2015年12月28日月曜日

小児心臓移植、米国の課題

心臓血管外科で世界をリードする米国胸部外科学会の雑誌に興味ある論文があったので紹介させてもらう。最近はじっくり目を通すことが少なくなっているが、やはり重要な論文が多いので目を離せない。今日は小児の心臓移植で米国の考え方を紹介する。
Journal of Thoracic and Cardiovascular Surgery Volume 150, Number 6.

主たる論文(p.1455)はエモリー大学からの先天性心疾患患児の心臓移植の報告である。一施設の分析であって、1988年から2013年までに290例の小児心臓移植を行っている。因みに最近の統計では、小児の心臓移植は世界で年間約500例に行われている。エモリー大学での290例では心筋症が半数以上で、主題の先天性心疾患(先天性心奇形とも言われる)患児への移植が124例である。特徴はそのうち87%が先に心内手術や姑息手術などを受けている。心臓の修復的手術後や根治的手術が出来ないで一時しのぎの手術後であっても、遠隔期に心不全が進行し、移植でしか救命出来なくなった状況である。3分の2は心室が二つ(左と右)無い一心室疾患(単心室や三尖弁閉鎖)で、その多くはフォンターン手術やノルウッド手術(左室低形成)である。
移植時の年齢は平均で3.8歳で、30%は10歳以上である。待機期間は平均で39日と短かいのが特徴でもある。また、同じ時期に移植に辿り着かず無くなった患者は21%という。さて、生存率でみた成績であるが、全体では15年で41%である。拒絶反応や感染、心機能不全、その他の合併症で亡くなっている模様だ。遠隔成績に影響しているのは年齢で、1歳未満は早期成績が悪いが10年で見ると差はなくなっている。興味あるのは、人種の影響である。アフリカ系米国人と非アフリカ系米国人(白人)の組み合わせである。人種でのミスマッチ(そう記載されている)がある場合はそうでない組み合わせより劣っているのである。免疫的な問題が生じている可能性がある。
結論的には、先天性心疾患患児で移植に至ることは一心室病態で多くなり、遠隔成績も10年で半分が死亡しており、一般の成人の移植より劣っていることから、更なる検討が必要としている。また心筋症との比較では、1年の死亡率は11%対1%以下、15年生存率は57%と41%と先天性疾患群が不良である。言い換えれば心筋症での成績は大変良好であると言うことである。
この論文に対して、二つのコメント(論評)が掲載されている。最近のこの雑誌の特徴はこの論評の多さでもある。一つは、デユーク大学のジャキス先生のもので、成績はそう悪くないが、といって満足は出来ない、という趣旨でコメントしている。その中に、全体の成績で、前半の期間と後半で成績に差が出なかったことと補助人工心臓からのブリッジが1例もないことに触れている。一方、フォンターン手術後の移植では成績が向上していて勇気づけられるとしている。
もう一つの論評はシアトル小児病院のジョナサン・チェン先生(我が国でもよく知られた先生)の、小児心臓移植の危機もう迫っている、というものである。こちらが私として最も興味があったものである。国際心肺移植学会の集計では、小児心臓移植の成績は年年向上する中で、先天性心疾患群の成績もかっての悪いグループからの変化してきているという。また、補助人工心臓のブリッジも25%と増加している。しかし、ドナー不足によって恩恵を受けられない子供さんも多いのも現実である。フォンターン手術など小児手術成績は格段に改善したが、その将来には心不全が進行し移植適応となる患者も増えて、さらにドナー不足に拍車をかけるというジレンマが生じている。そういうなかで小児心臓移植は小児の心不全治療のゴールなのか、という疑問が出てくる。
チェン先生は、小児心臓移植は入り口は狭き門であるが、出口でも問題が多いと指摘している。出口としては長期生存が望ましいが、種々の理由で退席する患者も多い。小児でのこ問題は、ノンコンプライアンス、にもあるという。発達期の子供達が心臓移植という現実を精神的に受け入れ難くなり、免疫抑制剤の適切な服用がなされず、拒絶反応や感染で失う数は少なくない。このような問題を抱えた中で、臓器移植ネットワークは実施施設の成績によってドナー心臓の提供を止めるようなアクションもとられているという。貴重なドナー心を遠隔期まで大事にする仕組み作りがドーネーションの増加にも繋がるという趣旨のようだ。一方では小児用の長期使用可能な補助人工心臓の開発も待たれる。最後に、小児心不全へのベストの治療法である心臓移植を提供する上で、臓器提供を増やす施策が移植適応や移植後の改善への努力と共に必要であることが強調されている。

以上、専門的になったが、小児の心臓移植について米国でもドナー不足と戦いながら多方面の努力がなされているということがよく理解でき、我が国の今後の活動にも参考にしたい。

テルモ社、その後とまとめ


 テルモ社の補助人工心臓事業撤退というタイトルの前回の投稿は思いのほか多数の閲覧数で少々驚いている。撤退か、という新聞記事の見出しみたいな表現が影響したのか。会議で出されたプレスリリース用の内容としてはDuraHeartの生産終了、ということであり、このことは事業の撤退とは一致しないところもあり、このような疑問符付きとした。正確性に欠けていたとすれば謝りたいが、公的な会議での資料であり、翌日に会社に問い合わせて公表したという確認も取っての投稿であったことをお断りしておきたい。

さて、この補助人工心臓についての投稿は今年も多くなった。ここ数年の植込み型の実施は増え続き、年間100例を超えるようになった。この適応はすべて心臓移植への繋ぎ(bridge to transplant, BTT)であり、移植待機患者がさらに増えてきていることと移植までの待機期間がさらに長期になることは当然である。植込み型補助人工心臓の適応をBTT以外にDT(永久使用)が加わったとしても、65歳未満では両者にはっきり当てはめられない症例が少なくない。この中間の群(移植候補者への道とも言われている)を新たに加えると、その中の多くがBTTに移行するとすれば、移植待機患数はさらに増加し、異様な状態となる。待機期間が長くなると、感染や血栓塞栓症などの合併症も多くなり、移植に至らない長期入院患者が増えるという深刻な事態となる。ということで心臓移植関係の循環器医の方々中に適応拡大に慎重な意見が多い。ここで分かるは、植込み型の普及で移植待機期間が増えるか、という設問には心臓移植数が大きく関与してくる必然である。では今年の臓器提供はどうであったか。

昨日までの日本臓器移植ネットワーク発表によれば、脳死での臓器提供数は56例、心臓移植は42例である。臓器提供数は何とか年間50例を超えたが、昨年に比べたら数例の増加である。心臓移植も50例には届かなかった。こういうと臓器提供の現場の方々からは、人の苦労も知らないで、と言われるかもしれない。年間数例でも脳死での臓器提供が増えていく、ということにどれだけの多くの方々の努力があるかは、私は充分分かっているつもりである。まだこんな数字か、という積もりは全くない。

言いたいのはここからである。今、植込み型補助人工心臓は、BTTに限るとはいえ、実施施設は心臓移植認定施設以外に拡大され、全国で50施設にならんとしている。移植施設は9施設であるから、多くが心臓移植の実施という点では直接関与しない。しかし、適応症例はそれらの施設から出ていて、人工心臓の植込みや術後管理は行うことになる。この植込み型補助人工心臓実施認定施設の役割は、慢性心不全治療へのハートチームを構成しての参加であり、人工心臓治療を含めた包括的な心不全治療システム作りの普及に関わるという大事な役割がある。ここが大事である。

何を言いたいかというと、この植込み型実施認定施設は移植医療の啓発活動にも参加して欲しいということであある。ドナーが増えないと植え込み手術も回って来ないのである。植込み型補助人工心臓の施設認定に当たっては、その施設で移植医療の啓発活動、ドナーアクションへの理解と参加、を義務付ける(意思表明でいい)といったことも必要でないかと考える。こういうことで、ドナー不足は深刻であることの医療者としての理解と移植医療の啓発活動に参加するという目標を施設として掲げて欲しいと思う。

補助人工心臓の進歩を患者さんが享受する上で、移植医療の普及が必須条件であることを改めて知って欲しい。先月、日本経済新聞の日曜版の科学技術の過去を振り返る特集で心臓移植が取り上げられ、乞われて現状の課題(論点整理と課題解決)について述べさせてもらったが、日本社会は移植医療を今後どう考るのか、年末に当たって改めて問いたい心境である。

2015年12月22日火曜日

テルモ社、人工心臓事業から撤退か

昨日は東京で補助人工心臓の会議があった。関連する学会が集まって、種々の認定作業や今後の計画などを協議している。かって植込み型補助人工心臓を導入するにあたって、適応や施設認定、質の担保、などについて所管の厚労省はそれまでのスタンスから舵を大きく変えた。これからはアカデミア(学会)が仕切る時代であるからということで胸部外科学会を中心に協議会を立ち上げた経緯がある。その後、植込み型での普及では大きく貢献している。今の話題は、保険償還された小児用補助人工心臓(ドイツ製)の実施施設認定で、当初の出来るだけ広げるという計画からかなり異なって来た。というのは、デバイス本体と制御装置が高額で、病院のかなりの額の予算措置や費用負担が出てきて、認定しても実施できるのは治験三施設(東大、阪大、国立循環器)になってしまいそうである。手を上げた大学や小児病院などは殆どが予算的に不可能で、参加出来ない事態になった。治験担当企業もかなりの投資をしている中で、これからの販売で何とか採算ある営業をしたいというところが価格に反映される。健康保険でかなりの高額の値段を付けているのにこの事態である。これは我が国の先進的な医療機器を使った医療機器の抱える問題である。保険償還前の準備と治験費用は膨大で、そのために保険での価格は輸入先の国の値段の50%増しか2倍近くなる。販売数も増えず、維持する経費も高額で、よほど大きな企業でないと出来ない相談であるが、我が国では医療機器のトップランナーはこの領域には限られている。医療費の高騰で話題になっている新薬と違うところである。薬は一気に販売数が増えるし、在宅管理といった人やコストが掛かるアフターケアも特にない。

上記のことに関連するは、昨日の会議の中で補助人工心臓について衝撃的とも言える発表があった。それは、国産デバイスの一つ(海外で製造)で最初の保険償還で認可されたテルモ社のDuraHeart(デユラハート)が生産終了するというのである。医療機器のビッグカンパニーであるテルモ株式会社(補助人工心臓はテルモハートア社、米国、で扱っている)の製造するもので、2011年から100例近くの症例に使われている。ユニークな遠心型ポンプの開発は日本の科学者のアイデアを基に1991年から始まり、製品は欧州での発売が1007年に、そして今は日本でのみ販売されていた。撤退の理由は、電子部品の調達や製品の供給、保守、において対応が限界に近くなったとのこと。20173月までは供給し、装着患者さんへ対応は続けるが、2018年末で実質上撤退ということになる。質の高い国産のポンプが一つ消えていくことに寂しさを感じるが、これも我が国のこの領域の難しさが関係するのか。新たな機器の開発に日本政府もかなりの補助をしてきたが、製品化されてからの支援という点でどうだったのか。また症例も移植へのブリッジだけに限られて、さらに競合する米国の大型企業のデバイスが参入し、国産は経営的な面で厳しい環境に置かれている。

移植ドナーが増えれば適応症例も増えるであろうし、周辺の支援体制(在宅も)整えばコストも下がってくるであろう。しかし、そこに辿り着くまでに企業はく疲弊してしまう。この事態は、単に一社が撤退したという話しでなく、日本を代表する医療機器企業が決断した、ということを重く考えるべきである。また、今米国から輸入し、世界でも国内でも最も多く使われている機器の米国会社が別のビッグカンパニーに吸収されたという。我が国では永久使用(Destination)の治験が始まろうとしているが、生命維持のデバイスの治験制度や保険償還の在り方が費用対効果も含め問われるであろう。海外で数千例もの実績があり、我が国でも200例にならんとする経験が蓄積され実績と信頼があるデバイスを、適応が少し変えるにあたって再び5例前後のわずかの症例での治験が何故必要なのか。永久使用ではデバイスの評価より終末医療や在宅医療としての周辺支援体制の準備が出来ているかの審査が大事ではないか、と思っているのは私だけではない。

ということで、テルモ社のDuraHeartの生産終了は、我が国のこの領域における課題が集約されていると思ってしまう。その背景の分析が今後必要である。

追伸:テルモ社の今回の発表に関係してもっと悲しいことがある。開発者である野尻知里先生(医師、テルモハート社社長兼CEO、テルモ社理事の後、東大バイオエンジニアリング上級研究員)が最近亡くなられた。著書に、「心臓外科医がキャリアを捨ててCEOになった理由、未来は何歳からでも変えられる」、がある。何とも言うことが出来ない寂しいタイミングである。野尻先生のご冥福をお祈りします。

雪不足

 今日は冬至ですが、北海道は別にして暖冬が続いています。TVのニュースでもスキー場が雪不足で困っている様子が報道されています。関西の学生達は北海道で合宿でしょうが、長野や新潟で計画している選手は困っているのではと心配します。これは全関西学生スキー連盟会長としての思いです。それとは別に国立10大学戦(今年は北大が抜けて9大学らしいですが)、年末から正月にかけて野沢温泉で開催していますが、何とかこの週末の寒波で雪が降って欲しいです。因み国立10大戦というのは私が現役のころに5大学戦(阪大、京大、名大、一橋、東工大)で始まっていますが、50年近くこれまで参加大学を増やしながら続いているものです。

  個人的にはもうそろそろスタンバイの時期なのですが、昨日も東京出張で傘持参でした。スキー場では近場(といっても鳥取や福井、岐阜、富山ですが)ではまだオープンもしていないところやオープンしていても人工雪装置があるところ位で、楽しめるどころか危険もあるので、今は様子見です。1月下旬から始まる例年の幾つかのイベントまで我慢でしょうか。それまでストレッチと筋トレに励まないといけません、整形外科に見てもらうことが多くなっていますので。

 先日は関西学連の方と忘年会でしたが、近く(梅田)のクリスマスイルミネーションが素晴らしかったです。写真掲載します。本番のクリスマスはこれからですが、皆様、お楽しみ下さい。


2015年12月14日月曜日

再生医療の産業化、豪州のベンチャー企業は

 先週はストックホルムのノーベルウイークの様子が報道され、生理学・医学賞の大村教授と物理学賞の梶田教授の受賞式や晩餐会の様子は感銘深いものであった。また厳粛な式典の後の御二人の和やかな様子に日本中が楽しんでいた。山中伸弥教授がiPS細胞の発明で生理学・医学賞を受賞して3年になるが、その後はiPS細胞を使った再生医療が加速されている。神戸のポートアイランドは医療産業都市構想が進んでいるが、そのかなで理研の高橋政代先生の網膜iPS細胞移植も行われた。2例目が中々出来ないのでどうしたのかと心配されるが、次のiPS細胞移植は阪大で澤教授が心臓で実施と言われている。一方、iPS細胞の登場で再生医療の産業化は今や国際的にも急激に進んでいる。今回はオーストラリア(豪州)の話しとします。
先週になるが神戸は私の所属する神戸国際医療交流財団で、オーストラリア再生医療セミナー@神戸が開催された。主催はオーストラリア貿易促進庁(Austrade)とFIRM(再生医療イノベーションフォーラム、東京)で、協力として神戸の先端医療振興財団も含まれている。東京での開催に引きつづき関西は神戸で、ということである。セミナーと並列にビジネスマッチングの場も設けられていたように、豪州の再生医療ベンチャー企業5社が乗り込んで、ビジネス連携を進めようというものであった。日本の再生医療は臨床研究については法律を整備してスピード化を図り、また国も産業化への後押しをしている。そういうなかで、豪州の南端ビクトリア州のメルボルン・バイオハブが中心となっての日本企業との連携を探る、というものであった。セミナーに参加したが、在大阪豪州総領事のキャサリン・テイラーさん(女性)が流ちょうな日本語でイントロをされた後、5つのベンチャー企業がそれぞれの会社説明と再生医療のテクノロジーの開発とそれを基にしたビジネス計画を紹介された。
一つは臨床治験をもっぱら扱う企業で、専用の病院も持っていて、健康なボランテイアーを始め疾患では近隣の病院と連携した離床試験も引き受けている。時間やコストの面で海外からの参加もあるという。その他の4つの企業は主に幹細胞の大量作成技術を開発し、種々の医療への応用を始めている。細胞ソースとしては脂肪細胞とiPS細胞に分かれていたが、共に細胞分離から分化・増殖、そして大量生産を品質管理のもとで行い、臨床使用が出来る状態で配給出来るまで来ている。中でも驚いたのは、幹細胞研究自体が大変進んでいて(米国の大学とのコラボレーションもある)、それが産業化に繋がっているのである。この点では我が国はかなり遅れているのでは危惧する。その背景には、例えばビクトリア州(メルボルンが首都)ではメルボルンバイオハブを構築し、企業の研究開発費に対して43.5%の給付(税制上の優遇措置)を始め、ライフサイエンス企業が参集しやすいように州を上げて取り組んでいる。例えば阪大で何億円も国から資金をもらって臨床応用できる細胞内培養装置を作っているが、それをベンチャー企業が行っている、ということになる。日本では大学がベンチャー企業の代わりをしている、という訳である。
専門的になるが、再生医療の基となる幹細胞については、豪州企業では胎児から得られる胚性幹細胞ではなく、成人の体細胞(骨髄や脂肪)から得られる体性幹細胞のなかの間葉系幹細胞といわれるもので、操作によっていろいろな細胞に分化する能力を持った幹細胞が得られる。また、ある特定のホルモン(サイトカイン)を分泌するものも作成している。紹介された企業はこの技術を確立し、種々の臓器や組織の再生医療、さらに癌ワクチンまで作っていて、既に臨床応用が始まっているもののある。我が国では脂肪細胞の分離機器(輸入品)が売り出され、乳房再建やその他の疾患に応用されているが、企業化までは進んでいないし、再生医療の産業化はテルモ社の筋芽細胞シート位でまだまだ未熟である。
一番興味があったのは、CYNATA-Therapeutics 社のiPS細胞を使ったものであった。我が国ではある患者さんの皮膚などの細胞からiPS細胞を作って、目的とする細胞に変えてその患者さんに使うのが基本である。一方では、患者さんからの作成では制約があり、時間も掛かることから沢山の方から作っておいてバンクとして保存し、他人の細胞ではあるが患者さんの治療の使う方向に向いている。豪州ではそれに対して、一人の提供者(シングルドナー)からiPS細胞を作り、それからある意味逆の流れのようであるが種々の個別細胞となる間葉系幹細胞を作っている。今の日本で行われている技術とどう違うのか、私には理解で来ていないところもあるが、キーポイントは細胞提供者が一人で行える、ということである。シングルドナーとなる要件は分からなかったが、HLA(白血球型)を問わないとすれば画期的ではないか。勿論、その幹細胞は免疫的にはアロ(他人)であるが、この技術は産業化という点では強みと思われる。
再生医療の産業化はいろいろな国が進めているが、その先頭をきっているのが豪州ではないかと感じた。
以上、概要の紹介で、中途半端なことはお許し頂いたい。興味ある方は、それぞれの会社のHPをご覧になって下さい。
参加企業:Regeneus 社、 Cynata Therapuetics Ltd 社、CMAX (治験病院経営)

Clinical Stem Cells 社、そしてCell Therapies Pty Ltd 社でした。







下は、CYNATA社のHPから。




2015年12月9日水曜日

渡航心臓移植

 先日の産経新聞に、「海外心臓移植―高額化」、という記事があった(12月8日朝刊)。1歳女児の父、募金呼びかけ、とある。小さな子供さんの心臓移植は国内で小児のドナーが極端に少なく、海外に渡っての移植に望みを掛ける状況が長らく続いている。このことは法律が改正されてもあまり改善せず、さらに小児用の補助人工心臓(体外型)が保険償還されてからは待機患者さんが増えてこの問題はより深刻になりつつある。
米国での受け入れが決まっているのは1歳の心臓病の女児で、必要な費用が3億円を越え、募金集めが大変苦しくなっている、と報じている。家族は、可能なら日本で手術を受けたいが時間がない、と訴え、厚労省で記者会見をされたようである。補助人工心臓を装着して8ヶ月であり、これ以上の待機は血栓症や感染症で移植にたどり着けなくなる危険が高まる。ということで、産経の記者も募金先の電話番号を紹介している。臓器移植の国際ルールからは自国で完結すべき話しであり、しかも高額の費用が掛かる。いかんせん国内での小児のドナー少なく、渡航移植の話しは心臓移植の普及に関わってきたものとして大変心苦しいことである。そこには、筋論より現実論(人命救助)、が優先されるからでもある。
なぜそんなに高額なのか。そこには渡航航費(チャータージェット機)、入院費、検査・手術費、諸々があって全て自費扱いであるし、米国の医療費は日本の比ではなく大変な金額になる。最初にデポジットも要求される。受け入れ施設は海外の方への慈善事業とは全く考えない。頼れる施設はかってドイツもあったが、移植は自国でという国際会議での声明もあり、欧州は自国の患者さんだけに限るようになり、今は米国のみが受け入れてくれている。米国では5%ルール、というのがあってその施設の年間心臓移植の5%までは海外からの方を受け入れていい、というものである。しかし、傾向としては海外からの患者さんが移植を受ける道は狭くなってきている。記事でも、受け入れ国減少とあるが、国としては減っていると言うより米国のみであり、その中でも受け入れ施設が減っている、というのが正しいであろう。
ここからはマスメディアへのお願い、というかコメントである。募金をされている御家族の立場は十分理解し、お気持ちに配慮した上での話である。こういう募金がらみの時の報道、差し出がましいが、についての私見(お願いか)である。なお、これまでもこのような報道で、移植医療が進まない現状を訴えていることはよく理解している上での話しである。
まず、国内の小児を含めた臓器提供の現状を併せて解説して欲しい。そして国内の脳死ドナーが何故少ないか、特に小児での課題は何か(虐待、手続き、家族支援)の解説。できれば国内で心臓移植を受けた子供さんのプライバシー保護の上で、その後の経過や元気な姿、家族のコメント等紹介。こういうことがひいては、募金で対応することより国内での移植、につながると思うからである。
  産経新聞はこれまで明美ちゃん基金等で子供さんの心臓手術(海外からの子供さんも)への支援を長らくされていて感謝しているが、心臓移植では募金の支援に併せて上記のことを継続して(ここが大事)対応して欲しいと思う。それは臓器移植ネットワークや学会・研究会などの貴方達の仕事でしょう、と逆に言われそうであるが、新聞の力は大きいのです。脳死は人の死か、という前に脳死臓器移植は法律も出来、保険診療になっていることへの理解が大事と思います。

目の前の患者さんの命を救うのが医師の使命、という自分自身の生き方はどうなったのか、自問自答しないといけない課題でもあります。それにしても、「渡航移植・募金」、は我が国の臓器移植にとって重い課題としていつまで続くのか、移植関係者も頑張らないと解決しないと思います。

補足です。記事には、こういったことは国際問題になりかねない、という趣旨の警告の言葉もあることを追加しておきます。


2015年12月7日月曜日

医師偏在と新しい専門医制度


      先日は外科系の専門医制度の会合が東京であった。日本外科学会が中心となって関連する学会の専門医制度の関係者が招集される委員会で、年2回ほど開かれる。私はかって認定制度から今の専門医制度に切り替える時に制度設計で、今度の改革ではプログラム制の基本案作りに関わったことから、この委員会では顧問という格好で参加させてもらっている。新専門医機構(もう辞めているが)の上から目線ではなく、かといって現場の勝手にならないよう調整役、といったところである。また、問題点があれば機構へしっかり意見が出せるよう、後押ししている。

外科専門医制度を含め基本領域と言われる18の1階に位置する専門医制度(学会ではない)では新たなプログラム認定基準作りに追われている。それは今年卒業した1年目の医師が2年間の初期臨床研修が終了し3年目からの後期研修(専門医性の修練)が始まるのが20174月であり、それに合わせて2016年秋には公募での募集が開始しなければならない。外科専門医は進んでいるが全体の大本でもある内科専門医制度はどうも遅れていて、種々批判が出ているようである。

さて、基本領域とは初期研修を済ませた3年目の医師が必ず一つの領域での後期の修練を選ぶもので、内科、外科、整形外科、脳神経外科、耳鼻咽喉科、眼科、泌尿器科、小児科、産婦人科、放射線科、精神科、形成外科、救急科、麻酔科、皮膚科、病理、臨床検査、リハビリテーション、そして新たに作られる総合診療専門医を合わせて18ある。これにサブスペシャルと言われる2階に位置するものが今の所29制度がある。外科の中の消化器外科、心臓血管外科、呼吸器外科、小児外科、は1階の外科専門医(所謂一般外科に相当するとも言える)をとった後の2階に位置づけされている。整形外科や脳神経外科が1階で基本領域として認められ、卒後(初期修練2年の後)ストレートにその分野に進めるのと大きな違いである。内科の2階には、循環器、糖尿病、消化器、呼吸器、糖尿病、血液、神経内科、など13領域がある。ことらもサブスペシャルと言いながら、臨床現場では基本領域扱いである。内科も外科もこの2階建て構造の持つ課題を持ちながらここまで来てしまった。

1階、2階の話はこれ位にして、今回は医師偏在に関係する大事な話にしたい。各専門医制度で修練施設病院群(プログラム)を作る際に、大都会の大学講座が関連病院を出来るだけ集めて何十人も修練医を集めてしまえば、地方の大学や病院は修練医がいなくなる。ひいては地域の病院のその分野の医師不足になる。勿論、たくさん集めた大学が地方への医師派遣をしっかりやってくれればいいが、そうはいかない。ここは機構も危惧するところで、この度出された注意点でも、地域医療体制について指針を出している。プグラムの申請状況をみて地域別に大きな偏在がないか検証することと、募集しても専攻医(後期修練医)がゼロというプログラムが出ないようにすること、そして地域全体で専門医を育成するよう配慮する、という内容である。厚労省への配慮であろうが、どこまで機構に強制力があるか、また専門医修練医師の分布に激変が生じないように、ということも書かれているので、対応は複雑である。いずれにせよ、この問題で社会的批判が出ないように各学会(制度)の自主的な配慮が求められる。

ここで新制度は大学医局の復権であると批判する見方もある。復権という表現は好ましくないが、初期研修導入前のように(地方)各大学が医師派遣において社会的貢献が出来るように戻す、という趣旨は大事と思っている。大都会の大学講座が復権といってさらにヒエラルキー(教授を頂点とする支配構造)を強くするのは時代に逆行するので、大講座の教授先生方はパワーで人集めするのは自重すべきである。

もう一点、外科専門医のプログラム認定を医師偏在是正(増悪)という視点から見ると面白い。今の所、基幹施設としてプログラムを申請する施設は200程という。ほぼ想定内で、大学が全国で80幾つかあって一大学で複数のプログラムを作るところもあるので、大学以外で基幹施設として手を上げるところも結構あることになる。大学医局復権という訳でもなさそうである。ところが初年度の想定募集枠は3,000近いという。アンケートでの3年間の数字と1年度の数字が混在しているようであるが、その3分の1ではないようだ。ここで最近の外科専門医制度修練に入ってくる医師は年間600800名である。以前2千人近くもいた時代があったが今はまだ減りつつある。希望は千人かもしれないが、毎年の卒業生は全国でせいぜい9千人であるから、外科に1割も来るのかである。昔、阪大で卒業生の3割もが一つの外科教室に来た時代があったが、外科が敬遠される今の時代にはそんなことは望めない。もし800人の予想人数に2千もの枠を作ると、要らぬ競争が起こり空席のプログラムが多数出来てきて、それこそ大混乱となる恐れがある。実数とあまり解離しない募集枠をもける努力をして欲しいとお願いしておいた。新制度で外科医の地域偏在が増悪か、などという新聞の見出しが出ないことを願っている。

ということで、新しい制度の実態が徐々に明らかになっていくが、医師の地域性偏在、専門分野別偏在の解消になるのか、注目したい。

 
 添付は、新たな制度の仕組みを表している。(専門医制度機構の資料から)
 
 

 

 

2015年11月29日日曜日

医師偏在は解消できるか


もう一つの話題は、「医師偏在、解消へ検討会」、という報道です。地域枠や医学部定員議論、とあります。どこでやるのかというと、厚労省です。医学部の定員枠に地域枠、というのが作られていて、卒業後はその地区で働くことを条件に学費の支援や定員で特別枠を作っているものです。各都道府県が支援していますが、人数は各大学(各学年)数名で、全国的にも限られています。自治医科大学は学費援助の代わりに地方の自治体病院に勤務する義務を負わしていますが、義務の期間が終わると都会に戻ってしまう人が多く、地方の医師不足は慢性的で改善は見られていません。

今度の専門医制度の改革でも、厚労省は当初医師偏在を解消する手段として制度造りを考えていましたが、医師側から反対が強くそれを前面に出すことは出来ていません。専門分野の選択でも偏りがあって、一時は産科や小児科、救急医が不足していることが社会問題となっていました。かなり解消されてきたは言え、確かに偏在は依然として続いています。そういうこともあって医学界(学会)も医師や専門分野の偏在を助長するような専門医制度造りは避けようとしていると思います。新しい専門医制度では卒後4-5年の修練を教育プログラムが基準に合ったところでしか認めないようになっていて、このことで極端な診療科選択の偏りは少なくなるでしょう。しかし、強制力はないので、実効性は疑問です。そもそも医師は自分の進む診療科を選ぶことでは自由であります。職業の選択と同じで自由裁量が認められています。またどこで働いても開業も個人の自由であります。このことがあって、どういう制度を作ろうと医師の地域配分や診療科の偏在は強制的に直すことは出来ない訳です。英国とは違うわけです。英国はの家庭医が国家管理になっていますし、専門医でも地域のポジションは医師や病院の自由にはなりません。こういう背景を考えても我が国で厚労省がいくら検討しても、医学部定員を触っても、一時しのぎの策しか出てこないでしょう。ましてこの問題を文科省抜きで検討しても無理なわけです。

このような背景があるのなかで、また検討会の立ち上げ?、という感じです。失礼ながら厚労省主導で何が出来るのか、また厚労省と文科省が連携しても何か実効的なものが出来るとは思いません。根本的にこの問題を何とかしようとすれば、英国式の国家管理の例えば家庭医制度を作るくらいしないと思います。地方で家庭医(プライマリーケア―)を担当する医師の登用制度(専門医に入れるかは別で)を作って、学費免除ということではなく、社会的地位も高くし、継続できる制度を作るなど、発想の転換がいるのではと思います。

一方、日本医師会はどう考えるかでしょう。厚労省がいろいろ考えなくても地域医療は医師会の先生方がかなりの所を担っていることも認識すべきです。厚労省の言う医師や診療科の地域差というのは地域の自治体病院や基幹病院を考えての発想ではないでしょうか。ここを明確にして話を進めないと、絵に描いた空論になりかねないでしょう。というのは、確かに北海道や東北地区で自治体病院や地域基幹病院での医師不足や診療科の偏在はあります。しかし、患者搬送ネットワークや専門別の病院の集約化をはかるなどを自治体や大学を交えて議論して進めることが先決と思います。各自治体が自前ですべて対応できる先端機器を備えた総合病院を持ちたい、という考えがあるのではないでしょうか。あるいは、医師の派遣をする大学がそのことを助長してはいないでしょうか。そこの議論がなければいけないし、医師偏在や専門医の偏在を表面的な数字から言うのでは解決に向かわないでしょう。まして医学部定員を増やしても解決するはずがないことは広く認識されているのですから。

正直この記事には何を今さら、という感じがしています。文科省抜きでどうするのでしょうか。私は以前からどうも厚労省からはにらまれることが多いのですが、また言ってしまったという感じです。ですが、この記事が書いてある通りであれば、以上のようなコメントになると思います。あえて付け加えれば、患者さん側の意識改革も伴わないと解決しない難題です。今回は結構辛口になりましたがご容赦を。
 
 
補足:医師不足や診療科偏在について少しレビューをしたので補足します。
1)厚労省の今回の動きはかねてより行っている、医師確保対策、の流れにそっている。
2)日本医師会は22年3月に、医師不足・偏在の是正を図るための方策、を纏めているが、その対策は勤務医の働く環境の改善にあることしている。
3)直近では、日本医師会と日本医学部長・病院長会議がこの8月に出しているのは、医師偏在の解消には、医学部の新設ではない、という副題付きで、医師キャリアー支援センターの設置などを提案している。

医学部教育の国際基準


昨日の読売新聞夕刊に、医学部教育のことと医師偏在の記事が出ていました。両者は関係なく書かれたものですが、それぞれ大事なことなのでコメントします。

 まず医学部教育です。見出しは、「医学部 国際基準で評価」、とあります。一般社団法人で日本医学教育評価機構、というのが発足するそうで、まず日本の医学部での教育が国際基準を満たしているか、個々の大学医学部の教育内容を審査するというものです。基準はWHOの下部組織「世界医学教育連盟」などが設ける基準だそうです。これは米国の臨床研修病院で外国の医学部卒業生を研修生(レジデント)として受け入れる際の基準でもあり、今のままでは日本の卒業生は国際基準に合わないので受け入れられない状況が生じます。どうしてかというと、学部での臨床実習が時間も内容も基準に合わないのです。国際基準では(米国ではといったほうがいいでしょうか)、臨床現場で参加型の実習時間が多いのに比べ日本では見学型が多いからです。以前はポリクリといってほぼすべての診療科を1週間ごとに回って外来診察や回診につくといった浅く広くというスタイルでした。近はクラークシップいって患者さんを受け持って担当医と一緒に診療に参加する(見ているだけですが手術にも入る)形式がとられ大分改善しています。それでも基準に合わせようとすると、座学の講義を減らし、臨床実習の内容もかなり変えないといけないでしょう。日本では医師国家試験対策に躍起ですから、かなり厳しい改革が求められるでしょう。

米国からの通告は我が国の医学教育にとっての黒船(到来)だ、とのその機構の理事の方の話が書かれています。正にその通りです。かって米国の病院でフェローしていたと時に、米国のレジデント(卒後数年から45年)の臨床上の経験やスキルのレベルが高いことに感心したのですが、学部からの教育が違うのです。別の大学病院で著名な心臓外科医の手術見学をしていたら、第一助手は学生でした。見学ではなく、しかも1週間ではなく1か月とか2カ月の単位です。日本のように全科を回る必要はなく内科外科とか主要(?)科と希望の科を(全体でせいぜい数科だったと思います)を選んでみっちり実習するのですから、大変内容は濃く、日本の卒後1-2年でやっていることにある意味相当するわけです。

我が国では医学部には医局講座制という長い歴史があり、学部教育は本務ですが、ここでもお互いが競い合っています。講義や実習枠の確保を平等にすると、総て網羅するための個々の時間が少なく、広く浅くなります。実習より講義の時代が長かった歴史があります。また講義も教授は自分の専門分野を宣伝的に講義して卒業したら自分のところに来るように勧誘する手段にもなっています。内容もまだ普遍化していない自分の先端的研究成果の話で、基礎的なことは卒業試験や国家試験準備で勉強しろ、ということです。これは研究志向マインドを付ける意味であながち悪いことではないのですが、やはり座学中心では形式的になります。最近はコアカリキュラムが示されていて大分変っていると思いますが。とはいえ、今の医学部が押並べて国家試験予備校化している現状で、この参加型臨床実習重視の国際基準をどうクリアーするか、注目です。

この話は、2004年の厚労省(当時は厚生省か)が卒後の2年間を大学医局支配から切離して厚労省主導で行う初期臨床研修制度の導入時の議論を思いだします。文科省と厚労省の縦割り行政の落とし児でもあるこの制度を始める時の議論に阪大病院長の立場で参加しました。内容を見ると所謂スーパーローテイト研修(何がスーパーか?、広く浅く回るのですが)には私たち大学側は猛反対しました。学部教育が臨床実習に力を入れてきているのに、今更また卒業後に繰り返すのか、ということです。学部教育の実態を考えて、無駄を省こう、せめて2年でなく1年でいい、と言い張ったのですが、法律も出来ていてすでに路線は轢かれていて押し切られました。文科省も医師になったものへの関与では弱い立場にあり、課題を残しながらのスタートでした。案の定、今ではその初期研修制度は専門医制度の改革のなかに取り込まれて、形骸化してきています。学部教育の国際標準化をするなら、初期臨床研修制度を専門制度に組み込んだ新たな制度造りを考える時でしょう。

後半の話はもう一つの話題、医師の偏在、に関係するのですが、このことは後編に回します。
 

2015年11月25日水曜日

東京国立近代美術館で藤田嗣治特別展示を見る

先週の東京での日本人工臓器学会中に、東京国立近代美術館に寄ってきました。皇居近くの竹橋で用事があったのですが、少し時間が空いたのでお堀付近を歩いていたら美術館の前に出てきました。北の丸公園の東京国立近代美術館でした。いままで入ったことはなかったのですが、藤田嗣治画伯の全所蔵展示という案内に目が行って寄ることにしました。海外では学会の合間に時々美術館に寄るのですが、国内では珍しいことです。MOMATコレクション、ということですが、MOMAT The National Museum of Modern Art, Tokyoの英訳ということでした。65歳以上は無料と言うことも手伝ったのですが、藤田嗣治という名前に惹かれて入りました。
案内によると、ここは2012年にリニュウアルしたそうで、12,000点を超える充実のコレクションから選りすぐった約200点を展観する「MOMATコレクション」展を続けているそうです。「戦後70年にあたる今年は、 4階、3階の2フロア、約1500㎡を使い、所蔵する藤田嗣治の全作品25点と特別出品の1点、計26点を展示します」と言うことです。最近は「戦争画」に焦点を集めているという説明もあったようです。戦後70年と関係があるかは分かりませんが、藤田嗣治が太平洋戦争の戦場の画をかなり描いていたことは知りませんでしたし、驚きでもありました。説明によると、フランスから1933(昭和8年)に帰国した後、1937(昭和12)に日中戦争が始まると陸海軍の委嘱を受けて現地取材を始め、その後戦争画の作成を始めたそうです。太平洋戦争ではどうも現地には行かれなかったようですが、軍の要望でしょうか壮絶な戦闘現場の大型の作品を実際に見たように描いています。目に迫る、という言葉が当てはまるものばかりでした。
武漢進撃からシンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)アッツ島玉砕、血戦ガダルカナル大柿部隊の奮戦最後に、サイパン島同胞臣節を全うすなどがありました。戦争画14点を一挙に展示するのは初めてだそうです。戦争末期の壮烈な場面、負け戦のなかでの多数の日本兵の死を壮烈に描いています。軍はそれらを敗戦濃厚のなかで英雄的に扱って最後まで国民の戦意を高めようとしたようです。当時の新聞もありましたが、まさに大本営発表の類です。藤田画伯は軍に加担しているようではありますが、その画の内容は、戦争の過酷さ、死屍累々、といった様をしっかり描いていて、戦争の本質を伝えようとしているように思えます。芸術的にも素晴らしい作品は、戦争への痛烈なメッセージを残しています。フランス時代のよく知られた画や自画像もあり、最初は楽しんでいましたが、後に出てきたこれらの対照的な戦争画には見入ってしまいました。案内によると、これらの戦争画は敗戦後に米国に接収されたのですが、1961年の日米修好100年を機に日本国内で戦争画返還を求める声が高まり、外交交渉の末、1970年、作品は「永久貸与」の形で日本に戻ってきて、以来東京国立近代美術館が保管先となっているとのことです。
何故この美術館散歩をここで紹介したかですが、数日前の毎日新聞の「余録」に藤田嗣治のこの戦争画のことが紹介されていたので、タイミングも良かったので書かせてもらいました。「洋画家の藤田嗣治が単身渡仏したのは1124日掲載でした。「第二次大戦中に軍の依頼で戦意高揚の戦争画に取り組んだ真意は何なのか。戦後70年のいま、改めてその意味を問う動きが広がる」、と紹介されています。

藤田嗣治、再発見でしたが、美術に詳しい方からは素人の拙い紹介に思われるでしょう。お許しを願いたい。



2015年11月24日火曜日

人工臓器学会で


 しばらくご無沙汰していました。もう11月も終盤になって来ていますが、ようやく紅葉も始まって遅い秋の到来、というところでしょうか。胸部外科学会や心不全学会が済んで暫くのんびりしていました。
11月の学会としては紹介したいのは先週東京であった日本人工臓器学会です。もう50年の歴史ある学会で、人工腎臓や人工心臓、人工肺、人工肝臓、人工関節、人工膵臓、人工血液、などあらゆる臓器や組織を人工的に作ろうという分野です。そして、その基礎となる科学として、材料工学では生体に親和する材料の開発、も重要です。また、一時的な補助(補助人工心臓、人工膵臓、人工肝臓)や恒久的なもの(人工関節、人工骨)など多彩です。人工透析や血液浄化の研究も盛んです。今回は、会長が日本大学心臓外科の塩野教授であったことから、心臓関係が多い学会でした。
人工心臓というと何度も紹介していますが、補助人工心臓の新たな展開、永久使用(DT)、を視野にしたセッションが多くなって来ている。また植込み型の認定施設が全国で40施設にもなり、看護師、ME技士、の参加も多くなっている。同時並列で、日本補助人工心臓研究会や定常流ポンプ研究会など関連研究会もあり、かなりダブっているのでいっそのこと人工臓器学会で纏めた方が時間節約にもなる、とも思われる。
人工心臓以外の話題では、米国で人工肝臓の研究を進めておられる南カリフォルニア大学の三木敏夫先生の幹細胞(iPS細胞)を使った新たな展開が紹介された。3-4年先には臨床試験を始めたいということである。この分野では日本は遅れている感じがしたが、間違っていたら謝ります。またロボティックスではロボットスーツのHALで有名な、ベンチャー企業サイバーダイン株式会社を立ち上げた筑波大学の山海嘉之教授から、革新的サイバニックシステムという特別講演があった。この医療用スーツHALはヨーロッパでドイツを始め医療用器具として脊髄損傷の患者への労災保険が適用され、日本でもようやく医療機器として認可される見通しになっている。わずかに残っている神経活動を拾って補助の人工脚を動かしながら訓練すると自分の神経が回復してくるのである。自力歩行が出来なかった車椅子の患者さんが、HALを付けて歩けるようになり、次は簡便な補助器を付けながら自分で歩けるようになるという、素晴らしい成果で感銘した。世界に誇れる技術である。心臓関係が海外からの輸入に頼っている現状とは大きな違いである。
さて、補助人工心臓についての発表が多い中で、いろいろな課題も浮かび上がってきている。素晴らしいテクノロジーの成果で世に出てきている植込み型補助人工(VAD)も我が国では年間百数十例に植え込まれている。しかし、保険適用は心臓移植への繋ぎであることから、適用はかなり。心臓がかなり弱ってもう打つ手がない、しかし心臓移植になるかどうかはまだ分からない、本人も家族もまだ理解が出来ていない、と言う状況が多くなっている。VADでないと命が持たないけれど、今使える体外式VAD では感染や血栓塞栓などのリスクもたかく、付けるなら長期の在宅管理が出来る植込み型が望ましい。しかし、保険適用はされない。体外式を付けても退院できないから、補助が長期になったことを考えるとそれも躊躇される(東大からの報告)。要するに、優れた機器があるのに保険の縛りでみすみす使えないという何とも歯がゆい状況が増えている。
永久使用(DT)があるではないかということだが、治験が済んでもDTは別の世界で、移植適応がないとことが明確でないと使えない。65歳以上なら移植は(登録)出来ないから今後DTと言う選択肢が出てくるが(今は全くない)65歳未満はどうなるのか。移植になりそうだがまだ決断できない、という患者さんへの道を閉ざしている現状である。保険適用に厳しいお役所に負けて関係学会が自分で首を絞めているのではないか。
このような植込み型VADの課題が鮮明になって来た学会であったと思う。私は、DTの治験は今の流れで進めたら良いと思うが、今後も取り残されていく沢山の重症心不全の患者さんへの対応を、一度原点に戻って全体像を考える時機であると痛失に感じるのである。この12月にある補助人工心臓の関連学会協議会でこのことを議題にしてもらうようお願いしている。DT治験後の植込み型補助人工心臓の保険償還の在り方について、である。この問題は医学的なことより医療経済の問題になってくる。デバイス代が2000万円近く米国の2-3倍である現状では適用をおいそれと増やせないという健康保険の財政問題がある。

社会復帰、言い換えれば生活の質を、を考慮した医療費用の算出が大事で、質調整生存年QALYがある。社会が許容できる(生産性を見たという表現は的確ではないであろうが)、1QALYとしてどの位医療費の投入が妥当かである。大阪大学の田倉教授が今回も発表されていたが、人工透析は年簡600万円かかるが補助人工心臓では約1,000万強とのこと。これは結構良い予測であるが、装着後安定すればの話しである。これまでの分析では1QALY 2,200万円程度というデーターがある(http://www.jacvas.com/view_dt.html。これでは保健医療のなかで受け入れられないであろう。米国では高齢者への国の補助も額が大きくなっているが、そもそも医療保険体制が異なるし、企業の力が強い。我が国では今後、VADの高齢者への適応も考えると、慢性透析だけでなく補助人工心臓もやり玉に挙げられる可能性もある。先手を打ってこの問題をアカデミア、行政、そして企業で真剣に考える重要な時機であると感じて帰ってきた。

写真は懇親会でのショット。塩野会長を前に、後ろには渥美先生ご夫妻、瀬在元日大総長、の顔も見えます。前の女性は日大医学部卒の産婦人科医で、その方の主催するマジックショーがありました。日大、瀬在明先生のFBより拝借。
 
追記:医療用ロボットHALは11月25日に厚労省よりこの分野では初めての医療機器として承認され、幾つかの病気で保険適用されることになりました。画期的なことです。 できればに日本発のこのような先進機器は欧州より先に本家で承認されるようにしてほしいですね。

2015年10月29日木曜日

胸部外科とは


 順番が逆になったが、1018日から29日まで日本胸部外科学会が神戸はポートアイランドで大北裕神戸大学心臓血管外科教授が会長で開催された。もう65回にもなる歴史ある学会で、学術的には心臓血管外科、呼吸器外科(肺外科)、そして食道外科の三つの柱で構成される。演題数や参加者について言うと、今では心臓血管外科が過半数を占め、次いで呼吸器、そして食道外科関係はわずかである。この3本柱を軸に発展してきたこの学会もその生い立ちを見ると、肺結核の外科が始まった頃が黎明期であり肺外科が主体であった。その後発展してきた心臓外科が参加し、米国の胸部外科学会に倣って食道外科も入った。米国では胸部外科(Thoracic Surgery)が古くから学術・医療の分野で確立され、長い歴史のある専門制度もこの名前で現在も続いていて、この分野の専門医教育の最初のステップ(5年)では3分野の基礎を修練する仕組みが続いている。

日本ではかって東京大学を始め多くの大学の講座や診療科の名前に胸部外科が使われてきたが、現在は心臓血管外科や呼吸外科(食道は殆どが消化器外科に入れている)など臓器別診療が主体となっている。そのきっかけは国が外来診療で胸部外科という診療分野(病院の診療科名)を廃止したことにもよる。大学として講座名(大学院研究科として)に現在も使っているのは大阪医科大、秋田大学、鳥取大学(呼吸器外科が主体)、と限られていて東京大学は既に臓器別に変わっている。

このように診療体制は変わり細分化してしまったが、日本胸部外科学会は依然として3分野を扱う総合学会としての歴史を刻んできた。私もこの学会が理事長制を布いた第二代目の理事長を経験したが、この3本柱をどう維持し学会としてまとめていくかに苦労したのが思い出される。実際、専門医制度ではこれまでも胸部外科という名称はなく、心臓血管外科専門医、呼吸器外科専門医であり食道は主に消化器外科専門医に所属する。そういう中で、それぞれの分野での専門学会が発展し、胸部外科学会の役割が薄められてきた。しかし細分化した弊害を少なくするには統合学会としての役割が出てきて、胸部外科学会は学術面での貢献が期待され、また横断的な卒後教育も大事になってきている。

話が理事長講演のようになってきたが、そういうなかでの今回の学会であった。さてプログラム一覧を見ると赤く色付けられた心臓血管外科領域ばかりが目に付く。会長の色が強く出たという印象である。嘗て阪大もそうであったが、講座が心臓血管外科と呼吸器外科をまとめたナンバー外科時代(第一と科第二外科)から専門別(心臓と呼吸が分かれてきた)になったことも影響しているのか。呼吸器の人たちの印象が聞きたい所である。

今回の学会では、どこの学会も定番になったが新しい専門医制度についての特別セッションが今回も企画された。心臓血管外科と呼吸器外科は外科専門医の上に置かれたサブスペシャル分野(二階部分)である。一階を通らないと二階に行けない。基本領域(1階)の外科専門医制度からは北川慶應義塾大消化器外科教授(外科学会理事、専門制度機構理事)が基調講演的に来年度から公募が始まる外科専門医制度の概要が説明された。その後の3分野の準備状況が解説された。食道外科は将来、消化器外科上の3階部分に入る予定であるが、現在の学会で行っている制度の概要が示され、内容もコンセプトも革新的に進んでいるのが分かった。司会は理事長の坂田京大前教授であったが、以前からそうであるが新しい制度造りにはかなり批判的で、今回も司会でありながら問題点ばかり強調し、外科学会の北川理事も困っている様子であった。

新た制度については何度も書かせてもらったが、それぞれの分野や大学教授は、自分の所に入局(この言葉は理念上であるが専門医制度とはマッチしないのだが)してくる後期研修医がどうなるのか心配している。一方で、関連病院の人事を地域医療を崩さない、という名目で仕切ろうとしているのが見え隠れしている。私自身はプログラム制という基本部分を書いてきた責任もあり、指導者層に説明しているが、新たな制度の基本理念は我が国の医師の生涯教育の基本となる制度であり、社会から信頼させる医師を育てることが主目的である。そのためにはプログラム制でもって各制度の標準化とピアーレビューで質の担保を図ることであって、これを基盤に現在の問題点を改めていくものである。前提は、現在の医師の供給体制に混乱を起こしてはならないように段階を踏んで進めることである。制度的に余裕を持って始め、例えば5年先には更なる見直しもあると考えてスタートすべきである。そうは言っても、今回の改革をなし崩しにしてはいけないことは明白である。

大学の教授は教育、診療、研究、に責任があるが、卒後教育の入門部分(更新ではない)については従来型の医局制度と如何に連携させるかが問われている。しばらくは我慢の時期があるのではないか。終わった人は好きなことを言える、という現役教授からお叱りもあると思うが、この機会を前向きに考えて欲しい。とは言いながら、表題の胸部外科という分野で言うと悩ましい。心臓血管外科と呼吸器外科は外科専門医の二階である(外科は一般外科という感じであるが中身は消化器外科が主体)。整形外科や脳神経外科は一階で独立している。以前からの検案事項でありながら封印されてきたことであるが、もうそろそろ胸部外科分野も外科専門医の二階から独立して一階にすることを考える時期ではないか。この考えは心臓血管や呼吸器でも新たな制度のなかでも柔軟に考えて行こうとしていることにも注目したい。

このような学術以外の問題を抱えた胸部外科学会であるが、今回は地元開催でも、特に出番もなく気楽に、また楽しく参加させてもらった。なお、幾つかの学術的なトピックスは追って紹介したい。