2018年1月13日土曜日

阪大の入試判定ミスに思う

例年、センター入試になると寒波襲来がニュースになりますが、関西も本当に寒いです。ただ風は強くなく一見穏やかな気候ですが山間部は大変でしょう。センター入試、受ける方も実施するほうも大変でしょうが今日明日と無事済むことを願っています。
さて、大阪大学は昨年の入試判定ミスで世間を大変騒がせていて、同窓生としては心苦しいです。確かに事後処理では遅れを取ってしまい、危機管理としては低レベルであることは明白でしょう。今になって合格追加といっても当事者には複雑な問題をもたらしていると思われます。昼のTV報道番組では大相撲の次は阪大入試、といった感じで、女性キャスターが、18歳の若者の人生を狂わした、取り返せないのですよこの1年、と声を上げて阪大を非難しています。確かにそうかとは思いますが、一部のコメンテイターからは、本人は前向きに考えて欲しい、という声もありました。阪大の非は非で認めて責任を取ってほしいですが、当事者には自分の将来をよく考える試金石として捉えれる目向きの対応をして欲しいと思います、道が開いているのですから。
この入試判定ミスで思うのは、以前に学長ブログでも書いたと記憶していますが、大学にとっては、特に教員ですが、試験問題作成は大変な負担で、本来の仕事にかなり影響する行事といってもいいでしょう。毎年新しい問題を作ること自体も大変で、無理をすると正解が複数出たり誤った解答を作ったりする危険を孕んでいます。そのために、予備校に問題作成を依頼することも多いわけですが、経費の問題と大学自身の選抜試験への考え方、などから丸投げ一辺倒にはならないのが現状でしょう。今回の物理の問題作成でも研究者としてのスタンスと問題作成という雑用的なものとの棲み分けが曖昧であったのかもしれません。共通一次が種々の問題がある中でも定着していることから、大学独自の問題作成、試験の在り方はそろそろ考え方を変える時期かもしれないのではと思います。論文形式の問題を主体とすれば解答ミスは行らないでしょうし、学力に何かプラスするものを持った人を受け入れ、教育していく、ということも大事でしょう。こういった仕組みを取っている大学や学部はすでにあると思います。私の勉強不足ですが、私学系で進んでいるAO入試方式がそれにあたるのかとは思いますが、今後は国立大学での対応が注目されます。後述。

この点で言いますと、共通試験(センター試験)の在り方として、今のものから今後はいくつかに分化させたものを作ることも、国立大学や中でも医学部では考慮したらどうかと思います。単に試験判定ミスを防ぐのではなく、教員の負担を減らし、より高いレベルの(難易度だけではなく)選抜試験を作ることはどうなのかとも思います。わが国では大学入学選抜試験の背景には偏差値が大きく関与し、面接や論文での選考過程はあるにしろ、試験点数が絶対的であります。しかも、定員が決まっていて、入学させたら何としても進学、卒業させるのが役割となっています。医学部でいうと、面接はあっても形式的で、医師としての適応性は入ってから分かってきます。東大理3での医学部進学選抜は別の意味でのステップですが、学力の世界です。少し余裕をもって入学させ、専門課程に進む前に選抜するくらいの試みをやるところは出てこないのでしょうか。これも、教養課程がなくなり、専門教育が前倒しになっている現状では難しいでしょうか。途中での共用試験がありますが、それに不合格になってからの進路変更は遅すぎることもあります。今回の騒動でも、若い人に1年の意味に拘った報道がされていますが、何かわが国の教育制度には余裕がないのではと思ってしまいます。これでは社会人になっても余裕がない人が多く出てくるのではと思います。
今後、大学入試判定ミスが出てこないように願うばかりですが、今回のことから、大学を一方的に非難する以外に、背景の分析と問題点を出して、入試制度の改革作りの一歩になればいいと思いますし、大阪大学が後始末だけで終わらせず、入試にあり方そのものについて見識ある対応を取ってほしいと、同窓生の一人として感じた次第です。

もう一点加えるなら、阪大が大学評価でトップ2に水を空けられているなかで、これはかなりの痛手でしょう。危機管理としては最初の記者会見に総長が出ていなかったことは理解できませんし、ここから悪循環が始まります。病院での経験からの感想です。大学の高度の研究を進める研究者である教授の役割をよく考えないといけない面もあるはずです。阪大執行部体制や問題の教授の肩を持つつもりは毛頭ないですが、ここでさらに大学評価を下げるようなことにならないような根本的な問題の洗い出しと斬新的な対策が出てきてほしいですね。

新春放談のような無責任な話で恐縮です。