2015年10月29日木曜日

胸部外科とは


 順番が逆になったが、1018日から29日まで日本胸部外科学会が神戸はポートアイランドで大北裕神戸大学心臓血管外科教授が会長で開催された。もう65回にもなる歴史ある学会で、学術的には心臓血管外科、呼吸器外科(肺外科)、そして食道外科の三つの柱で構成される。演題数や参加者について言うと、今では心臓血管外科が過半数を占め、次いで呼吸器、そして食道外科関係はわずかである。この3本柱を軸に発展してきたこの学会もその生い立ちを見ると、肺結核の外科が始まった頃が黎明期であり肺外科が主体であった。その後発展してきた心臓外科が参加し、米国の胸部外科学会に倣って食道外科も入った。米国では胸部外科(Thoracic Surgery)が古くから学術・医療の分野で確立され、長い歴史のある専門制度もこの名前で現在も続いていて、この分野の専門医教育の最初のステップ(5年)では3分野の基礎を修練する仕組みが続いている。

日本ではかって東京大学を始め多くの大学の講座や診療科の名前に胸部外科が使われてきたが、現在は心臓血管外科や呼吸外科(食道は殆どが消化器外科に入れている)など臓器別診療が主体となっている。そのきっかけは国が外来診療で胸部外科という診療分野(病院の診療科名)を廃止したことにもよる。大学として講座名(大学院研究科として)に現在も使っているのは大阪医科大、秋田大学、鳥取大学(呼吸器外科が主体)、と限られていて東京大学は既に臓器別に変わっている。

このように診療体制は変わり細分化してしまったが、日本胸部外科学会は依然として3分野を扱う総合学会としての歴史を刻んできた。私もこの学会が理事長制を布いた第二代目の理事長を経験したが、この3本柱をどう維持し学会としてまとめていくかに苦労したのが思い出される。実際、専門医制度ではこれまでも胸部外科という名称はなく、心臓血管外科専門医、呼吸器外科専門医であり食道は主に消化器外科専門医に所属する。そういう中で、それぞれの分野での専門学会が発展し、胸部外科学会の役割が薄められてきた。しかし細分化した弊害を少なくするには統合学会としての役割が出てきて、胸部外科学会は学術面での貢献が期待され、また横断的な卒後教育も大事になってきている。

話が理事長講演のようになってきたが、そういうなかでの今回の学会であった。さてプログラム一覧を見ると赤く色付けられた心臓血管外科領域ばかりが目に付く。会長の色が強く出たという印象である。嘗て阪大もそうであったが、講座が心臓血管外科と呼吸器外科をまとめたナンバー外科時代(第一と科第二外科)から専門別(心臓と呼吸が分かれてきた)になったことも影響しているのか。呼吸器の人たちの印象が聞きたい所である。

今回の学会では、どこの学会も定番になったが新しい専門医制度についての特別セッションが今回も企画された。心臓血管外科と呼吸器外科は外科専門医の上に置かれたサブスペシャル分野(二階部分)である。一階を通らないと二階に行けない。基本領域(1階)の外科専門医制度からは北川慶應義塾大消化器外科教授(外科学会理事、専門制度機構理事)が基調講演的に来年度から公募が始まる外科専門医制度の概要が説明された。その後の3分野の準備状況が解説された。食道外科は将来、消化器外科上の3階部分に入る予定であるが、現在の学会で行っている制度の概要が示され、内容もコンセプトも革新的に進んでいるのが分かった。司会は理事長の坂田京大前教授であったが、以前からそうであるが新しい制度造りにはかなり批判的で、今回も司会でありながら問題点ばかり強調し、外科学会の北川理事も困っている様子であった。

新た制度については何度も書かせてもらったが、それぞれの分野や大学教授は、自分の所に入局(この言葉は理念上であるが専門医制度とはマッチしないのだが)してくる後期研修医がどうなるのか心配している。一方で、関連病院の人事を地域医療を崩さない、という名目で仕切ろうとしているのが見え隠れしている。私自身はプログラム制という基本部分を書いてきた責任もあり、指導者層に説明しているが、新たな制度の基本理念は我が国の医師の生涯教育の基本となる制度であり、社会から信頼させる医師を育てることが主目的である。そのためにはプログラム制でもって各制度の標準化とピアーレビューで質の担保を図ることであって、これを基盤に現在の問題点を改めていくものである。前提は、現在の医師の供給体制に混乱を起こしてはならないように段階を踏んで進めることである。制度的に余裕を持って始め、例えば5年先には更なる見直しもあると考えてスタートすべきである。そうは言っても、今回の改革をなし崩しにしてはいけないことは明白である。

大学の教授は教育、診療、研究、に責任があるが、卒後教育の入門部分(更新ではない)については従来型の医局制度と如何に連携させるかが問われている。しばらくは我慢の時期があるのではないか。終わった人は好きなことを言える、という現役教授からお叱りもあると思うが、この機会を前向きに考えて欲しい。とは言いながら、表題の胸部外科という分野で言うと悩ましい。心臓血管外科と呼吸器外科は外科専門医の二階である(外科は一般外科という感じであるが中身は消化器外科が主体)。整形外科や脳神経外科は一階で独立している。以前からの検案事項でありながら封印されてきたことであるが、もうそろそろ胸部外科分野も外科専門医の二階から独立して一階にすることを考える時期ではないか。この考えは心臓血管や呼吸器でも新たな制度のなかでも柔軟に考えて行こうとしていることにも注目したい。

このような学術以外の問題を抱えた胸部外科学会であるが、今回は地元開催でも、特に出番もなく気楽に、また楽しく参加させてもらった。なお、幾つかの学術的なトピックスは追って紹介したい。

2015年10月26日月曜日

心不全学会で

この22日から24日まで、大阪は北ヤードのグランフロントで第19回の日本心不全学会が阪大の澤教授が会長で開催された。また、中日の23日は日本心臓移植研究会も合同開催で行われた。心臓移植研究会は私の代表幹事としての最後の会であったが、心不全学会での出番もあり、研究会には顔を出す機会が無かった。
心不全学会は当初は基礎系や内科系の参加が主であったが、最近は補助人工心臓の登場で外科医も多くなり、また看護やリハビリ関係のコメディカルの参加も多く、今回は1700人を越える盛況であった。澤教授の、「心不全を科学する、社会とともに」、というタイトルのもと多彩な企画もあって、面白い内容が多かった。私は会長経験者ではないが、心臓外科分野の理事として参加してきた時期もある。また心臓移植研究会が共催となってもう10年になるが、循環器内科医の心臓移植への関心も高くなっている。今回は外科医が初めて会長となった。循環器内科と心臓外科医が連携して心不全に対応しているが、こと学会会長となるとなかなか難しかったようである、阪大の心臓血管外科講座(旧第一外科)の歴史と澤教授の多彩な活動が評価されたのであろう。同門として嬉しいことである。
臓器の不全という病態を名前にした学会は少ないのではないか。腎不全学会とか呼吸不全学会、肝不全学会というものは見当たらない。心臓の機能障害の結果生じる心不全については、心臓病学会や循環器学会があって心不全を扱っている。心不全を特に扱う学会が作られた背景には、それなりの理由がある。欧米でも我が国でも高齢化社会が進むと共に心不全患者が増加し、心不全で死亡する数も増え続けて、米国では医療経済的にも大きな負担になっている。最近の医学系の雑誌では、心不全パンデミック到来、という特集もある。高齢化で心不全患者が社会にあふれてくることへ今から準備する必要が迫られている。
心不全のことを専門にする学会が出来ることで、新たな治療法の導入や社会基盤の整備が進むことが期待される。また、心不全を扱うプロ集団も出来てくるし、最近は看護師と薬剤師、それにリハビリが参画して、慢性心不全のケアへの後押しも進んでいる。最近のトピックスはハートチーム、である。上記のように多職種が参加し、また外科と内科医も一緒になってチームで治療をすることが求められてきた。補助人工心臓治療もこのハートチームが大事である。この学会でもハートチームシンポジウムが6つも企画されていた。また学会の目玉のシンポジウムに、重症心不全の治療限界に挑む、という企画があり、内科治療の進歩や外科系では左室形成術、僧房弁手術、そして心臓移植と補助人工心臓の発表があった。
このシンポでは阪大からはiPS細胞の応用が紹介された。iPS細胞をシートにした治療法が数年先には始めたいとのことであった。当初は患者さんの細胞からiPS細胞を作る計画であったが(網膜では自己細胞から)、患者自身からは時間がかかったりすることから、他人のiPS細胞を使うということである。京都大学のiPS細胞バンクから免疫的にマッチした細胞を選んで、それから心筋細胞を作る、ということである。免疫抑制治療が必要であるが、沢山の患者さんにはこの方法が現実的である。一方、末期的心不全患者の在宅管理や看とりをどうするかも話題になってきている。植込み型補助人工心臓治療が進むと同じ状況が生じてくる。既に心不全患者の在宅医管理をしっかり進めているクリニックからの興味深い発表もあった。

追記: さて、この学会には学会賞と学術賞という顕彰制度があり、学会賞は出来て3年目であるが、今回図らずも私がその栄誉に浴した。会長が澤教授でもあり、外科への配慮があったのかも知れない。受賞対象は、「心臓移植、補助循環、再生医療からなる重症心不全に対する包括的外科治療体系の確立」、ということであった。もうこの時期に賞をもらうことはないと思っていたが、これまでの教室の業績、心臓移植と補助人工心臓の普及、そして今の再生医療への基盤作り、などが認められたものと思われる。これまでご支援頂いた多くの方に感謝申し上げたい。受賞講演もさせてもらったが、私にとっても記念すべき学会であった。



2015年10月12日月曜日

熊本での移植学会、続報


 

 熊本の日本移植学会の続報が遅れていました。ノーベル賞で日本人研究者のダブル受賞があり、それに圧倒されたので少し筆が止まりました。

熊本では沢山の特別企画があったのですが、小児での臓器移植のセッションのことを一部ですが紹介します。途中から聞いたので、限られてしまいますが、印象的だったのは国立成育医療研究センターの笠原群生先生の小児での肝臓提供と肝移植でした。我が国では小児の肝臓移植は年間約120例程度に行われれてその生存率は5年で85.7%と良好とのこと。疾患は主に先天性の胆道閉鎖症(7割)であるが、緊急性が求められる急性肝不全や肝腫瘍で不良とのことで、これらについては適応時期の適切な判断が要るとのことであった。小児肝移植は当然ながら生体肝移植に頼っていて脳死肝移植は限られる。しかし改正法施行後、小児の82例が脳死肝移植登録したが脳死からの移植は14例に行われている。注目すべきは、そのうち9例が成人からの脳死肝臓提供であった。

これはサイズの大きな成人ドナー肝臓の一部(分割移植)を小児に移植するという技術進歩によっている。小児ドナーが極端に少なく、生体肝移植にも限界があることから、肝臓では成人ドナー肝の分割移植によって小児も恩恵を受けているのである。小児を対象とした分割移植技術の進歩は目覚ましく、肺移植では岡山大学の大籐先生が新術式を開発しているが、肝臓でも目覚ましい進歩である。心臓では補助人工心臓が繋ぎでの役割をもつが肝臓では人工肝臓は未開発で、緊急時には難しい生体肝移植の代わりに脳死での分割移植を成人肝移植チームとの協力で進めるのがいいとの笠原先生のメッセ―であった。

もう一つは、大阪大学心臓血管外科の上野講師から小児の心臓移植の発表があった。そのなかで、小児からの臓器提供ということで以前紹介した心臓待機の子供さんからの脳死での臓器提供の具体的な内容の報告があった。ドイツ製の補助人工心臓が治験制度の縛りによって救えなかったという報道であったが、実際はそれを使えるように準備していたが、その前に脳梗塞を発症した都いうことであった。結果的には小児補助人工心臓の認可が早まり、またその子供さんの脳死での心臓以外の臓器提供もなされた訳である。

ここで、私がフロアーから発言させてもらったのは、先にも書いたことである。臓器提供者とレシピエント側がお互い接点を持たないようにすべきという脳死移植の古くからのポリシーについてである。もうここまで成長した脳死臓器移植で頑なに守られているのは如何なものか、状況によって提供者の遺族の意思も尊重していいのではないか、というボールを投げさせもらった。行政の上から目線でのこのポリシーの遵守への暗黙のプレッシャーには違和感を持つものであり。座長は、米国ではその縛りは緩くなっていることも紹介され、今後の課題ということで締めくくってもらった。

小児の脳死での臓器提供には社会の理解ととともに、マスコミの理解と支援が必須である。

2015年10月7日水曜日

ノーベル賞


 熊本の移植学会報告の第二弾を書こうと思っていたら日本人二人のノーベル賞受賞の大ニュースが飛び込んできた。医学・生理学賞では大村智北里大学特別栄誉教授が、そして翌日には物理学賞で梶田隆章東京大宇宙線研究所長が受賞された。お二人の業績は素晴らしいし、また我が国の科学研究者の仕事のレベルの高さも凄いと感銘を受けた。

私としては大村先生のお仕事をあまり知らなかったことを恥じているが、それは数年前まで薬学の学生や先生方と同じキャンパスで仕事をし、講義もしていながら、ということでもある。新しい薬に開発は大変な労力とお金が要る仕事で、個人で出来ることは限られているが、大村先生はその壁を信念とたゆまぬ努力で克服されたことが素晴らしい。ゴルフ場の土から見つけた新しい放線菌が出す物質が寄生虫の特効薬となって何千万というアフリカの人々を失明や病気から解放させた。感動の物語である。北里柴三郎博士が第1回のノーベル医学生理学賞の受賞にならなかった無念さを100年後にその後継者の一人が受賞したことにも拍手を送りたい。野口英世博士の分も一緒に取られたとも言える。

さて、土壌から新しい菌を探して新薬を開発することでは沢山の話があるが、ここで紹介したいのは免疫抑制剤のことである。1980年代になって臓器移植の成績が飛躍的に向上したのはシクロスポリンという免疫抑制剤の登場による。シクロスポリンは1970年にスイスの製薬会社サンド社(現在のノヴァルティスファーマ)の社員が休暇中にノルウェイから持ち帰った土にあった真菌の出す物質が、同社の研究員ボレル博士により特異的な免疫抑制作用をもつことが分かり、サイクロスポリンAとして移植患者に投与された。その結果、拒絶反応が抑制され世界に広まった。そういう意味では、これまで45万人(想定)の患者さんを救ったことになる。

一方、同じ免疫抑制剤として我が国から出たものがある。藤沢薬品工業(現在アステラス製薬)のプログラフである。これもやはり土壌菌の出す物質である。1984年、筑波山の土壌から見つかった菌ストレプトマイセス・ツクバエンシス)が出す物質で、FK506として開発され、プログラフとして今やシクロスポリンにとって代わる代表的な免疫抑制剤となった。さらに、関節リューマチ、重症筋無力症、アトピー性皮膚炎にも効果があることが分かってきた。

これらの免疫抑制剤の開発については今の所ノーベル賞受賞にはなっていない。個人ではなく企業の開発、という背景もあるのかもしれない。大村先生は薬学部出身ではないが、薬学部教授もされておられたので、これをきっかけに薬学部への関心が高まって薬学部の受験生が増えるのでは思う。近く兵庫医療大学同窓会があり、薬学部の方々と会えるので、学生がどういう反応をしているのか聞いてみたい。

梶田先生のニュートリノのことは門外漢でよく分からないので、大村先生の話になってしまいましたが、改めてお二人のノーベル賞受賞に拍手を送ります。

 追記:大村先生はスキーでも国体選手であったとのこと。種目はノルディックの中のクロスカントリーである。雪の原をひたすら前を向いて20キロ30キロと走る過酷でストイックな競技である。ノーベル賞受賞と何か相通じるものがあるようです。因みに私はクロスカントリーは苦手でした。

2015年10月2日金曜日

熊本で移植学会


       早くも10月に入りました。やっと秋らしい気候になるかと思ったらまたまた台風並みの強風が日本列島、特に東日本から北海道の海岸は大変のようで、まだまだ落ち着かない気候が続くようです。

        さて、昨日(101日、学会前日)から熊本で第51回日本移植学会が行われている。熊本大学の小児生体肝移植で頑張っておられる小児外科・移植外科猪俣教授が会長である。第1日(10月2日)は、午後の特別企画のビデオセッションの座長の前に大事なテーマのセッションがあったので、幾つかピックアップして紹介したい。

       まず今回のハイライトはiPS細胞の山中伸弥教授の特別講演であった。神戸大医学部時代はラグビー部だったので、今の最大の関心はラグビーワールドカップで明日のサモア戦、ということから講演が始まった。これまでの苦労話が紹介された後は最近の研究の成果、特に臨床応用とiPS細胞ストック事業、そして難治疾患の治療薬開発への応用であった。臨床については、明日の特別講演の演者でもある理研の高橋政代先生の加齢黄斑変性症患者へのiPS網膜細胞シート移植に次いで、今後の計画ではパーキンソン病の治療が控えている。また血液疾患関連では血小板や赤血球のiPS細胞からの大量生成、が控えていることのことであった。京都の研究所(CiRA)の話であったのか心臓については触れられなかった。薬剤開発では、軟骨無形成症の候補薬としてスタチンが発見されている。しかし患者さんの数が極めて少ない病気が相手では臨床応用に進めるに多額に費用が掛かるとのことが障害であるとのこと。文科省から多額の研究費を貰っているがほとんどが競争的資金であって決まった運営交付金はわずかなため、トップはファンド集めが大事な仕事となっている。その為にご自身が幾つかのマラソン大会に参加している。ただ、マラソンを走るのも限度がある、と会場の笑いを誘っておられた。

        さて、臓器移植の現実的な話題では、「臓器提供推進に今、なすべきこと」、というシンポジウムがあった(写真)。演者には医師で衆議院議員の富岡勉先生が登場した。先生は臓器法改正に尽力され、今は現状の提供数の低迷を何とか打破しようと国会議員の中に勉強会(臓器移植停滞に関する解決策を見出す勉強会)を作って活動されている。強調されたのは、提供側の負担軽減が大事で、その為に既に幾つかの国が決めたガイドラインの修正や選択肢提示対応の予算附けが紹介された。心停止ドナーを含めて減少傾向にある臓器提供数をここ数年でV時回復させる、という発言は頼もしかった。また、行政がらみでは、先に紹介した日本臓器移植ネットワークの改革について、法律で決められた臓器あっせん業務と地域での臓器提供推進活動拠点強化(organ procurement center)を分けるというお考えであった。問題点をよく理解され、課題解決へ向けての力強い発言であった。100%賛同である。後に登場した厚労省の臓器移植対策推進室の新しい室長もこれに沿ったお話をされていたと思う。

     このシンポでは二人の脳神経外科医が登場した。元々脳神経外科医は臓器移植、特に脳死での移植には反対という専門集団であるが、お二人は全く違って、移植医療をそれぞれ別の道でサポートされておられる。お一人は、飯塚病院脳神経外科の名取良弘先生で、所謂オプション提示(命がもう助ける見込みがなくなった状況で、死後に臓器提供という選択肢がありますが、と医療側が家族に話すこと)についての飯塚方式を紹介された。演題には、オプション提示の提示を「ていじ」、とひらかなになっている。それは、提示は相手に理解させるという意味が含まれ、現場に負担が掛かって尻込みするのを、呈示と考えて、行政の出した臓器提供の説明書示すのみ、にしている。この結果、105カ月で112例にパンフレットを渡し、17例の臓器提供希望があったとのことである。これは現場で何が問題かを、提示か呈示、ということで一つの解決策を見出されている。この飯塚方式が成功している陰には、単に言葉の扱いではなく、普段からの医療者側の患者とのコミュニケーションや病院側が一人一人の医療に最善を尽くしていることが背景にあることを気が付かねばならないであろう。

      もう一方は、やはり北九州地区の脳神経外科医で、新小倉病院脳神経外科部長の吉開俊一先生である。先生は医学生への人の死について講義をされていて、幾つかの医学部でこれまで17回、脳外科医の立場で臓器移植における臓器提供の問題を講義されている。我が国の医学教育では、人の死についての講義は殆どないことや、脳死が人の死である、という講義をだれもしない、ということは私も問題であると思っていたが、先生は患者の死の奥にある臓器提供を医師が意識するには学生時代に教えておくべきと言われている。また予備校とかの医学部受験準備に、脳死は人の死ではない、といった誤った刷り込みが行われている、というびっくりする現実も紹介された。先生は、単に上から目線の講義ではなく、学生に考えさせることから始められている。沢山の所から講義依頼があるそうで、忙しい臨床のなかでこういう努力をされている先生に報いるためにも、移植側の努力が一層必要である。因みに、学会会場で先生の書かれた本、移植医療、臓器提供の真実(文芸社)を見つけてその場で購入、帰りの新幹線で読ませてもらった。タイトルからは臓器提供の負の面を強調するかのようであるが、全く違っている。先生が臓器移植に否定的な脳外科医から支援派に変わっていく件や、実際のオプション提示の現場の再現も詳細に語られている。臓器移植の基礎知識も得られるので素晴らしい。先生は兵庫県の移植関連の会にも講演に来られているが、この本の存在を知らなかったことを大いに反省している。

以上、紹介に止まったが、私自身が今からでも出来ることではないか、と思ってしまうほどの力強いメッセージでもあった。

     もう一つ紹介したいセッションは小児の臓器移植ですが、それは後に書かせてもらうことにしてここで熊本報告は一旦終わります。なお、会長の肝いりで、熊本城が夜間グリーン色(臓器移植シンボルカラー)にライトアップされていました。残念ながら自身で確認できずに帰っきましたが。