2016年6月21日火曜日

米国専門医制度、外科レジデントの勤務時間

新専門医制度が始まろうとしているがどうも予定通りには行かない雰囲気がある。新制度の目的は、医師の生涯教育の最初の10年程の研修を各制度でばらばらにならないよう標準化し、外部からみても質の担保が出来、国民から信頼される医師を育てていくための生涯教育の仕組み造りである。グローバルに見ても評価されるものにしていくための改革であると思っている。そのためにはプログラム制での施設認定とピア-レビューが不可欠であるが、地域医療を混乱させたり医師の偏在を助長したり、一人前になるまでの期間が増えたりする、といった誤解とも言える疑問が出てきた。その背景には、一つにはプログラム制への理解が出来ていないことと、今の何が悪いのかというある意味固定観念的なものが根強いことと、加えて手続きが煩雑であることや、基幹施設になり難い大学病院以外の中核病院からの不満、も加わったのであろう。地域医療が崩壊するという意見が猛然と起こってきて関西広域連合の提起もされるまでに状況は混沌としてきた。こういう危惧がないように周到な準備と説明が必要であったはずが、スタート時期が決まっていて準備不足のまま来て今があるのかと思う。別の背景には、厚労省主導なので初期臨床研修制度の問題点をこの機会に改めるという姿勢の欠如もある。また、一部の大学、特に都会の大きな大学病院(講座の力が強い)がこれを機会に医局員を更に沢山集める、という動きをしているのではないか、と心配している。今回の改定は、大学病院がしっかりと医師の生涯教育の責任も果たすよう良いプログラムを作りながら地域医療の問題を改善していって欲しいという趣旨であったが、大学の教授の先生方の考えは従来の医局制度から離れられない、ということが理想と現実の解離の背景であると感じられる。

久しぶりの投稿であるが、書きたいのは上記の我が国で問題となっている新専門医制度のことというより、関連する米国での話しである。米国では専門医資格を取るための研修中の医師はレジデントと呼ばれる。卒後5-7年くらいの間、学会や第三者機関がしっかりとプログラムの質と個人の修練を管理しているが、その機構(ACGME)は各学会や各専門医制度と連携し、世界の標準となる制度造りを行ってきた。その中で、レジデントの勤務時間の管理は大きな仕事であった。今は、週80時間ルールがあり、四半世紀も守られている。以前にも紹介したが、1980年代後半に連続勤務が2日や3日が強いられていたレジデンが、過労のために的確な判断が出来ずに、間違った投薬で若い女性患者を死なせてしまった事件が起こった。亡くなったのはLibby Zionとういうか方で、その父親がジャーナリストであって、その事故の背景を調べ、当時常識であったレジデントの長時間の連続勤務が的確な臨床判断を出来なくし、医療事故が起こる背景にあることを訴えた。その結果、レジデントの勤務時間を週80時間以内とする法律(LiBBY法)法が出来た。
我が国で臨床研修制度(卒後2年間)が導入されたときに勤務時間の設定が議論され、また若い医師の過労死問題も起こり、各病院は医師の勤務時間の管理を行うようになった。これは労働基準法での管理であり、初期研修医は週40時間、という決まりがあり、給与が付く夜勤や時間外勤務は対象外でという雇用制度でもある。こんな9時―5時、土日休み、ではろくな研修が出来ない、この制度はいったい何を目指しているのか、という議論をした。しかし、労基法での縛りと厚労省の指針もあって、医師に成り立ての大事な2年間の研修時間が米国の半分である。甘やかされた制度でもある。外科研修から見ると、長い手術にも入れないし、術後の管理も出来ない。無論、研修病院によっては雇用契約が違うので一概には言えないが原則ではそうである。しかし、専門医修練である3年目以降は常勤医師であり、当然時間外手当が付く。従って週40時間という制約はない。しかし、80時間というような上限は設ける必要はない。あくまで労基法管理下であるから、とても80時間は無理である。そんなことをすると病院が労基法違反に問われる。
米国ではなぜ今も80時間制が守られているのか。それは長いレジデント制度のなかで培われてきた仕組みが簡単に変えられないことと、レジデントは安い給与でのマンパワー確保のために必要であるからと思われる。また、その後は補足的に、連続勤務時間を16時間まで、オンコール(当直)は3日に一度以内、夜勤の翌日は朝から帰れる、などで緩和されてきている。しかも、この時間制約を守らないと研修指定病院から外される、というペナルテイーもあるから、手術中にもう時間ですから帰りますと言われたらダメとは上司は言えない、といったことが生じている。この80時間制度について興味ある報告が最近の雑誌に出ている。New England Journalof Medicineの最新号(616日)に外科レジデントの勤務時間、という短い報告である。それは、この80時間ルールがどう守られているかの調査結果である。1003人の外科レジデントへのアンケートで、80時間ルールを超えたことがあるという答えは71%という高率であった。理由は、仕事が終わらなかった、緊急と長時間手術、患者ケアー、種類書き、などがあるが、外からの圧力や病棟を離れることへの罪悪感、などもある。非現実的な制度であり、しっかり守られてはいない、という状況である。
この報告は、若い外科医の初期修練での時間制約ルールは決して望ましいものではなく、より柔軟に、かつ効果的なものに修正していくべきではないか、というメッセージで締めくくられている。産科のレジデントでも同じような状況とも書かれている。手術に参加し、術後管理をすることで育てられる外科医の教育環境は時間で制約されるのではなく、内容と健康面やメンタルなことからの配慮でもって改善されていくのか。日本での新たな外科系専門医制度では働く環境の大事さもプログラム認定で謳われているがどうなるのか。ちなみに、扱う手術症例数が違って米国では半端ではなく多い、という背景もある(忙しい)。また、獲得された専門医資格の重みもかなり違って、資格取得後の処遇はとんでもなく違うことも認めざるを得ない。専門医制度でのプログラム制導入が米国の制度の表面だけ見習って中身はほど遠い、と言われても反論できないと思ってしまう。


2016年5月25日水曜日

医療事故調、その後

 本日の新聞やNHKのニュースで医療事故調査制度の見直しを厚労省が決めたことが報道されている。昨年10月に始まった新しい医療事故調査の制度が発足後半年程度で内容の見直しをするというものである。基準の見直しになるのか、説明を修正するのかは分からないが、その理由は、予想に反して医療機関からの届け出が少なかったことによる。この4月の報道では、医療事故調査・支援センター」を運営する日本医療安全調査機構は制度開始から半年で188件と発表した。当初の予想では年間2000件はあると言うことであったが、予想外の少なさは医療機関のこの制度への認識不足や施設内委員会構築などの準備不足もあるが、要は届け条件の「予期せぬ死亡事故」が曖昧で、医療機関側が判断に迷うことが多いと言うことである。厚労省は関係機関が集まって協議会を造り、統一の判断基準を検討するということである。また、調査を求める遺族からの相談を受け付ける新たな仕組みを設けることも検討するとしている。
医療事故調査についてはこのブログ(学長時代を含め)で既に何度も出てくる話ではあるが、色々問題を抱えながらのスタートでやはり予想された問題が浮き彫りになって来ている。まだ発足して半年であるからこの修正は予定路線のようではあるが、基本的な課題が残されたままであり、統一基準が出来れば一気気進むかは疑問である。問題は問題の多い「予期せぬ死亡」を医療事故としてしまっている前提にもある。
医療事故調の背景に医師法21条がある。医師へ異常死を見たら24時間以内に警察へ届ける義務を示したもので、明治時代に出来たまま現在も残っているものである。犯罪に関係ない診療経過の中での死亡にも当てはめられ、異常死とは何かはっきりしないまま警察が動くようなことがあり、現場で混乱が出てきた。そういう中で平成6年に出された日本法医学会の「異常死ガイドライン」が今もキーとなっている。それによると、「確実に診断された内因性疾患で死亡したことが明らかである死体以外の全ての死体」と定義した。またそのなかで、医療過誤の可能性のある場合については、診療行為に関連した予期しない死亡、およびその疑いがあるもので、注射・麻酔・手術・検査・分娩などあらゆる診療行為中、または診療行為の比較的直後における予期しない死亡や診療行為自体が関与している可能性のある死亡、診療行為中または比較的直後の急死で、死因が不明の場合であって、診療行為の過誤や過失の有無を問わない、などとされている。
医師法21条のいう異常死が診療関連死や医療事故にも及んでいることで状況が複雑化しているが、医療界から見直しを求めている21条問題については今回も据え置きである。私の意見は以前から、医師法21条問題を脇に置いて医療事故調のことを議論することは問題解決を遅らせている、というものである。

論点で言うと、①今回の協議事項に予期せぬ死亡の統一基準を作る、ということである。一見前向きの様に聞こえるが、統一とは何を意味するのか不明瞭ではないか。法医学会のガイドラインにも踏み込むのか。そうなるとことは容易ではない。ダブルススタンダードになるのは本末転倒であろう。②医療事故と診療関連死亡は同じではないはずであるが、これが曖昧なまま同じ土俵に乗せられていることと、届け出が医療機関の判断に任されていることが悪いのか、である。③センターへの医療機関からの報告が医療訴訟に繋がるものではなく今後の医療安全に用いるというが、届ける側は医療訴訟へ心配が払拭できないのではないか(調査報告書の扱い)。医療側が安心して届けられる制度とは何かの議論がいるわけで、基準の標準化だけでは解決しないのではないか。

以下に、医療事故調査機構の説明です。
医療事故とは:
1.    医療事故とは、「当該病院等に勤務する医療従事者が提供した医療に起因し、又は起因すると疑われる死亡又は死産であつて、当該管理者が当該死亡又は死産を予期しなかつたもの」と規定されています。
2.   本制度における「医療事故」の範囲は、「医療従事者が提供した医療に起因し、又は起因すると疑われる死亡又は死産」であって、「当該管理者が当該死亡又は死産を予期しなかったもの」です。この2つを満たす場合が報告の対象となります。
 このように中々分かりにくい内容です。予期せぬ、という客観性を担保し難い言葉を根底にしていることが問題を複雑にしていると思うのですが。それと、法医学会が言う異常死(体)について医学会全体でその扱いや妥当性を検討すべきではないかと前から思っています。
調査を求める遺族からの相談を受け付ける新たな仕組みを設けることも検討するとしているようです。これは制度構築上かなりリスクを伴うのではと心配されます。うまく進められればいいですが。

最後に、医療安全の確立を目指すことが第一義であり、そのためには医療関連死亡を網羅的に把握すべきである、とすれば、異常死や医療事故という切り口ではなく広く届ける制度が本来の姿であり、診療関連死が医療事故(ミスが絡む)かどうか判断する仕組みは別ではないかと思う。今の進め方は、二つの棲み分けが現実として明確でないように思う。

2016年5月16日月曜日

ALS、新薬の臨床試験始まる


数日前の新聞に表記の記事がでています。 ALSは筋萎縮性側索硬化症のことで、今では社会的に広く知られている難病の一つです。原因が分からない病気で徐々に体の筋肉の麻痺が進んで、最初は握力や脚の力が低下してきて進行すると呼吸も出来なくなります。人工呼吸器を着けるかどうかは患者さんの事前の意志が尊重されますが、認知機能は残るので眼球運動機能が残っている場合は人工呼吸器を着けながら目の動きで意思の疎通が可能なことはよく知られています。

さてこのALSですが、私の外科医としてのスタートを切ったのは和歌山県田辺市の病院でしたが、そこでこの病気の研究のルーツを知りました。和歌県の牟婁地方に神経麻痺が進行する原因不明の病気が多いことが知られていて、牟婁病として言い伝えられていたようです。こういう地域の名前が付いた病気の名前はもう使われなくなった、というか使えなくなったのかと思いましたが、調べるとそうではないようなので、ここでも使わせてもらいました。当時の社会保険紀南総合病院の院長先生がその専門であったので、何となく身近に感じていたのを思い出します。何だそれだけのことか、という話ですが。

記事によると、「北大と大阪大の研究チームは13日、全身の筋力が低下する難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の新薬の臨床試験を始めると発表した。平成23~26年に行った臨床試験で安全性が確認されたとし、今回は病状の進行を抑える効果があるかどうかを調べる。」というものです。HGFという成長因子を注射する群とプラセボの注射群とを比較して病気の進行が抑えられるかどうかをみるようです。既に人工呼吸器が付いている方への試験は将来のことでしょうか。

さて、この病気に新薬が登場しようとしている訳ですが、私の専門でない神経の病気をここで取り上げたのは新薬であるHGF(肝細胞増殖因子)について少なからず関わりがあるからです。人には沢山の成長因子といわれる蛋白質が発見されています。よく知られているのは所謂成長ホルモンですが、これは下垂体前葉の細胞から出る成長に関わる蛋白で、低身長児の治療に使われ、今では美容成形やアンチエイジング治療としても用いられているようです(後者は保険適応ではないと思います)。成長因子としては骨髄での好中球の産生を刺激するG-CSFや赤血球を増やすエリスロポエチンなどがよく知られています。肝臓は再生する臓器としてよく知られています。肝細胞が再生できるのは何かこれに関係する因子(蛋白)があるのでは、というなかでHGF、肝細胞増殖因子、が見つかりました。以来HGFは種々の場所で組織の修復作用があることが分かってきました。

今回、ALSで試験されるのは神経細胞への修復作用を期待してのことですが、前述のようにHGFは肝臓から始まりその後多くの臓器や組織の修復に働くことが分かってきて、まさにミラクル蛋白(サイトカインともいわれます)、ともいえる訳です。阪大第一外科は心臓の再生医療の研究の初期にこのHGFを応用することが大事なテーマでした。HGFを同定した中村敏一教授が阪大におられて共同研究が出来ました。遺伝子組み換え技術でマウスのHGFの複製を作って精力的な実験が進みました。沢山の研究成果が出て、そのなかでHGFに心筋保護作用があることも突き止め、心筋梗塞などへのHGFを使った遺伝子治療の研究も進めました。当時、HGFのHは肝臓ではなく心臓heartのHだ、と言っていたことを思い出します。そして我々は臨床医ですからこれを薬剤として心臓外科の心筋保護液に加えることができないか考えました。そこで人型の遺伝子組み換えHGF蛋白を人に使えるようにと製薬企業とも相談してきました。しかし、当時(20年から15年前に遡りますが)はまだ人に使えるものは出来ませんでしたが、今では製薬企業が薬剤として売り出そうとしているわけで、時代が変わりました。

心臓の再生医療としては今は心筋シートが主流ですが、私が退職する当時は(2005年)心筋症に対するHGF(人型遺伝子組み換え蛋白)と筋芽細胞を合わせた移植治療の実験が成果を上げていました。その後、臨床応用は進んでいないようですが、HGFの薬剤としての使用が今後広まれば、心臓の再生医療も変わるかもしれません。調べてみると、別の遺伝子治療ベンチャーが原発性リンパ浮腫にも応用を始めようとしています。今後、これらをきっかけにG-CSFや エイスロポエチンのように臨床で広く使われる日が来ればいいと思います。心臓再生もHGFで、となるかもしれません。


ということで、なぜこのテーマを今回選んだかがお分かり頂けたでしょうか。今回のニュースは個人的にもかなり興味が持たれるものであります。ALSの臨床試験が成功することを願っています。

写真は連休中の奈良県當麻寺での写真です。 


2016年4月26日火曜日

熊本地震に思う

暫くご無沙汰しております。4月に入って、日本外科学会が大阪で開催されていましたが、その最中に熊本の地震が起こって、世の中は慌ただしくなりました。阪神淡路大震災では地元で深度7を経験したのですが、当時の神戸市や周辺の悲惨な光景とライフラインが途切れた不自由さを思い出しています。まずは、熊本地震で犠牲になった方々のご冥福をお祈りし、また被災された多くの方々に心よりお見舞いを申し上げます。
熊本や大分の被災地への支援は国も率先して関わり、自衛隊始め救助関係の皆様の献身的な仕事に敬意を表します。遠くから見ているだけの自分が何を言っても、TV番組で賑わっている無責任なコメントと変わりないのかもしれません。現場に行っていないでコメントすることは避けるべきですが、神戸での震災を経験し、東日本大震災では学生ボランテイアー派遣の下調べにいって何が大事かを見てきたものとして、色々感じるところがあります。やはりこれまでの経験がどう生かされたのか、今後検証されるべきと感じています。
震災対応という意味で神戸と熊本の違いというと、前者は兵庫県が故貝原知事の陣頭指揮で、市役所とともに対応するなかで、国、東京、の対応が遅かったり情報が迅速に伝わらなかったことがありました。一方、今回の熊本では逆に国が安倍首相を前面に出して指揮を執った中で、対称的に地元である熊本県が実態では大変な頑張りがあるなかであまり表に顔が見えて来なかった、という印象です。今回は官邸主導型対応であったようですが、大きな命令系統は良いでしょうが、細かな気配りが出来るのは地元であるわけで、そこの支援をしっかりしければいろいろな課題が出てくる、ということではないかと情報不足の中ですが思ってしまいます。

医療としては、最初の救急救命の出番から長期支援になっていく中で、エコノミークラス(EC)症候群のことや高齢者・障害者へのサポートへとシフトして行っています。EC症候群については2004年新潟中越地震での経験が生かされているのでしょうが、何人か発症し死亡してからではやや遅い様な気もします。現在進められています関係学会や地元病院の先生方の努力に敬意を表しながらこれからに期待したいと思います。慢性透析患者への支援は関係学会や団体でのリードでうまく進んでいるようですが、感染症、心筋梗塞、脳卒中、などの発生が今後危惧されます。医療関係者が今後も総力を挙げて予防と治療に当たって欲しいと思います。無責任で気楽なことばかり言うとお叱りを受けることと思いますが、自分が何も動けないなかで応援の気持ちがあってのことなのでお許し下さい。

まとめですが、今回の震災の大きな特徴は最初の414日の地震が前震で2日後が本震という異例の大地震であったことと、その後10日経ってもかなりきつい余震が続くということが大きな特徴です。この長く続く地震活動が障碍になり、人命救助や支援が速やかに出来なかったと思われます。でありますから、これまではどうだった、これまでの経験は、という話しは通じないことも理解しないといけませんし、よく分かっているつもりです。仮設住宅設置や医療支援、介護支援、メンタルケア、そして流通支援、経済支援、など神戸でもそうでしたが、長期の支援活動が必要です。それぞれ出来ることがあれば助けあいましょう。最後に、改めて被災された方々にお見舞いを申し上げ、これからも頑張って頂きたいと思います。神戸の震災経験者として書かせてもらいしたが、医療関係者の皆様の活動に微力ですが応援させて頂きたいと思っています。



追記:EC症候群への学会関係の対応としては、日本循環器学会が厚労省と熊本県から要請を受け、熊本大学病院循環器科教授をリーダーとして418日より現地でEC症候群対策チームヺ立ち上げ活動をされていることを紹介させて頂きます。

2016年4月8日金曜日

新たな専門医制度にブレーキか

  
暫く専門医制度の話題は避けていたが、いよいよ来年度開始という段階でかなり紛糾していることが報じられている。医師のネット世界でもかなりの反新専門医制の意見が飛び交っている。国レベルでも見直しや開始延期論が出ている。制度作りの一部ではあるが関与したものとして放置できないところもあり部外者の勝手な意見であるが少し書かせてもらうことにした。
ことの発端は2016325日に開催された、「第1回 社会保障審議会 医療部会 専門医養成の在り方に関する専門委員会」のようだ。病院団体などから「養成プログラムを見ると、連携施設となる基準が厳しすぎる。これでは地域医療の現場から、専門医を目指す若い医師が離脱してしまい、地域の医師偏在が拡大してしまう」との指摘が出てきました、とある。しかも、25日に開かれた専門委員会の初会合では、厚労省から「医師偏在を生じさせないための調整方針」が報告され、大学病院などから申請された養成プログラムについて(1)日本専門医機構(2)都道府県(3)厚労省―の3層構造で「地域の医師偏在の有無」を検証し、調整することが明確にされた、とある。これでは新機構の面目丸つぶれである。何故こんなことになったのか。機構に問題があるとはいえ参加学会に大きな責任があるのではないか。プロフェッシナルオートノミーが無しくずしになり、医師(学会)のプロフェッション自体が崩壊していると感じる。
そもそもこの「社会保障審議会で専門医養成に在り方に関する委員会」が現れたことにも驚きである。今回の制度改革の出発点が、厚労省主導で始まり専門医制度在り方検討委員会が2013年にまとめを報告しているわけで、5年経って開始と言うときにまた同じような名前の委員会、しかも行政として上位にある大臣が関与するところでの話しである。しかも新しい機構の進めてきた路線をかなり批判し、後戻りさせるような意見が出ている。その結果、この部会の下に「専門委員会」を設置し、課題解決に向けた議論を行うことになった、という。これまでの10年近い機構での議論と作業が何であったのか、大いに戸惑うものである。なぜこの様な事態になったのか。
私自身は旧専門医機構の最後の時期に関与し、特に研修プログラム制度の骨作りにかなりコミットした。しかし新機構のメンバーではないので、ここでは大きな流れの中で少し冷めた見方が出来るのではと思う。幾つかの論点で話しを進めるが、新機構の進め方を全面擁護するつもりも無く、また審議会で出された意見をその通りと言うつもりも無い。
さて、機構の池田理事長の弁明(説明)は総論的にはその通りである。しかし、これだけ日本の医療の土台作りを担う制度の開始に当たっては、きめ細かい配慮や制度設計と説明が必要であるが、先に開始時期ありきで作業が進み、各学会、就中基本領域の学会全てが一枚板になっていないのではないか。そうとすれば、これは機構執行部のガバナンスが問われるのではないか。その背景には、新制度の根幹である学会のプロフェッショナルオートノミー、というカタカナ用語でもって肝心のことが整理できずに課題を先送りして何となく進んでしまっていると感じる。一方、新機構は予算措置も乏しく、人もいない、学会首脳陣の手弁当での参加、などこれだけの大きなことをするにはそもそも無理がある。国からお金をもらうと厚労省の言いなりになるからそれは受け入れられない、という学会の意見。ではどうしたら良いか。専門医の認定料や施設認定料で賄うしか無い。という機構が貧弱な財政の基で仕事していることへの社会の理解がないし、それを得ようとする努力も見られない。お上の言うことには従いたくない、と粋がっていたが、今はそれが逆転しようとしている。
専門医養成に当たって、これまでのカリキュラムはあるがプログラムが無い我が国の制度を、米国流ではあるがプログラム自体を認定していきながら専門医の質の担保と向上を図ろうとした経緯がある。米国の制度では保健機構からレジデントの給与が賄われているので、同じことは出来ないがコンセプトだけでも変えていかないとグロ-バルに見て立ち後れていくわけである。一方で、新制度導入でもって医療現場が混乱してはいけないという合意の基に、プログラム制を各学会や大学に理解してもらって、徐々に進めるよう準備されたと思う。地域医療の崩壊や医師の偏在を助長させることは制度の失敗に繋がるわけで、そこをプログラムの認定でカバーしようというものであった。私の記憶では、新たな制度はある意味で新臨床研修制度で崩壊した地方大学医局を活気づけて、関連病院人事を元に戻せないか、という目論見もあった。当初、厚労省は新制度で医師偏在の是正、診療科の偏り改善を狙っていたが、この官のやり方に学会が猛反対し、厚労省に口出しされない制度にした。それはそれで良いのだが、国の意向を自分たちで主体的に取り組む姿勢が希薄ではなかったのか。その結果、基本領域(全てではないが)ですらふたを開けてみると、学会会員確保、大学医局員確保が袈裟の下から見えてくる。そこを審議会の委員や病院団体から突かれてしまっていると思われる。
当初よりこのような反対意見は予想されていたが、学会員自体からも不満が渦巻いた状態で進んで来てしまっている。何故今更面倒くさいことをまたするのか、今の何が悪い、またお金が掛かる、といったことである。そこは各学会執行部が新制度の何が大事かを学会員によく説明しなければならないが、それが出来ていないのではないか。私はかってどこかの雑誌の巻頭言に、新制度でもって医師偏在を改善、と書いたことがある。医師というプロフェッショナル集団が自助努力をしないで現状を放置すればいずれ地域医療崩壊は身勝手な医師集団の責任だ、といった社会的バッシングが起こるかも知れない。その前に自分たちでこの機会に我が国の医療の課題を改善していこうという気概を待って欲しい、という趣旨であった。それをすれば医師のプロフェッションの自由度を妨げるという批判もあった。しかし、今の審議会の議論を見ていると、このような心配(社会が黙っていない)が現実になって来たのではないかと考えてしまう。提出された養成プログラムを機構だけではなく、都道府県、厚労省が入って検証、調整するということで、日本医学会も日本医師会も蚊帳の外である。

論点を追加すると、専門医制度を医師の卒後教育制度の根幹となるということへの理解が医師側も国にも薄く、そういう視点での制度作りであるというところへの配慮があまり見られない。ここが米国と違うところである。そもそも2004年に始まった新卒後臨床研修制度(卒後2年間、専門医研修の前)は今や予想通り形骸化していて、これを放置したままでの専門医制度作りはそもそも無理があると指摘してきた。しかし、臨床研修制度は法律で2年とされているので国は変える気はないし、それでもって地域医療が確保され、大学医局が仕切っていた医師配置に楔を入れたとされている。背景に、文科省、厚労省、病院団体、などが纏まっていなこともある。医学部卒業生を専門医研修(後期研修)に早く引き入れたいから、基本領域(内科、外科に総合診療も加わって19ある)専門医研修プログラムは実質卒後2年目からの研修開始を容認している(脳外科など一部は3年目から)。研修期間も短くして人気を取ろうとする学会(制度)もあるのではないか。基本領域ではそれこそ根幹であるから横並びをしっかり整えて、新制度の目標の一つである標準化に歪みがないようにすべきである。
いろいろ述べたが、やや脇道に逸れて混乱してきたのでここでまとめる。①審議会の議論はある意味、的を得ている*、②新機構のガバナンスには危惧されるところがある(ロードマップ作りは万全であったのか)が、予算措置もあまりなく人的にも組織が脆弱であることへの理解が乏しい、③基本領域で準備が進んでいないところ(学会等)があることが大きな問題である、④地域医療が崩壊するというが、専門医制度だけで改善するわけではなく、医療全体のことであるという視点がいる、⑤基本領域はそれなりに制度が出来ているので現状維持を主体に進めて肝腎の2階より上のことが放置されていることが危惧される(かなり遅れている)、補足であるが⑥更新制度をなおざりにしては医師の生涯教育に課題を残し、それこそ地域医療の崩壊を助長させる、といったことではないか。
そして、新制度では認定を学会が仕切るのではなく第三者で行うという理想論が、今となっては如何に現実離れであったかも示している。新専門医機構のそれこそ在り方が問われて肝腎な制度作りにブレーキが掛かり、官主導であらたな在り方委員会ができとことは、医師サイドのプロフェッションとしての社会的評価が如何に脆弱であったかも物語っている、というのが今の傍観者としての勝手な感想である。専門医制度を若手医師の取り合いに使うのではなく、これからの日本の医療を担う医師の育成事業であって、それが日本の医療をよくする、そしてそれには社会的投資がいる、と愚考するものである。

* 後日追記: ①は少し誤解を生むかもしれません。本来、審議会で出た意見は的外れでしかるべきなのですが、現状の基本領域のプログラム構築において地方への配慮が足らないという現実があるとすれば、そうであるということです。実際、各制度がどのようなプログラムでどう地域医療への配慮や大学外の病院を組み込んでいるか私には定かではありません。従って、ここはよくフォローすべきで、機構もそれが杞憂ならしっかり説明したらいいと思います。こういう危惧が、実際はそう深刻ではないないことを願っています。

2016年3月31日木曜日

成人先天性心疾患への心臓移植


 今日で3月も終わりで、明日から新年度です。世の中は時代の変換点にあったり、人では新旧交代も多いのですが、自分自身では28年度は何か新たに目標があるわけでもなく、何となく新年度が始まるという雰囲気です。後期高齢者群に入るので健康に気をつけないといけませんし、27年度は振り返ると体の故障に明け暮れた年であったので、まずは健康維持を目指す、というところです。高齢者の医療費増に加担しないようにしたいです。
今日の新聞で、成人の先天性心臓病の方への心臓移植が行われたことが報じられています。国立循環器病研究センターで50歳代の先天性心疾患の患者さんに心臓移植手術が成功裏に行われたということです。この成功に心より敬意を表します。この後の経過が良いことを願っています。さて、記事にはこのような患者さんへの心臓移植は我が國では大変まれ、と書かれています。実は私が阪大で心臓移植を担当した時の一人が、この成人先天性心疾患でした。心臓が右側にあったりする複雑な解剖で移植術に苦労をしました。手術は無事終わったのですが、4ヶ月後に感染症などで亡くなりました。ということで学術的にきちんと報告していなかったものです。私が退職後も長らく報告がされないまま放置されていたのですが、私の責任もあって昨年に症例報告をまとめました。長期生存例ではないのですが、その概要を紹介する意味があると思ったからです。この症例報告の1ページ目だけ紹介でお許し下さい。今後増えてくるこのような症例の心臓移植に何か役立てれば有り難いです。

桜もどんどん咲き出して、この週末は関西も満開近くなるでしょう。健やかな春の到来です。冒頭の話しと異なりますが、明日から心機一転、また何か挑戦して行きたいです。近場の桜も紹介します。


2016年3月14日月曜日

人工知能が囲碁でも世界一を破る

 奈良では東大寺二月堂のお水取りも済んで、いよいよ春到来ということですがここ数日は寒波の再来で道行く人もマフラーが放せないようです。私は例年ではこの頃では雪上での日が2週間近くなるのですが、今年は暖冬と言うより私の体の事情でまともにスキーで滑ったのは2-3日と異常なシーズンでした。ただ、先週は役員をしている全関西学生スキー選手権大会で野沢温泉におりましたが(4日から9日)、雪不足でアルペン会場が変更になったり、強風で一部中止になったりしましたが、対校戦も無事終了したことで地元の方々に感謝しながら帰ってきました。この関西学生スキー選手権大会は今年で86回にもなる長い伝統がありますが、最近は関西(西日本といってもいいですが)の大学で体育会に入って競技スキーをする学生も少なくなりました。とはいえ何とか400名ほどの登録選手も確保でき大会も盛り上がりました。
3月に入ってこのブログのアップが出来なかったのは上記のせいもありますが、最近はなかなかテーマを見つけるのが難しくなっているのが現実です。そう考えている中で、面白いニュース、がありました。面白いというか凄いことと言った方がいいでしょう。人工知能(AI)が囲碁でも世界一の棋士を連破したといニュースです。新聞では一面トップ扱いで、まさに人工知能が人間の思考能力を越えた日でもあります。深層学習(Deep Learning)という科学的手法がスーパーコンピューターと連携して、新たな人工知能の世界が現れていることに驚きます。
さて、誰も考えますが「AIは医療にも入ってくるのか?」ということです。当然入ってくるでしょうし、従来のコンピューター医学や医療情報の世界が変わると思います。究極は、ロボットとAIの連携で医師は必要なくなるのか、ということです。どれだけお金をかけるのかにもよりますが、流れはそういう方向に向くでしょう。医療とコンピューターは私の学生時代に既に内科のある教授がその将来性を指摘し、診断コンピューターについては神経疾患の診断ではすぐにも出来るような話しでした。50年経ちましたが医師に変わるIT技術の普及は実現していません。しかし、今のAIの登場では話しが違うようです。以下、私なりに20-30年後の医療現場を想像してみます。

1.    総合診療の診察室では初診患者さんが来るとまずロボットが主訴や症状、既往歴、簡単なバイタルサインをとります。その後で診察医(あるいは専門ナース)が登場して確認した後、検査を進め、総合判断もまずロボット(AI)が出して、専門医が確認して患者さんに説明、という流れになる。
2.    癌のような複数の選択肢がある場合、医学的根拠からその患者さんの最適の治療と予後が即座に出てきて、医師は質問へ回答や説明の補助を行う。
3.    癌に限らず神経変性疾患や腎疾患、糖尿病、高血圧、など、診断から最適治療法の選択までは格好の対象となる。
4.    診断から治療法の選択まではいいが、治療となるとどうか。特に外科的な領域はどうなるか。ロボット手術はAIほどは進歩しないと思うが、読み違えになるかもしれない。眼科、耳鼻科、整形外科、脳外科、など沢山の外科系技術、内科でも内視鏡治療やカテーテル治療は人が関わらないと出来ない技術で在り続けるのか。

こうなると診断面でのIT化(AIの前段階)が進むと、医学教育はどうなるのか。自分で触って、自分で検査所見から診断し、治療を進める、という基本のトレーニングは今と同じようにしておかないと、とんでもないことになるのでは。AI機器の端末が地域医療の現場にくまなく配置されるのか。医師不足の地区はその恩恵をより受けるのか。そして医師の裁量は何か、となってくる。また、医学教育は今のまま6年で続くのかも興味がある。学生が全ての知識を頭に入れて置く必要があるのか。とはいえ、iPadの様なものが眼鏡に組み込まれていて患者さんに対応する姿は想像したくない。AI技術をどう活用し、費用対効果(医療経済)を高めるかも問われてくる。心のこもった医療はロボットでは出来ないがAIは出来るのか。

少なくとも言えるのは、医師過剰の時代になるであろう。今の半分で十分でと言う時代が到来するであろう。一方でAI医療を補助する専門の看護師や新たな職種は増やすことになる。医師が必要なのは過疎地や在宅医療、遠隔医療ではなかろうか。外科系も今のままの数が必要とは思えない。ITAI技術が進めるなかで、医学部の定員は徐々に減らされていくのではないか。勿論、お金の掛かることであり、Google社のソフトが日本の医療を席巻するようになれば大変である。この世界では日本は遅れているやに報道されているのが懸念される。AI導入は医療費削減になるのか? 医師の数を減らせばいい、といったことになるのかもしれない。何か恐ろしい話でもある。現実的にはAIというより従来のIT医療がまず必要で、これを進めるのが先決であると思う。こういう発想がそもそも古くなるのかもしれない。ここでも発想の転換が大事であり、ダーウインの言う、変わることが出来るものが生き残る、ということを思い出した。

ということで、AIの登場で医療はどうなるのか、想像をたくましくして好きなことを言わせてもらったが、年寄りよりも若い人が考える大事なことになってくるのは間違いないであろう。

写真は野沢温泉スキー場での関西学生大会最終日の写真。母校の阪大チームの一部残留をOBとともに喜んでいるところです。FBからの転用です。



3月28日のネットニュースで(読売新聞かったのきじでしょうか)、AIの診療での応用が自治医科大で開発されたと言う記事がありました。やはり総合診療分野での取り組みです。
 

  人工知能で診療サポート、自治医大などが開発