2014年11月9日日曜日

ベルリンの壁崩壊から25年



 今年は世界の歴史から見て幾つかの節目の年です。第一次世界大戦勃発から100年、第二次世界大戦が始まって75年(太平洋戦争勃発はその2年後で私が生まれた年)、東京オリンピックから50年、そして天安門事件やベルリンの壁崩壊から25年、といったところです。特に今日、11月9日、はベルリンの壁が崩された記念すべき日でもあります。こういう機会に世界史を勉強し直すのもいいかと思います。といっても本を見なくてネットで事が済むのも寂しいですが。

      世界に冠たる自転車競技のツールドフランスも昨年が100回記念でしたが、今年はというと第一次世界大戦開戦100周年記念大会となっていました。ヘリコプターからのフランス各地の映像を見るだけでも楽しいのですが、今年は戦争の記念となる土地やモニュメントに加えて、26万人が戦死した激戦地跡も紹介されていました。例えば毒ガス(マスタードガス)が戦争で初めて使われた戦線である北フランスのイープルもコースに入っていたり、戦死者の広大な墓地のそばを走ったり、フランスは100年前の戦争の苦い経験を忘れない、という大会主催者の気持ちが入った大会でした。因みにマスタードガスは別名をイペリットと言いますが、これは地名から出てきたということです。

      表題のベルリンの壁ですが、25年前の11月9日に東ドイツはベルリンの壁の開放を宣言し、東西を遮っていた壁のゲートが開けられたわけです。これに至る数か月(数年?)の東西ドイツやソ連、そして東欧諸国の目まぐるしい動きに今となっては歴史の面白さを感じます。さて、この解放によって東ドイツから自由に西側にはいれるようになったのですが、実際に構造物としての壁が崩され始めたのは数日後のようです。このテーマでは崩壊後20年の時(2009年)にこのブログの前身の学長ブログで紹介しています。その内容は、まず1989年のベルリン訪問です。丁度壁崩壊の数週間後でして、まさに壁が壊されていく場面に遭遇したわけですが、その20年後にベルリンを再訪しています。  (http://www.huhs.ac.jp/president/index.php?page=23)。

      さてこの歴史を紐解くと、このベルリンの壁崩壊は突発的なことではなく、その数年前からの東欧の国で広まっていった社会主義独裁への反動がピークに達した結果が東西冷戦の象徴であったベルリンの壁の崩壊に繋がったわけです。その年の12月に行われた米国(ブッシュ)とソ連(ゴルバチョフ)の両首脳がマルタ島で会談し、冷戦終結宣言が出されたわけです。近大世界史上の大きな出来事をこんな風に端折って書くのは気が引けますが、それは許してもらうとして、同じ年に(壁崩壊の前ですが)北京で天安門事件が起っています。しかし、その後の結果は全く逆であったことは、欧州ではその後の東西ドイツ統合やEU誕生、等が続いていったことと比べてしまいます。

   ベルリンの壁崩壊は長く続いた東西冷戦の終焉をもたらし、東西の対決は戦争ではなく対話への時代に入っていたのですが、残念ながら今年はクリミヤ半島で始まったウクライナへのロシアの介入が起こり、再び東西冷戦が始まったかのようでもあります。壁崩壊25年と言っても、中東も含め各地でまだまだ諍いが続いているのを見て、「歴史は繰り返す」という言葉が重く降りかかってきます。振り返って我が国を見ると、近隣国との関係はいまだに不安定でありますが、我が国はこれからも良い歴史を作って行って欲しいと感じます。

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