2015年2月4日水曜日

最近読んだ本から その1


厳しい寒波が続いていますが、皆様如何お過ごしでしょうか。早くも2月に入り年度末の何か気ぜわしい雰囲気が感じられるこの頃です。

今日のテーマは、最近読んだ本の感想です。二つあって、共に科学的検証というテーマで共通しているものです。23週間前ですか、ある新聞の本の紹介欄に出てきたもので興味があったのでさっそく読んでみました。一つは「捏造の科学者・STAP細胞事件」(須田桃子著、文芸春秋社)で、もう一つは「原発と大津波・警告を葬った人々」(添田孝史著、岩波新書)です。共に科学新聞記者が真摯に取り組んでスクープ合戦の中で鋭い視線で追ってきたものの纏めです。日本中を巻き込んだ社会的事件に対して、記者の目から科学的事実の検証とその社会的意義についてしっかり書かれていて、興味深く二つとも一気に読んでしまいました。

 STAP細胞については、理研発生・再生科学総合研究所(現在は名称変更されている)の小保方晴子研究員と笹井芳樹副センタ長によるセンセーショナルな発表から始まり、その後一転して論文の不正が次々と明らかにされ、結局はNature誌から論文撤回、そして笹井氏に自殺という最悪の結果にになった経緯が克明に記されている。毎日新聞の科学環境部の須田記者が科学ジャーナリストの意地にかけてスクープ合戦を乗り切ってきた中での、関係者や関連する分野の研究者の聞き取りやメイルのやり取りが中心ではあるが、記者の鋭い目から見た事実とその公表の中で理研の対応の遅さが改めて浮かび上がってくる。

論文不正(捏造)が発生したときの組織の時機を逸しない適格な対応が、超一流研究施設や研究者の対応はまさに医療事故でのリスクマネージメントと同じであると思う。かって医療事故が多発していた時に、当時の名古屋大学医学部付属病院二村雄二病院長が示したスタンス、「逃げない、隠さない、ごまかさない」が思い出される。私も病院長時代に何度か記者会見で頭を下げたことがあり、未だにある種の精神的トラウマになっているが、その際も医療マネージメントのプロから、迅速かつ正確な説明(公表)が基本であることを学んだ。理研の対応と同じには出来ないとは思うが、何かしら共通点があるように思ってしまう。

須田記者が指摘している中で興味があり共感を持ったもう一つのことは、最後に書かれている一流科学誌の陥穽(かんせい、落とし穴)の部分である。NatureScienceなどの超一流科学誌に論文が採用されることで科学の世界では別格扱いとなる。これらに掲載されることで多くの研究者、特に日本では、記者発表をすることが習わしになっている。しかし、その発表の本当の評価は何年か経って新価が評価されるわけであるが、その前に自分たちの成果を喧伝するかのごとくマスコミを使い、またマスコミもそれを鵜呑みにして記事にする傾向があるのではないか。これらの超一流雑誌はインパクトファクターでは20を越えていて、そう簡単に採用されないし、されたら著者にとって大きな業績になる。基礎の分野ではあるが、教授選考でもしかり、科学研究費取得でもしかり、業績にそういった論文がいくつかあると、審査側がまず高いレベルの研究者というレッテルを貼る。STAP論文は2回であったか不採用になっていたが、笹井博士が加わって一気に採用となった。その辺りの問題を指摘しているが、その中に海外の著名な研究者はNature誌などの「商業主義」の問題を指摘している。そういうこともあるのかと驚いている。私見であるが、医学研究(臨床研究も含めて)の世界では論文として世に出されものは掃いて捨てる程あるが、何年か後でもそれが正しく、またそれを基盤に新たな展開が起こっているものはほんの一握りである。科学の発展にはまず論文にしていくこと、それもしっかりした査読のある雑誌が基本であるが、超一流かどうかは別にして論文至上主義という言葉が改めて思い浮かんだ。もう一方で、科学論文もその真価以外に不正がないか検証される、という時代になっているのかと感じた。何か問題が生じたときの検証の方法として、本来は科学的に進めるものがマスメディアが加わるとどうなるのか、それが示されている。

もう一つは東日本大震災の大津波による福島第一原発事故についてですが、分けて書くことにして、まずはここまでとします。

 写真は、先週のニセコでのもの。荒れた天気のなかで垣間見れた羊蹄山です。