2016年11月7日月曜日

那覇で学会がありました

11月に入って関西も急に冷え込んできましたが、そういうなかで暦は今日まさに立冬で言うこと無しです。北海道からはもう雪情報で、この夏の台風被害が収束されないままの冬突入で農家の方々の苦労が想像できます。
先週はまだ温かい沖縄に出かけました。でした。日本手術医学会が那覇(宜野湾)で行われ、役員をしている関係と南部のみですが久しぶりの沖縄もいいかと思って2泊3日で出かけてきました。私が阪大時代に会長をさせてもらったのが平成11年で、以来17年も経っています。当時は臓器移植における手術関連の話しが多かったのですが、最近はロボット手術や低侵襲手術、患者さんの高齢化、などがテーマになって来ているようです。学会の会長さんは琉球大学附属病院手術部教授の久田友治先生で、テーマは「手術医学・手術医療における私たちの役割;南の島で語り合おう」でした。ここでもチーム医療ですが、本土(こういう表現はいけなのでしょうが)とは歴史も風土も異なる沖縄で、ユニークな話も多いのではと、期待して行きました。報告と言うことでは二つあります。一つは学術的なことで、もう一つは余暇についてです。
始めの学術的なことですが、この学会は手術に関する諸問題を外科医、麻酔医、手術室看護師、臨床工学技士、などが集まって議論するもので、周術期管理、感染防御、機器管理、新技術などで、手術室におけるいろいろな課題が議論されます。私が参加したセッションは、東大病院からの周術期管理センターの話と救急医療分野として県立沖縄中部病院の現状、そして海外からの特別講演である医学教育の話でした。
周術期管理センターは大学病院や大規模中隔病院で関心が高まっている仕組みで、手術のための入院から手術までの流れをスムースにしながら手術の安全管理を目指し、医療者の連携を進めるものと理解されます。私自身の経験でも、手術前に麻酔科受診があって服薬状態や体調など手術の安全性に関するチェックと麻酔の説明を受けました。でも麻酔医が担当で、沢山の手術(いろんな麻酔が行われます)患者さんを引き受けるのは大変で、ここをシステム化しようというものです。まだこれからという印象ですが、私の見方では、全体(各診療科や手術部関係)をみながら動く専任コーディネーターが要るなあ、というところです。トップのコーディネーターに各診療科にサブのコーディネーターを置くことも必要でしょう。誰がするかでは看護師でもいいですが、やはり忙しいのでいっそのこと事務系での方を教育して育てればと思います。いずれにせよ病院がマンパワー不足のなかでどう対応するのか要注目です。
救急医療では県立中部病院のシステムの解説があり、素晴らしい活動でした。それを支えている医師チームですが、最初は初期研修医が見るが、後ないし同時に後期研修医や指導医が屋根瓦方式で対応しているのが特徴でした。マンパワーを分散させながら最適な医療を安全に進める方式です。大切なこととして言われたのが、沢山の近隣の島からの搬送では、それぞれの地区の医師に中部病院勤務経験者がいるということでした。不要な会話が要らず、迅速かつ的を付いた医療が出来ると言われていました。へき地医療や離島医療に生きがいを持つ多くの医師が育成され働いていることは実に素晴らしいことです。沖縄の救急医療の中核病院で医師の教育病院としても長年の歴史がある県立沖縄中部病院ならでの話でした。ちなみにこの病院で初期の修練を受けた沢山の医師がその後海外で研修し、国際的な医師となって我が国や海外で働いておられることも特徴でしょう。
医学教育の話は実は私が沖縄に出かけた一番の理由でした。それは、特別講演でハワイ大学外科教授の町淳二先生の「日本開国:医学教育と外科システムの国際標準化に向けての改善」を聞きたかったからです。抄録をみて、我が国でいま議論になっている新専門医制度に関する内容が盛り込まれていたからです。日本の専門医制度(卒後教育制度)の改革に関わってきたことと、課題についてすでに何度も書いています。新制度造りのステップで、国際標準化をキーワードにしないといけのでは、と理事会で提案したのですがほとんど無視された経緯がありました。そのほか、町教授が紹介された、トレーニングの内容と評価法の標準化(制度が異なってもある程度レベルや内容で横並びにすること)や6つのコアコンピテンシー(能力)を共通言語(目標)にしている米国の制度の紹介がありました。この仕組みは、その親の英国はもとより最近は東南アジアでも採用されている中で、日本はいまだに鎖国状態である、ということです。これに対して日本の関係者はどう考えているのか、というメッセージであり、米国の医学教育制度も国際版の骨格を作っているので、ハワイ大学などと連携して欲しい、という提案でした。
医学教育(学生)では我が国の各医学部も改善に努力されているとはいえ、まだまだ鎖国状態で、いい加減に開国したらというお話でした。例えて、黒船の代わりがTTP、ということでした。一方、卒後教育である専門医制度については、お役人や関係者に何度も呼ばれて米国の制度の良さを講演しても、いいですねという返事だけで今まで何も変わっていない、とも言われていました。講演の後で少し話をさせてもらい、私はこれまでの専門医制度改革で目指してきたことが間違いでなかったことも確信したのですが、それではでこれからどうするか、については私自身が専門医の新機構の中にいないこともあり何もできないので、町先生へのエールを送ることだけとなりました。気持ちが晴れないまま帰ってきたということですが、このブログでぼやいても仕方ないことです。
余暇についてですが、着いた日は那覇泊りで、午後3-4時間、そして翌日の学会初日の午前中をサイクリングで楽しみました。学会サボりました。那覇中心の南部をゆっくり回ろうと、那覇の自転車レンタル店にロードバイクを前もって予約し、ヘルメットとか服装などは持参するなど、どちらが主か疑わしい話です。天気も良く、気温は25度前後と風が強い以外は快適でした。初日は空港沿いから南へ下ってひめゆりの塔、平和記念公園へ行く往復コースで、20X2キロメーター、約3時間ののんびりライド。翌日は疲れもあり(前夜の懇親会で少々お酒も入ったせい?)学会も始まっているので近場ということで首里城周辺への往復でした。結構の坂でしたが高台からの景色は素晴らしく、やはり海と空がきれいな沖縄でした。自転車も楽しみ、学会での収穫もあり、そして怪我なく帰れてまずは良かったです。

補足です。:後期研修制度(専門医)への町教授の指導の下で米国方式を取り入れている病院があります。発足2年で60人の研修医 「米国式」取り入れた東京ベイの挑戦 -東京ベイ・浦安市川医療センターの記事を紹介します。私の勉強不足でした。
http://hpcase.jp/feature/tokyobay1/

 
以下写真です。




    






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