福岡での第113回日本外科学会がやっと終わりました。国際会議場でしたが6000人もの参加があったそうで、日本中で外科診療に支障が出なかったか心配される位でした。殆どが勤務医ですが、学会参加が専門医資格申請や更新に必要なこともあり、若手だけでなく部長クラスも沢山来ていた。勉強プラス懇親という意味もある年一度の一大イベントです。今回は九州大学第二外科教室(今は消化器・総合外科)の威信をかけた学会で、会長の前原教授は60歳を超えたばかりのまだ若々しい感じがする教授で、学研肌ながら教室運営や学会活動ではなかなかの手腕を発揮され、専門は消化器外科で、がんや臓器移植で凄い業績を上げている。この教室からはすごい数の英文論文が毎年出されていて、論文をまとめた電話帳のような分厚い年報が毎年送られてくるので有名。これは教室員への刺激やモチベーションを上げる効果だけでなく、他の大学の教授にもプレッシャーをかけている。この教室は全国の大学に教授を輩出していることでも抜きんでています。大阪大学の消化器外科の森正樹教授もこの教室出身です。
さて、紹介したいことは沢山あるのですが、ここでは手前味噌ですが自分の発表について書かせてもらいます。今回の学会テーマは、創始と継志、であり、我が国の外科学や代表的な外科手術の、始まった頃を振り返りながらそれがどう現在に繋がっているか、これを検証しこれからさらに発展しよう、ということです。その方法として、あるテーマについてその分野で指導的な役割を果たしてきた先達と現在のリーダー、あるいは大学外科学教室の前教授と現教授がペアーで、二人で1時間の記念講演をするというものでした。テーマは全部で13あり、私は心臓移植、というテーマで、後任の澤教授とのペアーでした。同じ教室でペアーを組むばかりではなく、専門分野では異なった教室の組み合わせもありました。各テーマについて選ばれたペアーは、日本全体の視点で話すものと、教室の関わりに焦点を絞るものとに分かれましたが、我々は開き直って、阪大第一外科はどうしたか、に徹しました。勿論、そのことは講演の最初に断っています。臓器移植、特に心臓移植は沢山の大学の方々や学会の支援で進んだのですが、心臓移植再開を担当したということで、お許しを願いました。
私は、心臓移植再開に向けて、というタイトルでした。和田移植から30年以上ブランクがあっての再開でしたが、それまでの長い道のりの中での準備の課程を恩師の故曲直部教授、川島名誉教授のご尽力に触れながらの紹介をさせてもらいました。1999年2月の再開例のこととは別に、補助人工心臓の導入、移植法改正、再生医療への準備、など30分で済ませました。後は澤教授が引き継いで、移植から再生医療へと最近の成果を熱く語っていました。後を継いでもらって10年にもならないのに良くやっていると改めて感心した次第。終わった後、司会の東大前教授の高本先生から感謝状(学会長名)を頂きました(写真)。第一外科の同門や他の移植施設の教授も聞きに来られていました。会場は満員、というほどではなかったですが、外科学会では心臓移植に関心がある人は限られるので、仕方がないことです。川島先生も来られていて、ご満足の様子でした(写真あり)。ほかの臓器移植については、肺移植が東北大学の藤村・近藤組、肝移植は九大組でした。後者は我が国の生体部分肝臓移植の最初の手術をされた元島根医大の永末先生が講演されました。心臓移植のような大護送船団方式とは違った、正にパイオニアの仕事に改めて感銘を受けました。
ということで一応区切らせてもらいます。