2016年8月25日木曜日

夏休み

  残暑お見舞い申し上げます。関西は相変わらず連日の猛暑が続いていて、雨も殆ど降らず、もう8月も終わりなのに秋の気配どころではありません。このままでは地球はどうなるのでしょうか。

大変ご無沙汰をしておりますが、なんとか元気にしております。ブログのネタは夏枯れといってしまえば楽ですが、何かを探す気力が薄れたのかも知れません。今年いっぱいは何とか続けてみようと思いますが、そもそもタイトルが自分に合わなくなっているのかも知れません。ということで、気楽な題材で暫く書いてみようかと思います。

ここ何年かは夏休みと言えば近場で済ましていますが、この夏は岐阜県に行ってきました。行き先は大垣城と関ヶ原古戦場跡巡りにしました。何故大垣か、ということですが、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で紹介されたからです。山本耕史(真田丸の石田三成役)とのコンビで、大垣城や関ヶ原古戦場跡、養老の焼き肉街道、など楽しく紹介していたので、真田丸のこともあって歴史探訪となりました。
関ヶ原古戦場跡は始めて行きました。東西の交通の要所であることを不破関跡で再確認しましたが、合戦上跡では光成の陣屋があった笹尾山(山というか丘の感じ)に。ここから各武将の陣屋の場所を想像したわけですが、天下分け目の合戦があったにしてはのんびりした場所でもありました。たった一日で決着がついた戦いを想像するにはあまりにのどかな気配に時代の流れと言いますか400年の歴史を感じました。
大垣城も始めて行きました。街の中心のビルが立て込んだ中に天守閣だけが復元されていました。とはいえ周囲には堀の後や屋敷跡が覗われ、歴代の城主である戸田家の記念館もあり、当時を偲びながらの散策。堀は今も運河として残されていました。TVの放送をフォローして商店街で水まんじゅう入りのかき氷で一服。大垣は松尾芭蕉の奥の細道の終点(むすびの地)でもあり立派な記念館が建っていました。その足蹠を見て驚くのは、関ヶ原古戦場跡の戦いから80年ほどして江戸から出発し、奥州、北陸道をへて大垣まで全行程2千キロを超す行程を2年ほどで踏破していることです。歩くだけでなくそれぞれの地で歌を歌い、地域の人々と交流しながらです。芭蕉は大垣に4回訪れたそうですが、ここがむすびの地となっています。芭蕉の有名な句、「夏草や兵どもが夢の跡」は平泉ですが、関ヶ原古戦の合戦場跡について芭蕉はどう読んだのか、記念館では見落としたようです。大垣では「蛤のふたみに別 行く秋そ」がありました。
焼き肉街道は通っただけですが、養老の滝は暑い中でしたがしっかり歩いて行ってきました。帰りには養老サイダーで一息。ここの水は古くから(700年ごろ)天皇が若返りの水として重宝したそうです。養老は今で言えば年寄り相手の言葉のようですが、語源的には「養」にアンチ(抗)、という意味があったのですかね。


後書き;下記は既に投稿してました。二重投稿ですいません。

ということで、関ヶ原古戦場跡、大垣巡りの紹介でした。真田丸と言えば、7月に福岡であった学会中に唐津までJRで脚を伸ばし、そこからバスで名護屋城跡も見てきました。朝鮮や明への派兵のために、この場所にこんな大きな城を作った秀吉の天下人としての力には驚嘆するものの、それ以上に負の側面が大きかったことに心が傷む感じでした。丁度終戦記念日も近く、そこに太平洋戦争にも繋がるものを感じてしまいました。




                                 


これは名護屋城跡です。