2017年11月19日日曜日

医師偏在是正を法改正で


関西もめっきり冷え込んでいるなか、北国からは雪の便りが送られてくる時期になりました。最近の話題といえば、地域医療絡みでの専門医制度でしょうか。しかも、地方の医師配置に国が法律を作って関わるという、かなりの問題を提起しそうな話です。

1030日の読売新聞、今日の毎日新聞(左)で、取り上げられているのは、地域の医師確保に都道府県(バックは厚労省)の権限強化、というものである。市域の医師不足対策で、これまで医科大学の地域入学枠があるものの数が少なく初期の目的に合わない現状もあり、都道府県が医科大学この枠の増員を要望できるように法改正をするようだ。また、実施において基礎となる地域の医師配置や診療科の偏在について新たな指標を導入するということである。後者については、厚労省は当然ながら十分なデーターを持っているわけで、これまで医師数の地域でみた概要は公表しているが、これからは診療科も含めた分析から医師の偏在について是正しようとする根拠に使うようである。法律でもって医師の専門分野の選択についても指導するということになる。医師の専門分野選択の自由が今後はお上主導で制限されてくる。良いのか悪いのか、複雑な問題でもある。

新専門医制度導入のゴタゴタがここまで影響するとは思わなかったが、新たな制度のコンセプト(プログラム制であり定員制導入でもある)のボールが少しは真面に帰ってきたところもあるのかとも思う。しかし、逆にピッチャー強襲ヒットにしてしまって、後は打たれ放題とも言える状況である。医師の生涯教育の初期段階を何とかアカデミア主導で改革していこうと頑張ったが、どやら厚労省の思惑通り主役の交代となったのか。厚労省も卒後初期臨床研修制度自体には手を付けずに、その後の専門医研修に手を伸ばそうとしている。新制度のコンセプト作りでは、厚労省の訴える地域や診療科の医師偏在是正を目的に入れることには抵抗してきた専門医機構も今や形無しの感である。

実は、専門医制度改革が始まろうとしていた時、私はある雑誌の巻頭言に拙文を投稿した。「専門医制度における定員制導入を医師偏在是正策に」(新医療、20089月号)というものである。医療崩壊という言葉が世に氾濫しているときであり、大学医学部や医師会がここで医師の配置について考えを変えていかないと自らが墓穴を掘っていくことになる。自分たちで制御していくこと必要で、専門医制度対応で来ることがある、という趣旨である。同様のことを胸部外科関係で書いたが、医師の自由度(自由裁量制)を妨げ国による統制社会になる、ときつい反論をされたことがある。しかし、医師側が自分たちの勝手ばかり言っていたら、そのうち医療を受ける側の社会からバッシングが来るから今からでも対応は遅くはない、とも書いた記憶がある。何か予言?通りになってきているのが恐ろしい感じである。自分の責任はさて置いての話で、無責任とも思われるかもしれないが、その後の専門医制度作りが進む中でも、こういう逆効果が出ると何度も忠告をしてきた話である。

一方では、国会では自民党が「医師養成、偏在是正議連」が発足したというニュースもある(m3.com, 11 3日)。卒前臨床研修の在り方、卒後初期臨床研修の中の地域医療研修、卒後2年での認定制度、医師偏在には大学や医師会との連携で新たな仕組み作り、などである。医師の方も多いと思われるが、初期研修制度不要論や医局の復権も大事との意見もあったようである。この議連の動きと先の法改正とはどう繋がるのか分からないところもあるが、先の厚労省の動きのような小手先施策(失礼)を進める前に、この際何が問題かをしっかりと議論をして欲しい。専門医制度を今更先送りにすることは出来ないわけで、プログラム制(かなり弱体化しているが)を基本に粛々と進める中で、上記の動きとの連携を模索していくことが大事であろう。言い換えれば、ピンチをチャンスに、である。

この記事を書きながら、改めて新専門医制度の根幹であるプグラム制導入(定員制)の重要性を思い起こしている。そして行政側に指導されるのではなくこちらが主体性を持ってリードしていくことが大事であると思わざるを得ない心境である。







2017年11月2日木曜日

日本学術会議の提言

 先の臓器移植市民公開講座の紹介が神戸新聞に掲載されましたので。

 それから、日本学術会議で出された提言、「我が国における臓器移植の体制整備と再生医療の推進」なるものが届きました。日本学術会議の臨床医学委員会・移植再生医療分科会からのものです(委員長は九州大学外科の前原喜彦教授)。内容は、これまで関係学会等が検討してきたものを日本学術会議という国のアカデミアの最高機関が改めて社会にメッセージを出したもので、意義は大変大きなことと思います。内容的には、再生医療は別ですが、脳死下臓器提供増加、心停止下臓器提供増加、に加えて組織移植における法整備が加わっています。脳死臓器提供増加では、提供施設の負担軽減が基本で、さらに臓器配分システムでの地域制(リージョナル制度)の検討、まで踏み込んでいます。提供施設のコーデイネーターについては当然しっかり触れられています。この提言を読むだけで、今の日本の臓器移植・組織移植の課題が浮き彫りにされていて、どう対応すべきかも良く分かります。素晴らしい提言です。

 一方でこの提言に対して国が(国会や行政)どう対応するのか、この提言がどれだけインパクトや影響力があるか、注目されます。ただ、内容的にはこれまで行政や関係学会の動きが緩慢であることへの警鐘とも取れます。

 以下感想です。 この学術会議の提言を読んでまず思ったのは、こういう提言をしなけれなばならない背景の分析はどうなのか、ということです。これは提言という性格から、要点しか書かれていませんが、大事なことであると思います。医学教育分野で、脳死と人の死の教育をどこまでやっているのか、二つの死の定義の存在、などへの踏み込みはこの提言の趣旨が体制整備であることからやむを得ないのでしょうが。

 とは言え、僭越ながら個人的に踏み込んで欲しかった(検討はされたかもしれませんし、既に出されているかも知れません)と思う事項は、国の財政的支援の現状はどうかという視点です。言い換えれば、日本臓器職ネットワークへの予算措置、都道府県への支援(コーデイネーター配置への予算など)、臓器・組織移植関連診療報酬の支援(臓器提供業務については触れられています)、死体臓器・組織移植支援への国の予算の費用対効果や諸外国との比較など、であります。国がこの提言の具体的内容について、これまでどれくらいお金を付けているのか、ということをこのような視点で踏み込んで提示して欲しいと思うわけです。この学術会議の臓器移植担当の部会の活動として既に出されているのかもしれませんので、この意見は私の調査不足かもしれません。しかし、いずれにせよ学術会議の提言に恐れ多くも物申すと言いうことではなく、どうフォローするのかということとご理解くだされば幸いです。

 なお、再生医療の推進、も同時に書かれていますが、これはやはり別扱いではないかと愚考します。臓器移植(主に死体からのもの)と再生医療は、社会の目で見ると相対する医療手段として捉えられているむきがありるからです。そもそも再生医療は社会が科学技術の進歩という点で大変注目している状況であり、臓器提供システムの話とは背景が異なるのではと思うからです。少し脱線しましたが、学術会議の委員の先生方には、この提言の纏めへのご尽力に最大の敬意を表していることを付け加えさせてもらいます。

 この提言は、日本学術会議HP 
    http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-t252-3.pdf で閲覧できます。