2017年6月27日火曜日

藤井聡太四段、29連勝の快挙


 将棋の藤井聡太四段の公式戦29連勝という快挙に日本中が沸き返っている。14歳での偉業に感心どころか驚きで、藤井四段の頭には最新の将棋ソフト、いやAI、が埋まっているのであろう。囲碁も将棋もコンピューターの格好の餌食になっているが、将棋はこれで大いに挽回し、将棋界も面目躍如である。医学の世界もAIが席巻しようとしているが、一人の人間の頭、大ベテランでも然り、培った医学知識はAIに到底及ばない。医学ではコンピューターとの挑戦は意味がないが、そのうちTV番組で、一人の難病の患者さんの診断と治療の選択を、研修医(ベテラン医もあり)対コンピューター、なる対決があるかもしれないが、勝負は決まっている。しかし、医学ではAIとの連携がこれからの大事な道になる。医学教育ではどうか。6年間の内34年の沢山の知識詰め込み講義と試験は要点だけ残して、AIを如何に活用するか、に代わるであろう。そして、重要な基礎知識の習得は必須であるが、その後のAIと付き合うための応用力の基礎となる頭作りが必要になるのか。柔軟な頭と応用力を備えた若い医師がこれからの医学・医療を支えるようになるのか。
 
 医学部教育ではAIを上手く使う頭を鍛えることが要になるのではないか。ただ、そんな医師ばかり作っても、大学病院やがんセンターなどではいいが、地域医療、へき地医療、在宅医療、介護や終末期医療には向かないであろう。ということは、これまでの知識詰め込教育の基本は変わらないで、それを終えた後にAI用ブラシュアップ教育が重要になるのか。医学部での教育だけでなく、生涯教育も変るのか。こういうAIの話は、診断学や抗がん剤治療での活躍が期待され、言い換えれば内科系の医学での話でもある。でも外科は関係ないと言ってはおれない。AIもどき手術ロボットが押し寄せてくる。外科もうかうかしてはおれない話である。
 
 将棋の世界から医学の世界をコンピューターという共通語を使って垣間見たような話でやや無理のある展開になったが、何れにせよ素晴らしいという言葉を通り越し、興奮と驚きでもって藤井四段の快挙を見させてもらった。

2017年6月24日土曜日

続けることにしました


 このブログもそろそろネタ切れでもう閉じようかと思って、徒然なるままに、というエピローグを2回書いたのですが、この間に大阪での学会に二日ほど出てきました。自分の整形外科的な問題で最近はあまり学会出席は限られていたのですが(フットワークが悪いということです)、教室の同門の方が会長でもあり、最近注目している成人先天性心疾患のセッションもあり、出かけてきました。そこで、前から学会でお会いする方で先天性心疾患専門の中堅心臓外科医がおられ、時々私のブログへのコメントを頂いているのですが、その方が、先生止めないで下さいよ、いつも楽しみにしているのですから、と言われてしまいました。学会とかで“ブログ見てますよ”、と言われることは実際殆どないのですが、この先生は私のものの見方に共感を持たれているのでしょうか時々声を掛けて下さいます。ということで、この先生に背中を押されて、考え直してもう暫く続けることにしました。これはあらかじめ作ったシナリオではありませんので、誤解のないようにして欲しいと思います。

さて、今回の関西胸部外科学会でのトピックスを上げると、毎度のごとく新しい機器(デバイス)の登場が目立ちます。大動脈瘤へのステントや新しい人工弁など、外国製のものが軒を連ねています。その背景には、低侵襲で手術を安全に、という強いコンセプトがあります。もう危険度の高い手術ではなく胸を開かないカテーテル治療で済みますよ、です。では心臓血管外科医は何をすればいいのか。一生懸命新しいデバイスの開発や導入をしても、その先には外科医のいない手術室で内科医か放射線科医が仕切っている、という像が浮かびますし、実際我が国でもそういう状況が始まっています。
 
最後に紹介されていたのは、縫わなくていい大動脈弁、でした。人工弁手術は外科医が修練して糸で縫って固定していくのですが、それには手術の時間が掛るので、縫わないでそこに置くだけでいい、というものです。子供だましですが、手術時間(心臓を止める)が30分短くなるのと、術後に漏れが出たり外れたりする危険とどちらを選ぶのか、私には答えは明確です。しかし、新しいものが好きな人たち(かって、私もそうだったかもしれませんが)には簡単に植えられるものに、そして何かしら新しいものに魅力を感じるのかもしれません。基本的外科手技の修練をする必要のないデバイスが登場しても、担当外科医が急にトラブルが生じたときの緊急手術が出来ない、というとんでもない事態が起こるかもしれません。あるいは、シニアーの心臓外科医がそういった緊急時のためだけに別室でじっと待機している、という情けない状況も出て来るかもしれません。漫画になりますね。

そういうことで言えば、私のルーツである先天性心疾患外科では、特別の修練と経験、そして努力で出来上がった専門小児心臓外科医が活躍しています。そういった演題を聞いていると、若返ってきますし、その場に入って議論をしたい、と思ってしまいます。その結果、老害的な?発言が出てきてしまいますが、若い人に良い意味で刺激になればと自己満足しています。自分の現役時代に議論されていたテーマが、多くは解決しながらまだ続いている話もあります。あるいは、歴史ではないですが、また繰り返している、ということもあります。でも小児心臓外科は、デバイスに翻弄されないで、腕が勝負、の世界が続いています。

今回の学会で先天性心疾患の話題が多かったのですが、その特徴は対象が若年でなく成人の演題が多くなっていることでした。症例報告が多く採用された学会であったからかも知れませんが、成人先天性心疾患の手術が増えているということでしょう。その成人先天性心疾患をまとめたパネルディスカッションがありました。その中で、新しいデバイス(人工心臓ではない)治療や再手術、お産の話もあり、皆様の努力には感心しました。でも、根治術後や姑息術の遠隔期の心不全症例で、最後の砦でもある補助人工心臓(移植への橋渡しのみが保険適応なのですが)への取り組みが施設間で異なっていることも気になりました。心臓移植となると施設が限られるのですが、補助人工心臓でいうと移植施設の連携施設として条件をクリアすれば認定を取れます。
 
また、成人先天性への心臓移植は現実的ではないのですが、適応となるであろう、また残念ながら亡くなってしまったが心臓移植をしていれば助かった、という症例があるはずです。そういう症例がどの位あって、またどの時点を超えれば予後が悪いか、学会等で調べて行こう、という動きがあります。小児循環器学会のリーダーである座長の先生もこのことを強調されておられました。是非進めて欲しいと思います。因みに、私が成人先天性疾患と心臓移植についてまとめた総説(英文ですが)が丁度雑誌に出たので、タイムリーな話題であったと自分で勝手に満足?しています。
 
とうことで、またぼちぼち書かせてもらいます。お付き合い下さい。

写真は上記の論文の最初のページです。日本胸部外科学会には英文雑誌があり、そこで採用してもらいました。

2017年6月22日木曜日

徒然なるままにー2


 

私が臨床医学を通じて医学関連の社会的な制度作りに関わったのは、移植医療の普及と医師の卒後教育です。共に現役引退後の現在も続いているものです。長いです。前者は法律が出来て20年の節目を迎えまだ多くの、かつ基本的な課題が残っている状況ですが、後者の専門医制度は新制度への移行の最後の詰めになって暗礁に乗り上げています。因みに私は、専門医制度(卒後3年目から)の前段階である初期研修制度(義務化)の導入時(2004年頃)は付属病院長として厚生省の会議に出て2年は不要で1年で充分と、厚生省の意向に反対した過去があります。また、それ以前では、私の医学部卒業時はインターン制度反対で医師国家試験ボイコットをしたクラスでした。幸い、半年遅れましたが免許はもらえました。これまで3つの医師卒後研修問題に関わって来たわけで、もう何か因縁的です。

現在の専門医制度改革は、今になって無理に漕ぎ出そうとしてさらに混沌としています。理想が高すぎた、厳しすぎた、と言われるプグラム制の提案に主に関わったものとして、最後の詰めの理事会には入っていませんが、現在の状況には大変失望しています。新制度は、卒後3年目からのこれまでの専門別研修制度の不備を直して、各分野の認定される専門医の質の担保と認定制度の標準化を目指し、国民的にも信頼できる研修制度を作ろうとするものです。この制度の運用を、学会主導ではなく、公平公正に進める新たな第三者機関(専門医制度機構)に任せる、としたのですが、この新しい機構の信頼が無くなっている状況で、困ったことになっています。


今交わされている議論ではその本質が見失われて、政治や組織・団体の縄張り争いに若い医師が翻弄されています。我が国の医師生涯教育(卒後教育)のシステム作りで言うと10年も20年も後退りしてしまうのではと危惧しています。行政は初期研修制度導入で生じた混乱への反省もなく、文科省と厚労省の縄張り争いが反ってひどくなっているようです。そのなかで地域医療が壊れないように、という錦の御旗のもとで、行政や大学外の医療機関の方々の声が大きくなり本来の方向を変えてしまっている状況であります(大いに私見です)。これまで専門医制度には傍観的であった日本医師会が、若手医師の確保で苦労している地方医療行政や病院団体と手を握っての方向転換でしょう。初期研修の導入時の議論の再来ですが、今度も大学医学部の医局講座制度への反旗が翻っているという構図です。

また、医師のネットの世界では、専門医不要論、機構は悪、学会は資金集めに奔走、一部の学会や大学のボスのやっていること、など批判が多いようです。現在の学会で作っている専門医制度(広告できる制度で厚労省承認)はある程度広まってきた段階で、何故変える必要があるかの説明不足になったのは、大学・学会主導で行ったことでもあり、反省点でしょう。丁寧な説明が不足していた、という安倍首相の答弁のようですが。

さて、大学医学部(医局)に任せていれば医師の配置に行政が口を挟めなくなり、地方病院の医師不足はさらに深刻になる、という意見が地方自治体病院の方々から出ています。しかし、全国医学部長会議も言っているように、大学医局の役割なしでは地域医療体制維持が出来ないことも理解すべきです。大学医学部は、近隣や遠隔地の病院への医師派遣で地域医療の確保もしないといけないのでその役割は大変です。2004年に始まった初期研修制度以来、大学に残る若手医師が減って、地域医療機関への人の派遣が出来なくなり地域医療の崩壊に繋がったのです。そこで今回は(地方)大学医学部にも人が集まるように修練基幹施設条件で大学医局優先としたのですが、これが裏目に出たのは、大学側が張り切り過ぎて、過度に人集めをする気配が出て反対ムードを作ったようです。大学側にも反省点はあるでしょうが、結果的に大学優先度がかなり緩和された制度に変わっています。ついでにプログラム制も骨抜きになったようです。これは一種のポピュリズムでしょう、本質を忘れて目先のことを優先しているので、冒頭の10年―20年後退、の意味はここにあります。

米国の様にレジデント(卒後5年間)の給与はその病院からではなく、保険機構(保険支払い側)、医師会、製薬企業、が集まった機構から出ます。医師の研修制度をしっかり作ることは国の保健制度の根幹であり、そのためにはお金は出すが、研修施設や指導体制(プログラム)のチェックは厳しくなっています。第三者機関によってその病院主導のプログラム(外科プログラムとか産婦人科プログラム)が認めたもらえることで若い人が来ます。指導体制の担保をしないと研修医も来てくれません。来なかったラ認定取り消しで、若いレジデントなしで診療しないといけません。受ける側はレジデント終了して専門医資格が取れないと病院就職はなくなります。厳しいですが頑張れば道があります。給与も良くなります。これをそっくり真似ることは出来ないのですが、何が大事かを知る上では無視できません。

日本は、専門医研修医の給与はその勤務先病院が出します。専門医資格があっても給与は変りません。これでは確かにお金払って資格取りに励む気が薄れます。給与に返ってくるようなインセンテイブがない制度には魅力を感じないのは当然ですし、新しい制度始まっても個人の処遇が良くなる訳ではないでしょう。しかし、こういった制度改革がないと個人へのフィードバックというインセンテイブンの道もなくなることも若手医師の方々は理解すべきでしょう。医師にとって生涯教育、継続教育は不可欠で、これなしでは信頼される医療は出来ないわけで、そのためにはまず専門医制度がスタートである、という共通認識に戻って考えることが大事なのではないでしょか。

長くなりましたが、それ程この問題は複雑である、ということでしょう。

 

 

 

 

2017年6月15日木曜日

徒然なるままに


先日、関西にも梅雨入り宣言が出されましたが、よくあることでここ数日好天が続いています。日中の気温からはもう夏の始まりで、これからどうなるのか、毎年の様に地球温暖化の現実を突きつけられています。米国のTrump大統領はパリ協定から脱退すると宣言していますが、これかどうなるのでしょか、国内、そして世界情勢も混とんとして来ているようです。

さて、これまで長らくこのブログ的なもの(?)を通して、医療現場で私が関心を持っているトピックスについて発言をしてきました。兵庫医療大学学長ブログから変身してもう4年にもなり、自分自身何故こんなに長く続いたのか不思議に思っているくらいです。暇になったことが第一でしょうが、文句言いの性分、良い恰好をすれば批判精神旺盛、が続いているからかも知れません。学術的な視点では、論文や学会発表では、本当にそうなのか、信頼できるか、というcritique、批評、から始まるわけで、ここでもそういう雰囲気を持ち続けて来たからかもしれません。その流れで社会的な出来事や動きにも反応してきたということでしょう。

これまで何度か終了宣言めいたことを書きながら何とか続けてきました。でも、やはり寄る歳には勝てないというか、ネタ不足も深刻で、アンテナも錆付いてきているので、そろそろ終了宣言をしようかと思います。しばらく休憩して、また気が向けば再開もあり、というと休息宣言になるかもしれませんが、これまで陰で支えて頂いた多くの方々に感謝申しあげます。最後は最近の世間のいろいろな動きについてのコメント集です。

 

① 政治の世界には踏み込まないことにしていましたが、最近の日本の国会の動きをみてかなり憤っている一人です。自分の学生時代のことで言えば、安保反対、岸潰せ、でデモに参加した経験者です(過激派ではありません)。そういう流れから言っても、最近のいろんな国内、国外の動きの中で我が国の進んでいる道は大丈夫か、という危惧が年々強くなっています。英国や米国の二大政党体制に程遠い状況で、もうそれも来そうにない、という雰囲気は大変残念に思います。今の国家の動きを見ていて、批判を甘んじて受けそこから議論を始めて納得のいく決め方で新たな通を作る、という基本的なことへの理解、またそれを守る気概が欠けているのではと思います。

何れにせよ、国会議員は多すぎで、多くの議員は多数決の時の1票扱いです。また、ムラ政治が国にも繋がっている時代遅れも最近反ってひどくなっていると思います。国民の政治への関心が薄くなってきていることも背景にあるでしょう。自分の周りさえ良ければ後は無関心、という雰囲気が若い人たちの間で強くなっているのではないでしょうか。日本は主体性を持ってどういう道を進もうとしているのか分からなくなってきました。

 

次のテーマは専門医制度と持って書き始めたのですが、どうも長くなりそうですし、今朝の国会参議院では共謀罪が強引に可決されたこともあって、続いて書く気が薄れました。残りは次回にします。最終と言いながら、何か未練がましくだらだら続けることに自分でも違和感がありますが、お許しを。