2013年8月30日金曜日

 理学療法士のプロフェッショナル

    最近リハ関係の皆様と懇談する機会が増えています。兵庫医療大学で理学療法士や作業療法士の先生方と一緒に大学作りと学部教育を考えてきたお蔭です。なかでも、心不全と理学療法、運度療法、というテーマは植込み型補助人工心臓が広まってきたせいか旬になってきているようです。先の仙台での心臓リハ学会の話もそうです。

一方では、専門職の生涯教育についても意見交換ができる機会が増えています。それは、私が医師の専門医制度に関わっているからと思います。日本専門医制評価・認定機構の中で、今行われようとしている改革でのプログラム認定についての指針を纏めたりしています。専門医制度も変わりますが、この流れは他の専門職者の国家資格の後の認定や専門認定へ影響を及ぼすのではという事もあると思います。

先週末は奈良県にある畿央大学に行ってきました。この大学は今年で開学10周年を迎え、健康科学部理学療法学科の開設記念講演会があって、そこに呼ばれていました。庄本学科長は住吉高校の同窓の関係でもあります。この学部は、4年生の理学療法学科としては関西初で、兵庫医療大学開設準備では見学させてもらった経緯もあります。記念講演会での基調講演でしたが、タイトルは、「プロフェッショナルとしての理学療法士への処方箋」でした。なかなか難しい要望であったあったのですが、何とか話を纏めてきました。

詳しい内容は省きますが、プロフェッショナルという視点からは、認定制度や専門資格制度への考えを、医師の専門医制度に絡めて提言しました。その骨子は、①認定士にせよ専門士にせよある程度数がないと力にならない、②卒後教育(生涯教育)でのコンピテンシー手法の導入、でありました。後者は、私自身未だ十分理解出来ていないのですが、米国の医師や看護師の生涯教育・認定制度で今や根幹になってきている考えと思われます。もともとコンピテンシー理論や方法は、企業や会社での人事管理や人事考課、採用、評価、で使われてきたもので、成果達成能力、とも言われます。従来の知識や経験でみる通り一遍の能力評価とは次元が違うものであります。ダイナミックな要素が入っています。知っているだけではなく、どう活用し、成果が上げられる能力があるか、doが問われるものであります。米国では医療関係の専門職教育に活用されています。我々は、これまでGIO SBOとして扱ってきたものですが、内容は同じとしても、コンピテンシーは成果主義(outcome-based)とも言えます。

コア・コンピテンシーとサブのコンピテンシーに分かれ、主なドメインと呼ばれるコア・コンピテンシーは5つくらいあっても、サブはそれぞれの場で可成りの数が上げられています。其々についての到達目標があるわけです。従来皆が現場で何となく漠然とした中でやってきたことを、成果がうなる、という視点が整理されてきたようです。システム作りに大事になってくるものでしょう。

米国では、看護師の上級資格取得の制度で盛んに宣伝され、日本の看護の大学院の先生方が取り入れているようです。米国の医師専門医制度は30年かけて素晴らしいものにしていますが、1999年になって、教育の仕組みと評価制度において、以下の6つのコンピテンシーを掲げて成果を上げています。

    1. Patient care                                                       患者のケアー
     2. Medical knowledge                                            医学知識
 
    3.  Practice-based learning and improvement            実務経験
    4. Interpersonal and communication skills         コミュニケーション
          5. Professionalism                                                        専門性

   6. System-based practice                  医療システムの中の活動

さらに今年からは、4つに絞って、Milestoneという名称で、段階的に評価(教育する側とされる側の両方です)する方式が始まっています。我が国の専門医制度改革でも取り入れるべきものではないかと思っています。

このコンピテンシーという考え方を、理学療法士の生涯教育の場でも採用していくのが、プロフェッショナルとして社会から認められる一つの大事な道ではないか、という話をさせてもらいました。処方箋になったどうか分かりませんが、皆さんがどういう反応をされたか、また聞かせてもらうつもりです。

ということで、今日はこの位にします。 8月も終わりですね。体調管理に気を付けてください。私は、熱中症のリスクを避けて、この夏の自転車はほどほどにしていますが、体がなまってきたでそろそろしっかり走ろうかと思っています。

2013年8月21日水曜日

心臓移植 対 長期機械的補助:臨床的均衡?

  関西では連日暑い日が続いています。北海道・東北地方では集中的な雨の被害も出ていますし、鹿児島では桜島の爆発的噴火もあり、夏の終わりといえ落ち着かない毎日です。
 さて、今日は抄読会です。会員になっている内外の学会の学術誌が手元にまだ結構の数が送られてきますが、そのままゴミ箱行きか本棚へとなるのですが、数は少ないですがパラパラと中を見るものもあります。今日は夏休み気分でもあり、珍しく中身を見ていてこれは読まないといけないというものが出てきました。雑誌は欧州心臓胸部外科学会誌(European Journal of Cardio-Thoracic Surgery)です。欧州はかっては其々の臨床分野で各国が雑誌を持ち、自国語で学会をやっていたのですが、今は雑誌も学会も英語で統一し、米国に負けるものかという勢いです。その一つがこの雑誌ですが、Editorial(論説) に心臓移植と補助人工心臓の二つが載っていました。特に前者でびっくりしたのは、著者がSara Shumway(サラ シャムウェイ)とあります。そうです、心臓移植のゴッドファーザーでもあったスタンフォード大学のNorman Shumway教授のお嬢さんです。心臓外科医になっておられ、心臓移植にも関わっておられて、今はミネソタ大学の心臓胸部外科におられます。
さて、タイトルが表題のものです(日本語にしています)。心臓移植対植込み型補助人工心臓(VAD)という議論は最近よく出てきます。植込みVADの進歩、特に米国での永久使用(Destination Therapy) が登場して以来、心臓移植に代わる治療法か、心臓移植はどうなる、といったことが討論のテーマになったりしています。日本では移植が少なく、最近はもうVADが取って代わっていいのでは、という意見を言う方もおられます。米国は心臓移植が年間2000例をコンスタントに実施していながら、VADの登場で心不全治療のパラダイムが変ろうしています。この雑誌のもう一つの論説は人工心臓ですが、今日はシャムウェイ先生の内容を紹介します。
まず、副題の臨床的均衡は英語の元のタイトルでは、clinical equipoise? です。この言葉は実は恥ずかしながら私にはなじみが薄かったのですが、プラセボ(偽薬)を使った臨床試験において、被検者の立場を守りながら科学的データーを作っていくときの倫理の話のようです。プラセボや従来の治療を対照として、新たな治療や薬の効果を調べるには、無作為比較臨床試験(ランダム化臨床試験、RCT)として、被検者に恣意的に一方の選択肢に入れることがないようにしています。ここでプラセボとか古い治療など、被検者にほとんどメリットがない選択肢があるのは倫理的におかしい、という議論が続いています。RCTに参加する方のメリットは個人的にはなく、母団のメリットへの参加にしかならないのです。ということで、対照(コントロール)として何を選ぶかが大事になってきています。被検者の「最善の治療を受ける権利」を守るのか、集団の理論(統計学)が優先するのか、ジレンマが何時も出て来ます。二つの選択肢が倫理的に同等(均衡)であるかは判断が難しいわけです。
これを理論的にサポートしようとしているのが、1987年にFreedmanが提唱した「clinical equipoise」とされています。東京医科歯科大学の津谷先生の解説によれば、臨床試験で二つの新しい治療を比べる場合に、理論上それらが同等であると証明するのは困難であるが、その臨床試験をするコミュにティーの中でどちらが劣っているかの意見が分かれるような場合、臨床上の均衡clinical equipoise があるとして、その場合はRCTを行ってもいい、というものです。そのためには、両者の科学的データーをしっかり漏れなく集めるという、システマティック・レビュー、をして、エビデンスの現状を理解し、正確に評価する必要があり、これをコクラン共同計画、と言うそうです。高いエビデンスを作るためにはまず現状を厳しくレビューして、臨床試験に臨ことが求められて要るわけです。
肝心の論説の内容に行く前に統計学のお勉強をしてしまいしたが、シャムウェイ先生はまさに両者(移植とVAD)の信頼出来るエビデンスを紹介しています。要点のみを紹介します。最近の心臓移植のデーターでは、九万人以上の患者の中間生存年は10年(生存者が半数になるのが10年)で、1年まで生存していれば63%が10年、27%が20年生きるチャンスがある、というデーターも出ています。植込み型VADの成績は向上しているが、長期成績はまだ十分ではなく、安定した状態で植え込んだ場合には1年と2年の生存率はそれぞれ88% 80%であります。移植や植え込み後の年間死亡率は移植で6%以下、VADでは10%以下、とまだまだVADの長期管理は難しい状況に見えます。その他、医療費(費用対効果)の報告も出てきていて、これからより長期で移植とどう違うかが求められるが、両者ともかなりのコストになっているのは事実です。
各々の治療の現在での課題として、移植では悪性腫瘍の発生、慢性拒絶、感染、などまだ克服されていないものが多くあり、一方のVADでは適切な抗凝固療法が課題で、血栓症やドライブラインの感染、脳梗塞などを克服する必要があります。ただ、年齢がいった患者さんは、移植は若い人にチャンスを与え、VADがいいとも言っています。
これ以上の詳細は省きますがclinical equipoiseという視点では、心臓移植は末期的心不全の治療手段としゴールデンスタンダードに変わりはないが、ドナー不足が問題である、と指摘しています。この二つは均衡していないということでしょうか。最後にはドナー不足解消には、mandatory donation(義務的提供)が助けになるであろう、しています。家族の同意が得にくいわが国でも考えないといけないことでありましょう。なお、筆者はこれだけしっかりオーバービューをしながら、両者のRCTをしろとは言っていないのです。これだけデーターがるから、それらをよく見て適応を考えるように、ということでしょうか。
 一人抄読会みたいで、長くなってすいません。暑さが続く中で面白い話題ではなかったかもしれませんが、最後まで読んでいただき、感謝です。 暑い夏ですが、もう少し辛抱して乗り切りましょう。

参考文献 
Shumway S. Heart transplantation vs long-term mechanical assist device: clinical equipoise? European J Cardio-Thoracic Surgery  2013;44:195-197
Freedman B. Equipoise and the ethics of clinical research. N Eng J Med. 1987; 317:141-145
津谷喜一郎. Evidenceと臨床試験 (I. レクチャーシリーズ). 日本産科婦人科學會雜誌 1999; 51(9): "N-223"-"N-227"

2013年8月11日日曜日

小児の臓器提供、3例目


立秋が過ぎても猛暑が続いていますが如何お過ごしですか。お盆休み体制に入って世の中何かせわしない雰囲気です。高校野球と世界陸上が始まって、また楽しいドラマが見られそうです。

 さて、少し話題が途切れていましたがここ数日の新聞記事で目についたのは、小児の臓器提供です。二つありました。一つは1週間ほど前でしたか、オーストラリアでご自分の小さなお子さんが脳死となり、臓器提供をされたお母さんの記事です。その前に海外でご自分の子供さんの臓器提供をしたことを日本に帰られて(一時帰国?)お話されたています。先日の記事はその後日談です。ご自分の経験を公表された後、ネットで随分ひどい目に会われたそうです。プールに落ちたのは親の責任とか、心臓が動いているのに臓器をとることを認めるとは、とか大変次元の低いというか人の心まで攻撃するいわゆる書き込み(?)があったそうです。ネットでの中傷や誹謗はどこかの他の国の話かと思っていましたが、身近でこんな情けない、民度が問われることが起こっていることに驚きました。どうして人の善意を理解しようとしないのか、心の問題に踏み込んでくるのか、脳死への誤解、ネットやマスコミの怖さ、など臓器移植に関わって来たものとして気が重くなりました。脳死は医学的事象であり、死亡とするか(法的脳死判定を受けるかどうか)は家族に委ねられている訳です。決して強制ではなく、そこには説得もないことを広く知って欲しいと思います。

 とういう中で、先日長崎大学病院で15歳未満の女児(10歳以上だそうです)からの脳死での臓器提供が行われるという記事です。法律が改正され15歳未満の子供さんで法的脳死判定が家族の承諾で出来るようになって3例目です。富山大では6歳未満でしたが、今回は小学生か中学生でしょう。生前、自分は臓器提供に前向きな話を家族に話されていたそうです。後のニュースで順調に移植が行われたようですし、心臓移植も東大病院で無事行われたとあります。関係者の方々のご努力に感謝しますが、何よりご遺族の皆様の決断に敬意を表します。

 ここで、九州での臓器移植について少し紹介します。今の制度では、日本国内どこで提供があっても、全国を一つの地区とし、臓器の配分は日本移植ネットワークが登録患者さんの適合要件や待機期間などで決めるわけで、九州地区の待機患者さんが優先される訳ではありません。ただ、腎臓は二つあるので、一つはその地区に優先されます。今回も、腎臓の一つは長崎の国立病院で移植されています。他の臓器ではこういう仕組みはありません。一方、心臓と肺では九州地区で移植できる病院は、心臓は九州大学のみで、肺は長崎大学と福岡大学の二つです。今回、肺は東北大学で行われました。米国や欧州では国が広いので地域ごとの優先が行われていますが、日本はそういう状況には至っていません。それは待機患者への公平な配分、待つ方の権利に関わり、例えば今回で長崎大学の肺移植待機患者さんに肺の移植をすると、全国の他の待機患者さんを飛び越えるということになり、それこそ大変なことになります。臓器の取り合いみたいになり、ここはネットワークのなかで決めないと移植医療そのものの信頼が無くなりますし、やろうと思っても出来るわけでもありません。ただ、遠方への移送で時間がかかり臓器の障害が心配されるときは、結果として近くの移植施設での実施もないわけではありません。しかし、その場合もあくまでルールに則って行われるということです。

 なぜこの話を持ち出したかといいますと、先般、小児心臓移植の実施施設の追加認定の会議がありました。小児の心臓移植を実施できる施設は、東から、東大病院、阪大病院、国立循環器病研究センターの三つです。岡山大学病院も九州大学病院も大人だけで認められています。数年来、この小児心臓移植施設の拡大を関係学会で行ってきましたが、先月やっと結論が出ました。東京女子医大と九州大の申請があったのですが、東京女子医大だけが認められました。九州大学は福岡こども病院と連携した申請でしたが、残念ながら今回は認められませんでした。九州地区で小児心臓移植施設を認めることで、九州地区での臓器提供にも後押しとなると期待されていたのですが、個人的には大変残念に思っています。ドナー状況がまだ少ないなかで施設を増やす意味とか、成績の維持、とかの議論があるようですが、これもどちらが先かの話であると思います。とはいえ、沢山の待機患者さんが待つ中で、後発の施設の待機患者さんはどうしても順番が遅れることから、北海道大学も岡山大学もまだ心臓移植が出来ていない状況です。

 小児の臓器提供はまだまだ超えないといけない壁がありますが、徐々にでも進んでくるでしょうし、一人ひとりの提供者とその家族への温かい気配りを大事にすることが求められます。