2013年4月25日木曜日

総合診療医とは

   昨日、専門医制度の会議があった。それは厚労省の「専門医の在り方の関する検討会」の纏めが公表されたためである。http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000300ju.html

これまでの学会が集まった集団で決めごとをしていたのを、第三者的な機構で制度の質の担保と標準化をしながら、専門医の認定の模様替えをしようとするものである。そもそも2004年にそれまでの学会が決めていた認定医や専門医を、厚労省が概要をチェックして審査が通れば広告できる、という規制緩和を行った。しかし、その広告できる制度は結果は返って質の低下や専門制度の乱立と混乱、といったことが出てきたことも今回の改定の背景にある。また、初期臨床研修(卒後2年の必修研修)によって医師の偏在、地域医療の崩壊、といったことが出てきたことにもよる。詳細は省略するが、焦点の一つは総合医診療医、である。とりわけ、その制度が専門医制度の18の基本領域(内科・外科・小児科など)に追加されたことである。これは大変大きなことで、今回の改革の目玉でもある。しっかり対応しないと、後で禍根を残す問題である。

新たに作ることとなった「総合診療専門医」とは何か。厚労省の概要を見ると、日常的に頻度が高く、幅広い領域の疾病と障害等について、我が国の医療供給体制の中で、適切な初期対応と必要に応じた継続医療を全人的に提供する、というのが総合診療医に求められている。現在の医療では細分化、専門化がどんどん進んで、救急診療所や一般外来で幅広い知識と経験をもった若手の医師がいないこと、救急医療での医師不足、家庭医という制度がないこと、などが背景にある。一方、医師会や開業の先生方は、かかりつけ医、という仕組みを広めてきているので、今さら何をするのか、と懐疑的である。また、プライマリーケアという観点で幾つかの学会があって、その主たる3つの学会が一つに集まってプライマリーケア連合学会を作っていて、この総合診療医制度の基幹学会として手を挙げているようだが、この新たな専門医は単独学会に任せるのではなく、基本の専門医集団が全て連携して、その制度を作っていこうとしている。というのはプライマリーケア(初期治療)だけではなく、多彩な専門分野の総合的な知識と経験が求められるからである、と理解している。

今回の改定で、「医師は基本領域のいずれか一つの専門医を取得することが基本」と謳っているので、言い換えれば、外科専門医と総合診療医、小児科専門医と総合診療専門医、といったダブル専門医は推奨されない、という趣旨である。これは結構課題含みである。専門医資格は一度とったら後はまた別のもの、というものではない、継続教育が要る。外科と心臓外科、内科と循環器内科、と連動している、1階と2階の関係(1階を済まさないと2階に上がれない)のところはいいが、よほど頑張らないと二つの独立した専門医資格を同時に維持することは難しい。小児科と総合診療の二つは取りにくい。精神科も、外科も、皆そうである。一方、小児科は子供の全ての病気を見るが、総合診療医も小児科は見ないといけない、となるから複雑になる。内科も精神科も外科も、総合診療が求められるが、あえて別建てで専門医制度とした背景には、将来の家庭医の制度化、開業の際の要件、などが配慮されているとも思われる。出てくる問題は、どういう医師を育てたいのか、卒後3年目の医師がどういうモチベーションでここに入ってくるのか、どこで研修するのか、誰が教えるのか、などなどである。他の専門医が歳とってからこれがとれるのか、も関心事である。とはいえ、総合診療専門医第一号は今から早くても7-8年先であるから現実味がない。興味あるのはこの総合診療医と救急医以外の幅広く診る一般的な専門医(内科、外科、小児科、精神科など)が救急医療でどう連携するかでもある。言い換えると、総合診療医資格には小児救急の研修もいるし、一般外科や精神科の救急もある程度かかじっておかなければならないであろう。そうすると、小児科や精神科からは、中途半端であるし、振り分けならあえて専門医はいらない、といった議論が出ている。かえって医療現場が混乱するようでは虻蜂取らずになる。あと1年ほどで、この総合診療専門医研修をどうするのか、関係団体で真剣な議論と決断がいる。

救急医療というのは大変複雑である。1,2,3次では片づけられないし、専門分野との連携がより強まってくる。救急専門医の役割は急患の振り分けはごく一部であろうし、それについてもしっかりした救急の専門的経験と診断技能がいる。総合診療医制度ができるにあたって、救急医療はどうしたらいいのか、改めて議論が必要になり、問題解決の糸口になればいいと思う。しかし、かえって混乱させないようにするのにはどうしたいいか、が問われている。
  もう一点、この専門医制度の改革の話は、その前の初期臨床研修を無視して出来るものではない。厚労省も今回、数年先の初期臨床研修制度の見直しを言っているが、大して期待はできない。それは、初期臨床研修の存続に関心があるのは地方の中核病院であり、専門医は大学関係者、というところもあるのでで、一体的な改革はできそうにない。特に、初期研修は厚労省ががっちり握っていて手放さない。今回の専門医制度改革も厚労省主導で、医師の配分まで仕切ろうとしたかったが、学会側の猛反対でそれは不成功に終わっている。学部教育は文科省、医師になったら厚労省、であるが、大学は医学部も病院も文科省が担当であり、卒後の専門医研修には大学院も絡んでいて、文科省も関心が高い。省庁縦割りの問題がここでも生じている。
   今回の総合診療医の登場で思うのは、初期臨床研修の目的と総合診療研修とはかなり重なることである。いろいろ問題の多い、中途半端な初期臨床研修を、この際思い切って総合診療研修に切り替えるのがいいのではないかと思う。外科医的発想であるが、研修の場や内容を大きく変える必要はなく、実行できると思う。こう考えると胸のつかえが何かしら取れたように思う。2年終了後は例えば総合診療認定医資格を与え、より専門性が高い総合診療医はその後で他の専門医制度と並べるのである。厚労省のお偉方に話してみたい。こういうことは、学術誌で書かないと認めてくれそうにないが、それはまた考えることにさせてもらう。写真は、神戸商工会議所の財団の事務所から海側の景色。ビルに隠れているが兵庫医療大学の茶色の建物が少しだけ見えている。

2013年4月18日木曜日

大学病院と救急受け入れ

 4月16日の読売朝刊1面に、神戸大学病院が救急診療を一時的に中止する、という記事があった。担当の救命救急科医師の半数以上(9人中6人)が退職ないし他科へ転科したためらしい。神戸市や兵庫県の救急医療体制にかなり影響が出るので、行政側も困惑している。発端は新たに赴任が決まった外部からくる教授の救急医療へのスタンスが原因という。神戸大学病院の救急は、三次救急を主とする高度救命救急センターではなく、外科系救急救命科としてこれまでは総合診療的な一般救急(二次)から高度の救急医療を診療科で完結させるやり方を取ってきた。一方、新体制ではER方式に変るということで、現在のスタッフが反発をしたという記事も出ている。救急医側で完結させる方式であると、多くの大学の、特に国立が多いが、救命救急センター担当医への負担が大きく、ベッド制限があったり、ひいては診療対象が限られたりして、日常的な救急医療において制限が出てくることが課題であった。そういう中でER方式を取る大学や救命センターが増えている。ERは病院の各診療科の医師が専門分野で参画して重度の軽いものから高度まで幅広く受け入れ、救急医はある意味、振り分け役になる。そうなると救急医は自分の専門医としての役割が薄れ、応援の他の科の医師も普段の診療以外に当直や救急で呼ばれることから、院内協力体制が組み難いという問題もある。ER方式は米国で普及し、TVでもシリーズもので人気がある。大学病院はえてして高度医療に走りやすいが、もっと目線を一般救急や総合診療に目を向けるという神戸大学としてのスタンスは注目される。神戸中央市民病院は新しい病院になってERから高度医療まで精力的に担っている。大学ではできない話でもある。

因みに、救急医療は一般病院が参画する一次・二次が対象の救急病院と、3次を主とする救急救命センターがある。この救急救命センターの一部には、高度、地域、という名称が付けられ、機能分化を図っている。兵庫県で高度救命救急センターに指定されているのは県立災害医療センターのみで、他に中央市民病院や兵庫医科大学病院、県立姫路循環器センター、県立西宮病院など、計7か所である。神戸大学病院は救急救命センターの指定はとれていない。

今回の件は大学病院という場に限らず、我が国の救急医療の抱える問題が背景にある。地域医療では小児(救急)医療が破綻して時期があったが、救急、あるいは一般外科も同じである。要は医師不足、というより医師の偏在が根底にある。神戸大の救急は医師のベースとなる専門分野としては外科が多いようである。多くの救命センターは、救急をプロパーとしてやる医師と、他科が専門で救急分野を勉強したいと来る医師の混成部隊が多い。救急専門医も外科専門医も希望者が少ない分野である。それは、労働環境が悪く、しんどい割には報われない、という分野でもある。しかし、救急医療はまさに失われようとしている命を救う、一刻を争って診断から治療まで、とダイナミックであり、外科系から見るとやり甲斐のある分野と思う。とはいえ、若い人に救急分野を生涯の専門としてやるかというと、しり込みされる。指導者は後を継いでくれる人が欲しいので、一生懸命若い人を育てるが、ある程度経つと他へ移ってしまう、という悩みを聞く。いま議論されている専門医制度の改革で、少しでも若い人に外科系や救急に興味を持ってくれるような追い風になればと思っている。

さて我が国の医療の供給体制から見ると、病院数が多いのがOECDの調査でも歴然としている。大学病院も精々800から多いとことでやっと1000床程度であり、米国やアジアの先進的な国では1,000床以上の病院が増えてきている。医療が集約がされている、ともいえる。我が国で救急を扱う病院は数では多いが、機能から見ると分散し、小規模病院では受け入れの余裕が少なく、社会的な問題が生じている。国や地方自治体はセンターの充実には力を入れているが、一般の救急医療は中規模の病院を当てにしている。それらの病院はすべてに医師不足があり、体制も十分ではない。高度医療は進んでいるが底辺の救急医療の体制は何年も変わっていない現状がある。断わらない救急専門病院が必要である。それを国が地域に作るなり個人病院でもいいから支援し、指導医クラスをきちんと処遇し、そして若手医師は臨床研修の1年を使って強制的にでも配置し、教育をする、といった抜本的な対策がとれないか。今の臨床研修の救急必修研修は短期間で、施設もバラバラ、実が上がっていないのではないか。

大学病院、特に国立大学病院は、全てが救急医療の第一線でも頑張るのは無理であって、棲み分けも必要ではないか。言い換えれば、高度救急をする所と一般医療に軸足をおいて総診療ができる医師を育てるところに分かれるであろう。神戸大学は若手医師を総合診療や救急医学を修練させる、新たなER 方式で再出発するように思われる。新聞は、兵庫県の救急医療に大きな支障が出るかのような報道であるが、少し冷静に見てほしいと思う。一方では、最近になって兵庫医科大学が新たな急性期病棟を作り、救急部門が充実され、ERも加味された高度救命救急センター方式と思うが、その成果にも注目したい。

勝手な意見を書かせてもらったが、大学病院や臨床現場で救急医療に日夜携わっている多くの方に失礼になっていないことを願っている。
PS:今日、神戸商工会議所(神戸国際医療交流財団のオフィスがある)についたら、玄関に日本手外科学会の看板があった。兵庫医療大学リハビリ学部長の藤岡先生の専門で、師匠の兵庫医科大整形外科の田中准教授が会長、という。藤岡先生に電話すると側の国際会議場の学会本部におられる、という。商工会議所に来てもらって、半月ぶりに話が盛り上がった。

2013年4月13日土曜日

外科学会で


福岡での第113回日本外科学会がやっと終わりました。国際会議場でしたが6000人もの参加があったそうで、日本中で外科診療に支障が出なかったか心配される位でした。殆どが勤務医ですが、学会参加が専門医資格申請や更新に必要なこともあり、若手だけでなく部長クラスも沢山来ていた。勉強プラス懇親という意味もある年一度の一大イベントです。今回は九州大学第二外科教室(今は消化器・総合外科)の威信をかけた学会で、会長の前原教授は60歳を超えたばかりのまだ若々しい感じがする教授で、学研肌ながら教室運営や学会活動ではなかなかの手腕を発揮され、専門は消化器外科で、がんや臓器移植で凄い業績を上げている。この教室からはすごい数の英文論文が毎年出されていて、論文をまとめた電話帳のような分厚い年報が毎年送られてくるので有名。これは教室員への刺激やモチベーションを上げる効果だけでなく、他の大学の教授にもプレッシャーをかけている。この教室は全国の大学に教授を輩出していることでも抜きんでています。大阪大学の消化器外科の森正樹教授もこの教室出身です。

さて、紹介したいことは沢山あるのですが、ここでは手前味噌ですが自分の発表について書かせてもらいます。今回の学会テーマは、創始と継志、であり、我が国の外科学や代表的な外科手術の、始まった頃を振り返りながらそれがどう現在に繋がっているか、これを検証しこれからさらに発展しよう、ということです。その方法として、あるテーマについてその分野で指導的な役割を果たしてきた先達と現在のリーダー、あるいは大学外科学教室の前教授と現教授がペアーで、二人で1時間の記念講演をするというものでした。テーマは全部で13あり、私は心臓移植、というテーマで、後任の澤教授とのペアーでした。同じ教室でペアーを組むばかりではなく、専門分野では異なった教室の組み合わせもありました。各テーマについて選ばれたペアーは、日本全体の視点で話すものと、教室の関わりに焦点を絞るものとに分かれましたが、我々は開き直って、阪大第一外科はどうしたか、に徹しました。勿論、そのことは講演の最初に断っています。臓器移植、特に心臓移植は沢山の大学の方々や学会の支援で進んだのですが、心臓移植再開を担当したということで、お許しを願いました。

私は、心臓移植再開に向けて、というタイトルでした。和田移植から30年以上ブランクがあっての再開でしたが、それまでの長い道のりの中での準備の課程を恩師の故曲直部教授、川島名誉教授のご尽力に触れながらの紹介をさせてもらいました。1999年2月の再開例のこととは別に、補助人工心臓の導入、移植法改正、再生医療への準備、など30分で済ませました。後は澤教授が引き継いで、移植から再生医療へと最近の成果を熱く語っていました。後を継いでもらって10年にもならないのに良くやっていると改めて感心した次第。終わった後、司会の東大前教授の高本先生から感謝状(学会長名)を頂きました(写真)。第一外科の同門や他の移植施設の教授も聞きに来られていました。会場は満員、というほどではなかったですが、外科学会では心臓移植に関心がある人は限られるので、仕方がないことです。川島先生も来られていて、ご満足の様子でした(写真あり)。ほかの臓器移植については、肺移植が東北大学の藤村・近藤組、肝移植は九大組でした。後者は我が国の生体部分肝臓移植の最初の手術をされた元島根医大の永末先生が講演されました。心臓移植のような大護送船団方式とは違った、正にパイオニアの仕事に改めて感銘を受けました。
ということで一応区切らせてもらいます。
 

 

2013年4月8日月曜日

神戸の国際学会二日目

  神戸はポートアイランドでのアジア心臓血管胸部外科学会も成功裏に終わりましたし、海外の方も桜を十分楽しみ、嵐には直撃されず帰られ、主催者ではないですが良かったでした。二日目(土曜日)は朝から看護師セッションが組まれていて、午前中は兵庫医療大学修士を先般卒業した山岡さんも発表していました。阪大病院心臓外科病棟の懐かしい顔もあり、アジアからも多く結構の参加者で、華やいでいました。
  午後は何度も紹介しているNPとかPAのセッションでした。ナースプラクティショナー、フィジシャンズアシスタント、という医師の仕事を一部やっていただく専門の看護師や外科手術などに特化した大学出の診療補助師(米国のPA)の話です。我が国ではつい先般、厚労省が特定看護師制度(仮称)について結論を出したところであり、いいタイミングの企画でした。川崎医科大学種本教授が仕掛け人で、シンガポール、台湾、そして韓国からの報告があり、そのパワーポイントが日本語訳付きでハンドアウトとして配られ、さらに以前紹介したこの分野のリーダーの防衛医大の前原教授と東京医科歯科大学看護学部の先生が座長でした。日本からは聖路加看護大学教員で兵庫医大心臓外科で専門看護師(CNS)として臨床研究を続けている宇都宮さんの発表もありました。
 さて、アジア、特にシンガポールや韓国、台湾では米国式の専門に特化した病院や、1000ベッド以上の大病院がどんどん出来ています。医療保険は国家財政を反映して厳しい条件があるなか、医療を提供するシステム作りはどんどん進んでいます。この3ケ国では全て看護師ですが、診療補助看護師として、医師の仕事に入ってきています。なかでも心臓外科は医師不足や手がかかることから、かかる専門化した看護師さんが活躍しています。我が国ではこのような制度作りでは大変遅れているのですが、看護系大学の先生方は遅れているというより、そういう医師の医療行為は看護ではない、と抵抗されていることは前にも紹介しました。韓国にせよ台湾にせよ、特別の教育と訓練を受けた看護師(advanced practicak nurseとも言ってます)が医療行為や診断分野に医師の監督のもととはいえ、どうどうと入ってきています。ディスカッションでもそこにはチーム医療とかハートチーム、が必要であって、何が問題か、という雰囲気でした。米国はすでに30年くらいの歴史があるのですが、その間違いを皆さんは繰り返さないよう、というコメントもありました。日本もアジアに触発されるとともの、米国の医療制度が根本的に異なるとはいえ、その歴史をよく学ぶ必要があるようです。
  日本では、特定看護師(といっても新たしい制度ではなく、また新しい職種でもなく)でいくようですが、これから厚労省の方針を法律でどう扱うか、が課題とのことです。保助看法を変えるのではなく、現状の中で特定の医行為ができる仕組み、を入れ込む、ということのようです。ただ、これは国会マターであり、いつの通常国会に提出されるのか、今年は参議院選挙があるので微妙とのことでした。今年中に何らかの展開があればいいと思います。ということでこのシリーズは終わります。といっても、今週は福岡で日本外科学会があるので、また学会報告になりそうです。
 
 

2013年4月5日金曜日

神戸の国際学会で


    昨日からポーアイの神戸国際会議場とポートピアホテルでアジア心臓血管胸部外科学会(ASCVTS2013) が開かれています。心臓外科、呼吸器外科、血管外科が集まる学会です。毎年アジアの国で持ち周りで開催しているもので、今回は日本が担当で、会長は東大前教授の高本三井記念病院院長です。私は発表とか座長とかのお役目もないのですが、開催場所が地元なので参加しています。
  今日はポートピホテルでは兵庫医療大の入学式の日でした。ホテルの玄関に学会と入学式の立て看板が並んでいたので写真に撮ってしまいました。私は学会への出席でしたが、ホテルで教員の方々と会ってしまい、びっくりされてました。そして、緊張と嬉しさの混じった新入学生を見ていて、何か懐かしく思ってしまいました。
 さて、学会はと言いますと、心臓血管外科の研究的なことはさておいて、心臓血管外科の将来、修練制度、臓器移植などで、欧州、米国、韓国、台湾、中国、インド、ヴェトナム、シンガポールからの発表があり、国際比較を考えるうえで参考になりました。若い外科医(レジデント)の修練制度ではアジアは独特ですが、中国や韓国、シンガポール、インド、などでは米国流の制度が取り入れられ、計画的トレーニングが行われていて、日本だけが取り残されている状態です。といっても我が国の心臓血管外科手術の質は国際的にみて大変高く、指導層のレベルは高いのですが、若い人の修練制度は遅れている、ということです。日本の制度は今変わろうとしているので、その辺りのことについて発言と質問をしてきました。シンガポールの先生は、ダーウインの例の格言、チェンジするものが生き残れる、を引用されてました。 以上、本日は医療大の入学式が気になりながらの学会参加でした。明日も出席します。
 
 補足:医学部卒業後、5-7年で専門医資格を取るまでのトレーニングをレジデント制と言ってます。欧米では最初に例えば心臓血管外科専門医を取る年齢は30歳前後ですが、日本で心臓血管外科専門医試験を受験する年齢が35歳から最近は39歳と高齢化?しています。なぜこんなことになっているのか、大変複雑です。でも、内容が難しいというより制度として確立していない、ということです。


2013年4月1日月曜日

ブログ再開です


兵庫医療大学を辞したあとは、臨床活動に復帰すると共に、公的な所では同じポートアイランドにある公益財団法人神戸国際医療交流財団での仕事が始まります。と言っても昨年から理事として運営に参画し、本年1月から理事長を拝命していて、本日から専任、という事です。この財団は神戸医療産業都市構想の中の一つのクラスターとして2年ほど前に公益財団として認可されました。生体肝移植で著名な田中紘一先生が先生の肝移植を通じての国際交流活動をベースに、医療関連の人材育成や内視鏡手術における医療機器開発も推進するという目的で活動を開始しました。その後、田中先生は別途、肝臓移植や先進的消化器外科手術の拠点病院をポートアイランドに作ることもあって、理事長の交代ということになりました。私は医療機器開発にはこれまで携わってきたのですが、国際交流事業はこれから勉強しないといけません。また財団の財務改善も大事な仕事であります。皆様のご支援をお願いする次第です。

 本日は、お昼にポートピアホテルで中国からの医療産業都市訪問団との懇談会がありました。江蘇省泰州市にある中国医薬城(China Medical City)の一行が神戸を視察した後の、神戸市関係者との懇談会でした。矢田神戸市長や井村裕夫先端財団理事長、杉村神戸大学医学部病院長、神戸商工会議所家次副会頭、などがメンバーで、私も顔を見せるよう言われて参加してきました。今、中国では医薬品や医療機器の開発を目指して、クラスター作りが幾つか国家プロジェクトで進んでいるようです。この分野で先駆的な神戸を視察され、沢山の学ぶところがあったと代表がお話されていました。お隣の座っておられた王越局長と通訳を介して質問をさせてもらいました。薬学博士でした。内容は、かなりの敷地に700床の病院を核に研究機関が集まっているようでした。心臓外科はないとのことで、少し期待外れでした。あれば、何か交流が、と思ったのですが。泰州市は上海から近く、また南京も同じ省にあって、交通や経済、研究交流でもいい環境というお話でした。

 ということで、初日から国際交流活動開始となりました。ポーアイはいい天気で、桜も満開、ホテルでは神戸にある女子大の入学式をやっていました。ということで、第一報とします。

PS: 江蘇省のクラスターについては、神戸市の2月の広報に詳細が出ています。
  中国医薬城(中国江蘇省泰州市)と神戸医療産業都市とのクラスター連携協定の締結