしています(3月末)。東京オリンピックも1年延期が決まりましたが、この新型コロナウイルス感染蔓延が何時収束するのか、ワクチンがいつ開発されるのか、世界経済が1年でどこまで回復するのか、先行きは不透明なことばかりです。
Tokyo 2020オリンピックでは、WHOがパンデミック宣言を出した後、直ちに延期する宣言を首相はすべきであったと「思います。この3月から国内はもとより海外の学会も軒並み中止や延期となり、学会や行政関係の会議もしかりで、手元のカレンダーは3月から向こうは真っ白の状況です。正に異常事態です。そういう中で宿題の論文作成には集中出来るという皮肉なことにもなっています。

さて、新型コロナウイルス関係ではわが国の対応にはいろいろ外野席からの意見はありますが、ポイントだけにしておきます。

  国のトップは東京オリンピックをしばらく脇に置いて、新コロナ対策にすべてをかけるべきである。
  国としての危機管理体制を再度組み替えさらに強化すべき。
  わが国で危機感が薄い原因は何か分析し、口先だけでない対策を。
  情報発信については国、自治体の危機管理部門が主導し、報道ではNHKBBC,CNNを見習って国を守るという責任感、危機感を持って報道に専念すべきである。今回の騒動で、NHKの専門報道を見ていれば安心できる、という国民の信頼を得るよう一層の取り組み強化を。
  政府の危機管理対応も、ニュージーランドの首相のメッセージにあるようなステージによる危機管理把握と国民への具体的周知を考えるべき(これまでの大水害での経験がいかされていない)。
  多くの感染症専門家たちがワイドショーでいろいろ意見を述べているが、混乱と不安を招いている報道に加担していることを自覚し、純粋な報道番組以外は出演を断るべきである。
  医療危機が迫っている中で、病床確保が難しいことが明らかであり、この国家的危機にあたっては、まず全国に沢山ある国立病院(今は機構)が感染者対応で緊急的役割を果たすよう国は至急検討すること。
  スタンダードプレコーションの概念を国民に知ってもらうこと。

最後に、一医師として不甲斐なく思っていること。世界ではNEJMLancetに新型コロナの新しい医学的情報が毎週のように出ているが、わが国からの世界に向けた医療現場からの情報発信は皆無ではないか。クルーズ船もしかり、一体どうなっているのか。医学的な危機管理では考えないといけない重要な問題である。もし、日本医事新報にそういう記事があるなら、英文で投稿してほしい。もし、私の不勉強なら謝りますが。

2020年2月20日木曜日

新型コロナウイルス感染で思うこと


もう2月も終わりに近づいてます投稿します。新型コロナウイルス問題についていつ書こうかと様子を見ているうちに局面は大きく変わって来ました。遅ればせながら書かせてもらいます。

新型コロナウイルス(COVID-19)が蔓延しつつある我が国おいて、我々の抱える医療における問題が改めて浮き彫りになったと思っている。自身年末は東南アジア,1月末からは欧州の渡航歴がある中で、先週より風邪にかかっていて、行動はかなり自粛している。ただ、発熱もなくもう下火になってきたのでひと一安心と言うところですか。
COVID-19については中国での発生から注目しているなかで、クルーズ船の問題が起こった時から,いろいろ言いたいことが出ていたのですが、ここ数日で国内での対応の問題が明らかになってきたので、自分なりに纏めてみたいと思います。後出しジャンケンみたいですので、ポイントを分かりやすくするために項目のみにしておきます。

1)  国際的感染防止対策における水際作戦は重要だが、こと中国が震源地であるのに武漢市以外を容認した甘い国の判断。観光客が減ることへの懸念といいながら、返ってこれを増悪させ長引かせてしまった。
2)    感染防御と対策に厚労省(お役人)が仕切っていて、感染専門家はTV新聞のコメンテーターで終わっている。国立感染症研究所の顔が表に出ていない。ことが進むと言い訳がめ煮付き、対応も後手に回っている。 米国のCDCを見習った組織を緊急設置するくらいの危機管理が必要であるが、予算委員会でこのことも質問があったが、回答は前向きではなく、しっかり遣っている、国にまかせなさい、という役人的考えが続いているのは誠に残念である。
3)    感染者が出たクルーズ船対応では、最初の検疫対応(quarantine)は妥当であったが、3000人以上の乗船者(乗組員も1000人)をまさに培養船としてしまったわけで、早急に次の策を考えないといけないのは分かり切っているのに漫然と14日という観察期間に責任転嫁をし、船内Out-Breakを起こしてしまった。
   我が国の感染症研究者(専門集団)はこのクルーズ船の感染の蔓延について,早急に疫学的・科学的に検証して、著明な国際誌(LancetとかNEJM)の発表することが重要な責務であることをあえて書かせてもらう。これがなければそれこそ国際的に糾弾されテおかしくない。
4)    もう市中感染が多発しているのに、次の策が見えて来ないので社会は混乱して来るし、他国では14日の更なる隔離を行っているのに、我が国では陰性下船者を何ら制限なく(国の)自宅に返すという矛盾した判断を、国立感染研が容認したことも議論を呼んでいる。
5)    こういった多くの問題をさらけ出した我が国の感染症対策は,一言でいうと失礼ながら危機管理という面では国際水準ではなく、縦割り行政を打破する米国CDCに準じ行政的判断も出来る専門組織を作ってこなかった付けが今に来ている。報道上ではあるが、国会での感染プロ集団(感染研、学会)の御用学者的存在は誠に残念である。
6)    医療機器についても米国FDAに習って我が国もPMDが随分進化したが,いまだラグは続いているし、無駄な治験も消えていない。かかる我が国の医療における行政主導の弊害は今回の感染症でも浮き彫りになったといえるのではないか。
7)    最後に、感染症対策では standard precaution(標準予防)「施設内で感染があるかないか検査結果に頼るのではなくにすべての対応患者さんは感染の病原菌やウイルスを保持していると仮定して対応すること」が基本であることを改めて感じた。

  COPVID-19Out-Breakが国内(船外)で起こらないことを切に願っています。






2020年1月24日金曜日

明けましておめでとうございます



 もう1月の後半に入っていますが, 遅まきながら2020年を迎えて皆様おめでとうございます. 今年も気ままなこのブログにお付き合いいただければと思います.
さて, 新年を迎えて, というか昨年末よりですが, 落ち着かない日が続いていました. それは117日から始まる日本成人先天性心疾患学会での宿題報告ともいえる講演を指名されていたからです. 最近はこの成人先天性心疾患領域への関心が個人的にも凝集しつつある中で, 今回の第22回(学会となって9回目)学術集会の会長である東京慈恵会医科大学心臓外科の森田紀代造教授から昨年秋ですが, 私に特別講演をしてみないかというお誘いがりました. 先天性心疾患を手掛ける心臓外科医が会長ということもあって, もうかなりシニアーである私に気を使って頂いた話でした. この学会の専門医制度立ち上げでの関わりもあったのでしょうが. さて, 特別講演といってもレジェンド・レクチャー(Legend Lecture)ですよ, といわれ大いに戸惑ったのですが, 大変ありがたいこととお引き受けしました. こんな名前の特別講演はこれまでこの学会で聞いたことがなかったのでびっくりでした訳です. 因みに2015年の学会では英国のこの分野の創始者で小児循環器医のJane Somerville先生が, 50 years with cardiac surgeons,という特別講演をされておられるのが後で分かりました. Somerville先生の50年と比べたら私ごときが大それたタイトルを付けたことが恐れ多くお許しを願いたいと思います.


成人先天性心疾患については心臓移植も大事なテーマで, 学会誌に総説などを書いてきたわけですが, タイトルは勝手ながら, 「先天性心疾患と共に50年」とさせてもらいました. 先天性心臓病への外科治療は私にとって移植より長いライフワークですから, この機会は私の心臓外科医としての締め括りのようなもので大変ありがたいことでした. 現場の第一線(手術室)での活動は10数年前に一応終わっているのですが, 昔手術をさせてもらった患者さんが成人になって, 今も外来で診させてもらっているので,50年とさせてもらいました. その講演も先週無事済みましたので, 一息ついて今回の学会を振り返っている状況です.

成人先天性心疾患疾患についてはこれまで触れたこともありますが, 小児期の手術成績が向上すると共に大人に成長した方が多くなってきますが, その中の少なくない数の患者さんは, 何度も再手術を要し, 肝臓や腎臓の機能不全や心臓自体の機能障害が出てきます. 難しい手術に成功してもその後は結構問題が生じることがだんだんわかってきています. 今回の学会で, 私にとって衝撃的でしたのは, フォンターン手術のことです. この手術は複雑な心臓の異常があり, 左室と右室の二つの心室が機能する2心室修復が出来な場合があり, 右室側(肺動脈に血液を送るポンプ)を無くしてしまって, 静脈圧だけで肺循環を維持させるという機能的根治術で, 1971年にFontan教授によって報告された右心バイパス手術といわれる画期的手術です. それまで根治的手術が出来なかった世界の多くの子供さん方に大きな福音をもたらしました. わが国でも(我々も)その手術の導入から手術術式の改良, 適応拡大, と小児心臓外科医にとって大きな目標でありチャレンジでもありました. その結果, 手術成績も飛躍的に向上し, 多くの子供さんがチアノーゼもなくなり, 普通の生活ができるようになってきました.
この手術は, 体全体の血液循環を一つの心室に委ねるという非生理的な面もあり, どれだけ長く維持できるか, 静脈圧が必然的に上がるのでうっ血する腎臓や肝臓は大丈夫か, という心配がありました. 手術数が増えてくると術後20年とか30年とか長くなると肝臓が痛んで肝硬変になる症例が出てきますし, その他のいろいろな併発症が発生し, フォンターン不全, failed Fontanという病態が最近は広く関係者に認識されるようになってきています. フォターンエピデミックが近づいている, tsunamiの如く, とも警告もされるようになってきました.
私の次の時代の心臓外科医が素晴らしい成績を上げてきたので, 私自身はこの遠隔期のフォンターン術後の問題は少なくなるのではと期待していたのです. ところが, 今回の学会での内外の発表はから, 少しオーバーですがその期待はかなり幻想的であったかと思うようになりました. フォンターン術後20年で隠れた肝硬変が多く見つかるようになり, 30年ではもう避けられない, ということが当然の如く議論されています. 肝硬変だけでなく多くの課題が出てきたフォンターン手術は, success or fail という質問を会場に投げた海外招請演者もおられました. 30年の術後生活をみたらsuccessと言われていましたが, 衝撃的な議論です.
Failed Fontanへの心臓移植や機械的補助循環の議論は4-5年前に学会で話をしてもあまり反応なかったようでしたが, 今回の学会ではかなりホットな議論がされるようになっています. もちろん, 心臓移植への道は険しく, まして心臓と肝臓の同時移植は非現実てきですが, 学会で真剣に議論がされるようになってきたことも衝撃的でした.
また, フォンターン手術以外の先天性心疾患でも高齢になって心不全となり心臓移植か補助人工心臓は, という議論が出てきている疾患があります. それは修正大血管転移症といわれるもので, 生まれつき右心室と左心室が入れ替わっているのですが, 出口の大血管も入れ替わっている(転位)ため, チアノーゼもなく普通の生活ができ, 病気として発見されることはなく, 成人になって心電図異常(房室ブロック)で発見されることが多い疾患です. しかし, 解剖学的右室の心筋は左室と比べもともとしっかりしたものではなく, また逆流防止弁も三尖弁であり漏れが生じ易い形態です. 40, 50, となって三尖弁閉鎖不全が出てきて心不全も進んできたので, こういった患者さんをどうするか, という議論が盛んになってきています. そして, 弁置換をしてもその先は解剖学的右室(左室の役割をしている)が体心室としてもたなくなることも分かってきたので, いつ補助人工心臓や移植の説明をするのか, という意見が普通に出てくるようになったことも驚きでした. この修正大血管転移症で補助人工心臓をつけて国内で心臓移植に至った症例ありますが, 私が修復術(他の心内異常合併)をさせてもらった方で, 移植登録し, 補助人工心臓をつけて待機していた女性は移植に辿り着けずに亡くなっています. こういった成人先天性心疾患で移植を必要とする方は少なくないのですが, 移植の優先度も低く, 長期待機がかなわない臓器不全もあり, 心臓移植での臓器配分システムにおいて成人先天性心疾患への配慮が強く求められるわけがここにあるのです.
といったことで, この成人先天性心疾患領域の難しい面を強調しましたが, 一方では移, 循環器系と移行医療の法律も出きたので, 移行医療をどうするか, 専門医制度の施行と共に地域でセンターをおいて連携施設共に診療体制, 医師の継続教育体制が進むことも明るいニュースでした. 私自身は, 長い心臓外科医の後でようやくこの領域にたどり着いた, という心境です. そういう意味からも, 今回の講演の機会を与えていただいた森田会長に深く感謝しております. 東京はお台場での学会で, 世の中は3連休でしたが東京は天候も落ち着かず, お陰で学会に集中した3日間でした.

今年も宜しくお願いいたします.

写真は、森田会長からいただいたCertificateです。