2022年10月20日木曜日

 日本移植学会が名古屋でありました

  大変ご無沙汰です。その後元気にしておりますが、4月の国際心肺移植学会の報告以来で半年ほど経ちました。世の中は新型コロナの第7波もようやく収まってきて、社会活動も戻りつつあります。大阪の地域の病院のコロナ病床も閑散になってきてやっと本来の活動が出来る雰囲気になってきました。

  今回も臓器移植がらみですが、臓器移植法が制定されて25年目になるという節目の年になります。先般の10月14,15日と日本移植学会が名古屋であって出席してきたのでその報告です。1年前は自分でシンポジウムに応募して、心停止ドナー(DCD)の心臓移植について話をしてから早1年経ちました。其の発表の内容を学会誌、移植、に投稿したのですが、学会前にようやく公表されました。心臓と肺についての心停止ドナーからの移植について日本移植学会は臓器横断的に(心臓を除け者にしないで)対応して欲しいとの提言で、阪大に現役教授2人に共同著者に入ってもらっています。 

 松田 暉. 新谷 康. 宮川 繁. 心停止ドナーから見た心臓および肺移植の世界の現状とわが国の課題 ―臓器横断的取り組みでドナープール拡大を―. 移植. 2022. 57(2). 163-168.

 さて、今回の学会でDCD、特に生命維持装置を外すcontrolled DCDの議論が進展しているのか確かめることもあっての参加でした。学会企画には臓器横断的と名がついてものが多く、その最初のシンポが「臓器提供数増加のための方策」で、なかなか聞き答えのある内容でした。厚労省移植医療対策推進室の西嶋先生が行政の取り組みを紹介し、提供の拠点施設制度が進んでいるということでした。臓器移植ネットワークからはドナーコーデイネーター(Co)の現状紹介があり、中央のCoは何とか確保できているが都道府県Coは相変わらず寂しい限りでこの10年進歩どころか後退している部分もあり、今後提供が増えたらオーバーワークでパンクするのでは危惧されます。何故増えないのでしょうか、提供制度のコアですよ。脳神経外科医の小野元教授からは終末期医療では家族とのコミュニケーションが大事で、脳外科医も移植待ち患者を助ける努力をしているというお話でした。阪大の救急医学の織田順教授は、オプション提示の解釈において同意を取るのではなく道を示すことであり、さらに命のリレーという言葉は誤解を招くもので、間に人の死があることを考えるべきという、納得できる内容でした。移植医側の東大小野教授はMedcal Consutant制度のこれまでと今後について紹介し、従来の自己犠牲のやり方では今後続かないということでした。岡山大の救急医学の中尾篤憲教授は救急医療の現場で臓器提供に積極的にかかわる中での苦労を紹介し、医師がそもそもの提供の意思表示をしていない現状も述べられた。最後に小柳仁先生の特別発言があり、これまでの歴史を振り返っての移植医療の原点に触れる素晴らしいお話であった。全体としてDCDについての言及は限られていたが、臓器提供の本質と制度のギャップがあるなかでcDCDの議論も進むのではと感じた。

 後はワークショップの話ですが、心停止ドナーの課題が議論されました。従来型のDCDがコロナもあって減少が激しいなかで、消化器外科や膵臓移植医からの取り組みも紹介された。後者は学会長の剣持教授(藤田医科大学)からのAMEDで採用されたECMO使用の計画の紹介であった。代理の先生が来られていて、灌流によって肝臓と膵臓の摘出と腎機能の保護での進歩があることは分かった気がする。私の待機する関係者の負担軽減になるのかとの問いに、座長からは軽減になるとの説明があった。uncontrolled の提供であり関係者の負担軽減が減るのか個人的には今も疑問がある。cDCDは豪州のSt.Vincent 病院で移植に関わっておられた慶応大学の松本順彦先生からの紹介があった。本邦で進める上での倫理的な面での話もあり、cDCDについて学会員の理解が進めばと思った。

 心臓移植では長期待機の問題点のシンポもあった。何年にも及ぶ補助人工心臓下の待機の問題点が改めて浮き彫りになった。阪大小児科からは学童期に長期の待機による院内学校の苦労や家族内での問題も紹介された。私のコメントは、この待機児童を扱う方々の現状と家族の苦労を社会は知るべきであり、それは臓器提供への理解にもなることからメデイアへの働きをしてはという提案をさせてもらった。待機中死亡の話が多く、東京大学からしっかりした発表もあり、必然的に臓器配分システムの改定にも話が進んだが核心に届く議論はなく、今何をすべきかの基本的な話をさせてもらった。移植施設が自施設の枠内でリスク分析をするのでは限界があり、ナショナルチームとして科学的分析をするには日本臓器移植ネットワークのデーターを使う以外に方法ないと述べておいた。

 最後に、番外であるが岡山大学のDCDからの心臓移植についてAMED研究の班会議があり、オブザーバーとして加わった。まだ論点整理段階のところもあるが、3年後には関係学会からのガイドライン作りに持って行って欲しいとう思いで参加させてもらった。この後奈良で日本心臓移植研究会があるが、このAMED研究をどう扱うかが課題でもある。

 ということで、移植学会でのDCD関係の話題の紹介をさせもらった。もう自分で学会で発表したりペーパーを書くこともないと思いながらの学会出席であった。cDCD心臓移植への細い長い道が少し見えてきたようである。

2022年5月10日火曜日

ボストンでの国際心肺移植学会に参加して

大変ご無沙汰です. 2月に今年の第一報を書いて以来3ヶ月も経ってしまった. Covid-19の第6波が襲っていて未だ先が見えないなかで話題も限られてきたこともあって筆が鈍っている. とはいえ,昨年末に少し紹介した先月のボストンでの国際心肺移植学会(ISHLT)には何とか参加できたのでその報告をさせてもいたい. 

会期は427日から30日まで米国ボストンで予定通りin-person(現地開催)で行われました. 現地参加できない方はあらかじめ録画を送っておいての発表だが,この場合は討論には参加できないという方式. 日本からのいくつかの演題もほとんどが事前録画であった. 日本からは循環器内科と呼吸器外科の方が来られていたかも知れないが顔見知りの方はおられず,私が話出来たのはT大心臓外科O教授だけで,日本からはまだまだ制限があるように感じた. この学会は3年ぶりの現地開催で米国はもとより欧州からも多数の参加者がありいつもと変わらぬ賑やかさで,現地参加は2700人ということであった. 

ボストンは晴天続きであったがこの時期結構寒く,朝は5℃前後で昼も15℃くらいで加えて結構北風が強く,ホテルから会場まで1.5キロを風にあおられながらの歩きの毎日を楽しんだ. 会場のHynes Convention Centerはボストンマラソンの最終地点となる大きな広場の近くで,古い教会などと一緒に超高層ビル(Prudential Tower)が集まったBack Bay地区になる. ボストンマラソン終点の広場の写真を紹介する. 

私がCo-Chair(座長は2人制で相方はテキサスの循環器内科医)を務める成人先天性心疾患(ACHD)のセッション(移植からMCS)は最終日土曜の午前中で,多くが帰りつつある中で30人ほどが会場に来られていた. 発表演者は全て招請講演で,一人が欠席で残る4人はしっかりした内容で議論が白熱した. 特に機械的補助循環(MCS)の話題では英国Newcastle Upon Tyne, Freeman Hospitalの心臓外科医 Dr.Fabio De Ritaの発表がありFontan 術後の右心補助でユニークな発想でデバイスの開発を行っている.  Fontan手術後の移植についての発表が多く,私が長らく関心を持っているFontan associated liver disease FALD)についても心肝同時移植か心移植単独か,肝機能が戻るのか,などの議論が行われた. そもそもfailed Fontanへの心臓移植もなかなか実現が難しく,加えて心肝同時移植は全く見えないわが国から見て,いつになったらこのセッションに参加できるのか,自分がここにいるのは何のためか,個人的興味なのか,等考えさせられた. 

一方,この学会に来た大事な点は前回も紹介したDCD(心停止)ドナーからの心臓移植と肺移植がどう進んでいるか知りたいこともあった. 驚いたことにDCD関連のセッションがほぼ連日組まれていて,オランダやUKそしてオーストラリアからアップデイトな発表が続いた. なかでも米国からはNIH主導の体外灌流装置を併用した心臓移植のランダム臨床試験の結果も出ており,米国でもかなり積極的にDCDに取り組んでいることが分かった. これらの現状を帰国後に関係者にフィードバックできればと思う. 因みにAMEDの本年度からの臓器移植関連の公募研究に岡岡山大学と東京大学が連携するDCDドナーからの心臓移植の研究が採択されているので個人的には大変期待している. 

さて,もう一つ紹介したいのは特別招請講演である. これは医学界以外からの教育的講演と最後の締めに当たる学術的招請講演があり,前者はボストンマラソンについて,Boston Athletic AssociationPresident and CEOTom Grilk氏によるWhat is so specific about it? であった. 100年を超える歴史とボストン市民がこれまでいかにこの大会を支えてきたか,そしてさる悲劇の後Boston (is) Strongという掛け声で立ち直った話であった. 

一方の学術的な講演は,最先端技術であるRNA工学を用いたワクチンから治療薬開発の話であった. RNAに関する最近の進歩はなんと言ってもCovid-19へのmRNAワクチンの開発であり,その背景にあるRNAを操作して種々の蛋白を細胞に導入させる技術がものすごい勢いで進んでいて,わが国でも幾つかのベンチャーが立ち上がっていて,これからの心不全の再生医療を根底から変えるのではという期待がある. テキサスのHouston Medical Centerの中のHouston Academic Institute Houston Methodist’s RNA Therapeutics を立ち上げMRA技術開発をけん引しているDr.John Cookeの講演であった. 種々の蛋白質をmRNAに組み込んで,感染症のワクチンにと止まらずがん治療から臓器再生へと発展させている. 心筋細胞にペースメーカー機能を持たせることにも成功している. まさに次世代の医療技術の中心になるのではと思うが,現役諸氏には既に知られてことではあろうが紹介せずにはおらない. 

ボストンからの報告としては以上とするが,心臓と肺移植について世界をリードするこの学会に3年ぶりで関係者が集まるという節目に,Covid-19のせいとは言えわが国からの参加は数えるほどで,日本のこの分野がますます世界から取り残されていくという危機感を持っての帰国となった. Covid-19への対応はボストンとい途中寄ったカナダといい,街でマスクをしている人は殆どいない. 国間の移動もPCR検査を事前済ませることとワクチン接種証明でスムースに行動で来るが,日本では入国時の検疫は緩和どころか依然として全員にPCRを求めている. 帰国前72時間のPCRを強制させなら成田空港で再度唾液での検査をしないと空港から出られない. 実際,連休最後の日だったせいか検査の順番待ち人たちが延々と並んでいて,Fast Trackのアプリを用意しなかったこともあって検査受付まで2時間以上,検査結果出るまで又2時間と結局入国審査が済んだのが到着後4時間.新幹線の最終にも間に合わず成田で一泊する羽目になった. 海外がウイズコロナに移行している中で,そして大型連休では各地が人で溢れている状況で,この入国時全員PCRを続けていることにもうあきれる以外言葉もない. コロナ鎖国を目の前に見た感じである. 成田空港では多数の厚労省関係の職員と思われる方々がきびきびと働いておられるのには頭が下がるが,泊まったホテルでは本館という部分は厚労省が借り切っているとのこと. 対費用効果,感染制御効果,など適宜検証しながら臨機応変な対応が出来ないのか. 

ということで,最後の検疫での4時間でせっかくの国際学会参加も疲れだけが残った感じである. とはいえ落ちついたら学会での知見を国内へどうフィードバック出来るか考えよう. といっても年寄りの独り言になりそうである.

 前回言及した学術会議講演会の話は時機を逸っしたのご容赦を.

 


2022年2月15日火曜日

臓器提供の新聞記事

   2022, 令和4年の最初の投稿がですが, 遅れ遅れて2月の後半になってしまいました. 遅まきながら今年も宜しくお願い致します. とは言え, もうこのブログも風前の灯(昨年も言いました)かと思われますが, 何とか火を消さないようにしたいと思います. その力となるのは, 袋小路のコロナではなく, まだ未来がある, そして遣り残しがある, 臓器移植です.

  足元の病院での心不全ケアチーム作りも始めて1年半になっていますが, コロナ禍もあって中だるみの感もあり足踏み状態です. そういう中で昨年10月に, ある心不全新薬の発売記念セミナーを近隣の循環器内科の先生方と企画させてもらったのですが, opening remarksを使って我々のチームの紹介をさせてもらいました. これまでの30例ほどの症例の概要を報告をしたのですが, タイミングよく症例報告も出来ました. 約半年の入院治療の後に何とか在宅に移行できた60歳代の末期的虚血性心筋症の患者さんです. コロナもあってリハビリも思うように進まず, かえって廃用が進んでしまい, 緩和ケアも考えるようになりました. しかし, ご本人が自宅(独居です)に帰りたいという強い希望もあり, 自立が難しく移動は車椅子で何とか可能な中で退院にこぎつけたので, 紹介しました. 心不全ケアチームの思い入れの深い症例で, スタッフもこれがチーム医療だと頑張ってくれました. 退院後も在宅で落ち着いておられるので, 心臓関係の地域のニュースレター的なところに症例報告として投稿しようと準備しています. こういう経験がチームの結束を高め, 目標設定に向かって協力する機運が高まることを期待しています.

 さて, 臓器移植ですが, 紹介したいことが直近で二つありました. 一つは新聞記事でもう一つは日本学術会議の移植・再生医療に関する公開シンポジウムです. 今回は新聞記事だけにします.

 29日の毎日新聞の夕刊第一面に「悲嘆の家族救ったカード, 夫の死 臓器提供で心に光」, という大きな見だしが目に留まりました. 最近は臓器移植, なかでも臓器提供を扱う記事は殆どなく, 移植への社会の関心が薄れていく現実のなかでこういう記事を心待ちにしていました. 素晴らしいと思って読ませてもらいました. 一時代前の懐かしい黄色い意思表示カードの写真が出ていました. また, 死後に臓器提供されたご主人の在りし日を偲ぶ, 家族が寄り添っている素晴らし写真もありました. 柏崎市の当時63歳の男性が自宅で心臓発作を起こし, 救急病院で心肺蘇生が行われ, 心拍動が再開した後に専門病院に移送されました. 転送された時, 病院受付の事務の方から奥様が臓器提供の意思表示カードについて聞かれたので, ご主人が生前に意思表示カードの話をされていたので, 自宅にあったものを見つけて病院に持っていかれました. そのカードには脳死と心停止でのほぼ全ての臓器に丸が付けられていました. 搬送後も意識は戻らなく出来る限りの救命措置でも助からないという状態になったようです. コーデイネーターから臓器提供の話を聞き, 生前のご主人の意思を尊重し,ご家族が提供に同意された経緯が具体的に紹介されています. 結果として臓器提供は心停止後の腎臓と眼球でした. この話は2003年に遡るので, 今になってどうしてこういう記事が出たのか分からない所がありますが, 奥様が当時を振り返ってその気持ちを伝えたいというのが本当のところかと推察されます. 

  要点は, 搬送先の病院が臓器提供施設であったこと, 病院が意思表示カードの有無を聞いてくれたこと, そしてカードがあったことから家族全員が納得して提供に至ったこと, と纏められています. また, 子供さんお二人も学校の授業で臓器提供の話を聞いたことがあったということでした. この話は約20年前とは言え, 今も現実に起こる(起こっている)ことであり, 臓器提供の根幹に触れる貴重な記事であると思います. 救命センターといった先進医療施設以外で, 入院時に臓器提供の意思表示について確認することはまだなか出来ていない現実もあります. 意思表示は, 臓器移植ネットワークのカード以外に運転免許証と健康保険証の裏に印刷されていて, 提供しないという意思も含め自分の考えを知ってもらう機会は身の周りに探さなくてもあるわけです.

  私としてはいくつかの疑問もあり具体的なところは記者に直接聞きたいところでありますが, ここではポイントのみ書いてみます. それは, ①脳死と心停止両方での臓器提供に〇を付けておられたが, 提供は脳死ではなく心停止後の腎臓(と眼球)であったことと, ②記事のなかに脳死という言葉はカードの記載内容についての所だけそれ以外では触れられていないこと, です. ①についてはご遺族のご意思があったのかも知れませんが, 一般読者にはその理由をしっかり伝えることでこの記事の価値は上がったと思います. 美談だけではなく, 臓器提供の現実的な課題を伝えてほしかったと思います. このことは2022年の今も変わりないはずですから. また, 敢えて加えるなら, 2010年の臓器移植法の改正のことです. 本人の意思が不明の時は家族が判断できるということの紹介が欲しかったと思います.

  読者がこの記事にどういう反応をされるか大変興味あるところではありますが, 臓器提供が低迷しているなかでこのような明るい話(心に光)が出ることは大変重要なことなので紹介した次第です. もう一つの話題の公開シンポでも, 臓器移植のことや提供のことに対する社会の認識が薄いままであり, これをどうした良いか熱い議論になっていました.

 追伸:昨年の最後の投稿で紹介した心停止ドナーからの心臓移植の論文ですが, 掲載されましたので1ページ目を紹介します.